カテゴリ:先哲寶文( 45 )

玉匣 

●鈴屋本居宣長大人『玉くしげ』(天明七年)に曰く、
『さて世ノ中にあらゆる大小もろゝゝの事は、天地の間におのづからあることも、人の身のうへのことも、なすわざも、皆ことゞゝく神の御靈によりて、神の御はからひなるが、惣じて神には尊卑善惡邪正さまゞゝある故に、世ノ中の事も、吉事善事のみにはあらず。惡事凶事もまじりて、國の亂などもをりゝゝは起こり、世のため人のためにあしき(惡しき)事なども行はれ、又た人の禍福などの、正しく道理にあたらざることも多き、これらはみな惡き神の所爲なり惡神と申すは、かの 伊邪那岐大御神の御禊の時、豫美國の穢より成出たまへる禍津日神と申す神の御靈によりて、諸の邪なる事惡き事を行ふ神たちにして、さやうの神の盛に荒び給ふ時には、 皇神たちの御守護り御力にも及ばせ給はぬ事もあるは、これ神代よりの趣なり。さて正しき事善事のみはあらずして、かやうに邪なる事惡き事も必ずまじるは、これ又た然るべき根本の道理あり。これらの趣も皆、神代より定まりて、其の事古事記日本紀に見えたり』と。

○又た曰く、
『さてかの世ノ中にあしき事よこさまなる事もあるは、みな惡き神の所爲なりといふことを、外國にはえしらずして人の禍福などの、道理にあたらぬ事あるをも、或はみな因果報應と説きなし、あるひはこれを天命天道といひてすますなり。しかれども因果 報應の説は、上に申せるごとく、都合よきやうに作りたる物なれば、論ずるに及ばず。また天命天道といふは、唐土の上古に、かの湯武などの類なる者の、君を滅して其の國を奪ひ取る、大逆の罪のいひのがれと、道理のすまざる事を、強てすましおかんためとの託言なりと知るべし。もし實に天の命天の道ならば、何事もみな、かならず正しく道理のまゝにこそ有るべきに、道理にあたらざる事おほきは、いかにぞや。畢竟これらもみな、神代のまことの古傳説なきが故に、さまゞゝとよきやうに造りまうけたる物なり』と。

○更らに曰く、
然れども惡はつひに善に勝つことあたはざる。神代の道理、又たかの神勅の大本動くべからざるが故に、さやうの逆臣の家は、つひにみな滅び亡て、跡なくなりて、天下は又たしも、めでたく治平の御代に立ちかへり、朝廷は嚴然として、動かせたまふことなし。これ豈に人力のよくすべきところならんや。又た外國のよく及ぶところならんや』と。

○又た曰く、
『然るに 皇國の朝廷は、天地の限をとこしなへに照しまします、 天照大御神の御皇統にして、すなはちその 大御神の神勅によりて、定まらせたまへるところなれば、萬々代の末の世といへども、日月の天にましますかぎり、天地のかはらざるかぎりは、いづくまでもこれを大君主と戴き奉りて、畏み敬ひ奉らでは、 天照大御神の大御心にかなひがたく、この 大御神の大御心に背き奉りては、一日片時も立ことあたはざればなり。然るに中ごろ、此ノ道にそむきて、朝廷を輕しめ奉りし者も、しばらくは子孫まで榮えおごりしこともありしは、たゞ、かの禍津日神の禍事にこそ有リけれ。いかでか是を正しき規範とはすべき。然るを世ノ人は、此大本の道理、まことの道の旨をしらずして、儒者など小智をふるひて、みだりに世々の得失を議し、すべてたゞ異國の惡風俗の道の趣を規矩として、或はかの逆臣たりし北條が政などをしも、正道なるやうに論ずるなどは、みな根本の所たがひたれば、いかほど正論の如く聞えても、畢竟まことの道にはかなはざることなり下々の者は、たとひ此大本を取り違へても、其の身一分ぎりの失なるを、かりにも一國一郡をも領じたまふ君、又たその國政を執ん人などは、道の大本をよく心得居給はではかなはぬことなり。されば末々の細事のためにこそ、唐土の書をも随分に學びて、便によりて其のかたをもまじへ用ひ給はめ、道の大本の所に至りては、上件のおもむきを、常々よく執へ持て、これを失ひ給ふまじき御事なり。惣じて國の治まると亂るゝとは、下の上を敬ひ畏るゝと、然らざるとにあることにて、上たる人、其ノ上を厚く敬ひ畏れ給へば、下たる者も、又つぎつぎに其ノ上たる人を、厚く敬ひ畏れて、國はおのづからよく治まることなり

○又た曰く、(この邊が重要だ)
『さて又上に申せるごとく世ノ中のありさまは、萬事みな善惡の神の御所爲なれば、よくなるもあしくなるも、極意のところは、人力の及ぶことに非ず。神の御はからひのごとくにならでは、なりゆかぬ物なれば、此の根本のところをよく心得居給ひて、たとひ少々國のためにあしきことゝても、有り來りて改めがたからん事をば、俄にこれを除き改めんとはしたまふまじきなり。改めがたきを、強て急に直さんとすれば、神の御所爲に逆ひて、返て爲損(しそん)ずる事もある物ぞかし。すべて世には、惡事凶事も、必ずまじらではえあらぬ 、神代の深き道理あることなれば、とにかくに、十分善事吉事ばかりの世ノ中になす事は、かなひがたきわざと知るべし。然るを儒の道などは、隅から隅まで掃ひ清めたるごとくに、世ノ中を善事ばかりになさんとする教へにて、とてもかなはぬ強事(しひごと)なりさればこそ、かの聖人といはれし人々の世とても、其の國中に、絶て惡事凶事なきことは、あたはざりしにあらずや。又人の智慧は、いかほどかしこくても限ありて、測り識りがたきところは、測り識ことあたはざるものなれば、善しと思ひて爲ることも、實には惡く、惡しゝと思ひて禁ずる事も、實には然らず。或は今善き事も、ゆくゝゝのためにあしく、今惡き事も、後のために善き道理などもあるを、人はえしらぬことも有リて、すべて人の料簡にはおよびがたき事おほければ、とにかくに世ノ中の事は、神の御はからひならでは、かなはぬものなり』と。


 ・・・う~む。さすがに深いなア・・・。時局對策協議會に關はる野生としては何とも考へさせられる一節である。
 良き事も惡ろき事も人智の及ばぬ神の御所爲であり、更らには、惡事も凶事も後々善事となることもあり。こゝまでは分かる。
 但し、
 「神代の深き道理あることなれば、とにかくに、十分善事吉事ばかりの世ノ中になす事は、かなひがたきわざと知るべし」
 「すべて人の料簡にはおよびがたき事おほければ、とにかくに世ノ中の事は、神の御はからひならでは、かなはぬものなり」
 と仰るならば、至善を望み、欲し、爲めに微力を捧げることは愚かであるといふことなのだらうか・・・。


