「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十六 

 本日は木川家から最華を賜はつた。
 按ずるに、過日、貴田誠氏に連れて行かれた田植ゑにて、木川家が持ち歸へつた苗であらう。季節のうつろひは本道に早いものだなア・・・。

 神前に御奉納申上げ、五穀豐饒、家内安全を祈願す。
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 太宰春臺の『辯道書』もいよゝゝ本日を以て終はりだ。
 成る可く議論となり得る部分は殘し、抄録に努めた積りだが。固より『辯道書』は決して短い書物ではないので、上手に拔き書き出來たか、ちと自信が無い。ま、その内、作業も慣れてくるであらうので、御寛恕賜はりたい。


○太宰春臺、『辯道書』(享保廿年)に曰く、
『~前略~ 今の人は聖人といふ名をだに知らず候は、淺ましき事にて候へども、是却(※これ-かへつ)て聖人の徳の廣大なる驗(※しるし)にて候。如何にとなれば、聖人の徳は日月の如くなる物にて候。此世界の人、日月の光明に照されぬ者は無く候へ共、一人一家の爲に出たる日月にあらず。萬古以來の日月にて、世界に遍滿する光明なれば、誰にても一人殊更に日月の徳を感戴して、有がたくおもふ者は無く候。若(※もし)とこやみの國に日月始て出候はゞ、人皆奇異の思ひをなして、尊く有がたく存ずべく候。聖人の道も其如く、若海外の遠き國などの人倫の道なき處に、聖人始て出たまひて、今の如くの仁徳を施した まはゞ、 士民等希有の思ひをなして、其徳を感戴すべく候。

 凡聖人の徳は廣大無邊なる者にて、一人づゝに賦(くば)り與へざる故に、其世の人も恩を受るが常になりて、是君の惠ぞといふ事を知らず候。況や千萬世の後に及で其道四方に行はれ、上下萬民ことゞゝく其教を受て、仁徳に化育せられ候へば、昔の聖人といふは如何なる人にて、聖人の道といふは如何なる事ぞと尋る人さへ無きは尤もの事にて候。是すなはち聖人の徳の廣大無邊なる驗にて候』


 曰く、
『偏屈なる儒者は、諸氏百家を異端邪説と名づけて、其書を讀まざる故に其道を知らず、一概に取べき處なき樣に存候。佛法を惡むことは又諸氏百家を惡むよりも甚しく、僧をば人類にもあらぬ樣に思ひ、天下の事を論ずるにも佛法を絶さずば、國家は治まるまじくなど申候。善く學問して先王の道を明らめたる上にては、諸子百家の道は國家の病を治する良藥にて候。釋氏は國家に預らぬ者にて、僧は古の巫祝の類なる者なれば、上の政たゞしき時は國家の害になることもなく候。

 日本の神道は又殊に小き道にて、政を妨ることあたはず候。畢竟、諸子百家も佛道も神道も、堯舜の道を戴かざれば、世に立ことあたはず候。されば中華の古代も日本の今の世も、天下はいつも堯舜の道にて治り候』と。

 大分、春臺の慕華ぶりも遠慮がなくなつてきた。以爲らく、春臺が彼れの主張として最も力瘤を入れたる部分だ。『辯道書』も結論に近付くにつれ、春臺の本音は更らに露骨とならざるを得ない。


 曰く、
『諸子百家を學ぶ者も僧道も巫祝も、皆ことゞゝく王者の民にて、王法の外に出ることあたはず候。若國家を治る人、堯舜の道を學ばずして諸子百家を悦び、或は佛道を好み、或は神道を好むは、其國家の亂るゝ端にて候。譬へば病なき人の妄に吐下攻撃の藥を服するが如くなるべく候。堯舜の道を傳し人は孔子にて候。孔子の教に從て堯舜の道を學び候得ば、天下の事、何にても足らぬ事なく候。貴公も聖人の道をば御好み候へども、宋儒の説を御用ひ候て古義に通じたまはざる樣に、心を治る一事に於て聖人の道を捨て、佛道を御信用候は口惜き御事にて候。

 禮義を守れば心は治るに及ばずして獨治まる故に、聖人は心を治ることを教給はず候。若、心を治て善き道理あらば、堯舜より孔子まで數多の聖人の中に、前の聖人いひのこしたまふとも、後の聖人必これを仰らるべく候。三才を極たる聖人の道に、此一事を闕べき道理なく候。よく御考あれかしと存候。先王の道は孔子に至て大成を集て教を萬世に垂たまひ候。

 然るに子思孟子より少づゝ差ふ處ありて、宋儒に至て大に差ひ候。今の學者孔子を信ぜずして、程子、朱子を信ずる故に、古聖人の道に達せず候。我等は子思、孟子より以下を捨て、只一向に孔子を信じ候へば、聖人の道は極て明になり候。

 純さいつごろ人の爲に著し候假名草紙聖學問答に、古學の大意を述候。若、御志も候はゞ、後日に進覽すべく候。先此答書を反覆して御覽候て、御不審も候はゞ再問を待申候。凡そ純の申す所は、ことゞゝく先王の法言に依て孔子の教を述候。胡亂(う-ろん)なる説にあらず、一々證據ある事共にて候。疑慮を御止候て、委細に御勘辨あるべく候。不具謹言』と。(をはり)

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 春臺の僻事も是れで終はつた。
 つくゞゝ讀みかへし何人も解せられるがごとく、このやうに心、西土にあるの者が一碩學として名を馳せてゐたといふのであるから、已んぬる哉、當時學問の庭が如何に 皇國にとつて瘠土であつたか察するに決して難くはない。

 學問の齎す影響は少々では無い。その學問を肥料とした上で見識が養はれ、更らに思想が開花する。而、その思想が政治制度と歿交渉に非ずとするならば、之と果敢に對決を繰り返したる先人の研學と成果は將さに吾人にとつての學恩とす可きものなのである。

 兎にも角にも『辯道書』にまつはる論爭も終はらうとしてゐる。

 今暫くお付き合ひ下さらむことを。
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by sousiu | 2013-10-09 18:11 | 大義論爭

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