2016年 03月 10日 ( 1 )

人をして徒らに慷慨せしむるは、國民教育に大害あり

 昨年暮れより、facebookなるものを始めてみたものゝ、Twitter同樣、開帖ほどなくして殆ど更新する能はず。
 備中處士翁同樣、野生もまたこれらの機能を充分使ひこなせぬことから、專ら友人や知人の近況を樂しむ程度に利用してゐる。

 然りながら人傳てにあちらこちら閲覽してゐると、なんと樣々、人々の主張や煽動が喧しくあることか。情報化社會による正だか負だかわからぬ産物として、誰れしもが手輕に發信出來る時代であるから、それを否定するものではないけれども、受信する側があやしむべき牽強付會の邪説や荒唐無稽な煽動に振り回はされぬことを危惧するあるのみだ。


○波多野烏峰翁、『靖獻遺言』(明治四十三年十月廿八日「文會堂書店」發行)の序に曰く、
「冀はくば言ふを止めよ、人をして徒らに慷慨せしむるは、國民教育に大害ありと。
 嗚呼、安んぞ知らん、人能く徒らになりとも慷慨し得るが如くんば、實に以て謂ふところの自然主義に化せらるゝの恐れ無きを。はた實を以て、謂ふところの社會主義を奉ずるの憂ひ無きを。
 故に予は斷言せむと欲す、忠君愛國の精神にして、鼓吹するの要あらば、須らく人をして、先づ徒らになりとも慷慨し得るの資格を與へよ、と」と。

 つまりいたづらに人に慷慨を與へるは不可なり、慷慨する可くの見識を與へよ、といふことである。然らずんば、詰まるところ、自然主義・自由主義・社會主義らの勢力に利を齎せてしまふだけである、と。そこで烏峰翁は、淺見絅齋先生の名著『靖獻遺言』を世に弘め、正しく當時の國民精神作興を志したのである。

 明治四十三年といへば既に大正デモクラシーの兆候が顯著となつてゐたころだ。自由主義の思潮が澎湃し、人をしてより多くの權利を獲得せんがため、國家に要求するのである。
 さながら現代は、少しでも多くのその獲得した權利を行使せねば、恰も損であると云はんばかり、自由の名の下に無責任な言論を投じてゐるやうにも見える。

 明治四十三年と云へば約百年前のこと。烏峰翁の憂ひは今尚ほ古きものとしない。






 
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by sousiu | 2016-03-10 23:40 | 日々所感