「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その五 

 『辯道書』對『呵妄書』、同じく『辯辯道書』を並行して記さうと試みたものゝ、間が空いてしまへば、どこまで抄録して、どのやうに進めてゆかうと考へてゐたのか、すつかり忘れてしまつた。抑々當時跋扈した慕夏主義の經世家と、之に對峙する國學者、崎門の學者の三書併行といふ企劃そのものに無理があつたのかも知れない。

 嘲笑つてくれ!!と云ひたいところであるのだが、固より野生の場合、ブラツク企業に働いてゐる譯で無し(わかるかな?)、閑人には閑人の取り柄あることを明らかにしておく必要があるので仕方なく、このまゝ筆を進めねばなるまい。

 え?わかり易く整理して書いてくれ、となん。・・・さういふ意地惡な請求をされますと、野生は再び一个月ほど更新をサボつてしまふことになりますぞ。

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 さて。佐々木高成、平田篤胤兩翁の批判も追ひついてしまつたので、再び『辯道書』の抄録に作業を戻さねばなるまい。
 篤胤翁の『呵妄書』にも度々散見されるが、必ずしも春臺、無學の徒といふものでもない。中には研學の成果無いでもない。
 但しそれ惜しむらくは、やはり慕夏思想が彼れの根底に存することにある。之によつて折角の學究も、歪んだ觀念となつて凝り固まらせてしまふのである。かくなる者をば經世家と認めてしまふ世の、不幸不吉たるは以て知る可し矣。噫、さりながらこの病ひ、ひとり春臺のみ感染するにあらず、たゞに江戸時代のみ流行するにあらず。吾人はかの病を患ふことなきやう、兎角時勢に焦り流されるの如き近視眼・短見者に偏ることなく、皇國住人たるの思想、乃はち勤皇の誠意を固めること、これを思想・學問の基礎と致さずんば能はず。基礎無き、若しくは基礎の脆き上に建てたる家屋やビルなぞ脆弱至極たること以て知る可き也。固より人の安住する可からざること、説明するまでも無し。

※煩を避けむが爲め、前囘まで付した(■佐一)(■平二)などは省くことゝした。
 又た、改行を成るべく多用してみた。讀み易きやうにとこれでも工夫した積もりだ。お付き合ひいたゞくやう、伏して冀ふ。


承前。
○太宰春臺、『辯道書』(享保廿年)に曰く、
『今の神道に神事の行ひ、祈祷加持などの法を傳授して眞言宗の阿闍梨護摩師の如くなる業を教るは是巫祝の道にて、神道の肝要にては無く候。巫祝といふは鬼神に給事する者にて、國家に有らで叶はぬ者なる故に、周禮の春官に、大祝、小祝、喪祝、甸祝、詛祝、司巫、男巫、女巫の官ありて、鬼神の事を主司す。

 此諸官は天子の宗廟社稷以下の祭祀、其外國家の大禮に皆それゞゝの職事ありて其役を務候(※つとめ候)。此輩は只專鬼神に給事し、祭祀祈禳を行ふのみにて、別に其道あるを其家に相傳するにて候。周の代の巫祝の所作は、如何なる禮といふことを、今考ふべき樣は無く候へども、大略今の世の阿闍梨、陰陽師、禰宜、神主、山伏などの所作に似たる物にて有べく候。昔と今と時を異にし、異國と本朝と境を隔つる故に、其儀式名目は、かはるべく候へ共、其所作はさのみ大に異なること有まじく候。子細は人情物理、古今同然なる故に候。此巫祝の道は君子の道とは別なる物にて、君子よりこれを見れば、兒戲の如くなる事も、怪しき事も、おかしき事も有之候へ共、國家の害にならぬ事は其まゝに捨置て、神事の類をば彼等に任せんとて、古の聖帝、明王も是を用たまひて百官の列に入られ候。後世に及で、人を牲(いけにへ)にする樣の事起り候へば、西門豹が如き者さへ是を治候。況や先王の時左樣の事は無く候。然れば巫祝には別に一種の道ありて、常の道にあらず候を、常の人これを學び候て、何の用に立候はんや。今の人、神道を學びて、不淨なる家の内に神壇を作り、不淨なる衣服を着し、不淨なる供具を献じて朝暮に神を祭り、巫祝の如くの行ひをなして、鬼神に褻れ鬼神を瀆して、終には亂心する者有之候。今の神道家にいふ所の神明は、佛家にいふ如來にて候。心の神明といふは佛家にいふ唯心の彌陀本覺の如來にて候。

 根の國底の國といふは、死して後の事をいふにて候。内外清淨、六根清淨などいふ事は、佛家に煩腦を除て菩提を求る道にて候。總じて今の神道といふは、唯一三元といへども皆佛道に本づきて杜撰したる事なる故に、外には佛道と敵するやうにて、内は一致にて候。今の神道の如くなる事、中古までは無き事なる故に、昔の記録、假名草紙の中にも見えず候。是にて聖徳太子の時、神道いまだ有らざりし事を御得心あるべく候。左に申候如く、神道といふ文字は周易に出候て、聖人の道の中の一義にて候を、今の中には巫祝の道を神道と心得候て、王公大人より士農工商に至るまで、是を好み學ぶ者多く候は大なる誤にて、以ての外の僻事と存候。巫祝の道は只、鬼神の給事するのみにて、吾人の身を修め、家を治め、國を治め、天下を治むる道にあらず候へば、巫祝にあらざる者は知らずして、少も事かけず候間、士君子の學ぶべき事にあらずと思しめさるべく候』と。(以下、一旦閣筆す)


 敢へて『辯道書』には、赤字や太字を省かうと思ふ。有志諸兄の炯眼を以て先づ御一讀いたゞき、その上で高成、篤胤翁の御一文に接してみるはうが一興の價値あると思うた爲めだ。
 それにしても。淺見と云はんか偏狹と云はんか、當時に名を馳せたる學者をして本當に斯くの如く考へ、信じてゐたのだとするならば、これらを相手取り、且つ 皇國を復古中興へと導いた我れらの先學偉才の苦勞も並大抵のものでは無かつたに相違ない。
 さてゝゝ、兩翁の筆碎如何なるものぞ。
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by sousiu | 2013-08-28 22:02 | 大義論爭

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