カテゴリ:良書紹介( 56 )

『日本を知れ』  徳富猪一郎翁著  貳 

 <承前>

「同」項『自然石と人造石との相違』に曰く、
『唯強ひて違ふと云へば、日本の歴史は自然に發達した。言うて見れば、同じ石ではあるけれどもが、日本のは岩、彼等のは鐵筋コンクリートである。即ち我々のは自然に出來、向ふのは人造で出來た。氷で言へば我々のは自然氷、向ふのは人造氷冷たいことは同じである、硬いことは鐵筋コンクリートでも岩でも同じである。併しながら我が日本の方は、歴史を三千年以來もつてをつて、自然に發達し。向ふは謂はゞ世界大戰後の國家、粉々擾々殆どが統一出來ないときに、英雄のムツソリーニ、英雄のヒツトラーが慨然として身命を賭して日本を模範として新しいところの體制を始めた。我々が向ふを眞似たんぢやない。向ふが我々を眞似たのであります』。


著書の末尾にて、蘇峰翁の曰く、
我國は相模太郎の如き男兒があつたのだ。昔あれば今日もある可き筈であります。昨年採れた松茸山には、今年も松茸が出來るのであります。昨年取れた竹林には、今年も筍が出來るのであります。北條時宗の如き日本男兒が、弘安四年にゐて、膽甕の如く、毅然として蒙古の襲來を斥けたとしたならば、昭和十六年には、決して一人や二人の時宗がゐるどころでは無い。一億の我等臣民が皆な北條時宗である。我等は既に其の覺悟が出來てゐる筈であります。これを以て私のお話を終りと致します」と。


 愚案。「此儘では日本は崩壞するぞ。滅亡するぞ。消えて無くなるぞ」とは、既に衆人の聞き馴れた脅し文句である。
 誰れぞ振り向く者あるべし。これが神州不滅を確信する能はぬ終末論者どものケチな口上であることは、以前當日乘で記したとほりだ。
 さるにても。蘇峰翁は、歴史家として一流の人であつたが、此の書を讀むに、アジテーターとしても一流の才があつたことに疑ひを容れない。

 現在、蘇峰翁ありせば、如何なる警鐘と奮起とを我らに與へたまうたであらう乎。
 これほどまでに齒切れ克く、希望を提供し、かくして人心を赫熱の如く燃え上がらせ、人をして振起せしむるだけの文言を、小生は現在の保守論壇から探すことが難しい。
 あちらもこちらも我が國の愚癡ばかり。左翼的反日主義者も、反日的左翼人も、左翼的愛國主義者も、愛國的左翼人も、胎盤を同じうする戰後の落とし兒だ。若しも疑ふ者あらば、戰後の政界をとくと觀よ。こゝに詳しく證されてをるではないか歟。最保守である筈の「自民黨」を、何びと是れが眞なる「救國黨」「愛國者一團」と信じる者ある。
 自稱反日も自稱愛國も詰まるところ至深處は同じ見識だ。神州日本を解つちやゐない。だから總じて自虐的だ。幻滅的だ。失望的だ。
 哀れなるかな哉、齒切れ克く恥部を晒すことにのみ而已巧みとなり。果たして愛國心が本道にあるの乎、否乎、小首を傾げざるを得ぬ自稱保守さへ現代に目立つ。
 
 政治家など概して期待出來得るものではないが、目下、保守派然り。小生は勿論然り、右翼のなかでも、蘇峰翁の目と口とを持つ者の尠くなりつゝあることが、國民を一層の不幸に貶しめてゐるのだ。噫。

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by sousiu | 2010-07-06 03:44 | 良書紹介

『日本を知れ』  徳富猪一郎翁著  壹 

 小休止。磯兄による玉稿の振り假名も殘すところ、つひに一割の段階にて。

 昨日、不貞寢しようと煎餠布團に潛り、一昨日、古書肆より屆いた『日本を知れ』(徳富猪一郎翁「東京日日新聞社/大阪毎日新聞社」昭和十六年十二月十五日發行)を讀んだ。

 ついゝゝ、最後まで讀んでしまつた。氣付けば午前十時。おたくならぬ、廢人同樣の生活だ。
 さう。既に御氣付きの御方も多からうと思ふのであるが、小生の素性はつまり、能く云へば浪人、俗に云へばフリーターだ。赤面。