○本居宣長大人、この愚問に御答へ下さる可く曰く、
然らば何事もたゞ、神の御はからひにうちまかせて、よくもあしくもなりゆくまゝに打ち捨ておきて、人はすこしもこれをいろふまじき(構はないでおく、の意)にや、と思ふ人もあらんか。これ又た大なるひがことなり人も、人の行ふべきかぎりをば、行ふが人の道にして、そのうへに、其事の成ると成らざるとは、人の力に及ばざるところぞ、といふことを心得居て、強たる事をば行ふまじきなり。然るにその行ふべきたけをも行はずして、たゞなりゆくまゝに打ち捨ておくは、人の道にそむけり。此の事は、神代に定まりたる旨あり、 大國主命、此の天下を 皇孫尊に避奉り、 天神の勅命に歸順したてまつり給へるとき、 天照大御神 高皇産靈大神の仰せにて、御約束の事あり、その御約束に、今よりして、世ノ中の顯事は、 皇孫尊これを所知看すべし。 大國主命は、幽事を所知(しらず)べしと有リて、これ萬世不易の御定めなり。幽事とは、天下の治亂吉凶、人の禍福など其の外にも、すべて何者のすることゝあらはにはしれずして、冥に神のなしたまふ御所爲をいひ、顯事とは、世ノ人の行ふ事業にして、いはゆる人事なれば、 皇孫尊の御上の顯事は、即ち天下を治めさせ給ふ御政なり。かくて此の御契約に、天下の政も何も、皆たゞ幽事に任すべしとは定め給はずして、顯事は、 皇孫尊しろしめすべしと有るからは、その顯事の御行ひなくてはかなはず。又た 皇孫尊の、天下を治めさせ給ふ、顯事の御政あるからは、今時これを分預かり給へる、一國々々の顯事の政も、又なくてはかなふべからず。これ人もその身分々々に、かならず行ふべきほどの事をば行はでかなはぬ道理の根本なり』と。

○又た曰く、
『惣じて世ノ中の事は、神の御靈にあらではかなはぬ物なれば、明くれ其の御德(めぐみ)をわすれず、天下國家のためにも、面々の身のためにも、もろゝゝの神を祭るは、肝要のわざなり善神を祭りて福を祈るはもとよりのこと、又た禍をまぬかれんために、荒ぶる神をまつり和すも、古ヘの道なり。然るを人の吉凶禍福は、面々の心の邪正、行ひの善惡によることなるを、神に祈るは愚なり神何ぞこれをきかんとやうにいふは、儒者の常の論なれども、かやうに己が理窟をたのみたてゝ、神事をおろそかにするは、例のなまさかしき唐戎の見識にして、これ神には邪神も有リて、よこさまなる禍のある道理を知らざる故のひがことなり』と。(句讀點、送り假名は小生による改變アリ)



 ・・・つまり難局を打開せんとすれば、かういふこゝろを忘れてはならないのだ。かういふ心とは大和心だ。
 この視點を失つてしまつては(唐心で時局を睨んでは)、時局を論ずるも、對策を評議するも、果てなき堂々巡りを繰り返すのみにして。畢竟、(唐國であれば兎も角も)神州に於ては何もならぬのであるな。
 皮肉を云へば、(支那)儒教の思考を抱いて、(日本的)儒教を駄目と云はゞ、それは如何樣に考へても復古に撞著せず、それこそ一體いづ國の民だか身元が分からなくなつてしまふのである。


 『玉匣』は本卷と別卷とがある。本卷は『祕本 玉くしげ』で知られ、政治の具體策を講じた實踐篇。別卷である所謂る『玉くしげ』はその理念篇である。やうやく昨日、實家で讀了したのである。
 こゝに抄録したことは勿論『玉くしげ』の第一義ではない。されど、我らが云ふ所謂る啓蒙運動の根本義を更らに深化させる一考となるであらうと確信して疑はない。
f0226095_1872469.jpg



 それにしても。『玉くしげ』の上梓は實に二百年以上も前である。
 二百年以上經過して猶ほ、かくのごとき光を失はず、のみならず煌々と輝き、二百年後の我々をして贊嘆擱く能はぬ學問とは奈何。歴史を持たない現在の共産支那が日本を決して越えられぬ理由が、これひとつをして正に物語つてをるやうなものではないか。
 今はまだ少しその段階でないかも知れないが、將來的に必ず、かうした學問、思想、そして人物が期せずして出現し、國内に正氣を風靡することであらう。實に樂しみだ。




 ・・・・今日の更新は疲れた(汗)
[PR]

by sousiu | 2011-06-16 18:07 | 先哲寶文

儉約のスヽメ

●福澤諭吉翁『民間經濟録』 (明治十年)「第三章 儉約の事」に曰く、
『~塵も積れば山と爲る。儉約の極意は人にも云はれぬ所に在るものなり。一椀の冷飯、一筋の燈心、決して粗畧にす可らず。兔角人は眼前に澤山なるものを勘弁なく費やすこと多けれども大なる心得違なり。河に居て水を惜み山に居て薪を儉約するの覺悟あらざれば世帶は持てぬものなり。世の人に此覺悟なき證據を得んとならば彼の都會の地に出稼する田舍者を見よ。田舍に生れて粗衣粗食、一年に三圓の金をも餘すこと能はざる者が都會に出れば月に二、三圓の給金を取りながら一年の末に身代を勘定すれば三圓を餘さゞるのみか却て五圓の借越しする者多し。必(注・「畢」乎)竟都會に出れば己が給金の高きに由て油斷し、世間一般、暮しの豐なるを見て油斷し、金錢を見ること河の水の如く山の木の如く思ふの罪なり。油斷大敵、田舍への土産には唯惡病を携へて歸るのみ。斯る心得違は出稼の者のみに非ず、學問執行の書生にも甚だ多し。氣の毒なることなり』と。(原文は片假名。平假名表記、句讀點、括弧及び括弧内は小生による)
f0226095_0185986.jpg



 儉約は、景氣の善し惡しに關はらず、或いは自身の金運昇沈に左右されず、富者も貧者も相ひ通じてゆめ忘れてはならぬ心得だと思うてゐる。


●笹川潔博士『大觀小觀』(明治卅九年三月十八日「弘道館」發行)にも曰く、
富を獲んと努むるよりも、先づ貧に安んずるに在り、貧に安んずるは則ち貧を懼れざるの謂也』と。


