カテゴリ:報告( 124 )

また宜き先輩の逝く、悲しき哉 

 神奈川縣相模原市を據點とした大日本儀心會・高橋信志會長が八日未明、自宅で心不全にて歸幽された。
 享年六十三歳。
 山川裕克君より一報を受け、今日は高橋邸を訪うた。發見されたのは月曜日であつたといふから、仕方が無かつたとはいへ氣の毒であるが、奇麗に化粧がなされて、安らかなる御顏であつた。
 
 高橋會長と最後に御會ひしたのは今年の四月一日、明治神宮であつた。
 以前はよく御會ひし、時折り御電話をいたゞいたものであるが、近年は體調がすぐれず、病院通ひしてゐるとのことであつた。
 しかし、運動や會合等があると病身を顧みず參加され、その顏色をみた周圍の人達が心配して歸るやう説得する場面を何度か見たことがある。
 以前から高橋會長を知る山川君の話しでは、高橋會長は曾て隨分強持てで知られてゐたとのこと。
 十數年前、野生が初めて御會ひした時には、既にさういつた雰圍氣を表に出すことなく、いつも若者の意見を靜かに聽いて頷いたり、微笑してゐる印象しかない。
 議論を好まず、黨派に屬さず、然れども決して自己主張することもなく、常に飄々としてゐる感があつた。
 思へば、最近、かういふ人も少なくなつた氣がする。
 また一人、親しむ可き大先輩が現世を後にした。
f0226095_145056.jpg

※左、高橋信志會長。平成廿一年十一月八日、横濱市内で行はれた「相原修君を偲ぶ會」で。
 この日も高橋會長は病身に鞭打ち出席するも體調頗る宜しからず、周圍の説得により歸宅された。
[PR]

by sousiu | 2012-09-13 01:21 | 報告

畏友との再會  

 九月十日月曜日は、數年振りに矢崎泰之兄と會つた。
 矢崎兄との交流は長く、彼れ是れ廿年になる。
 彼れは以前、大義党なる團體を主宰し、神奈川縣維新協議會に在籍。尊皇の志篤く、行動右翼の權化のやうな人で、過去、運動でも幾度か別莊住まひを餘儀なくされてゐる。
 彼れは今度びも別莊生活を送つてゐたのであるが、芽出度く歸宅したことから、久々の對面となつたのだ。
 矢崎兄とは廿代前半から、ビラ貼りで、或は機關紙で、お互ひ努力を競ひ合つたものだ。又た、自分でも今では信じられないが、矢崎兄とは週に少くとも二、三度は飮みに行つた。卅歳のころから、野生は殆どアルコールを口にしなくなつたが、あの頃はよく飮んで大言壯語したものだ(酒は兔も角、大言壯語は今も變はらぬが)。
 矢崎兄とは思ひ出咄をする丈で、おそらく三日は過ごせるだらう。何にせよ、久し振りの再會は嬉しいものであつた。


 因みに彼れは府中にある別莊で假住まひをしてゐたのであるが、野生との通信は一切、別莊地管理人の手により斷絶されてゐた。
 野生の知人で月形に假住まひをしてゐる人がゐるが、是れ又た管理人から書籍や手紙やらが差し止められる始末。
 當然、先方から野生への發信も不可である。
 別莊の管理組合に電話して尋ねると、いづれも「理由はお答へ出來ませぬ」とのこと。
 これは差別だ。解同に言ひ付けてやりたい。



 ところで、矢崎兄の「大義党」で思ひ出したので、序で乍ら「大義」に就て、興味深い一文を抄録しておきたい。
●猪狩又藏氏、昭和七年六月十五日、『日本皇室論』(「日本皇室論刊行會」發行)
君は君、臣は臣と、其の名分の定まつたところに大義が存するのである。大義名分は一つの熟語となつて、而かも現今は濫用せられることが多いから、茲に一言を付加して置きたい。世間普通の事柄に大義名分が、どうのかうのといふが、是れは不敬に亘る恐れがある。大義とは君臣の間のことに限るのである。昔は赤穗義士が仇討ちをしても、大義によつて云々とは言はない。たゞ義によつてといつてある。主君の仇でも主君は一諸侯であるから、斯くいつたのであらうと思ふ。それに近頃は何としたことか。一政黨員が政黨を脱するとか脱せぬとかいふ場合でも、大義名分云々と論議することが少くない。極めて僭上の沙汰である。言葉が濫用せられるといふことは、其の言葉のうちに含まれた意味が亂雜になるのである。我が國體上重大なる意義を有する言葉の濫用は、愼まなければならぬ』と。