卷頭の自序に蘇峰翁曰く、
佐久間象山先生の歌に曰く。
試みにいざやよばん山彦の答だにせば聲は惜しまじ
寔に皇を尊び、國を憂ふる志士の心境を道破したるものと謂ふ可し。
予又た私かに此の心を以て心とする者。本書を一讀するの君子は必ず斯心を諒とせん
』と。

 其の内容たるは、
「明治維新に學ぶ」「二千六百一年の展望」「三國同盟に就て」「大詔を拜して」「太平洋を眺めて」
 と、五項目の順序によつて構成されてゐる。
 本旨をはからむとすれば、察するに、蘇峰翁による國民に向けての覺悟の要求だ。要求と云はずんば確認だ。
 何に對する覺悟乎。つまり國防だ。救國だ。
 何の爲めの覺悟乎。つまり東亞の解放だ。新秩序の建設だ。

「三國同盟に就て」項『理想的國家を日本に見出す』に曰く、
『これ等の點に就いては、もつと彼等(獨・伊のこと)に對して恥ぢないやうに、彼等からむやみに引き摺られないやうに、出來るならば左にイタリアを、右にドイツを引つ提げて行きたいと思ふ。本當に私はさう思ふ。彼等は日本に對してどこを買つてゐるか。科學的の研究は、ドイツは日本より勝つてゐる。又いろゝゝの點に於いて、イタリアの人の勝つて居ることも澤山ある。しかしながら彼等兩國の人々、特にイタリアを代表して居るムツソリーニ首相、或はドイツを代表して居るヒツトラー總統、これ等の人々の日本に打ち込んで居るのはどこであるか。それは彼等が理想的國家といふものを、日本に見出して居るのである。
彼等は既にデモクラシーにも大いなる經驗を持つて居る。彼等は既に社會主義にも大いなる經驗を持つて居る。彼等は既に共産主義にも大いなる經驗を持つて居る。彼等は既に自由主義にも大いなる經驗を持つて居る。彼等は既に民主主義にも經驗を持つて居る。純乎たる社會主義も面白くない。共産主義は尚更面白くない。何をそれではやるか、彼等はこれを名づけて總體主義と申しますけれども、これは所謂る「浪花の葦は伊勢の濱荻」で--彼等は總體主義といふが、實は日本の國體を彼等は眞似してゐるのであります。
國體はそのままには行かぬけれどもが、日本國民がいざとなれば、天皇陛下に一切を捧げると云ふこと、その捧げるところの奉仕的精神、獻身的精神を、彼等は國家及び民族の名に於いて、國民に向かつて要求して居るのであります。それでつまり名は違ふけれども---實は全く同じとは申されませぬけれども、稍々同じであります』。※()括弧は小生による。

<つゞく>
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by sousiu | 2010-07-06 02:55 | 良書紹介