「儉約」の語は常に財布のなかに所藏しておく可し。
[PR]

by sousiu | 2011-03-07 19:47 | 先哲寶文

一艸讀後  ~靖獻遺言精義~ 二 承前  

 山崎闇齋先生の御高弟に、淺見絅齋先生がある。

●靖獻書屋主人の曰く、
『山崎闇齋が、其の思想的放浪の果、純乎たる日本精神に眼ざめ、未だ直譯的範疇を脱却する能はざりし儒教をして、眞に皇道を醇化せるーーー換言すれば日本的なる儒教原理を樹立せしことは、既に前述の通りであるが、此の闇齋によりて樹立せられた所謂「崎門學」の正統を繼承せるものは、實にわが淺見絅齋先生にして、所謂「崎門學」の神髓は、先生によつて更に急速なる發達と展開とを見るに至つた』

『即ち理論たるに止まらずして實踐せしめ、其の理想を顯現せしめたるものにして、王政復古の大業は、一方に賀茂眞淵、本居宣長等の眼ざめたる國學者及び高山彦九郎・蒲生君平等の新思想家によつて訓致されたとは言ひながら、山崎闇齋學派の力、殊に先生の旨を傳承した人々の力ーーーによつて釀成されたと見るも決して誣言ではなく、先生を稱して「近古勤王の先驅者、王政復古の首唱者」と稱するも決して過言ではないであらう』


『淺見絅齋先生の著書中、弘く世に行はれ、人心を鼓舞覺醒せしむるに與つて力ありしもの、「靖獻遺言」八卷を第一に數ふるべきであらう』

『當時の支配階級は勿論、一般國民に至るまで、江戸に幕府あるを知つて京に朝廷あるを知らず、將軍の畏るべきを知つて、聖天子の崇ぶべきを知らず、之に加へて、日に加はるの幕勢は、上と下との間に介在して天日をさへぎり、朝廷は徒らに虚器を擁して、其の御威權は全く失墜せるものゝ如くに拜された。
 斯かる情態の、君民一本道を本領とする我國體にとりて變體的なりしことは勿論である。而も當時の碩學高儒中には將軍を呼ぶに「皇上」或は「國王」を以てし、敕使の下向を「來聘」と稱する者あり、國學の大家にして尚幕府を呼ぶに「江戸の朝廷」と爲すものさへあり、中には、實權の上より朝幕を論じ、實權なき朝廷の存在を不合理とする者さへ出づるに至つた』

『而も、當時の學者は、その一面唯支那の崇拜すべきを知つて、我邦の尊ぶべきを知らず、漢字の使用に於いて最も高き智識を有した身が、支那を「中國」とし、我邦を「夷狄」とし、拜外か、然らずんば自屈、甚しきは拜外自屈を兼ねて得々たる有樣にして、一般に信じられてゐる所によれば、一代の碩學荻生徂徠さへが「東夷小子」「日本國夷人」を自稱して後人の指彈に逢ふて居る』

『國家、王霸處を換へて久しく、幕府の基礎の崩壞は夢想だに許されず、而も社會の木鐸たる學者が、幕府擁護理論の提供と、支那崇拜とに汲々たる時代に於いて、之が是正覺醒のための警鐘は、萬卷の書を以てするとも叩き得ぬであらう。
 さり乍ら、純正日本的なる儒教に據れる絅齋先生にとつて儒教が示す、「王霸の辨」は既に講經の對象たらむよりは實踐の對象であつた。
 當時三十二歳の青年儒者たりし先生にとつて、自家の學問が示す指導原理「尊王の義」は絶對であり、他の儒者の多くの如き、權力との妥協は夢想だに許されなかつた』



○湯淺常山翁「文會雜記」に曰く、
『モシ時ヲ得バ羲兵ヲアゲテ王室ヲ佐クベシト云テ靖獻遺言ヲ作リタルナリ』と。

○渡邉豫齋翁「吾學源流」に曰く、
『淺見子、名教ヲ嚴ニシ士氣ヲ振ハント欲シテ靖獻遺言ヲ作ル』と。

○平泉澄博士「少年日本史」に曰く、
『絅齋は元祿元年に之(靖獻遺言)を講義して何故此の書物を作つたか、その趣旨は何處に在るかを明かにしてゐますが、それは、君臣の間の道義といふものは、平素からよほど精密に考究して置かなければ、いざといふ時に臨んで處置をあやまりやすいものである、此の書は人々の心を大義に練磨しようとするのであつて、之を讀めば、學問といふもの、どれ程大切なものであるか、學問によらないでは、一歩も其の身を動かす事が出來ず、爲すところ、すべて妄動に過ぎない事が分るのである、と云ふのであります』と。確乎()及び確乎内は小生による。

○淺見絅齋先生御自ら曰く、
『天下ノ人既ニ尊王ノ大義ヲ知ラバ、幕府ハ自カラ其勢ヲ失ヒ、皇室古ニ復ラン』と。

~續く~

f0226095_207327.jpg
[PR]

by sousiu | 2011-02-14 20:03 | 先哲寶文

光明正大なる者は、未だ嘗て滅絶せざるなり也

●贈正四位、藤田東湖先生、弘化四年『弘道館記述義』卷之上に曰く、

『 大道之不明於世也蓋亦久矣(大道の世に明らかならざるや、蓋し亦た久し矣)

臣 彪(藤田彪。東湖先生のこと)、謹んで案ずるに、明らかならざるとは、湮晦の之を謂ひ、夫れ彛倫名分、既に已に頽廢錯亂すれば、則はち大道滅絶せりと謂ふて可なり也。豈に特に湮晦明らかならざる而已ならんや哉。曰く、然らず、道の之、世に在るは、猶ほ太陽の天に懸るが如し。保平已降、彛倫敗れると雖も、名分亂れたりと雖も、而も太陽未だ地に墮ちず。則ち斯の道の人に存するに於いては猶ほ自若たるなり也。故に其の喪亂荐りに臻り、禍亂百出するに當たり、天又必ず英偉絶特の人を其の間に生じ、以て天常民彛を扶植し、斯の道をして寓する所有つて、滅絶薀盡に至らざらしむ。是れを以て藤原信頼の亂を作すや、獨り藤原光頼の剛毅にして屈せざる。平清盛の毒を肆にすゝるや、内に其の子重盛の諫諍有り。外に藤原長方の■(言+黨。愚案、とう ‐タウ‐ )議有り。佐藤憲清の跡を佛に遁るゝは、中行に非ざるも、而も義、肯て霸府に阿らず。源義經權を兄に失ふは、憾なきに非らずして、而も忠、克く節を  皇家に效す。北條闔門の罪、固より天誅を容れず。然れども泰時、時宗の民を撫で夷を攘ふことなかりせば、嗷嗷たる赤子何に由りて肩を息めん。而して赫々たる  神州、或いは忽ち必烈の蹂躙を免かれざらん。  後醍醐帝英武の威を以て、姦兇を攘ひ除き、  鴻業を恢復し、海内の民再び天日を見る。蓋し、  天智帝逆賊を殪してより以來、數百年間、未だ此の痛快あらず。天未だ禍ひを悔いず、  帝亦た終ある能はず、然も其の憤慨劍を按じ、  遺詔して恢復を勉めしむる所以の者、長く志士仁人をして、毛髮竦然、感動已まざらしむ。  後村上帝、崎嶇間關、僅かに  神器を南山の岺に守る。今、忝しく御製の歌詞を觀るに、其の後嗣をして、函關蹈雪の艱苦を想はしめて、以て無逸の戒を存す者、亦た信に以て懦夫の心を激發するに足る。  二帝の士氣を鼓舞する、其の切なること此の如し。故を以て當時、忠義輩出、儲貳は則はち  皇太子恆良あり、皇子は則はち尊良護良、宗良、懷良諸王あり。公卿は則はち藤原藤房、藤原師賢、源義房父子の倫あり。闔族難に殉じたるは楠氏有り。一門勤王には則はち新田氏有り。若しきは、兒島、名和、菊池、結城、村上父子の徒の如き、器、大小ありと雖も而も之を要するに英風義氣、凜として宇宙に磅■(石+薄。愚案、はく)。所謂、天、英偉絶特の人を生じて、以て天常民彛を扶植する者夫れ然らず乎。且つ夫れ太陽光を失へば、宇宙長夜、大道滅絶すれば人皆禽獸たらん。天地の間、豈、斯の理有る。然らば則はち太陽の見えざるは、雲霧障ればなり也。赫赫炎炎たる者は自若たりなり也。大道の行はれざるは、亂賊晦すればなり。光明正大なる者は、未だ嘗て滅絶せざるなり也。故に曰く、大道の世に明らかならざるや蓋し亦た久し矣、と』
と。括弧及()内は小生による。空白部は原文マヽ。謬りあらば乞御高恕。
[PR]

