カテゴリ:良書紹介( 56 )

異國人からみた日本人  ―ハインリツヒ・シユリーマン―  參  

  ~承前~

 文明の發達した現在と比すなれば、そは極端に尠くあるが、日本も以前から、他國との往來があつた。
 諸國の賢者は日本に來て、多くのものを學んだ。殊に日本人の精神の氣高きは絶讚と尊崇の對象であつた。
 西洋文化を頭から否定するものではない。然れど、西洋人而已ぞ識る西洋文化の限界に、彼らのうちの賢者は日本に曙光を求めてやつて來た例も尠くない。尤も、當時の日本人にとつて、彼らは招かざる客であつたかも識れぬが・・・。
 嘗て各國より注目・研究の對象であつた日本精神、今は何處。
 これを「敗戰」によるものと斷ずる人がある。いやゝゝ文明開化からだ、と斷ずる人もある。
 今、其の戰犯探しをあれこれするよりも、もつと大切なことがあることを忘れてはならない。
それ、我が先祖が、各國の諸賢をしてかの如く感動を與へるにたる人たちであつたといふ歴然とした事實である。そして今以て我が血に、その御先祖の血が繼承されてゐる現實を深く自覺す可きである。

影山正治先生曰く
『~人類は、「光は東方より」で、東方をよくよく見なければならないのだが、古い東洋の道が半面的であつて駄目なことは證明ずみである。それならば、中共シナはどうかといふと、これは結局半面的な西洋の道の借りもので駄目です。結局は一番東の日本なんで、日本は地政學的にいつても、東方の東の始めであると共に、同時に西方の西の最後であるわけです。太平洋を越えて、アメリカに隣りする西の最終であると共に、海を越えてシナ大陸に接する東の出發點であるわけです。~中畧~日本神話の中に、そして神話に發する日本歴史の中に東西眞の止揚者としての、眞の結び目としての、世直しのカナメになり得る本質的要素をもつてをるかどうかといふこと、即ち東洋とも通じ、西洋とも通じながら、東洋でもない、西洋でもない、それを結んで、もうひとつ高い次元への方向づけを成し得る本質を持つてゐるかどうかといふことです。日本はそれをもつてゐるのです』(『天皇論への示唆』昭和四十六年九月廿五日「大東塾出版」發行)

 我々日本人は、病みては迷ふ萬國の蒼生を救濟する義務を負ふ。固より我が國誕生の必要はそこにある。
 だのに、その我らが諸國に交じつて、否、先ちて周章狼狽して如何する。

 今再び、、欽慕崇敬の對象とならん爲めに必要なるは、純乎として且つ牢乎たる日本精神の囘復である。
 精神墮落の起因を「敗戰」に求むる者。敗戰は我が國から軍備を奪つたのではない。我々から國體觀念を奪つたのである。であるからしてこれを取り戻す可し。
 精神腐敗の起因を「文明開化」に求むる者。「文明開化」は和魂洋才ならずして、洋魂洋才へ溺れたが爲めのものである。であるからしてこれを改むる可し。

 我らが體内に流るゝ其の血液は、異國人を斯く感動せしめた偉大なる御先祖の血であることを、改めて確りと肝膽に銘ず可し。


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                  シユリーマン旅行記 清國・日本

 讀了し時計をみれば今朝の九時。慌てゝ假眠し午後から義信塾主催による驛頭演説。
倒れるかと思つてしまつた・・・・。本道に何事もほどゝゞが一番だなア。とほゝ
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by sousiu | 2010-05-09 23:13 | 良書紹介

異國人からみた日本人  ―ハインリツヒ・シユリーマン―  貳  

 ~承前~

 北京より日本に向かふ船上にて曰く、
『われわれは六月一日朝六時、日本で最初の、小さな岩ばかりの島が見える地点に到着した。私は心躍る思いでこの島に挨拶した。これまで方々の国でいろいろな旅行者に会ったが、彼らは感動しきった面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである

 來日してのち曰く、
『船頭たちは私を埠頭の一つに下ろすと「テンポー」と言いながら指を四本かざしてみせた。労賃として四天保銭(十三スー)を請求したのである。これには大いに驚いた。それではぎりぎりの値ではないか。シナの船頭たちは少なくともこの四倍はふっかけてきたし、だから私も、彼らに不平不満はつきものだと考えていたのだ』