 ・・・知らなかつた。
[PR]

by sousiu | 2012-09-12 00:47 | 報告

するめいか結社 番外 奮鬪之繪 

 たゞいま、するめいか結社に於て、自ら戰力外通告を發した成美選手から、せめてお役に立ちたいといふ意か、寫眞が提供された。

 他意はないが、拜戴した手前、これを筐底に祕してはならぬ、と、斷腸の思ひで野生は掲載せねばなるまい。

f0226095_21173058.jpg

 ↑↑↑手前から、愛倭塾・山口會長、時對協・福田議長、愛倭塾・平田理事長、防共新聞社遊説隊・近藤隊長、大日本愛国党・中川先輩(釣りの)。
 手前二先輩のこの姿は、泪なくして正視する能はぬ。
[PR]

by sousiu | 2012-09-11 21:19 | 報告

スルメイカ結社 

 九月九日日曜日は、木川智君が企畫部長となり、千葉縣いすみ市の大原沖合で烏賊釣りを樂しんだ。
 如上、新宿區での會合を終へ、そのまゝ不眠で神奈川を發ち、山口、平田愛倭塾諸先輩と共に千葉へ向かつた。
 船釣りは始めての經驗(釣りそのものは小學生以來)であり、船醉ひを心配しつゝ早朝、沖を出たが、案外に醉ふこともなく、樂しい一ト時であつた。
f0226095_2204598.jpg

↑↑↑出航前。つまりはbeforeだ。野生の意氣込は噴火直前のマグマに似たり、だ。
f0226095_2254770.jpg

↑↑↑出航時、思はず「北の漁場」を口ずさむ♪(歌詞は適當だつたけれども)。
f0226095_226278.jpg

↑↑↑朝日が眩い。するめいか結社の活躍振りを明示してゐるやうだ。


 この日の企畫の名を、神奈川縣維新協議會護國鐵拳隊の成美選手は「太平洋を望む海上憂國懇談會」としてゐる。↓↓↓
       http://www4.hp-ez.com/hp/kanaisinkyougi/page15
 また、大行社の木川選手は、「草莽遊學(漁業體驗)」と名付けてゐるやうだ。↓↓↓
       http://taikousya.com/

 どれもこれも尤もらしき名前であるが、要するに名前は無い、といふことだ。野生の場合、當初こそ、「木川智君と愉快な仲間達」(或は「平成版林子平翁の視點で考へる會」)と名付けたが、參加して、この名は餘りにも手緩いことに氣が付いた。何故ならば、經驗して始めて解つたことであるが、船上では甘えは許されない。釣り針を手に掛けて出血する。腹が減り食糧が不足する。たふれる同志はゐる(船醉ひ)。釣り上げた際に烏賊の攻撃を被る(イカスミ)。太陽の熱と光が肌をさす(紫外線)。こは正しく小なる戰場だ。
f0226095_23058.jpg

↑↑↑手前から愛倭塾・山口會長、同血新聞社・小林。
f0226095_2312349.jpg

↑↑↑手前から愛倭塾・平田理事長、防共新聞社・近藤君、大日本愛国党・中川先輩(釣りの)。


 因みに、志半ばでたふれた同志は、(本人の名譽の爲めにも大きな聲では云へないが)上記した成美選手と我が時對協の福田議長だ。たふれた先輩後輩を前にして、今更ら乍ら野生も反省するところ大であるが、迂闊にも魚眼レンズに認められたるスルメイカの群れに心奪はれ、横たはる同志どころの騷ぎではなかつた。軍歌「戰友」の歌詞が好きな野生が、何とも面目ない話しである。

 さて、釣果は奈何。
 義信塾・市村代行と愛倭塾・平田理事長、愛国党の中川先輩が群を拔いて一位であつた。
 野生は、・・・・え~と、二ハイ(二ハイとは、二匹つてこと)。歸りにこの日來れなんだ同志へクール便で御裾分しようと住所を書きつらねたメモ書きと、大きなクーラーボツクスが野生の慘めな思ひを一層かり立てた。
 たふれた福田議長を放つてまで挑んだ結果としては、何とも頼りない數である。嗚呼。
f0226095_2333096.jpg

