『鬼神新論』より學ぶ 

●新井君美(號、白石)『鬼神論』上卷に曰く、
「鬼神のこと、まことにいひ難し。たゞいふことのかたき(※難き)のみにあらず。聞(※きく)ことまたかたし。たゞきくことのかたきのみにあらず。信ずる事またかたし。信ずることの難き事は、これしることのかたきにぞよれる。さればよく信じて後によく聞とし、よく知りて後によく信ずとす。よくしらん人にあらずして、いかでかよくいふことを得べき。いふ事まことにかたしとこそいふべけれ」と。

●孔子の曰く、
「季路(※子路のこと)問事鬼神、子曰、未能事人、焉能事鬼。曰敢問死、曰未知生、焉知死」(『論語』「先進第十一の十二)
○書き下し文「季路、鬼神に事(つか)へむことを問ふ。子曰く、未だ人に事ふる能はず、焉んぞ能く鬼に事へむ。曰く、敢へて死を問ふ。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らむ」


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●平田篤胤大人『鬼神新論』(文化二年草稿、文政三年補足)に曰く、
「さてまた、誰(たれし)も天と鬼神をば、別に論ふ事にて、こは■(※ウ冠+呆=實)に然すべきわざなれど、其の霊威ありて奇異(くしび)なるは同じ事にて、其を相通して、廣く鬼神と云へる事、次に挙げたる中庸の文に、鬼神之徳其盛矣乎云々(※鬼神の徳、それ盛んなるや、云々)と云ひ、左傳にも、鬼神非人■(※上に同じ。じつ)親、惟徳是依、故書曰、皇天無親、惟徳是輔(※鬼神は人の實に親しむに非ず、これ徳のみこれ依るなり。故に書に曰く、皇天親無し、これ徳のみこれ輔けなり)など云へる類多くあり。是みな天地の神を廣く鬼神と云へり。よし然らでも、此には天も鬼神も、■(仝、實)物なる事を曉(さと)さむとの業なれば、一ツに云ふなり。また天にしては神と云ひ、地にしては祇と云ひ、人にしては鬼といふと云ひ、また神はなり、鬼はなりなど云ふ類の、甚(いと)うるさきまでに説の多かれども、都(すべ)て取らず。おしなべて、此には只に鬼神と云ふなり」(本文四丁裏)(漢字表記は氣吹廼屋塾藏版に從ふ。文中下線は原文のマヽ)

 篤胤大人は、世の中の萬事は天神地祇の作用せる御所爲であると説く。曰く、
世ノ中の事は、すべて天神地祇の、奇妙(くしび)なり御所行(み-しわざ)に洩たる事なく、別(こと)に迅雷風烈などは、神の荒(あら)びにして、いとも可畏(かしこ)く、何の故、なにの理に依て、かゝるとも、測り難きに依て、畏れ敬ひたるなるべし」(九丁表)

 曰く、
「さて傳説(つたへ-ごと)なくては、天ツ神の、世ノ中の万の事を主宰(つかさど)り給ふ事、また人の存亡禍福、みな神の御所爲にて、■(仝、實)には、人ノ力に及び難しと云ふ事は、容易(たやすく)は知りがたき事ゆゑ、孔子も、五十而知天命(※五十にして天命を知る)と云へり。[この語を以ても、孔子の天命といへるは、餘(ほか)の戎人(から-びと)どもの、天命々々と云ふとは、大きに異にして、更に託言にはあらぬ事を悟るべし]」(十四丁表)

 曰く、
「赤縣(か-ら)人は、左(と)いふも、右(かく)云ふも、正■(仝、實)の傳説を知らざる故の僻説なれば、まづは難(とが)むるにも足らねども。皇國の學問者(もの-まなぶ-ひと)にして、此ノ故を知らず、西戎人(か-ら-びと)と等竝(ひとし-なみ)に、をさなき説のみ、云ひ居るなどは、甚も口をしき事なりかし。偖また世に有りとある事ども、摠(すべ)て天神地祇の御靈に洩(もれ)たる事なければ、誰しも人も、能々齋(いつ)き祀るべき事論ひなし。[この事は、我が師(※本居宣長大人のこと)の書(ふみ)どもに、委曲に云ひ置れたり]これ則孔子の本意なり。赤縣にては、後ノ世となるがまにゝゝ、神祇を祀るにも、さかしらのみ先として、神の御土をも、彼ノ小理をもて、推(おさ)むとすれど、其は甚(いみ)じき非事(ひが-ごと)なり」(二十一丁表)


 餘談となるが、以下に篤胤大人の、獨特の神觀があらはれてゐる。善神であつても或る者にとつては惡事を齎す結果となり、又たその逆として惡神であつても時として善事を齎すことがあるといふものだ。つまり神の御所爲は人智の到底及ぶ可からざるもの。これをば、佛心やら儒道やらの目もて見るは誤りである、と。乃はち下にみよ。曰く、
「とにかくに神の御事は、彼の佛菩薩聖賢など云ふ物の例を以ては云ふべからず。善神の御所爲には、邪なる事は、つゆも有るまじき事ぞと、理をもて思ふは、儒佛の習氣(ならひ)なり。神はたゞ尋常(よのつね)の人の上にて心得べし。勝(すぐ)れて善き人とても、時(をり)によりては怒(いか)る事あり。怒りては人のため善からぬ事も、必無きに非ず。又あしき人とても、希(まれ)には善事も混ることにて、一概には定めがたきが如し」(二十六丁裏)
 これは鈴屋大人の見解(『答問録』など)と異にしてゐるものであり、注目を要するところである。

