「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その八 

 昨日は「神奈川有志の会」懇親會に參加。
 今囘は大日本勝魂社諸兄が幹事となつて行はれたのであるが、迚も美味しい料理ばかりで、決められた會費では足りなかつたのではないか、と思ふほどであつた。極樂極樂…あ、髪長用語だつた。失敬。
 次囘の幹事は菊水國防連合だ。樂しみである。笑。
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 ところで昨日の會合では、和心塾の石田勇樹君などから神道的自覺に就ての意見が多々あり。實に頼母敷い限りである。


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 前囘記事に續き、~~「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その五~~の太宰春臺著『辯道書』に對する篤胤先生の反駁を下記す。

●大壑 平田篤胤先生『呵妄書』(享和三年癸亥十月刊)に曰く、
今の人神道を學びて、不淨なる家の内に神壇を作り、不淨なる衣服を着し、不淨なる供具を献じ云々。今の神道家にいふ所の神明は、佛家にいふ如來にて候。 ~※純が文の引用なり~

 神は敬して遠ざくとかと云ふは漢國のさたなり。
 皇國は神の生成し賜へる御國にして、神の立賜へる道なれば、漢土とはすべて異なること論ひなく、天の下の人神胤ならざるは少く神國の人ならさるはなし。然れば妄説の佛學空理をもて、作り立たる西戎國聖人の道をはじめ、穢汚(きたな)き外國の教どもを廢(すて)て、まづ 皇國の古を學びて 皇國の神の尊くまします故を知り、清々しき眞心もて慇(ねんごろ)に神を敬ひ近付て、よく祭るぞ 皇國の道なり。其故は前にも云へる如く、朝廷には神事をば御政の第一と定め賜ひて、天の下を始め給ふ御事(み-わざ)の本なれば、其の大御心を心とする臣等(をみ-たち)天の下の百姓(おほみ-たから)に至るまで、己が家々の祖神、其外他(あだ)し神々をも齋(い つ)き祀りて、眞心に仕奉(つかへ-まつ)るぞ、此大御國の遠津神代よりして古をしぬび、遠つ祖を慕ふ孝心のあつき御國俗(み-くに-ぶり)なればぞかし』と。

 このあたりは神代派を提唱する下山君の、涎を垂らして喜びさうな一文だ。
 固より吾人のゆめ忘れる可からざる心掛けであらねばならない。
◎順徳天皇、承久年間『禁祕抄』(卷之上)に宣はく
『凡そ禁中の作法、先づ神事、後に他事』と。↓↓↓
 http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/i04/i04_02478/i04_02478_0040/i04_02478_0040.html
 全國民は肝膽に銘ず可し矣。焉んぞ 禁裏に於いてのみならん。
 起床して先づ神棚を拜するは必ずしもひとり神道家だけに非ず。おほくの國民が古今に亘り自然と身に付いた習ひである。


 篤胤先生の曰く、
『さて朝暮に神を祭り亂心する者もありと純がいへる、實に然ることも有るべし。眞の神を知らずして、佛菩薩のごとく思ひ奉りて、其上神のいたく忌み嫌ひ給ふ佛經の句を摘取り、祝詞に擬(なづら)へて杜撰したるもの[六根清淨の祓ひなどいふ類]をば法師どもの佛經を誦する如く、神の御前に數篇となへなどして汚し奉ればなり。また普通の神道者流の云ふ處の神明は、如何にも法師どもの云ふ如來めけることにていと忌はし。然れども此輩はみな己々が好むかたに執着して、佛を好める輩は、佛説を出ることあたはず。性理を學べるものは、此理と云ふものをのみ牽強して、外に妙(たへ)なる理(ことわり)の有るをも知らず、皆始に學べる垣内に迷ひて外あることを知らずし て拘泥(なづめ)るものなり。彼の聖人の道にのみ迷へるものゝ、何事も聖人のいへるをばよしとして、其糟粕をのみ舐(ねぶ)りて其垣内を出ること能はず。周易の神道と我が國の神道とを、附會せるものなど、みな同日の談(ものがたり)にて、彼の蒼繩窓に觸るとは云ふ類なり。されば兩部唯一の徒も、其の好む處に迷へる不明は、憐れむべきことなれ共、腐儒者(くされ-ず-さ)の輩我が國の事をば知りもせず、漫りにわろくいはんとする無頼なる者よりは、附會ながらも我が國の道と云ひ成して稱へんとするは、皇國を尊くせんとての眞心わざなれば、まだしも殊勝なる志なり。我は純が輩よりは惡しと思はずなん』と。

 當時の神道は兩部神道、唯一神道など、神佛習合であつたり、神佛儒の三教が一體となつてをり、篤胤大人のやうに隨神の道を追及せむとする人らにとつては甚だおもしろからざるものがあつた。よつて大人らの信念と相容れない既存の學者、神道家との對立は當時に於いて決して少々ではなく、筆戰激しきものがあつたのである。さりながら大和心を堅固とする爲めには大人らの試みは必要不可缺であり、その成果がのちの明治中興の偉業へ導くに多く與かつて力があつた。


 續けて曰く、
今の世には、巫祝の道を神道と心得候て、王公大人より、士農工商に至るまで是を好み云々。巫祝にあらざる者は、知らずして少しも事かけず候。 ~※ 仝~

 今の世に、兩部唯一の輩の唱ふる巫祝めける事を、眞の神道と心得て、人々學ぶは大なる誤りといへるは、人通り然ることゝも聞ゆれども、己謂(おも)ふに、聖人の道を學て、純が輩のごとく無頼ならんよりは返(かへり)て彼輩こそたのもしからめ。其故は彼の輩の其云ふ處は妄説なれ共、一向(ひたすら)に 皇朝をかしこみ神を尊み、露ばかりも我が國をあしざまに云はんなどの心はなく、更に聖人の道をうまくさとれりとて、ほこる嗚呼(を-こ)人の汚き意の類にあらず。されば彼の學をする輩をも、然のみ叱るべきことにはあらず。また巫祝の道は鬼神に給仕するのみにて、吾れ人の知らずとも事かけぬことなりといへるも、一通り然る事と聞ゆれども、前にも云へる如く、皇國の御巫祝部は、漢國の巫祝と、淨き上にも淨きを好む我が國の巫祝とを、同じ事に思ひ混(まじ)へて僻言を云は、既に事かけたるおとにあらずや。何事も學びてのちに用なきは廢(すつ)るに安きわざなれば、及んかぎりは學びて、其止る處にとゞまり度わざぞかし』と。


 篤胤大人の反駁も、前記『辯道書』に追ひ付いた。次囘は再び、『辯道書』の續きだ。
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by sousiu | 2013-09-27 23:25 | 大義論爭

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