↑↑↑after。野生の苦笑ひをみよ。福田議長に至つては、何故か少し氣が立つてゐるやうにみえなくもない。野生申し譯ないが、疲勞と睡眠不足と空腹で、歸りを待つてゐた釣り船女將の冗談に應へる氣も起こらなかつた。
[PR]

by sousiu | 2012-09-11 01:35 | 報告

皇都での一日 

 本日は、「正かなづかひの會」平成廿四年度總會及び講演會に參加(千代田區麹町)。
 野生は一昨年からか、この會に入會してゐるが、總會に出席したのは今囘が始めてだ。

 中村信一郎先生、川畑賢一先生ほか諸先輩に御挨拶を申上げる。

 講演會の講師である川畑先生の御高話は、頗る感じるところがあつた。
 口語體は時代によつて千變萬化するものであり、然るにこれのみで馴れてしまつては、古典をはじめ、歴史的文獻を讀み解くことは出來なくなつてしまふ―、といふ件りは、全くその通りであると思うた。かうして考へると、國語表記は單なる學問的一分野の問題に止まらないのである。而して、現代假名遣ひは文語體に用ゐるも難し。穴あき五十音の矛盾を放置せぬ爲めにも、小學校で正假名づかひを學ばせる可きであることを力説された。
f0226095_1113285.jpg

 この會は啻に、趣味的同好者の集りではなく、目的意識と計畫性を持つて躍動してゐる。
 野生はあまりにも非力な爲め、今は只管ら螳螂の斧を揮ふことで精一杯であるが、おほいに發展していたゞきたいと願ふものである。


 歸りはひとり、皇城へ赴く。遙拜する野生を指してツアーかと思はれる支那人の一團が大聲で何か語り掛けてゐた。
 まア、支那人らは、皇國に對する羨望が半分、畏怖が半分といつたところでなからうかと思ふので(どの道、何を云うてゐるのか、さつぱり分らぬし)氣にもならないのであるが、問題は日本人だ。
 皇居前廣場に休む人達も、もう少し場所と振る舞ひを辨へた方が良い。どこかの團地内の公園とでも思うてゐるのだらうか。日本人が自らこれであるから、宮城を訪れる外國人らの姿勢も正されぬのである。
 已んぬるかな、場所が場所だけに、さうした無知蒙昧な人らを如何樣にす可きか思案も浮ばず、仕方ない、歸路、一首を詠みつゝ忿懣を慰めるほか無かつたのである。
f0226095_110515.jpg


  宮城の 尊き知らぬ 國民(くにたみ)も
       道教へざる 世の生みしもの
[PR]

by sousiu | 2012-07-29 01:14 | 報告

帝國陸海軍軍樂隊 大演奏會 

 昨日は、日乘を更新し、急ぎ、新宿區にある「日本青年館」へ。本年も、『帝國陸海軍軍樂隊 大演奏會』に參加する。はからずも水戸の浪人・松尾秀雄さんの御厚意に授かり、チケツトをいたゞいた次第である。
 この演奏會を鑑賞するのは昨年に引き續き二度目であるが、今年も實に良かつた。この演奏會による軍歌や唱歌は、やはりCDやテープなどの音源とは違つて、耳にでは無く、心に沁み込むものがある。
 この演奏會は、昨年から「日本青年會館」で行つてゐるが、それ以前は、九段の軍人會館で行つてゐたとのこと。
 御存じのとほり、九段會館は、東日本大震災で、天上が崩落し、惜しまれる哉、閉鎖の事態となつた。
 今となつては、適はぬ望みとなつてしまつたが、この演奏會を九段會館で是非、鑑賞してみたかつたものである。

 海軍軍裝隊の演出も宜いし、横濱軍歌愛好會の方々も最高だ。
 會場はほゞ滿席。盛況であつた。皆さん、軍歌が好きであることは察するまでもないが、たゞそれ丈ではなく、日常で軍歌が熱唱されてゐたあの當時、素朴で純粹な、それでゐて一本眞の通つた人達ばかりで埋め盡されたあの時代への、一種の郷愁も、あるのではないだらうか。であるとするならば、野生も然り。
 自己本意、利己主義・・・。己の生命や財産以上の價値を容易に見出す能はざる現代の社會や風潮は、どうにもかうにも、息苦しくてかなはん。まるで空氣の底にゐるかの如し。
f0226095_17284153.jpg