 曰く、
「さて又赤縣には、正しき古傳説なきが故に、孔子ばかりの人も、世には善惡の神在(まし)て、其ノ御所行のまにゝゝ、吉事凶事互に往替る、最(いと)も奇(くす)しき道理(ことわり)ある事を、辨へざる事あり。故爰に、其ノ由を論ひ諭さむとす」(十五丁表)

 曰く、
「抑(そもゝゝ)世には、大禍津日神と、大直毘神おはしまし、又一向(ひたすら)に枉事(まが-わざ)なす枉神(まが-かみ)も在て、各(おのゝゝ)その御所業いたく違へり。其はまづ大禍津日ノ神と稱(まを)すは、亦ノ名は八十枉津日神(や-そ-まが-つ-ひの-かみ)とも、大屋毘古神(おほ-や-び-この-かみ)とも稱(まを)して、此は汚穢(きたな)き事を惡(きら)ひ給ふ御靈の神なるに因(より)て、世に穢らはしき事ある時は、甚(いた)く怒り給ひ、荒び給ふ時は、直毘ノ神の御力にも及ばざる事有りて、世に太(いみ)じき枉事をも爲し給ふ。甚(いと)健(たけ)き大神に坐せり。然れども又常には、大き御功徳を爲し給ひ、又の御名を瀬織津比咩神(せ-おり-つ-ひ-めの-かみ)とも申して、祓戸神(はらひ-どの-かみ)におはし坐て、世の禍事罪穢を祓ひ幸へ給ふ、よき神に坐せり。穴かしこ。惡き神には坐まさず。[然るを鈴ノ屋ノ大人は、此ノ神ハ一向(ひた-ぶる)の惡神に坐まして、世の惡事は、悉く此ノ神の掌(しり)給ふ事と、説き給へりしは、下に云ふ枉神と混一に思ハれしにて、其考への未タ委からざりしなり]」(十五丁裏、十六丁表)と。


 閑話休題。續いて大人は、當然の如く死後の魂の存在に就て説く。曰く、
「まづ人は、生(いき)て有りし時の情(こゝろ)も、死て神靈と成りての情(こゝろ)も、違ふ事は有るまじければ、生(いき)たる時の情もて、神靈となりての情を測るべし」(三十三丁裏)

 曰く、
「然れば人の生(うま)るゝ始のこと、死て後の理などを、推慮(おし-はかり)に云ふは、甚(いと)も益なき事なれば、只に古傳説を守りて、人の生るゝ事は、天津神の奇妙(くすしく-たへ)なる産靈(むすび)の御靈に依て、父母の生なして、死(しぬ)れば其ノ靈、永く幽界(かくりよ)に歸(おもむ)き居るを、人これを祭れば、來り歆(※音+欠=うく)る事と、在(あり)の侭(まゝ)に心得居りて、強(あながち)に其ノ上を穿鑿(たづね)でも有るべき物なり。其は此ノ上の所は、人の智(さとり)もては、■(實)に測り叵(匚+口=がた)く、知りがたき事なればなり」(四十二丁表)

 又た曰く、
骨肉は朽(くち)て土と成れども、其ノ靈は永く存(のこ)りて、かく幽冥より、現人(うつし-ひと)の所爲(しわざ)を、よく見聞居るをや」(四十二丁裏)


 而して、稀に所謂る輪廻と呼ばれることがらありしを説く。曰く、
佛者の謂(いは)ゆる、輪廻やうの事も、希々(まれゝゝ)には■(實)に有る事なり。其ノ故は、何なる故に依て然りとも、更に知り難き事なり。此は神の幽冥(か-み)なる御所爲なればなり。然るを儒者の、絶て無き事なりと云ふは偏(かたくな)なり。また佛者の、此レを竝(なべ)て然りと云ふも、いよゝゝ僻言なり。■(實)には、輪廻といふ説は、釋迦法師の、民を導くとて、甚(いと)稀にある事を種として、造れる説なり。天竺の人、いかに愚なりとて、更に徴(しるし)なき事は、信(うく)まじければなり。佛法に云へる説ども、大概はこの類にて、彼ノいはゆる、僞(いつはり)を讐(う)らむと欲して、眞を假(か)る、と云ふの所爲(しわざ)なり」(四十八丁表)と。

 つまり、釋迦や法師などのいふ輪廻は、極く稀にある事實を素材として、民を導く爲めに「全てさうである」と利用したに他ならないことを指すのである。逆に儒者達の「絶對に無い」といふ説も又た偏つたものであると指摘する。
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 因みに篤胤大人の著したこの『鬼神新論』は大人、齡卅になるかならないかといふ頃である。それまでの大人の學問に對する熱情の成果たるはさることながら、以爲らくそれを倍して猶ほあまりあるほどの情熱的信仰心あつたればこそだ。然るに野生は思ふ、「敬神尊皇」てふ重き言葉を輕々にスローガン化して滿足す可きではない、と。

 今日はこゝまでだ。
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by sousiu | 2013-10-27 08:59 | 先哲寶文

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