カテゴリ:先哲寶文( 45 )

尊皇攘夷の精神を學ぶ

 幕末の尊皇攘夷運動が如何であつた乎。
 運動の成果而已を見れば維新は薩長に負ふところが尠からず存する。
 されど其の行動の基礎となりし理論的根據は、遡れば水戸學による尊皇攘夷思想の影響が大である。
 水戸學は謂はずとしれた、義公を總裁とし始められた大日本史編纂事業を出發點とする。
 尊皇の志逞しうある水藩の一大偉業は、義公による水戸史學から烈公による水戸政教學に至り、維新の志士達の魂を燃え上がらせた。其の焔は徳川幕府にとつての業火となつた。殊に志士達の血を沸騰せしむるに至りたる其の一つとして、會澤正志齋先生の『新論』を擧げることに小生は遲疑しない。
 昨夜、日乘を記すに當つて思ふところあり。所藏せる古書を引つ張り出して、調べ、今の今まで掛かつてしまつた。調べに調べた積りだが、譯に關して誤りあらば御諒恕、御批正賜はらむことを。

 しかし、小生もいよゝゝ病的なオタクだなア・・・。山乃蔭兄の云はむとしたことが一寸丈理解出來た。とほゝ。


會澤正志齋先生『新論』に曰く、
『謹按  神州者大陽之所出、元氣之所始、天日之嗣、世御宸極、終古不易、固大地之元首、而萬國之綱紀也、誠宜照臨宇内、皇化所曁、無有遠邇矣、而今西荒蠻夷、以脛足之賤、奔走四海、蹂躙諸國、眇視跛履、敢欲凌駕上國、何其驕也、是其理宜自隕越以取傾覆焉、然天地之氣不能無盛衰、而人衆則勝天者、亦其勢之所不得已也、苟自非有豪傑奮起以亮天功、則天地亦將爲胡羯腥膻所誣罔然後已矣、今爲天下論其大計、天下之人愕然相顧、莫不驚怪、溺舊聞而狃故見也、兵法曰、無恃其不來、恃吾有以待之、無恃其不攻恃吾有所不可攻也、然則使吾治化洽浹、風俗淳美、上下守義、民富兵足、雖強冠大敵、應之無遺(上:竹、下:弄=さん、算?)則可也、若猶末、則其爲自遑自逸者、果何所恃也、而論者皆謂彼蠻夷也、(敵の左側=商?)舶也、漁船也、非爲深患大禍者焉、是其所恃者不來也、不攻也、所恃在彼而不在我、如問吾所以恃之者、與所不可攻者、則茫乎莫之能知也、嗟夫欲見天地之免於誣罔、將何時而期之乎、臣是以慷慨悲憤、不能自已、敢陳國家所宜恃者、一曰國體、以論神聖以忠孝建國、而遂及其尚武重民命之説、二曰形勢、以論四海萬國之大勢、三曰虜情、以論戎狄覬覦之情實、四曰守禦、以論富國強兵之要務、五曰長計、以論化民成俗之遠圖、是五論者、皆所以祈天之定而復勝人也、臣之自誓而以身殉天地者、大略如此矣』と。()及び括弧内は小生による。亦た、本文には返り點が明記されてゐるが、パソコン入力の知識不足によりつゝしんで是れを省畧させていたゞいた。


『謹んで按ずるに。神州は太陽の出づる所、元氣の始まる所。天日嗣、世に宸極を御して、終古易(かは)らず。固より大地の元首にして、而(しかうして)、萬國の綱紀なり。誠に宜しく宇内を照臨し、皇化の曁(およ)ぶ所、遠邇有るは無し。而、今、西荒の蠻夷は、脛足の賤しきを以て、四海を奔走し、諸國を蹂躙し、眇視跛履、上國を凌駕せむと欲する。何ぞ其の驕れるや。是れ其の理を宜しく自ら隕越し以て傾覆を取るべし。然れど天地の氣は盛衰無き能はず。而、人が衆(おほ)く則ち天に勝るは、亦た其の勢ひの已む能はざる所なり。苟も豪傑が奮起するに以て天功を亮らかにあらざれば、則ち天地亦た將(まさ)に羯腥膻所誣罔する所となり然る後已まむとす。今、天下の爲めに其の大計を論ずれば、天下の人は愕然相ひ顧み、驚き怪しまざる莫(な)きは、舊聞に溺れて故見に狃(な)らうなり。兵法に曰く、其の來たらざるを恃(たの)むなかれ、吾の以て之を待つあるを恃め。其の攻めざるを恃むなかれ、吾の攻む可からざる所あるを恃め、と。然らば則ち吾をして治化は洽浹し、風俗は美に淳く、上下は義を守り、民は富み兵は足り、強冠大敵と雖も、之に應じて遺(愚案・算)無くば則ち可なり。若し猶ほ未だ、則ち其の自遑自逸を爲すは、果して何を恃む所ぞ。而、論者は皆謂ふ、彼は蠻狄なり、と。(愚案・商)舶なり、と。漁船なり、と。深患大禍を爲す者に非ず、と。是れ其の恃む所は來たらずなり、と。攻めざることなり、と。恃む所は彼にあつて而、我に在らず。若し吾の之を恃む所以の者と、攻む可からざる所を問はゞ、則ち茫乎として能く之を知る莫きなり。ああ、夫れ天地の誣罔より免れむを見ると欲するも、將(はた)、何時之を期せんとする乎。臣、是れを以て悲憤慷慨し、自ら已む能はず。敢へて國家の宜しく恃む可き所を陳ぶる。一に曰く國體。以て神聖、忠孝を以て國の建つるを論じ、而、遂に其の武を尚び、民の命を重んずるの説に及ぶ。二に曰く形勢。以て四海萬國の大勢を論ず。三に曰く虜情。以て戎狄覬覦の情實を論ず。四に曰く守禦。以て富國強兵の要務を論ず。五に曰く長計。以て民を化し俗を成すの遠圖を論ず。是れ五論は、皆、天の定めて復た人に勝つて祈る所なり。臣が自ら誓つて身を以て天地に殉ずるは大略の如し