by sousiu | 2010-12-02 05:22 | 先哲寶文

皇國の御大事なれば、心力をつくし助け奉るべき秋ぞ矣

●藤本鐵石先生『皇國第一義』に曰く、

人の世にあるは道を履まんが爲なり。夫れ道は皇祖天神の道なれば、敬せずんばあるべからず。皇祖天神、天地を開闢し、人類を生育し給ひしより、今日あるなり。天津日嗣(○天皇)は其の御嫡流におはしまして、大祭に仕奉り、三種の神器を傳へ給ひ、殊に御鏡は、そのかみ日の大御神、御手にとらし授け給ひし時、是を見ば、朕を見るが如くせよ。寶祚は天地と限りなからんと宣給ひしより、御世々々の天皇も、拜し給ふ時、其の中にうつる所の御影は、日の大御神の御遺體にましゝゝて、御鏡は留神の器なれば、是を仰ぎまして、なほ日の大御神を仰ぐ如く、群臣も其の祖先、日の大御神に事(つか)へまつりしままを受繼ぎて事へ奉ること、一つも其の昔に違ふ事なく、祭政一致、上下ともに、如在の誠を致して登らせ給ふ御位なれば、天皇は即ち日の大御神なり。是れ故に、三器なきは、歴々たる皇胤と云ふとも、祚も祚にあらず。世も世にあらず。此の靈位に本づかざるは、禮樂、政令、官位、衣冠も皆非なり。扨この士民みな庶裔のいやつこなり。よく父母を敬し、祖先を敬し、殊に父祖と等しく敬する所の皇祖天神を敬すべし。かく其の敬する所を敬せば、今日の君なり、父なりの、日の大御神を敬せずは有るべからず。是を以て、人よく父母の本體にして離るべからざると知らば、君の本體にして、決して離るべからざるを知らん。故に父の爲にも、祖の爲にも、己が爲にも、主の爲にも、一君にましませば、即ち天皇は天地の大宗主にましゝゝて、天地は即ち皇祖の開かせ給へる所なれば、皇家の御物なり。他乘萬乘の大小もて尊卑を分ち、用を尚びて、君主は、偏役なる國の言の如き、君はは義もて結び、父は情もて結ぶなどと云ひ、又君父は假令(かりそめ)にして、未來永劫の本尊ありと云ふ類なる、比較あるべき道にしあらねば、不幸にして、不君の世に生れ逢ふも、嚴霜烈日、誰が天を恨み、地を咎めんや。まして 聰明叡智の聖主に於てをや。歡戴せずんばあるべからず。されば何處にても、何時にても、聊か疑念あるべき樣なし。然も君は、天日の偏照なきが如く、和と不知と、順と不順とを問はず、みな其の奴にして、たゞ御民と夷狄との尊卑を分つのみ。是故に王公の家といへども、たゞ參左、寮屬、使令、陪從する家令、資人のあるのみ。一人の私臣あることなし。是を以て、衣冠におよぶ者は、皆衣冠を朝廷に受け、及ばざる者も、みな帝臣たること、斯の如くあきらかなれば、是、今日行はるゝ所にして、人みな知るところなり。よく思ひてもみよ。もし家に千年の量あらば、女兒も猶愛惜すべきを知る。まして天地の大宗主の、天地とともに、君萬々年、、臣萬々年、其の畿甸(○畿内)たる皇國に生れ、明かなる大道にしたがひ、開闢以來、醜賊夷狄を君戴せず、忠孝兩全の徳誼を全うすることを得たる士民等、かの傭主假父を説なし、又は功利技巧を尊ぶ類に誣罔致さるゝことなかれ。況んや、其の掠奪をうけて、此の御國體を損ずるに忍びんや。是故に、官屬ある公卿、土地人民を領する藩主、それに從ふ士民も、能々心すべきことぞ。其の陪從する事は、たとへ君家の御手を經ざる輕輩士民と云へども、皆、君家より附屬せらるる所分明なれば、みだりにとなふる他の君臣よりも、情誼はかへつて、この主從たるかた重きが故に、敢へてさるべき義はなきなり。但、主家不軌(○不道と同じ)の意あらば、よく諫め、死もても諫むべきなり。蓋し君家の急務にあたり、情實通ぜず、つひに忍びがたき事實に至らば、進んで名をもとめず、退いて罪をさけずの忠實をつくすべし。これ又主家を匡救するなり。此の際に至り、尚、名分に抱はるは、御國體に非ざるなり。かゝれば上は僭上の心を生ぜず、下は逆にしたがふの疑念なく、ともに世祿世業を保つ所以なり。いたづらに食つて飮みて、死を待のみの禽獸と異なる所、知らずんばあるべからず。依て思へ、十分の名教を唱へんよりは、三分の情實をいたすに若かざることを。殊に土地人民を領するは、みな兵賦の料にして、三百年來軍旅のこと無ければ、軍資は今日用うるに絶えざるほどに有るべき事ぞ。斯くて今日の御大事に怠らば、何を以てか天恩にこたへん。亦、富人の金銀米穀を蓄ふる者も、みな是れ、君恩の餘澤にもあれば、力を盡し、助け奉るべき事なり。かつ處士、庶民等も、もとより分定りて、選擧拔擢の事は有るべからざる御國體なれども、君は父にして、臣は子たるの親みふかき神典皇謨、親んで忠ならざることなき情理なれば、才も學も私せば、極々重大の事にあたりては、甘んじて國の寶たる忠もつくすべし。其の位にあらざれば其の政を議らすといふは、大道行はれざる國柄の言なり。斯くの如くなれば、士人、金穀ある人、才智ある士など、かく外夷猖獗の今日にあたり、天地開闢前より神胤連綿たる皇國の御大事なれば、心力をつくし助け奉るべき秋ぞ。忽にすべからず。殊更氣節を負うて慷慨する士夫の、安飽すべき時に非ず。かの唐國人の語にすら曰はく、王事に勞して父母を養ふ事を得ずと。況んや、御民として此の大宗主の大御國に於てをや』と。括弧及()内原文マヽ。


