「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十 

 今日は野生の可愛がつてゐる蛇(假名・如意棒ならぬ「によい坊」)に食餌を與へんとするの際、噛みつかれてしまつた。
 どうやら蛇は、地球上で最高の進化を遂げてゐるらしく(出典、ナシヨナルジオグラフイツク。苦笑)、毒蛇ではないものゝ、餌やりの時、手に向かつてこられたら殆ど避けることが出來ない。然も一瞬噛まれた丈でも出血が少なくないので、その度びにニヨイ坊を破門にするか否か苦惱するのである。それにしても凄まじき攻撃力だ。

 さういへば維新青年同盟・後藤會長の携帶電話の待ち受け畫面は、何と曾てニヨイ坊に噛まれた際に怪我した野生の指であるさうだ。
 ゴトケン兄は野生が慕つてゐる士のひとりである。求道の志と向學の念に溢れ、人格・情熱・探究心など何ら申し分のあるは無し。一點、壁紙のセンスを除いては。
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   ↑↑↑今朝のによい坊(假名)。彼れ(性別は分からんが、おそらく♂)に禮節を教へるは、相模川で砂金を探し出すに等しき難事だ。


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●佐々木高成先生『辯辯道書』下卷に曰く、

『さて佛道と儒道との違(ちがひ)めを論ずること甚だながし。辯道者いふまでもなく佛氏は心を尊んで靈覺を觀るを大悟とす。~中略~  

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 しかるに曲學者ながゝゞしく佛經の事を説て、當時の世間僧戒行を破り、色婬に墮落し、名聞を願ひ、財利に迷ふ事辯道者がいふまでもなく、釋迦佛五々百歳の後、五濁亂慢(ご-じよく-らん-まん)の時、僧の戒行つたなからんことは頓にいふ(※マヽ)て置きたれば今更いふに及ばず、又僧と成ては身に糞衣(ふん-ゑ)を着、口に馬麥(め-ばく)を食し、樹下石上に宿する事、増蘇老人が小社探等にいふてあれば、口眞似するやうに見えてをかし。神道を議難せん梯に佛教の事を論ずる事、無用の辨をなんぞつい(マヽ)やすや。儒佛の邪正は程氏跡斷(てい-し-せき-だん)の説にて、その理、菽麥氷炭(しゆく-ばく-ひよう-たん)を別つがごとし。~以下略~』と。

 高成大人も、自身の視點から佛教に斧鉞を加へる。
 されど前記したるの如く、佛教批判は他日に記すであらうので、こゝでは略す。



 續けて曰く、
『辯道者の文に、惣(※總)じて天地開闢の初に、人の生ずる所は久しき池に魚の生じ、腐たる物に虫の生ずるがごとく、自然の氣化にて生じたるものに候(※純が文の引用なり)といふより、先王の禮を犯しては人にあらずと思ひて愼しみ守れば情欲是に制せられて放逸する事を得ず候といふまでを述て、作者の意大綱を摘でいふべし』

 辯道者(太宰純)が云ふ聖人の主張に對する、高成大人の反駁が始まつた。


 曰く、
惣じて天地開闢といふ。惣じての語、萬國に通じていへるものなり。異邦も本邦も同意にして、氣化を以て人の生ずる事、水中に虫のわくがごとく、貴賤上下の品もわかれず、皆同輩なるを平民といひ、皆同輩にてかたちは人なれども禽獣に異ならずといひ、その中に賢き人生れて人倫の道ををしへ、君臣上下の分を立るが盤古燧人(ばん-こ-すい-じん)などゝいひ、そのゝち伏羲(ふつ-ぎ)神農(しん-のう)黄帝(くわう-てい)といふも皆其通りなりと。吾國も開闢の初より、良(※やゝ)久しくかくのごとくといふ意をひそかにふくみとけり。是等の邪説を打破んがため、上に一々神代の事蹟を述て、これを評じて其意を著明す』