日露戰爭實記  捌  

 明治卅八年十二月十三日發行 第百八號「梅澤旅團 壯烈譚」所收


『七  助かる傷ではありませむ』

 明治三十八年二月十二日午前八時、近衞後備歩兵第二聯隊の戸澤大隊の松田中隊より、鈴木分隊を出(いだ)して、前哨戰なる歪頭山村の東方松林に、獨立下士哨の任に付かしめ、嚴重に敵を監視せしめたるが、時しも前方の一部落前松木堡子の村端より、約二個小隊の敵の歩兵現はれ出て、其の動作より察すれば、正に是れ斥候の任を帶ぶるものゝ如し、於是(こゝにおいて)小哨の位置に在りし、小隊長星野中尉は、喇叭手松澤磯太郎氏を傳令として、下士哨兵鈴木軍曹に、其の敵を邀撃(えうげき)すべく命じたり。喇叭手即ち旨を奉じて其任を全うし、將に歸途に就かんとせしが、敵は已に近距離に肉薄し居たれば、哨長部下の兵士と共に、忽ち壕内に散開し、急射撃の下に、敵に多大の損害を加へ、其の企圖を達しめず、遂に死傷者を遺棄して、之れを敗走せしむるに到つて、共に快哉を叫びつゝ在りし、折しも此とき前面の高地なる、敵の野砲陣地は、約八門の砲火を、此の松林中に集中したりければ、我が哨兵の損傷するもの多く、喇叭手もまた其の斷片の爲に、一は左大腿に、一は右肺上部に、共に貫通損傷を被りたるも、性來沈着にして、勇敢なる彼れは、此の重傷に屈せずして、尚ほ銃を擬して、敵を撃たれむと身構ひ居たるを、傍(かたは)らの戰友之を助けて、他に負傷せる、大澤、大川の二兵と共に、一先づ本隊に收容し軍醫をして應急手當を施さしむる事となしけるに、喇叭手は微(かす)かに其の眼を開き『軍醫殿、私は迚も助かる傷ではありませむ、唯今御懇篤なる御手當を煩はしても、やがては手術臺上に露と消え行く身ですから、何卒(どうぞ)其れよりは、此處に居る二人の戰友は、私よりは至つて輕傷の樣子ですから私を捨てゝ、早く戰友を御手當の上、速かに全治の後、再度戰場に出でゝ、花々敷(はなゞゝしき)御働きをさせて下さい』

 嗟矣(あゝ)何等壯烈の言辭ぞや、軍醫は之れを聞き了つて、熟々彼れを凝視し居たるが、やがて眉間に決心の色を現しつゝ今迄堅く閉せし其の唇を破つて、
『善(よ)し判つた、汝が立派なる今の一言は、是れを我が全軍の士に聞かしめたならば、其士氣を振興する事何(ど)れ程であらうか、予は謹むで茲に汝が意志に副つて先づ二人の者に手當をするであらう、と、双頬に傳はる涙を、空拳に押し拭ひつゝ、他の二名の手當に着手すれば、彼は之れを熟視しつゝ、■[草冠+完]爾(くわんじ)と計(ばか)り笑を漏らして、
 有難う御座います種々御世話になりましたが、最早御別れを致します、中隊長殿始め、戰友諸君に宜しく御頼みいたします、私は地下より諸君の戰功を
 張り詰めし氣の急に緩みてや、ドツと一息血を吐きつゝ、芳魂遠く天に歸りて、勇敢なる此の喇叭手は、遂に白玉樓中の人と成りぬ、越えて翌日、彼れが遺骸は一片の煙りと化して、其の名は花匂嶺麓の楊樹の下に、特に手厚く葬られて、一基の墓標長(とこしへ)に、忠勇義烈なる喇叭手の名が刻せられたり。



(文中、振り假名及び、■[]()は小生による)


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by sousiu | 2010-05-22 04:53 | 良書紹介

日露戰爭實記  漆  

明治卅八年十二月十三日發行 第百八號「梅澤旅團 壯烈譚」所收


『六  酒料を生前の戰友に贈る』

 八月十五日小干河子に於て敵騎を發見するや、歩兵上等兵渡邊寅吉氏は、挺身邁往、肉薄して、大(おほい)に之れを撃破し、爲めに重傷を負ひて、遂に後送せられむとするや、此の時所屬の小隊長及び、氏の戰友等は、倶さに之れを劬(いたは)り慰め、辭を盡くして其の快癒の一日も速(すみや)かならむ事を説き、藥餌を之れに勸むるも、彼れは到底其の起たざるを自覺して、戰鬪今より幾月に渉らんも知るべからず、而して幾多の輕重傷者の生ぜむも測り難く、醫藥の料の如き多々益々其の必要を見るべきに、予等(よら)微功だもなきものゝ、是れを消耗する事、甚だ心苦しき限りなり、憾むらくは武運誠に拙き身の、やがて戰場の露とも散らで、生き存(なが)らへて、恁(かゝ)る厚意を煩はす事の口惜しさよ、と毫も其の苦痛を表はさず、後送の途中、戰友に遺言して、其の所持の金員中、一半は之れを郷里父母の許に致せ、他の一半は、聊か分隊の勞を慰むる爲め、酒料として生前の戰友に贈られむ事を、と述べ了(をは)へて、敢てまた其の他を謂はず、終(つひ)に瞑せり、友愛の情の切實なる、聞くもの感歎せざるはなし。

(振り假名は小生による)