○『皇國第一義』・・・本書は十津川の變に名高き幕末の勤王家藤本鐵石の著なり。一小册子に過ぎずと雖も、皇國の第一義を明にして、國體の眞髓に觸れたるところ、其の精神の凡ならざるを見るに足れり、鐵石、通稱は津之助。鐵寒士、また都門賣藥翁と號す。備前の士なり。風格俊異にして、信義に厚く、經學に通ず。又詩文に長ぜり。文久三年、松本奎堂、吉村寅太郎等の諸士と勤王の兵を十津川に募り、大義成らずして戰死す。年四十七。・・・河野紫雲先生(『勤王文庫 第貳編 教訓集』大正九年一月卅日「大日本明道會」發行)の誌す。
[PR]

by sousiu | 2010-12-02 00:20 | 先哲寶文

臣子弟のわきまへ

●元文三年戊午七月三日 谷丹四郎垣守大人『臣子弟のわきまへ』に曰く、

そもそも天人唯一の理を考ふるに、君父師の臣子弟を愛育し、臣子弟の君父師を尊崇するや、たとへば昊天の大地を蔽ひ、大地の昊天を戴くが如し。たとひ天上より大旱霖雨のなやみを下し、雷火龍風の怒を起し給ふとて、地下此が爲に怨憤を表はすの道あらむやたまたま、地震などいへる地につきたる變あれども、いはゞ臣子弟の身によからぬふさがりのあるが如し。一度ひらけて後は長き害となる事なからまし。されば、臣子弟より君父師を 天といへるは、深き理なりといふべし。されど、父子の中はたとひうきつらき憂ありとも、同じ氣血の分れぬるものから、親のなだめ、子の睦みも通ひ易く、なべての人にもさばかりふみ違へて、禽獸の境に落つる理の事は稀なり。まして日本、西土の書に父子の道を詳に説きつくすのみの親を持ち、子を養はぬ人もなければ、殊更に禿筆に委せずして、此に洩らし侍りぬ。君臣子弟の交りは、養ひを受け、教を蒙りぬるの切なるを、嬉しと思へど、氣血の通ひなくてや、一度離れて會ふこと稀なるためしも、珍らしからず。

 されどかかるたがひめは、君父師同じ理にして、天地に根させるの道なりと、明らかに辨へ知らぬの誤ならまし。あるは君に仕へて、諫行はれず、志あはざるといへるは、唐土の道にして、日本の人の心にしもあらず。諫を容るるも、志を盡すも、思兼神の長鳴鳥を集め、兒屋根命、太玉命の祈祷を盡し、鈿女命の俳優を行ひ、手力雄命の日神の御手をとりて、石窟より引出し給ふ如く、純一の誠を以て、己が身をありとも覺えず、思の儘を、つくろひなく表はす程ならば、など君に得られぬの患あらんや。なべては、西土の書に見馴れ、聞き馴れて、臣下は君に仕へて、諫を陳べるが當り前と許り覺えて、己が身はらひとやらいへる如く、たまたま思ひよりし事を、君に告げしとて、君の惡しきを語りて、己が身をてらひ、君の用ひ給はぬ時は、かしみづを受くべしと、兼ねて企てぬるは、われと凶相をもち出でぬるの類なるべし。用捨は君にありて、去就の臣より奏すべき事にあらず。たとひ、己が身に毛筋程の過なくて、三至の禮にかかり、不測の罪に落ちぬるとも、聊、怨み怒るの心なく、嬰兒の母を慕ふ如く、つめられ、たたかれても、泣く泣く、膝に這ひかかる思をなして、七年の病に三年の艾を求むるの、をくれながら己が心身を愼みて、再び日月の光を享けなんことを願ひて、音もなく、香もなきを、忠臣の操とはいふべし。