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 上記の如く。會澤先生は尊皇論を基幹とした攘夷論者だ。次項『國體上』では國體論に就て詳らかに記されてゐる。小生の勉強不足であることが口惜しく、こゝまでの作業に十時間近くも要してしまつたので、流石に目がしよぼゝゝゝ。頭痛もして來たつた。はゝ・・・汗。

 續きは折をみて、いつか更新致したい。
 
 おやすみなさい。九拝
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by sousiu | 2010-08-19 07:58 | 先哲寶文

吉田松陰先生の書翰から

 留魂録に筆を執る少しく以前、江戸小傳馬町獄舍にて。

 松陰先生は松下村塾時代、高杉晉作先生より『男子は何處で死ぬ可きです乎』と問はれたことがあるといふ。
 確答出來なかつた松陰先生は、死を目前にした今、悟るところありて以下の如く高杉先生に囘答の書翰を差し出してゐる。
 
 昨日に引き續き、『吉田松陰―独り、志に生きる』より、引用したい。


松陰先生曰く、『今この獄中になつて、死の一字につき發見したことがあるので、いつかの君の質問に答へておく。死は怖れるものではなく、憎むべきものでもない生きて大業をなす見込みがあればいつまでも生きたらよい。死して不朽の見込みがあると思ふなら、いつどこで死んでもよい。要するに死を度外視してなすべきをなすが大事だ』と。

 この書翰について古川薫氏は以下のやうに記してゐる。
古川氏曰く、『これは高杉晉作の生き方を決定する重要な示唆となつた。「いさぎよく死ぬ」といふ武士の美學によつて、逃げることを恥辱と心得る人々が幕末に多く、あたら人材が消えて行く例がめづらしくなかつた。「神出鬼沒」といはれる一方ではよく逃げもしたが、晉作は「犬死」を避けて「不朽の見込み」のある死場所をさがしてゐたともいへる。松陰の門下生の中で、師の遺志を最高に實現させたのは高杉晉作だが、その行動を支へたのは、處刑寸前の松陰からさづけられたこの死生觀である。
 長州藩の藩論を討幕に確定させようとして苦鬪した松陰の悲願は、晉作による功山寺蹶起によつて達成されたのだが、それも「死して不朽の見込み」ありとして無謀とみられた擧兵の敢行がもたらせた結果であつた死を目前にした松陰のひとことが、その愛弟子を通じて歴史を旋囘させたのである」と。

 

 嗚呼。素晴しきなるかな哉、素晴しきなるかな哉。この師にありて、この門弟にあり。
 この先進に對して、果して後進の我らは奈何。
 高杉晉作先生、松下村塾御門弟のみ而已ならず、我らも先達に學ぶところ大にしてある可し矣。
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by sousiu | 2010-07-24 00:15 | 先哲寶文

青梅の齋庭にて  續  

 昨日の吟詠奉納、學生有志による歌唱奉納に感動したことは既記の如し。
本日、福永武志兄より掲載の許可を賜はつたことから、つゝしんでこゝに奉掲申上げたし。



 [奉納吟]

  歸還感有り
  神意深甚 測るべからず
  默々只期す 再建の業

― 青山の大和島根の島影の
 まさ目に沁みてわれ泣きにけり ―

  山河語らず 人もの言はず
  薫風萬里 青一色



 [草莽有志の歌]