(七)に續く
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by sousiu | 2010-05-21 21:35 | 良書紹介

日露戰爭實記  陸 

明治卅八年十二月十三日發行 第百八號「梅澤旅團 壯烈譚」所收


『五  病院は我が死處に非ず』

 是れも同じく一聯隊第一大隊付なる輜重■[左「車」+右「兪」]卒(ゆそつ)相田傳吉氏は、出征以來暫時にして夜盲(よめくら)となり、朝鮮行軍中の如きは道路嶮惡の爲め、夜間に亙る事屡々なれば、一層其の困難を加へたるべきも、■卒(ゆそつ)は常に準備周到にして、曾つて集合に後れたる事なく、戰友は、■卒(ゆそつ)が夜中の困難を見るに忍びず、代る々ゝ相保護して、其の手を曳きて先導し、到着後も馬匹の休養及び其の萬般の事を助け居たるが、彼れは恁(か)く迄に戰友を煩はさむ事を慮り、夜間馬側を離れず、戰友勸むるに入院治療の事を以てするも、■卒(ゆそつ)が倒れて休むの決心は遂に之れを動かす能はざりき、然るに彼れは不幸にも、鳳凰城に於て風土病の侵す處となり終(つひ)に同處に殘留するの止まむなきに到り、一時本隊と離れたるが彼れは入院中も、何卒今一度本隊に復し、せめては其の任務の爲に斃れたく、『病院は我が死處にあらず……』と、切に乞うて止まざれば、軍醫も、■卒(ゆそつ)の熱誠を感じ、稍々(やゝ)其の囘復に赴けるを以て、彼れの所願を達せしむる事となしければ、彼れは雀躍(じやくやく)抃舞(べんぶ)して、本隊に來り合し『隊長殿、漸く赦されて歸りました』と、其熱心驚くに堪へたり。

(文中、振り假名及び、■[]()は小生による)

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(六)に續く
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by sousiu | 2010-05-21 01:14 | 良書紹介

日露戰爭實記  伍  

明治卅八年十二月十三日發行 第百八號「梅澤旅團 壯烈譚」所收


『四  巨彈飛來』

 沙河會戰に際し、彼我兩軍對陣中の事なりけり、一月廿九日より三十日に渉りて、敵は我が陣地の全線に向つて、總攻撃を開始せむと揚言し、廿九日の黎明より、數十里に亙る我が守備線上に、山、野、重、臼各種の火砲を集めて、砲撃を開始し、虚(すき)あらば乃ち突出せむとするの状況を示せり、而して殊に我が軍左翼前面の敵は最も優勢なるものにして、砲彈の交叉甚だ激烈を極めたり、黒溝臺の戰鬪是れなり。

 此日我が梅澤旅團の前面に於ても康大人山、康家屯石山、三城子山の各砲兵陣地より猛射せられたるが中にも、其部下第一聯隊の守備せる、歪頭山の如き、遠近の進出路を扼すに、最も有利の監視線なるを以て、砲撃を蒙る事又實に甚しく、數百發の巨彈は、嶺上嶺下を掠め來つて、危險固より謂ふ計りなし。茲に同聯隊第三中隊歩兵一等卒宮澤爲次郎氏は、此の危險の中心たる山頂の監視硝として、其の任務に服したるが、午後三時、敵は益々猛射を逞ふし、岩石碎破の斷片を飛散せしめ、頭上爆彈の彈子は、雨の如くに振り注いて進出せむとするの状況あるに依り、監視の任、一分時も之れを忽(ゆるがせ)にす可からず、而して一等卒は此の危窮の場合に處して、神色自若、遙に敵兵を睥睨(へいげい)し、其の行動の如何を監視し、身を以つて其の任務を盡さむとす、偶々巨彈飛來して、一等卒が耳邊を掠むるものあり、一等卒爲に昏倒窒息するもの數分時、戰友の巡察し來るに會し、其の救護する處と成りて僅に蘇生する事を得たるも、身體を檢すれば、右耳上に擦過砲彈創を受けて、流血淋漓たり、中隊長坂本豐吉氏、其の砲創の爲に、凍寒の身を冐(をか)すの危險あるを以て、諭して入院治療せしむる事となせり、宮澤一等卒の如きは、眞に敵前に於ける行動として、其の命令と、其任務の重大なるに係らず一身を以つて之れを全うしたるは、誠に後進の龜鑑となすに足るべきにあらずや。