 少し長文となるが、以爲らく高成大人の、本書に於て最も筆に力の籠められたる要處であると信じ、これを抄録したいと思ふ。

 曰く、
曲學者が貴ぶ西土(せい-ど)は、風氣偏濁、陰陽過不及の下國なれば、開闢にかぎらず後々までも禽獣同然の國なり。吾神州は開闢するとすなはち二尊氣化し玉ひて夫婦婚姻の道を正し、人倫の本を明かにし、父子君臣の道、赫々然(かく-かく-ぜん)たる事、神典に見えたる通り疑ふべきなし。忝も天照大神、高天原に即位御座て彝倫(い-りん)の道を明にし、万民にをしへ、その補佐として神高皇産靈尊攝政し、兒屋、大玉二神これに繼(つぎ)給ふ。五穀成就耕作の道を保食(うけ-もち)の神に月讀尊をつかはされてこれを習はしめ玉ふ。蠶(かひこ)をいとゞること、五穀を作る事、其道を得て國用豐饒なり。稻八束穗に莫て日神の叡慮明彩(えい-りよ-うるは)しく、天邑君(あめの-むら-きみ)をさだめ玉ふ。これ後世の大庄屋等の類なり。かくのごとく神代より人事の教法、明かに備りたること神典に著(いちじる)し。然るに辯道者、聖人の教へ情欲を斥るといひ、書經の殷の湯王の以義制事(※義を以て事を制し)、以禮制心(※禮を以て心を制す)といふ事を肝心とせり。凡て學者の受用を論ずる時は、曲學者が得經の論語に博文約禮(はく-ぶん-やく-れい)といひ、又、克己復禮と宣ひ、又、子貢問有一言而可以終身行之者乎(※子貢問ふ、一言にして以て身を終はるまで之を行なふ可き者有りや)、子曰、其恕乎、己所不欲勿施於人(※子曰く、それ恕なるか、己の欲せざる所を人に施すなかれ)。是等を擧ずして遠き書經の文を擧るは、陰に宋儒の理學を嘲らんと欲するの私意なり。神道を難ずるの片手に宋儒を廢せんとする事、濫吹(らん-すい)笑ふべし。辯道者が古學といふを辨ずべき事、車載斗量なりといへども、吾道に與(あづか)らざれば、しばらく赦(ゆる)置而已(おく-の-み)。
 吾神教己を脩め人を治るの大道を説述べし。
 元來、吾邦は神明降居の本國ゆゑ、風土潔く陰陽中和の國なり、故に磤(※石+殷)馭盧島(※おのころじま)といふ。おのころは自凝(みづから-こり)しまるの訓にして中央に位し、日月もこれによりて運行の度をたがへず、四時もこれに依て流行の道もとらず、故に此國の人も、天地の中氣の中の粹氣を受て彝倫正し、其精義は神道を學び、其傳を受に非んば知るべからず。予、枉妄義に述る通り、外國は陰陽過不及の國なり。南蠻西戎は陽勝て陰不足なり。南國は寛柔にして教へ、無道にむくひざるを以て道とす。西戎は六度滿行を修し、廣大慈悲波忍羅蜜等を以て最上とす。北狄の風は剛強果斷を專らとし、金革を衽(しきね)にし、白刃を踏を以てよしとす。是皆陰陽の過不及なり。
 吾國は人おのづから寡欲にして漢土天竺の多欲無道なるには似ず、吾國も外國の道入り來て漸神代の古風を失ひ、人王三四十代の此より人の風異邦へ流れ、博文あるものは反て智辯巧に流れて上世淳素の道を失ふ。佛法隆(さかん)に行はれて朝廷の政日神の遺戒に背き給ふ故、遠島へ徙(うつさ)れ給ふこと、今世より是を見ても血涙を流す。

 保元平治より以來は父子相爭ひ、兄弟相戰ふ。宛も漢土天竺の風俗となる事といふべし。近頃栗山氏(※栗山濳鋒翁のこと)、是を患て保健大記を作れり。谷氏(※谷秦山翁のこと)が打聞を合せ見ば其理明なるべし。今も上世身を脩るの法を勉は上の政を一毫も背かず、當今の天子を直に日神と尊び、當時將軍を八幡大神の武徳と崇め、攝政家を春日大明神と信じ、何事も上の掟に背ず、吾心も天御中主の分靈と仰ぎ、汚穢不淨の邪念起れば直にはらひすて、猶又神力をいのりて、今日より後、罪止云罪者(※つみ-と-いふ-つみ-は)あらじものぞと、祓所(※はらひ-ど)の八百万神へはらひ給ひ、きよめてたまはれと祈り申すまでなり。故に上世より中古まで法式條目といふ事もなく、おのづから天下國家安(やすらか)に治りて百姓其所を得、種子命國の大祓を掌り給ふことを見るべし。

 畢竟天地のたつも誠、日月の照すも誠、四時の行るゝも誠、君々たり、父々たり、子々たり、夫々たり、婦々たり、兄々たり、弟々たり、友々たり。是の誠の境界に入れば、外より責たむるに及ばずして自然に道行る。これ神國最上の教なり。
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=XYA8-02010&IMG_SIZE=&IMG_NO=39』と。(改行及び※は野生による)

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by sousiu | 2013-10-01 07:31 | 大義論爭

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