 菅相公(道眞)の恩賜の御衣の餘香を拜し、實方中將の臺盤一明の供御を思ひ給ふなど、臣たる者の鑑ならまし。彼儒學を唱へ、白眼にて、世上を見るの輩は、國體を辨へず、西土の道を偏執して、出處去就を己が儘になる事と思ひぬれども、聖賢の語にも、「仕へては則ち君を慕ひ、君を得ざれば則ち熱中すともいへらずや。をしのぼせては均幽操の天王は聖明なりの語を何と心得ぬるにや。君に事へて禮を盡す、人以て諂と為すの聖語など、よくよく味ひ見て諫むべきに當りぬとも、上と下との禮儀を亂らずして、宜しく、人は用ひさせ給へ惡しくは愚なるひが言の罪を許して、惠を垂れさせ給へと親に對ひて、言葉を盡くし、子を誡めて、涙を落すことなるぞ、誠の忠なるべけれ君の恥は己がはぢ、罪なくて君に棄てられぬるは、己がなやみよりも君の善からぬ名をや、とり給はんかと思ふ程ならば、世にいへる何事も、花とうけて、拜みたをすの罪もなく、又は罪なくて、配所の月を見るの患もなからまし。君の臣をあひしらひ給ふ事は、明らさまにいふも、恐れあらば、筆をさしをき侍りぬ。さても師弟の交をいはば、臣の君に仕ふるとは、少しく理の違めありぬべし。初めて學ぶ時に、よく道藝のそなはりたる人を選びて、其門に入るべし。たとひ、道を辨へ藝に達しぬるとも、生れつき腹惡しくまして、言と行の違ひある人ならば、必ずしも、師と頼むべからず。鮑魚の市にたちまじればけがれの香に染むる譬、忘るべからず。されど一藝一術の師といふものは、その藝術の優れたるを學びて、その人をば取らぬといふも、一つの理あるべき事なれと、それすらよく心をつくれば、道に缺けぬる人を君親の如く尊びぬるは、うるさき事ならずや。彼豐原の何某が、源義光の東の陣に赴きしを、慕ひ行きて樂の傳授を受け、博雅三位の夜な夜な、通ひて小幡の盲僧が秘曲を聞き得たるの類は、もとののせちなる千歳の後までも、ふかめしきためしなるを、源義經の鬼一法眼の兵書を盗み取り、根岸兎角が飯篠長意が病を見すてし類は、如何なる心にや。たとひ驪龍頷下珠なりとも、盗むの名ありて、何の寶とするに足らむや。たとひ萬人に敵するの妙手なりとも、恩を受けし師に背きて、運を聞くの時あらんや。藝術に執心の深きものは、罪許しぬべしといへるは、深く辨へ明らめぬ、ひが言なるべし。今の學術藝能を好む人には、適々、全服をもて一家の秘奥を傳はりあるは、樣々の謀計を企みて、盗み出しかすめ取るを、賢き事にして言行も正しからず、傳來も確ならぬ師門を立てぬるもありとかや、いかに昇平百年を經て、道も明に藝も詳なりとは雖も、かくまで淺々しく、己が力を盡すの誠もなくて、したり顔に重き事を取りはやしぬるは、いふにも堪へぬ罪咎、恐るべく愼むべし。さはいへ師を撰ぶ時に、かくとも知らで、本意ならぬ人を師と頼み侍りぬとも、己が幸の薄きを痛みて、聊、逆ひ戻らす一字一句の教を受けぬとも、其恩をば忘れざらん事を思ふべし。いはけなき時、辨へなく、異端の道に入、年たけて、惡しき事を覺らればとて、正しき道にふみかへぬるを、人に誇り、今まで仰ぎ仕へし佛をも、僧をも、口にまかせて惡し樣にきたなく、罵り笑ふは、顔の厚きとやいふべき。ゑよてうけられ(マヽ)侍らねまして、道の筋めのよしあしに、心つきぬる程になりぬれば、師を見限り、遠ざかりて、昔思はぬ惡名を師に負せて、己を立てなんとするの類は、馬牛にして、簪裾するにたとへぬとも、道たるにはあらじ。たヾ願はしきは、火々出見尊の鹽土老翁のさとしを、聞かせ給ひ、源義家の江帥の許を、腹立つ心なくて、軍傳をうけ、平泰時の栂尾明慧上人の訓導をうけひきし如く、聊、己が慢心雜念を加へず、純一の誠を盡くして、示教を仰ぎ、級を越えて、高遠に馳せざるを肝要とすべし。師弟の交は、西土の書に見えたるを則として、心喪を服するに到らば、彼天地に根させるの理に、違ふまじ。師の弟子を教ゆるの事は、その人にしもあらぬ身にて、明ら樣に筆を動かし難くてさし置きぬ。

 抑、君父師に仕ふまつるの道は、辱くも神國の大眼目にして、夫婦長幼の道も、悉く、此内に兼ね備はれり。されど涙つきて血をしぼるの實情、誠心なき人には此大事をつけがたし。愼むべし恐るべしといふことしかり

名月に ふむべき影も なかりけり
と。

○『君子弟のわきまへ』・・・本書は土佐の國學者谷垣守の著にして、臣子弟たるものの、君父師に對して、忠誠柔順の道を以て仕ふべき理を辨じたる一論文なり。垣守は有名なる谷奏山の長子にして、幼名を荒藏と稱し、後丹四郎と改む。國學を賀茂眞淵に學び、勤王の志篤し。寶暦二年五十五を以て沒す。・・・河野紫雲先生(『勤王文庫 第貳編 教訓集』大正九年一月卅日「大日本明道會」發行)の誌す。
[PR]

by sousiu | 2010-12-01 17:03 | 先哲寶文

會澤正志齋先生著述「迪彝篇」を拜讀す 貳 

●常陸國會澤正志齋先生、天保十四年『迪彝篇』(「國體第二」條)に曰く、

『天地の間に萬國あり。萬國に各(おのゝゝ)君ありて、その國を治む。君あるものは各其君を仰ぎて天とす。國々みな其内を貴びて外を賤しとすること同じき理(ことは)りなれば互に己が國を尊び他國を夷蠻戎狄とする事、是亦定れる習也。されども萬國には皆易姓革命といふことありて、その國亂るゝ時は或は其君を弑(しい)し、或は是を放ち、或は寡婦(やもめ)孤兒(みなしご)を欺きて、其禪(ゆづり)をうけ或は世嗣絶(たゆ)る時は他姓のものを以て其位(くらゐ)を嗣(つが)しむるの類にして、〔俄羅斯(おろしや)等の國に、この風俗あり〕其の君の種姓他に移る事、國として是なきものあらず。これ其天とする所しばゝゞかはる習なれば其天地といへるもみな小天地にして。其君臣といへるも小朝廷なり。萬國の中に只  神州のみは天地開闢せしより以來  天日嗣無窮に傳て一姓綿々として庶民の天と仰ぎ奉る所の  皇統かはらせ給はず。是其天とする所の大なる事、宇内(あめつち)に比なし。今この萬民天地の間に雙(なら)びなき貴き國に生れながら吾國體(くにがら)を知らざるべけんや。國の體と云ふは、人の身に五體あるがごとし。我國の體を知らざるは、己が身に五體あるを知らざるが如し。是によりてむかし北畠准后、世の亂を嘆き、神皇正統記を著して  皇統の正しきことを論ず。其畧に曰く、大日本は  神國なり ・・・・これより「神皇正統記」(神代之段)の抄出となる =以下畧=』と。
(原文のマヽ。句讀點は小生による)
 北畠親房公竝びに神皇正統記に就ては、『九段塾』「百代の國師・北畠親房公。」を御參照されたし。
   http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t33/l50

f0226095_0352922.jpg

f0226095_0202893.jpg


 憚りながら申上げるに、當今の保守と稱される御仁に顯著なるは國體觀念の動搖である。
 如何に支那、南北朝鮮を分析し、而して彼らに抗ふ乎、ばかりだ。他國や他民族の批判を流暢に語らふことを救國論と云ふで無い。・・・尤も彼らは非難されて餘りある國だが。
 反民主主義、反戰後體制、反自虐史觀、反亡國憲法、反米・反露・反中・反韓・反北鮮、どれもこれも「反」其れ丈では救國の論としての効能を持さない。況や反戰、反核、反日に於いてをや。
 明治維新に於ても「尊皇」あるがゆゑに出でたのが「攘夷」であつたのだ。「尊皇」であるがゆゑに生じたのが「討幕」であつたのだ。尊皇を樹幹とすれば、攘夷はそこから派生する枝葉だ。幕末は樹幹逞しうなるにつれ、枝葉も繁茂するに到つたのだ。