(文中、振り假名は小生による)


(五)に續く
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by sousiu | 2010-05-20 23:44 | 良書紹介

日露戰爭實記  肆  

明治卅八年十二月十三日發行 第百八號「梅澤旅團 壯烈譚」所收


『三  此の中尉と一等卒』

 小泉中尉と田卷上等兵が、敵前に於ける悲壯なる動作は前章之れを記せり。而して茲にはまた此の中尉と、此の一等卒あり、記し來つて涙痕(るゐこん)紙に乾く間もなし。

 十月十一日に後(おく)る事十六日、此の月廿七日、後備歩兵第廿九聯隊第二大隊は、歪頭山を攻撃して、頑強なる敵と會し、戰鬪漸く酣(たけなは)なり。是に於て山岡大隊は之れが應援として、左翼に連繋動作せり。當時歩兵少尉上林五助氏は近衞後備歩兵第一聯隊第八中隊に屬して、歪頭山の西南面より、同山中央高地に向つて進めり。然るに該山は斜面急峻にして、岩角凸出し、雜草之れを掩ひて、攀登(はんと)頗る困難なれば、部下やゝ躊躇の色なきにあらず、少尉此の情を見るや、先づ自ら其の靴を脱し、大乎して曰く、余を見よ、今や靴を用ゐず、と其の意蓋し決死を示せるなり。亦之れに勵まされて、共に相助けて、一氣に敵前五十米突に近接し、盛んに敵を猛射したるも、而も敵兵頑強に死守して降(くだ)らず、戰鬪は、刻一刻より猛烈を極め、死者續出して、光景甚だ悲慘なり。少尉扼腕、同僚少尉六角三郎氏を促がし、進むで敵に突入せむとするや、一彈少尉の額に命中し、勇ましき少尉は『前へ』と叫びて殪(たふ)れぬ。之れと同時に一等卒高師三之助氏も亦、敵彈の爲に頭部に負傷せしも屈せず、少尉の繃帶を施し、之れを抱きて他に移さむとすれば、少尉は『萬歳』と叫びつゝ逝けり。少尉臨終の此の一言の、如何に彼れが心肝に徹したるか、彼れは尚ほ容易に亡き少尉が傍を去らず、涙に曇る其の聲を振り立てゝ、『少尉殿萬歳』を連呼し居たるが、やがて突撃喇叭の聲を聞くや、一等卒は蹶然突進して、衆に擢(ぬき)むでゝ先頭に在る事約三十米突、逸(いち)早くも同山の最高點たる、三聖廟に到達し、右手(めて)には乃(すなは)ち銃を携へ、左手(ゆんで)には高く帽り振り翳して敵に面して、萬歳々々と連稱し居たるが、已(すで)にして大隊の同處に到着するや、唐家屯東北高地の敵砲は、茲に三聖廟を目蒐(めが)けて、急射撃を送りしかば、孰れも皆な掩蔽(えんぺい)の位置に移りしが、獨り負傷せる彼れ一等卒のみは、是れ我が上林少尉の吊(とむらひ)合戰なりと稱し、敵の砲撃を停止する迄、居然として同位置を去らず、やがては敵の敗走兵に向つて、頻りに之れを射撃しつゝ『少尉殿、私が敵を討ちました』

(文中、振り假名は小生による)


(四)に續く
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by sousiu | 2010-05-20 22:11 | 良書紹介