↑↑↑横濱軍歌愛好會のみなさん
f0226095_1729930.jpg

↑↑↑↑栗林白岳翁(左から三人目)。野生も嘗て、翁が館長を務められる那須戰爭博物館を訪れた。
f0226095_17585231.jpg

↑↑↑↑東條由布子刀自と。
[PR]

by sousiu | 2012-05-01 17:35 | 報告

修理固成、光華明彩、天皇彌榮を奉唱す 

 本日は、皇國志士連合有志と多摩の御陵を參拜す。

 畏れ多くも、みささぎの御前にて、草莽の有志一同、念誦を唱へ奉るに、希はくは、平成の御代に神州の正氣起こらむことを、と。
 本日は晴天なり也矣。
f0226095_13545563.jpg

f0226095_1355843.jpg

f0226095_1355064.jpg

f0226095_17591598.jpg

[PR]

by sousiu | 2012-04-29 13:47 | 報告

國信兄に會つてきました。 

 本日は、木川智兄と麹町警察署に留置されてゐる國信隆士兄に面會。
 今日から接見が出來るやうになつた。

 國信兄は相變はらず元氣であつた。留置場のなかでも、宮城に向かひ遙拜することを欠かさぬといふ。
 麹町警察署の署員も、彼れの禮儀正しきことを迚も感心してゐた。人は如何なる時、如何なる場所、如何なる環境であれ、背筋を伸ばして毅然としてゐたいものだ。

 面會中でも彼れは、頗る朗らかであつた。少しの悲嘆する樣子がない。尤も、心中は別であらう。誰れが好き好んでこのやうな場所で生活しようと思ふのか。
 ところで警視廳では四月一日から一切、喫煙が出來なくなるとのこと。野生が以前、お世話になつた時は、朝の運動の時間は固より、取り調べの間は喫煙も出來てゐた。今では取り調べの最中でも喫煙は許されない。來月からは、運動の時間も禁煙になるといふ。今日、國信兄からこの事を聽いて始めて知つた。
 恐れを知らず、且つ、豪放磊落な彼れであるが、四月一日からの禁煙には、いさゝか弱音を吐いてゐたところが面白い。


 國信兄の假り住居である麹町警察署を出て、木川兄と 宮城へ。二人で遙拜す。而、只今、歸宅。
[PR]

by sousiu | 2012-03-28 21:58 | 報告

正氣重ねて發生の時は必ずある也矣。 

 土曜日は、維新政党・新風の講演會で、卑見を披露。
 講演の内容は説明するに價せないので扠措き、所謂る右翼とは違ふ土俵で戰ふ人達の、純然たる熱氣を體感したことは野生にとつて良い刺戟であつた。
f0226095_22133.jpg

 
 さういへば清河八郎正明先生に就ての話題を中斷してゐる。「勤皇唱始」「囘天倡始」の名を擅としてゐる清河先生も、それ以前に長らく語り繼がれ、研究され盡くした尊皇心養成の期間あつたればこそ、その人となつたことを忘れてはなるまい。

 諸説のあるも野生は、明治維新を、嘉永六年彼理來航から、明治四年の廢藩置縣までと定義してゐる。
 となればその期間は十八年だ。
 ところで、江戸幕府の創始者、家康の征夷大將軍に任ぜられたのが紀元二千二百六十三年、慶長八年であるから、幕府の壽命は紀元二千五百三十一年、明治四年までの二百六十八年間だ。
 さらに遡り、鎌倉幕府の創始者、源頼朝が征夷大將軍に任官したのが紀元一千八百五十二年、建久三年だ。(因みに、1192つくらう鎌倉幕府、是れ也。餘談ではあるが、近年では頼朝の實質的權力機構がそれ以前より存在したとの通説から耶蘇暦1185年を鎌倉幕府設立とするやうである。しかし如何なる理由があれ、野生は頼朝が天朝より征夷大將軍に任ぜられた1192年を鎌倉幕府設立の年と認識せねばならぬと思ふのである)
 つまり政權が武門に下り、その間、實に六百七十九年。この久しきを瓦解させるに要せられた時間は、意外にも僅か十八年であつた。
 勿論、時代の後押しがあつたことは爭ふ可からざる理由として擧げねばならない。だがしかし、さうした時代の要求に勝へ得る忠良臣民の働きがあつたことも又た忘れる可からざる事實である。この十八年間は、それ以前の六百六十年間があつたればこそ、だ。換言せば、六百六十年といふ、現世の住人では途轍もなく長く感じられるこの期間の集大成が、維新十八年といふ期間に凝縮されたのである。