 曰く、
日本に来て私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明がつくりだしたものであることに気がついた。寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要ではないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それらぬきでもじゅうぶんやっていけるのだとわかったのである。もし正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいござを用いることに慣れることができたら、今と同じくらい快適に生活できるだろう。もしヨーロッパの親たちが日本の習慣を取り入れて、子供たちの結婚準備から解放されたら、それはなんという励ましになるだろうか』

 曰く、
日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。しかも気候が素晴らしい。いつも春の陽気で、暑さにうだることも、寒さを嘆くこともない』

 曰く、
『これは騎士制度を欠いた封建体制であり、ヴェネチア貴族の寡頭政治である。ここでは君主がすべてであり、労働者階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる

 曰く、
『こういううんざりするするような過剰警備に抗議をしたが徒労に終わったし、またその理由をあれこれ憶測してみたがそれも無駄だった。役人たちが欲得ずくでこのげんなりするまでの警備に励んでいるのではないことはよく承知している。だからなおのこと、その精勤ぶりに驚かされるのだ。彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら「切腹」を選ぶのである』(原文ママ)と。

  ~續く~
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by sousiu | 2010-05-09 22:18 | 良書紹介

異國人からみた日本人  ―ハインリツヒ・シユリーマン―  壹  

 トロイアを發見したとして有名な獨逸の考古學者、H・シユリーマン氏。
 彼は四十三歳で世界漫遊に旅立ち、支那を遊歴したのち來日する。時之皇紀二千五百二十五年、慶應元年の七月十五日。當時我が國は尊皇攘夷眞つ盛りとも云ふ可き時期である。

 支那に於て氏は上海、烟臺、天津、北京、萬里の長城を巡り、日本では横濱から吉原、八王子、そして江戸巡りをしたさうだ。氏は各地に赴きそこに住む人々や文化を觀察し、詳細に亙つてこれを記載してゐる。
 日本ではそれこそ錢湯、遊廓、芝居劇場、農村、寺院、大名屋敷、そして愛宕山まで赴いたといふ。

 その模樣が彼の處女作『シユリーマン旅行記 清國・日本』(ハインリツヒ・シユリーマン著/石井和子譯・平成十年四月十日「講談社學術文庫」發行)に克明に記されてゐる。
 當時の國民の生活、價値觀を具に傳へられてをり、面白い。
 氏の日本に對する知識の乏しさから乎、見當外れの感想もまゝあるが、それも亦た面白い。
 よつて御奬めの一册として御紹介申上げる。

 興味深いのは、清國と日本との印象の相違だ。そは對照的であるとさへ去つて宜い。

 彼による清國に於ての感想は、「宿泊施設は石のベツドで部屋は酷い惡臭」「食事が不味い」「町は埃に襲はれ呼吸が困難」「乞食に付纏はれる」等々不滿が多い。
 譽めてゐるのはわづかに「萬里の長城から見る絶景」と「芝居の演技が素晴しい」といふ程度であつた。

 シユリーマン曰く、
『私はこれまで世界のあちこちで不潔な町をずいぶん見てきたが、とりわけ清国の町はよごれている。しかも天津は確実にその筆頭にあげられるだろう』
『どうしてもしなければならない仕事以外、疲れることは一切しないというのがシナ人気質である、これは言っておかなくてはならないだろう』と。

 扨、次に掲げる日本に於ての彼による感想に、暫し注目せられよ。

 ~續く~
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by sousiu | 2010-05-09 21:51 | 良書紹介

御奬めの一書

四月十五日。小雨。


 近頃の春の陽氣がまるで嘘のやう。今日は新橋で諸先輩と會議があり新橋へ向かつたが、
新橋驛前の氣温は六度である、とのこと。
 今年に始まつたことではないが、異常氣象も既に珍しくなくなつてゐる。
 萬民、神譴を恐れよ。「地球サミツト」などでは如何にもならぬ。それを我らがあれこれ云つたところで、なほ如何にもならぬ。祈る可し。祈る可し。


