「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十八 

 近畿地方を遊學及び遊説(苦笑)して周つてゐた間、記事を更新出來ずにあつた。
 迂闊にも數日間、放つておくと、何處まで進んだのかわからなくなる。御來車いたゞく皆樣では猶更のことであらう。
『呵妄書』も、もうぢき終はりだ。一氣に完了したいところであるが、少々熱つぽいので、今日は少しだけ進めて擱筆したい。
 颱風と共に歸つてきたのが良くなかつた。寒暖の差が甚だしい折柄、皆樣も御自愛御用心を。

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○平田篤胤先生『呵妄書』(享和三年癸亥十月刊)に曰く、
『純また申たには、偏屈なる儒者は、諸氏百家を異端邪説と名づけて、其書を讀ざる故に、其道を知らず。一概に取べき處なき樣に存候云々。畢竟諸子百家も、佛道も、神道も堯舜の道を戴かざれば、世に立こと能はず候と申た。

 偏屈なる儒者のみならず、その偏屈ならぬとほこれる純も、堯舜が道の外なるをば、みな左道なりと云へるにあらずや。是名こそ異(かは)れ、同く異端邪説と名づけたるものなり。其書を讀ざる故に、其道を知らずなど云へれども、其見たりとほこる人も、見ぬものと同く、斯偏屈なることをのみ云ふは、返りて見ぬ人こそましならめ。總ての道を堯舜が道を戴ざれば、世に立こと能はずなど云たは、實に大笑に堪たることだ。
[然れども此書に斯云ふかと思へば、またほかの著書には、凡禮義には定れる體なしとも、其世に居ては其世の禮義をかたく守るを君子とするとも云へりしは、更に見識定らず醉人の心地す。されど、今は姑く此書によりて云ふ]

~略~ 國々の禮各異なり。然れども其敬の心をあらはすは同じことなり。必しも堯舜が教の如ならざれば、道にかなはぬなどと思ふは、更に云ふにも足らぬ狹見なり。世に漢學に迷へる者どもが、彼の國の書どもに、中華は萬國の師なりなどゝ戎人(から-びと)の狹き心より、云出た漫言(みだり-ごと)を聞て、如何にも然ることと心得、漢國の教に有らざれば、諸事を爲し得ぬごとく一向(ひたすら)に思ふ様子だが、甚しき愚なり。から國の教と云ものは、我が 皇國の正しき上より見れば、知れたることをことゞゝしくをしへたるものだ』と。

 又た曰く、
『禽獣すら烏に反哺の孝あり、雁に兄弟の義があり、狼に父子の親あり、又蟲にも蜂蟻などには、君臣の義もありなど云ふことどもの、漢籍にも何くれと見えて有る。是等も堯舜が道の及んだと云もので有うか。人として堯舜が教に有らざれば道を知らずと云ふのは、國に對し先祖に對し、禽獣にも劣つたる不法者と云ふべし。純など則これでござる』と。


 おやすみなさい。ごほん。
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by sousiu | 2013-10-17 20:36 | 大義論爭

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