「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十五 

 昨日に續き今日も日本誠龍社に關する話題であるが、先ほど、依頼されてゐた同社機關紙創刊號の寄稿を書きをへた。
 貴田會長との御交誼はかれこれ十年以上となる。日本誠龍社はこれまでも果敢に運動を展開してきたが、こゝ最近は、運動形態を見直しつゝあり、殊に貴田會長は積極的に農本主義を研究し、各地の農家と親交を深め、自らも實踐されてゐる。
 時折、晝間に電話があり。「今、神田の古本屋にゐる」と。
 專ら戰前の古書を蒐集し、一晩中讀んでゐるのだとか。晴耕雨讀の實踐者である。羨ましい限りだ。

 時代の流れか、最近、そのやうに運動方針や組織形態を見直す團體や有志が本當に多くなつた。後が恐いので名前は伏せさせていたゞくが(汗)、意外なる團體が路線轉換を始めてゐる昨今だ。舊態依然と、温故知新はまるで違ふといふことだ。

 私見を述べればかうした動向は歡迎す可きことであり、同時に必然であると思つてゐる。自らをして尊皇の基礎を固めてから時局を論じても決して遲くはないし、否、むしろそれ無くして徒らに騒いでみたところでそこからは何も産まれない。この日乘でさへ、有難いことに一日平均、六百人を超す來場者がある。來場者の數は固より野生の卑見に依るものではなく、先哲の御尊名や著書に與るものであるが、それにしても「篤胤」「國學」「三條」「神國」「尊王」などてふキーワードで檢索される御仁の、少々であるとするも決して僅少でもないことが頼母敷く思へるのである。

 目下ヘイトスピーチの街宣を巡り是々非々が論議されてゐる。全くと云うて宜いほど野生には關係ない。


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○平田篤胤先生『呵妄書』(享和三年癸亥十月刊)に曰く、
人に父母なき者は無く候。禽獣は乳哺の養を受る時、父母を慕ふのみにて、少し長じて離別すれば、親は子を忘れ子は親を忘れて、後には親となど、食を爭ひ候。人も本は禽獣の如くなりしを聖人是に親愛の情を示し、孝敬の道を教玉ひてより父子の道始り候。 ~※純が文の引用なり~

 西土の人は本は禽獣の如くにして、親と子との親みをも知らず、親と子と、食をあらそひなどしけるを、聖人是に親愛の情を示し、孝敬の道を教へてより、始て父子の道たてるとか、然もあるべし。更に無りし好き情を聖人に示されたるものなれば、西戎國(か-ら-くに)の人にしては聖人は上もなく尊きものになんある。皇國の太古より父子の道、正しく親しかりしことを、彼の國人に聞しめ度わざになん』と。

 曰く、
禽獣には雌雄牝牡の情のみ有て、夫婦配偶の道なき故に、父子同産交合して、子を生み候。人も本は禽獣の如くなりしを、聖人婚姻の禮を制し、男女の別を立て、淫亂を禁じ玉ひてより夫婦の道始り候。 ~※ 仝~

 西土の人は本禽獣の如く夫婦配偶の道もなく、父子交合して生みけるを、聖人是に婚姻の禮を教へて始て夫婦の道立しとか、然も有るべし。周公旦が此定をいみじく固くせしも、かくみだりにて有し故ならん。皇國の太古より夫婦の道の正しかりしことを、彼國人にきかせ度わざになん』

 曰く、
禽獣には同産の子數多あれども、兄弟と云ふことなし。人も元は禽獣の如く、同産なるのみにて、兄を敬ひ弟を愛することなく、爭鬪して相殺することありしに、聖人これを憂て長幼の節を制し、兄弟の道を立玉ひ候。 ~※ 仝~

 西土の人は、元禽獣のごとく、兄弟敬愛のこともなく、爭鬪して相殺すこと有りしを、聖人是に兄弟の道を教へたるとか、然も有るべし。西戎國の人にしては、聖人は尊きものなり。敬ふもうべなり。皇國の太古より兄弟敬愛の道、正しかりしことを、彼國人にきかせ度わざぞかし』と。