 今日は、注文した本が屆いた。嬉しい。

 『現代語から古語を引く辭典』(三省堂) 定價三千二百圓。

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 備中處士樣より獎められた一册であるが、實にこれが宜しい。
 從つて、この日乘でも御紹介申上げる次第である。

 先日、大東塾に訪問した際、諸兄と「言葉」について話しが盛上がつた。
 さすがと云ふべきか大東塾諸賢、見識が深く、且つ情熱的である。有意義なる時間はあつと云ふ間に過ぎ去つていつた。
 (其後の顛末は四月十日記を御一讀されたし、苦笑)

 ちやうど、うたについても少しづゝ學びたい、と考へてゐたところ。
 古人の遺文、玉稿も、もつとゝゝゝ拜讀したい。

 
 樂天では品切れ、アマゾンにて在庫がある由。御參考までに。九拜
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by sousiu | 2010-04-15 23:58 | 良書紹介

推薦一書

 早朝、産土大神の御社を參拜。戻り朝食をいたゞく。小雨。

 昨日コメントを下さつた備中處士樣は小生が深く私淑する御方、今は九段塾の管理人として文章報國に携はつてをられる。
 小生これまで、我ながら良き師、良き先輩、良き同志、良き後輩によくぞこゝまで惠まれたものだと本當に熟々感じ入り、常々感謝してゐる次第であるが、この御仁に受けた影響も尠くない。

 備中處士樣との御縁は、閒接的に故神屋二郎先生といつてよい。
 そして、更にその御縁を深めるに、惜しまず力を貸して呉れたのは、さう、坂田賢兄も欽慕された故相原修兄なのである。修兄は神屋先生の一門人であつたと云つても、誰しも毫も否定するまい。修兄もそれを誇りに感じてゐたことは、兄の遺稿よりうかゞひ識ることが出來る。

 その神屋先生と修兄の靈導によれるもの。小生は斯く思つてゐる。これを靈妙といはずして何と云はう。

 こゝで備中處士樣の御承諾もなく勝手に諸賢へ御紹介致し度いものがある。備中處士樣の開設する『九段塾』。是非同志賢兄に御一覽を御奬めする。
 

 http://9112.teacup.com/bicchu/bbs
 ■□■九段塾/靖國神社の正統護持のために■□■

 こゝ「一艸獨語」に來られる顏ぶれを見るに、行動右翼の中でも小生と違つて一風變はつた、あいや(元へ)、骨太の方々。
 機會あらば「九段塾」にて是非御發言なされるが宜しいでせう。(失言蒙御免・苦笑)

 
 書籍ではないが、家(ホームペヱジ)と申すくらゐなので、小生御奬めの良書てふことで・・・・。
 御後がよろしいやう・・・・でもないか、別に。



 備中處士樣、今後とも何卒、御敎導賜はらむことを。

 日文字樣、かうした更新はならぬのでせうか?まるで内輪ネタですね、汗。
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by sousiu | 2010-03-24 11:18 | 良書紹介

『私の國語敎室』

 國語表記についての話題が多く、洵に恐縮至極。御笑覽くださる皆樣に於かれましては何卒御許しあらむことを。

 小生、ネツト及び機關紙に限らず、生活するうへで用ゐるは凡て之、正統假名遣ひ及び正漢字である。無論、メールも手紙も、封筒の宛名までも、である。
 其の所爲もあつて乎、知人から「正統假名遣ひを勉強したいが・・・」と訊ねられることが屡々ある。だがしかし小生も同樣、勉學の中途にありせば人に敎へるだけのものもなし。よつて知友には良書を御薦めし、專らこれに委ねてゐる。
 今日はこゝに其の一册を御紹介したい。
    

     『私の國語敎室』 著・福田恆存氏 (文春文庫)

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「現代かなづかい」が正しく書きこなせる人になら、一、二週閒の短時日をもつて歴史的かなづかひの實際に通ぜしめることが出來るー、と福田恆存氏は讀者我々に傳へてゐる。
 實に分かり易く説明がなされてをり、諸例もふんだんに用ゐられてゐるので、難なく學習することが出來る。
 亦、福田氏の、對する羅馬字論者の惡戰苦鬪にも觸れてをり、其の邊りも非常に興味深い。
 
 必讀の一書である。
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by sousiu | 2010-03-20 07:43 | 良書紹介