 然し乍ら戰後の保守、或いは愛國的論壇に於て、かくも『迪彝篇』の如き痛快にして明瞭なる國體觀念を發見することが出來ない。否、小生の狹見たればこそ識らぬ丈に過ぎぬかも識れぬが、けれ共、皆無と云ふこと出來なくば、、僅少であること丈は間違ひなからう。
 數年前、小生は阿形充規先生の御誘掖を賜はり、はからずも保守派と稱される某漫畫家と對話の機會を得たことがある。
 某漫畫家曰く、「ガングロギヤルにも判るやう先帝の御偉業に關する資料を收集し次囘の力作とする」と。
 小生曰くは、「おそれおほくも 天皇を偉人として敬ふやう啓蒙なされる御積り乎。敢へて尋ねるに若しも貴殿のいふ偉人になかりせば奈何。現代の日本に不足してゐるのは國體觀念であり、 天皇の御偉業ではない」と。某漫畫家は默したまゝであつた。因みに小生、其の力作といふ「●●論」を未だ讀んでゐない。

 愚案。云ふなれば一昨日も昨日も、而して今日も今も、總て聖徳の沐浴を賜はつてゐることを篤と自覺す可きだ。
 戰前から戰後に掛けて我が國體は、寸分たりとも傷の加ふること許さず。戰後あれ丈、國家が未曾有の危殆に瀕してをりながら、我が國體は毫釐も磨耗せず、變身せず、肇國のまゝである。政體は確かに盡く侵された。だが國體はそのまゝだ。逆言すれば我が國體の金甌無缺たる證明だ。變はつたのは我々だ。我々の國體觀念が動搖した丈だ。我らが此の事實を默視して、現代に於ける墮落と腐敗の責任を“敗戰”に見出しては、英靈を侮辱するものと等しくある可し。左翼風に吹かれた者は“戰爭”に責任轉嫁し、さうでない者は“敗戰”に責任轉嫁す。然り乍ら現在の日本の腐敗は、國體觀念の動搖から生じ來たつたものだ。
 會澤正志齋先生だけではない。我が國體を鋭意御研究なされ、そのうへで我ら臣民如何にある可きかを説かれた先達は多く出現してゐる。
 今、小生はさうした先人の寶文、遺稿が多く失はれつゝあるをおほいに嘆き、且つ悲しまざるを得ない。
 同時に、假令、拜讀するの機會に惠まれたとて、充分之を讀み解く能はぬ己れを切齒せずにはをられない。
 畢竟、次世代の若人に託してゆかねばならないのであるが、それまで、小人と雖も小生、出來得る限りの努力を拂うてゆかうと思ふ次第である。
[PR]

by sousiu | 2010-10-30 00:18 | 先哲寶文

會澤正志齋先生著述「迪彝篇」を拜讀す 壹 

●常陸國會澤正志齋先生、天保十四年『迪彝篇 -てき-い-へん- 』(「三才第一」條)に曰く、

『天は象を垂て日月星辰上に運行し、地は形を流(し)きて、山嶽河海下に布列す。天は廣大にして、地の外を包む。大地は天氣につゝまれて中間にあり。その自然に形をなすこと、譬へば人の身に四體あるがごとく、前面あり背後あり。  神州より清(もろこし)天竺等の地形(つちのかたち)相接屬するものは、その前面なり。〔西夷はその地を分けて亞細亞洲、歐羅巴洲、亞夫利加洲と稱すれども、夷輩の私に名つくる所にして。  天朝にて定めたる稱呼にも非ず、又上古より定りたる公名にも非ざるなり。今彼が私に稱する所の亞細亞等の名を以て、  神州までをも總稱するは悖慢の甚しきなり。依てこゝに彼が私稱を用ゐず、他日  皇化益々闢(ひらけ)たらんには、大地の形によりて其名をも  天朝より賜はるべきなれば、今姑く其の總稱の名を闕て、たゞ西蕃北狄南蠻遠西或は西荒等の字面を用るも可なるべし〕海東にありて地形斜(なゝめ)に相接屬するものは其背後なり。〔此地を西夷は稱して南亞墨利加洲■亞墨利加洲と云ふ。是亦彼が私の稱呼なり。今姑く東方とか東南諸國とか或は東荒東南荒などゝ稱するも可ならんか。前面後面の諸國皆其一國々々の國名はその國々の自ら稱する所を用て可なれども總稱は西夷の私稱を用べからず〕東方はその首(かしら)にして、西方は足なり。首は貴く足は賤しきこと自然の地形也。天道に在りては東方は   天日の照臨まします其初にして、陽氣の發する所。萬物の生ずる所なり。其の人民も朝氣の鋭きが如く、春氣の發するがごとし。風俗勇猛にして和樂(やすらぎのたのしみ)愷悌(やすらか)の氣象あり。西方は   天日の光りをかくし給ふ所にして、陰氣の凝るところ、萬物の滅する所也。其人民暮氣の衰るがごとく秋冬の枯落するがことし。風俗殘忍にして陰險深刻の氣象あり。故に東方のをしへは發生を主として生前の倫理を本とす。西方の教は寂滅を主として、死後の禍福を説く。これみな天地の自然なり。人は天地の間に生れて天地と竝立て三才と稱するものなれば、天道と地勢と人情とを合せて大觀するときは大道と小道の差別自ら分明也。=以下畧=』と。
〔原文のマヽ(空白部を含む)。「水府御藏版」より抄出。但し句讀點は小生による。〕

~續く~

f0226095_3452895.jpg

[PR]

by sousiu | 2010-10-29 22:10 | 先哲寶文

義公による訓言  其の貳 =西山隨筆=   

 隱退後、義公は西山(せいざん)莊にて餘生を過ごした。
 その西山隨筆五則を掲げむとする。

徳川光圀卿、『西山隨筆』に曰く、
『人、幼少にして聰明器用の名ありとも、みだりに襃むべからず。十四五歳を過ぎて志變ずることあり。よき生れつきも惡く變じ、惡しき生れつきも善くなる事多し、これ大切の時なり。其の志正しき方におもむきて移らざるを見て後、襃むべし』と。

 愚案。人を判斷するには長い年月を要すべきだ、との事由。幼少にして聰明と雖も、後、如何なるか解らぬ。逆も亦た然り。今は小人と雖も、いづれ如何ほど偉業を成すか解らぬものであるから、人の現時點而已をみて、無暗に譽めたり、輕んじてはならぬ。かういふ教へだ。
 平澤次郎翁曰く、「河原はまつたく駄目な奴だぜ」と。最早口癖となつてしまつてゐる。翁、つゝしんで義公の言に學ぶべし。



 次いで曰く、
『女子は柔にして和順なるを襃む。男子は剛にして豪氣なるを善しとする。女の勇強に、男の懦弱なる、皆天地の道理にあらず。惣じて幼きは幼きやうに、壯年は壯に、老者は老に、隱者は隱に、職人は職なるべし。是れ順なり。これにそむきたるは逆にして惡し』と。