一、 嗚呼城山の秋の風
   巨人のむくろふきしより
   世は寒くこそなりまさり
   維新の皇謨地に墮ちぬ

二、 妖雲暗くむらがりて
   天日ために閉されぬ
   民暗澹の日は續き
   生色長く失せにけり

三、 降(くだ)ちゆく世を九重の
   御階(みはし)の櫻そよげども
   迷蒙更に覺むるなく
   混沌遂に極まりぬ

四、 神命こゝに激發し
   神劍降る幾度ぞ
   鮮血淋漓(りんり)衂(ちぬ)れども
   權門迷ひまだ醒めず

五、 内に維新の成るなくば
   みいくさ外に徹るなし
   今こそ岩戸開くべき
   大き祭の秋(とき)來る

六、 さらば我が友丈夫の
   命きよらに禊して
   朝霜の道一筋を
   鋭刃(とば)のさやかに戰はむ

七、 よしや萬里をへだつとも
   白梅花の匂ふごと
   御民の祈り相通ふ
   心一つにいざ起たむ

八、 草莽此の身はみ吉野の
   萬朶の花と散らば散れ
   魂(たま)は留めてとこしへに
   賊殲滅の火と燃えん

九、 賊勢四方(よも)に迫るとも
   楠氏の軍に憂ひなし
   孤忠の悲願いや高く
   千早の城を守るべし

十、 見よ東(ひんがし)の空明けて
   曉雲燦とかがやきぬ
   聞けや維新の明けの鐘
   昭和維新の時至る
   昭和維新の時至る

      作詞は影山正治先生による
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by sousiu | 2010-05-26 17:33 | 先哲寶文

『求道語録』

 先日、圖らずも福永武學兄より『求道語録』(昭和四十二年三月十日「大東塾出版部」發行)を複數册御惠投いたゞいた。
 以前にも拜讀したことのある此の良書、うつかり知人に貸出したところ、再び小生の許に歸することのなかつたものである。其の喜び大なるかな哉、福永兄へ幾重にも感謝申上げ度い。
 其の日、宛ら舊友と再會したかの如き嬉しさと共に味讀したのであつた。

 讀後、ふ、と氣付いたことがあつた。
 どれもこれも一語一句をゆめおろそかに讀む能はぬは云ふまでもない。その中でも、嘗て非常に感銘を承けた玉言も然り乍ら、新たに出會つたかのやうな印象を承けたものも尠くないことであつた。大袈裟に云へば、同じ本であるか乎、とも思へた次第である。

 印象深き玉言の總てを今こゝに列擧すること適はぬが、幾つかを謹んで掲出すれば、

『人力には限度がある。神力には限度がない』(第二章)

『德を積め、特に陰德を積め』(第二章)

『「死にきる」ことだ』(第七章)

『政治は勿論大切だ。しかし政治以前のものがもつと大切だ』(第七章)

『敗戰は、「天のフルイ」だ。ここで「ほんもの」と「にせもの」とが「天のフルイ」にかけられて、はつきりとする。ごまかしは出來ない。これはいいことだ』(第十章)

『「終戰の大詔」は「再建の大詔」であり、「第二の建國の大詔」だ』(第十章)

 等々である。


 嘗ては、

『「一人國を興す」ていの大氣魄を』(第一章)

『いいことは眞似でもいいからやれ。一生懸命にやつて居れば、そのうちに獨創性が出てくる』(第二章)

『富士山に對してはづかしくないやうな人閒になれ』(第三章)

『火花の散らぬ樣な、なまぬるい勝負をするな』(第五章)

 以上の言葉に殊、強い衝撃を受けそして傾倒した。
 尤も、今でもかうした言葉を、常の心得として忘れぬやう自分なりに心掛けてゐるつもりだ。

 
 犬馬の齡を重ねる小生でも、光陰と共に遲し乍ら成長してゐるとのことなのだらうか乎。
 そして十年後、『求道語録』は、再び、別な本かとの錯覺を與へるのであらうか乎。

 小生の生涯手放せぬ一册である。


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by sousiu | 2010-03-21 15:15 | 先哲寶文

求道求學

 影山正治大人『不二』(昭和廿二年二月廿五日號 不二歌道會發行「遺稿・宣長翁の歌」)に曰く

「『道の學び』は理の方面の努力だけでなく情の方面の努力が一層肝要であり、頭腦の理解だけでなく心臟の諒解が大切であり、知的の把握のみでなく血液的の感得が更に重大であることを言ふのであらう。生活と叡智に裏付けられた詞と信仰である。即ち『みやび』であり『おのづから』であり『神ながら』である。ここに國學の行き方の本領がある。戰時中のこちたき國體論者や皇道學者の思ひ及ばざりしところであり、終戰後のさもしい民族論者や愛國學者の夢想だもなし得ざるところであらう」、と。

 われらにとつて、影山大人の言靈は、維新を招來す可くの大いなる曙光である。
 似而非保守、保守派と稱する曲者が簇生亂麻する現在、今一度先哲遺文の一語々々に注目したい。
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by sousiu | 2010-03-18 20:46 | 先哲寶文