日露戰爭實記  參  

明治卅八年十二月十三日發行 第百八號「梅澤旅團 壯烈譚」所收


『二  是れ等勇士』

 十月十一日の戰鬪が、如何に猛烈を極めつゝありしか、是れも同じく同聯隊の同中隊に屬する、上等兵齋藤米三郎氏、又重傷を負うて倒るゝや、怒れる眼に血を注ぎつゝ前方の樹林を睨み、『アヽ、彼(あ)の樹林、彼の樹林に突撃する事が……殘念ツ』と、あはれ千秋の憾みを呑むで、本溪湖東北方高地の露と消え果てぬ。蓋し其の前方の樹林とは、我が散兵線を隔つる五十米突(めーとる)計(ばか)り、當日敵の據る處なり。然るに茲にまた同隊の一等卒松田榮藏氏も、力戰已(すで)に數時に及むで、其の右上肢に負傷し、再び銃を執るを得ず、而も顧みれば、戰友の死するもの愈々夥しくして、今や形勢漸く危からむとするや、悲憤慨歎禁ずる能はず、自ら創面を繃帶し、痛苦を忍むで、茲に彈藥糧食の運搬に任じたりといへるに、石井上等兵(猪吉)柳川一等卒(久)等亦等しく敵の傷くる處となり相顧みて曰く、『柳川やられたか、己(お)れも喰つたぞ、だがやれゝゝ今一息だぞ今が肝腎な處だ、……』『ヨシ、心得て居る餘り皆ンナで傷られた處を見せては、味方の士氣を弱らせるから、これは隱して……』『サウだ、其の氣でシツカリ……』、戰漸く止むに到つて、隊長親しく之れ等勇士を招き殊に其の拔群の働き振りを稱して讚歎激賞せられたり。

(文中、振り假名は小生による)


(三)に續く
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by sousiu | 2010-05-20 21:27 | 良書紹介

日露戰爭實記  貳  

明治卅八年十二月十三日發行 第百八號「梅澤旅團 壯烈譚」所收


『一  噫此の將士』

 明治三十七年十月十一日は、彼の沙河會戰中在つて、我が近衞後備旅團の最も奮鬪苦戰して殊に其の第一聯隊第三中隊の如きは、戰鬪未だ數時間ならざるに中隊の人員は、僅かに小泉中尉以下廿名を殘すのみなりき、此の時に當つて、勇壯義烈、人をして感歎措く能はざらしめたるもの、之れを同隊附故歩兵上等兵田卷松藏氏其の人と爲す。

 田卷上等兵、彼れは平常より寡言剛膽にして、事に當りて聊かも動ぜざるの風あり。此の日此の時下士勤務を以つて、一分隊を指揮し、陣地の突角部に在りしが、今や我が軍の死傷漸く夥多しくして、戰線次第に薄弱に陷り、士氣爲に沮喪せむとするを見るや、決然陣頭に進み出でゝ、悠々其の場に安座し、徐ろに部下を顧みつゝ、『小癪ナ露助奴、彈丸が恐くて戰鬪が出來ると思うて居るか、撃てば撃て、突かば突け、日本軍人の度胸骨には、彈丸は通らぬ、刄は立たぬ、守れや諸君、一歩も退くナ……』と、言ふ聲常の如く、逼まらざる事神の如し。

 噫、勇士、天晴れ無双の田卷上等兵よ、かくて敵彈の猛射も、遂に上等兵を動かす能はずして、戰鬪益々激烈を極めつゝあるの際、一彈側面より來りて、上等兵を襲ふと見る間に、上等兵は敵方の斜面に顛落せり、かくと見るより部下の兵は、走つて之れを救護せむとせしも、敵は三面より十字火を注ぎ來つて、又如何んともする能はず、相顧みて唯腕を扼するのみ。時に小隊長小泉中尉は、散兵線を巡視して、突角部に出で、彼れ敵情を偵察せんとするに、頭部と足部に重傷を負うて顏面、被服悉く血漿を以つて塗れ、氣息已に斷えなむとする、田卷上等兵が、血潮に染まりし其の左手を揚げ、何事か頻りに報告する處ある如し。部下の悲慘の此の状況を目撃したる、中尉の胸中其れ果して如何なりしぞ、直に之れを救助せんとすれば、上等兵は其の目を瞋(いか)らし。手を振りつゝ、切に危機の近けるを告ぐるに似たり。而してまた其の前面を指すを見れば、我れに十數倍せる敵兵は、今や我が陣地に向つて突撃を試みんとするの情を示して、僅々二百米突(めーとる)以内に逼り來れり。危機其の間實に一髮、上等兵の目を瞋らし其の手の振るもの蓋し垂死の境に在つて、尚ほ其の隊長を援護せんとするの意にあらずや。