 全く以て其の通りだ。目下、男女平等が高じて同權を主張するジエンダーフリーやらフエミニストやらの問題兒が増加し、凡ゆる社會の混亂を生じ來たらしめてゐる。義公の云はむ言を拜借すれば、天地のことはりに背くものだ。なげかはしくは、草食系男子と肉食系女子の増加といはれる今次だ。男性は男性らしく、女性は女性らしくあるべきだ。就中、妻たる人、寡默を貫き、ひたすら夫を疑ふことなく家内の守りに徹してをればそれで宜しい。我が愚妻、つゝしんで義公の言に學ぶべし。



 次いで曰く、
『人おのゝゝ用ふる所あり。一事に長ずれども、又一事に短あり。その長じたる所を採り用ふべし。一人に何事も備はらむことを求むる時は、用ふべき人なし』と。

 愚案。世に完全たる人間はゐない。若しも完全なる者を求めるのだとすれば、用ゐられる可き者は皆無だ。短所は短所として受け止め、その者の長所を採つて用ゐるべきである、と義公。總じて平澤派の諸賢、呑めぬ小生を酒席で苛める。三澤浩一先輩に至つては、小生を噛む。それを目の當たりにした時對協平澤派、止める能はず笑つてをる。彼らに小生を苛める心あらずんば、除け者にせむとする心あるの疑ひを容れない。そは、首領の平澤次郎翁の了見に違ひない。時對協の平澤派は、つゝしんで義公の言に學ぶべし。



 次いで曰く、
『司馬遷が史紀を見るに、忠臣義士、功名高き人の傳、詳しく之を載す。然れば漢の紀信は、高祖の身代りに立ちて身を火に亡ぼせり。當時、紀信なかりせば、高祖の命保ち難からん。斯程の大忠臣を何ぞ列傳に特に載せざるや。或る人、紀信は只此の一事のみにて、其の外事實知れざる故に、特に傳を立てずといふ。大なる誤りなるべし。一事とても、天下無雙の大忠節、誠に百戰百勝の功よりもすぐれたり。斯くの如きの人は蕭曹張陳が傳と竝べ立つべきものなり。傳短しとて省くべからず。萬世の教を垂る。史記、此の一傳を缺くこといと殘り多し。後の史、晉書、唐書の類はさのみ功名もなき短き傳ども多くあり、省くにはしかじ。古の儒者、荀楊王韓、皆、明儒なり。善を勸め、惡を懲らし、聖人の道を尊び、邪僻の行ひを戒む。大儒に非ずして何ぞや。其の中に性を説けるに違ひありて、議論各異れども、皆一理ある事なり。畢竟、善人なり。若し異りとて謗らば、宋儒の道統を繼ぐといふなる人、皆異見なきにしもあらず。惣じて大儒を小疵ありとてみだりに謗るべからず。楊子が莽太夫と書せらるゝ掩ふべからずと雖も、法言の名語は尊むべし。君子に惜しき疵ある事多し。其の非を捨て、その名言を取る。これ活法なり』と。

 蕭曹張陳は蕭何、曹參、張良、陳平。荀楊王韓は荀子、楊子、王充、韓非子のこと。
 愚案。史實は、人によつては詳らかに書かれてゐたり、その逆であつたり。善きことが誇張され、或いは逆であつたり。從つて、風聞・口傳よりも、その者の業績、善惡を見通すことが大切である、と。さらば現代而已ならず近年の政治家、果して奈何。自虐史觀なぞ笑止千萬だ。ところで小生、曾て雜誌で排外主義や2ちやんねるを批判した際、小生の、批判に對する批判のスレツドが幾つか建つたことがある。曰く、「あの韓國人か」。曰く、「あのガリヒヨロか」と。いつの間にか小生で無い人間の惡口になつてゐた、噫。小生と云ふ人物、能く々ゝ識れば、屹度いい奴に違ひない。2ちやんねるの住人は、つゝしんで義公の言に學ぶべし。汗



 最後に曰く、
『儒者の異端あり。聖人の道を説きつゝ甚だ固滯にして物理に通ぜず、政をする時は民樂しまず俗和せず。その性命道徳を論ずるは高きに以て、自己今日の勤めは愚者に異らず、却つて白人に學問害をなすかと嘲らる。斯くの如き類、異端にあらずや。朱文公、陸象山、陳白沙、王陽明、各異端あれども、共に是れ千古の大儒なり。今日、其の書を學び、圓に用ふれば行ふところ皆善道となり、偏に用ふれば善行も惡くなるなり。日蓮宗三大部に固滯して、一句半言にかたより偏見をなすやうに、儒者も偏見を挾み、中和の道を失ふの徒、皆儒中の異端といふべし』と。

 愚案。その説法が如何に優れてをらうとも、現實に合致しないことには愚人の空言、机上の空論である。それゆゑに、他人から「學問は害を及ぼす」とまで嘲笑されることゝなる。優れた學問を今日の事情に則して解釋し、實學として學ぶることが必要であり、その言説をそのまゝ受け容れるならば却つて宜しからぬ結果を齎らさないとも限らない、といふことである。・・・・小生、つゝしんで義公の言に學んでみようと思ふ・・・・笑止。
[PR]

by sousiu | 2010-08-22 21:05 | 先哲寶文

義公による訓言  其の壹 =壁書=   

 前囘、日乘で義公について少しく觸れた。

 水戸黄門漫遊記を通じて巷に識られてゐる義公。が、云ふまでもなく、あれは全くの作り話であり、義公の偉業は決してテレビドラマから識る能はぬ。然れ共、義公に纏はる左樣な作り話が傳へられるに至りたるは、固より理由なきものとしない。義公は大日本史の特徴の一つとも云へる「大義名分」を重んじた。他方、人情味も殊更ら深く、世情にも詳しくあつたと云ふ。然るが故に、人々の間で斯くの如き漫遊記が生じ來たつたのではあるまいか。

 今、茲に、義公による日常教訓とも云ふ可き心得を掲げることゝする。
 此の日常教訓もそのやうな義公の御人柄を能くあらはしてゐる。

 さても當たり前へのことゝ思ふなかれ。
 若者はすべからく、肝膽に銘ず可し。
 殊に平澤派の住人、其の五を音讀するが猶ほ宜し。苦笑。


徳川光圀卿壁書

  一、苦は樂の種 樂は苦の種と知るべし
  一、主人と親とは無理なるものと思へ 下人は足らぬものと知るべし
  一、子ほど親を思へ 子なき者は身にたくらべき近き手本と知るべし
  一、掟に怖ぢよ 火に怖ぢよ 分別なき者に怖ぢよ 恩を忘るる事なかれ
  一、慾と色と酒とを敵(かたき)と知るべし
  一、朝寢すべからず 咄の長座すべからず
  一、小なる事は分別せよ 大なる事は驚くべからず
  一、九分に足らず 十分はこぼるると知るべし
  一、分別は堪忍にあるべしと知るべし
      ※()及び括弧内と、下線は(當然)小生による。

 以上。
[PR]

by sousiu | 2010-08-21 07:28 | 先哲寶文