 學校では、この六百六十年間に存在した、尊皇の大家あるを教へない。固より人の一命鴻毛の如く輕きとした時代に比すれば赫きも乏しいので、ドラマにもならない。あの徳富蘇峰翁でさへ、『元祿享保中間時代は、徳川幕府の演劇中に於ては、先づ、だれ氣味の一幕である。~中略~ 併し歴史は小説ではない。縱令其の山無しと雖も、時代の引き續きとして、書く可きだけは、書かねばならぬ。斯る時代を記録する史家の苦心は、讀者にはとても分る可き樣はないが、さりとて若干の諒解はありて然る可きであらう』(『近世日本國民史 第廿卷』大正十五年二月十七日「民友社」發行)と、珍しくその苦情を漏せてゐる。(因みに織田氏時代を一卷として起稿せられ、明治時代の百卷で脱稿された『近世日本國民史』に於て、彼理來航は第卅一卷である。記録の豐富でないことが理由の一つとしてあげられるも、如何に黒船來航以前が作家の書くに容易能はざる時代であり、以降が如何に筆の進む輕やかなりし時代であることか、自ずと察せらるゝといふものだ)

 されど、徳川泰平の時代と云ひながら、人材は決して皆無で無かつた。否、能く々ゝ觀察すれば、人材の寶庫だ。尤も人數を以て野生は寶庫と云ふでなく、その少數派たる各士に就て云ふ。皆が皆、幕府の權勢を恐れて林羅山とその子孫や關係者の如き怯懦者、小心者、不逞奴、盲人、宦官、癡漢ばかりでは無かつたのである。遺憾ながらも現在の埋れ木に藏される尊皇家あつてこそ、華華しき明治維新の舞臺に上がる役者の用意されたことを、吾人は決して忘却してはならぬのである。
 それゆゑに吾人は自ら歴史の筐底に祕せられた傑物偉人を再び起こして學び、出來得可くんば顯彰せねばならぬ。平成の今日、日本人は單なる戰前囘歸に止る可きではない筈だ。

 さて。平成第廿四年、時代は嘉永六年の如きであるか。野生は世相を公平にみて、累卵の初期であることは認めても、未だ同日の論として看做すことは出來ない。
 だがしかし、いづれにせよ、將來の近きと遠き、望むと望まざるとに關はらず、嘉永六年の如き、眞に危急の秋は否應無く再び巡つてくる。その際に我れらが備へておく可き大事は何であるか。按ずるに野生は、軍備然りと雖も、先ちて要せられる可きは、忠義の狗となるとも亂離の人とならぬの士であると思ふ。
 野生は、講演會終了後の新風の黨員や關係者諸兄と箸を交へながら、かくなる人士の多くあるをみ、日本未だ滅びざれば正氣重ねて發生の時は必ずあることを再び確信した次第である。


 奇しくも、同日講演前の正午、有志が集ひ、皇城を遙拜。
 天朝に連なる學問や思想を腦味噌で學ぶだけでなく、尊皇大家の志操を心でも學ばねばならぬ。かく志望した有志と共に野生も、寛政の高山彦九郎先生を平成の御代に顯彰せむことを決意。その名も『三條の會』。命名者は木川智君。いふまでもなく、「三條大橋」から命名したものである。
f0226095_2211544.jpg

 又たこの日の晝、國信隆士君が逮捕されたと御一報を賜はる。
 彼れも「三條の會」の參畫者。この日の遙拜には參加出來なかつたが、毎朝、麹町警察署に於て 宮城に向ひて姿勢を正し、つゝしんで遙拜を行ふことであらう。
[PR]

by sousiu | 2012-03-27 01:20 | 報告

論ずるべきはことの是非に在らず、その衷情に在り矣。 

<切断された小指?届く 中井洽衆院議員の事務所に脅迫状>


 中井洽(ひろし)・衆院予算委員長の衆院第1議員会館(東京都千代田区)の事務所に12日、切断された手の小指とみられるものや脅迫状が入った箱が届いたことが、警視庁への取材でわかった。同庁が脅迫容疑で調べている。

 麹町署によると、小指のようなものは瓶入りで、脅迫状やナイフ(刃渡り約8センチ)、DVD1枚とともに靴の空き箱に入っていた。脅迫状には血の手形が押され、「皇室を政争の具にした」「天誅(てんちゅう)が降りるものと覚悟せよ」などと書かれていた。差出人は右翼団体幹部を名乗っており、広島県内から発送されたとみられるという。↓↓↓↓

http://www.asahi.com/national/update/0312/TKY201203120513.html
[PR]

by sousiu | 2012-03-13 15:02 | 報告