 曰く、
禽獣には朋友と云ふことなし。人も本は禽獣の如く、信もなく義もなく、相奪ひ相爭ひ、相殺し相害するのみなりしを、聖人是に信義を教て、朋友の道を立たまひ候。 ~※ 仝~

 西土の人は、本は禽獣のごとく、朋友の信義もなく、相奪ひ相殺しけるを、聖人是に信義を教へて、始て朋友の道を立てたるとか、然も有るべし。皇國の太古より朋友の信義あつかりしことを、彼國人に聞かせ度わざになん』と。

 これらのくだりは篤胤大人ならではのもの。實に痛快なる哉。


 曰く、
君臣父子夫婦兄弟朋友、此五つは人倫の要道なる故に、是を五倫とも五典とも申候。人間に此五つの道、一つも闕ては天下治らず候。 ~※ 仝~
 如何にも爰に云へる名目ども一事も闕ては、人の人たる道をうしなへるにて天の下治ることなし。尊き哉、皇國は格別のよし有るが故に、太古より第一に君臣の道正しく、外國にても羨み稱し奉ることにて、 ~中略~ 父子夫婦兄弟朋友の道も、甚(いと)正しかりし故、五倫五典などゝ、言痛(こ-ちた)く名目を立て、をしふるまでもなく、人々行て常なりしに、西土(から-くに)などは、純が説の如く開闢より道の大本たる君臣の道さへ、輕忽なりし故、かく名目を作りてをしへたれ共、末の世に至りても、なほ正しからず。太古より風俗の末々までも直らぬものなり。其本亂れて末治ることなしとはかゝる事よりぞ云へるならん』と。

 曰く、
『~上略~ 抑々道の體とする處は、たゞ君は君として下を惠み、臣は臣として君に忠を盡し、親は子を慈しみ、子は親に孝行をいたし、夫婦兄弟長幼朋友、夫々にさう有るべき事の、正しき所を差して道とは云ふべきもので、是は人々みなかうなくては叶はぬ事まで産靈神の御靈に依り生れならがにして誰もよく辨へ居ることでも、然れ共、其眞(まこと)の道の正しいといふは、獨 皇國のみの事で諸蕃國はさうではない。別て漢土(から-くに)などは、元來酷惡の國風なる故に、湯武など云ふもの共が出て、まづ其大本たる君臣の道をさへ破りて、君を殺して君を奪ひ、なほまた弑す虐の罪を遁れう爲に、天命など云ふことを取込み、亦々其道を飾修して君臣の道などはなほも嚴重に作り添て、種々(くさ-くさ)の道のことを書籍に記し、きびしく制度をたてゝ有る。但し夫は君を弑し國をうばふ程の奸智ある者どもの立たる制度なる故、其文面はよく立派に行屆いて居る。~中略~

 扨、一旦己れが奪ひ取ては、また人には奪はるまじきやうにとて、智慧の限りをふるつて作りたる道である事故に、殘る所もなきが如く、至て尤もらしく書籍には記し有れども、其書は無用(いたづら)に世に傳はるのみで守るものなく、是(こ)は其立たる制度を自(みづから)破りたる輩の云置たる事故に、用ひぬのでござる。今の世の人にても、自は放蕩惰弱にして人の不身持を直さうとかまへ、尤もらしく意見を云たればとて、誰か其云言を用ひませうぞ。~中略~

 然るを儒にのみ拘泥(なづみ)たる輩、僻心得をいたして、其儒道をば皆から 皇國に用ひやうと思ふは何事ぢや。撫我則后、虐我則讎(※我れを撫するは則はち后、我れを虐たぐるは則はち讎)など云ふ類の穢らはしき言は、皇國にては、聞さへいまゝゝしき言ぢや。書たからざまのことをも、いさゝかは御用ひなさるゝを見て、堯舜の道ではなくては治らぬなど云ふは、甚以て稚(をさな)い事ぢや。皇國に御用ひなさるゝ處は、聖人のさだめの百分が一にも足ぬ事ぢや』と。
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by sousiu | 2013-10-08 00:27 | 大義論爭

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