 去らむか彼れ死すべし、去らざらむか彼れの衷情を如何せむ、而して敵兵は漸次に近き來れり、隊長聲を勵まして曰く、『田卷シツカリせよ、今敵を撃退して助けてやるぞ……』と上等兵は此の言を聞き、口言はんと欲して、音聲發せず、身起たむとして、四肢力なし、唯僅かに其の手を左右に振るもの、思ふに之れ自己の已に救ふ可からざるを訴うるものにして、而も左手尚ほ敵方を指して、切齒憤慨禁ぜざるものゝ如し。
 
 此の時に當つて、敵は猛然として突撃し來れり。中尉以下激戰奮鬪、僅かに其の前進を拒支し、相距る五六十米突を隔てゝ、日沒に至れり。於是(こゝにおいて)中尉は自ら岩角に下り、匍匐して上等兵を搜索すれば、哀むべし、流石勇悍なりける田卷上等兵は、右手(めて)に堅く銃を握り千萬無量の恨みを殘して、已に瞑目せるの後なりけり。噫此の將士、陣中語り傳へて何日も涙の種とそなりける。

(文中、振り假名は小生による)


二 に續く
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by sousiu | 2010-05-20 18:09 | 良書紹介

日露戰爭實記  壹  

 日乘も二日開けると久し振りの氣がする。
 前記した翌日は新宿の阿形先生の事務所へ御邪魔し、深夜までいつもの如く樣々な御話しを拜聽した。
 先生の事務所は資料の山だ。先生は「足の踏み場がないくらゐだろ?」と笑ひを交へてかう云はれるが、確かに凄い。だが換言すればそれは、我々民族派にとつての寶庫である。綺麗に整頓なされた本棚を見てゐるだけでも興味は付き無い。
 運動に關心の無き人には無價値であらうが、我々にとつては如何なる書籍よりも價値がある。
 さういふものである。


 その翌日、即ち昨日だが。深夜に阿形先生の事務所を失禮し、戻つて原稿を依頼されてゐたことを思ひ出し、二本を脱稿。氣付けば晝過ぎであつた。少し假眠し、夜は溜つてゐた手紙の返信と各種發送の用意。
 これはまた晝夜逆轉してしまふ乎、と案ずるや、今日もきちんと早起き出來た。ーで、今日の所用を濟ませて今に至る。


 さてゝゝ。小生が如き凡夫の一日を態々公表しても仕方あるまい。苦笑。
 此處に『日露戰爭實記』なる本がある。
 明治卅七、八年戰役の眞つ只中に月四囘、發行されてゐた。
 今では既に入手が困難らしく、小生の手許にあるものも襤褸々々だ。
 數十年後には無くなつてしまふかも知れない。
 來たる日曜日、宮城縣の道友らが擧つて上京し、海軍記念日を祝ふ運動を呼び掛けてゐるので斯ところ、寶藏せる『日露戰爭實記』を再び讀み直してゐたところだ。

『日露戰爭實記』は當時の生々しき資料だ。小生のこゝで云ふ、生々しいー、とは、「悲慘である」てふことでない。戰爭が悲慘であることは我ら日本人而已ならず何國の民も萬承知するところであらう。我らは改めて「火垂るの墓」なぞ鑑るまでもない。
 こゝでいふ生々しいー、とは、輕薄な好戰主義者の云ふ、或いはコスプレの軍隊マニアや鳥肌實らが輕々しく口にする軍國主義とも違ふ。恰も紙上に聲あり、當然の事ながら言葉に血脈あり、そして尊皇崇國あり。

 長文ではあるが、宮城縣の天晴れなる道兄らが上京する其の日まで、深き感謝と涙を以て記述掲載し、英靈のみたまの安らかならむことを只管熱祷するのみ而已。

 眞に國體護持に身命捧げむと誓ふ者の御清讀を願ふこと最早言を俟たぬが、輕はずみに英靈を冒涜する者。そして其れ以上に「國體」でなく「國民の生命と財産」護持を求めむが爲め建軍を要求する者。かうした護國の精神乏しく、人權尊重・主權在民に毒された人らの爲めにこれらの書は、其の身が襤褸と成りても未だ存生してあるのだと感じてゐる。

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by sousiu | 2010-05-20 17:09 | 良書紹介