「辯道書」と「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十九 終はり  

 遂にこのシリーズも今囘もて終はりだ。
 途中で何度、止めようと思うたか。そんな時、秋風之舍主人の顏がチラ付き、誰れも讀んでゐないだらうといふ孤獨に耐へながら(あ、いや。少なくとも下山といふ病人、元へ、變人の學生がをつた歟)こゝまで來た。
「大義論爭」は初めての試みであつたので、聊か進行に戸惑ひ無理があつたことは認めねばなるまい。けれ共、何となく要領も掴みかけてきたので、次囘はも少しマシになるのではないかと思ふ。次々囘はもつとマシになるだらう。ま、長い目で見守つていたゞきたい。

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 承前。

●大壑 平田篤胤先生『呵妄書』に曰く、
『さて又前に申たる純が説の堯舜の道に非れば、世に立事能はず候とある、其文の續きに、されば中華の古代も日本の今の世も、天下はいつも堯舜の道にて治り候云々。諸子百家を悦び、或は佛道、或は神道を好むは、其國家の亂るゝ端にて、譬へば病なき人の妄に吐下攻撃の藥を服するが如くなるべく候とある。

 此中華の古代と限つて云たは、いとをかしきことだ。堯舜が道は、西土にては古代に計り益ありて、後代には益なき道で有うか。夫を大中至正の道とは何ごとだ。~中略~ 堯舜が道を功あるさまに云はうとのみすれども、さすがに彼の國の世世に聖人の道と云を用ひて治つたることなく、亂りがはしきを思へば、古今に渉つて大中至正の道とうけばりては、云ひかねたと見える。然も有るべきことだ。未くはしくは考へ通(わた)さゞれども、漢土の世々に五十年とよく治まりたることは有るまいとぞ思ふ。漢土の古代は治つたと云も覺束なく、況て其後の事は上に段々に云やうの如くなるものを、今何國(いづ-く)に用ひたりとも、何の益が有らう。強て歡び好むときは、たゞ國家の亂れる端にて、譬へば病なき人のみだりに吐下攻撃の藥を服するが如く、更に益なきのみにあらず、終には廢人となることあり。よくゝゝ心すべき事でござる』と。


 また曰く、
『譬(※たとへ)如何ほどすぐれたる人にても、稀(まれ)々には誤りなきには有らねども、純は第一に大本立ざる學文故に、僻言のみ多いでござる』と。

 今日の良くわからん自稱保守派言論人などは論外とするも。吹氣廼舍大人のこの一節は、古今に通じて學者なり思想家なり經世家、延いては政治家の聽き逃がす可からざる一節だ。

 余談となるが、先日の講演で、拙くも孫武の「彼れを知り、己れを知れば百戰して殆ふからず」の一節を引用した。當時の學者らは「彼れ(漢土)を崇め、己れ(皇國)を卑しめる」ものであつたし、今日の自稱保守派らは「敵(彼れらのいふところの支那・南北朝鮮、或は米國)を知り詳しくあるも、己れ(日本)に就ては然程知らうとはしない」ものである。然るに彼れらは「神州不滅」たる 皇國の大眞相をうたがひ、あやしみ、「日本は滅びる」なぞと平然とうそぶくことをやつてのけるのだ。兵法に從へば假りに百戰するも乃はちあやふきものであつて、これをば野生は嘆かざるを得ないのである。かういつた妖言や魔説をバラ撒かれることは、皇國の偉大を確信して聊かも疑はない吾人にとつてはた迷惑なことこの上ない。譯知り貌で「松下村塾」を語つてみせる自稱保守派文化人は、吉田松陰先生の曰く、「(※天壤無窮の)神勅相違なければ日本未だ亡びず。日本未だ亡びざれば正氣重て發生の時は必ずある也。只今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪輕からざる也」との言に耳を澄ます可し。皇國(自國)に對する絶對的確信あらざる 皇國の保守派なぞ、凡そ國益保守にせよ國土奪還にせよ主權恢復にもせよ、その主張は長年に亘りて猶ほ空しくある而已矣。
 何にせよ、基礎なき上に積み重ねられた見識なぞ、皇國に害こそあれども何らの益を齎すものでもない。況やその基礎が太宰の如き慕夏に於てをや。


 又た曰く、・・・個人的には注目す可き一節だ。(個人的な拘はりから下線を引く)
『宋儒の學を唱ふる儒者をば、聖人の旨に違つたといひ、口を極(きはめ)て呵つたなれども、彼宋儒流の輩といへども、大概は純が如き僞儒者にてはなく、春秋の意を守りて、我が國を尊み山崎闇齋淺見絅齋などの云つた説には、いとも勇ましく猛く雄々しき 皇國魂の言も多いでござる。夫は純が[淺見安正(※絅齋先生のこと)の説に云々]學風は是らと表裏にて、もしや昔元の世祖が如く 皇朝を襲ひ奉らうとて、西戎より攻來ることも有るならば、中華の天子に射向はんこと、東夷として有るまじきことぞなどいひ觸て、歸命投化とこゝろ得、甲(かぶと)を脱て西戎の膝下に屈(かゞ)まり、國を賣らんとするものは、かやうの儒者で有ると思ふ。かゝるものをば、佛者すら獅子身中の蟲と號(なづけ)て甚も々ゝ憎む事でござる。~中略~ 人、學ばざれば道を知らずなどいふ言も有れど、學文も純がことく學では、大に國の害となることで、更に學文もなき農夫山賤の類は、一向に我が國の尊き物なる事を思つて外に餘念なき物でござる』と。

 結論に曰く、
『かゝる穢汚(きたなき)心の有りながら、己れ道を得たり氣に、一向に孔子を信じ候。孔子も我に印可して下されなど申たは、餘りに押の強い事でござる。純がごときものに印可する孔子ならば、更に好人とは云はれまい。是は或漢籍に欲讐僞者、必假眞と云た如く、みな愚人を誘はうとての、たばかりごとぢや。實に孔子を信ずることならば、其教をこそ守るべき事有に、更に其意とは異にして、今の世の賊僧どもの、己が道の五戒をば更に持あたはずして、漫りに釋迦を尊み顏すると同じことなり。憎むべし々ゝゞゝ。

 此書の論どものなかに、まゝ春臺が意をしばらくたすけて、論へることもあり。また俗(よ)に耳なれたることのまにゝゝ、論ひなせるも少からぬは、こは心ありてなり。讀ん人其こゝろして見わかち給へねかしとぞ。

享和三年癸亥十月
     眞菅館のあるじ
           平篤胤』と。


 をはり。おやすみなさい。
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by sousiu | 2013-10-23 04:11 | 大義論爭

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