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學問者樂物也矣 

 昨日、今日と、阿形充規先生の事務所に御邪魔し、遲くまで御尊話を拜聽。先程歸つて來た。

 野生は金も無い。輝かしい經歴も無い。學歴は勿論のこと。先覺志士のやうな能力も無い。野生の持てる力だつて瑣細なものであつて大したものではない。
 何も無い野生であるが、我れながら、教へてくれる人には惠まれてゐると思ふ。
 恥づかしながら野生、馬齡を重ねてみるも、何をかひとつの達觀をすることもなく、恥づかしながら現在に至つてゐる。であるからして、只管ら勉強するほかない。野生、まだ放電するほど畜電されてゐない。充電期間だ。
 その充電すらをも怠れば、共に夢を語り、志半ばで幽明境ひを異にした仲間や先輩、或いは今猶ほ獄中に座す同志に顏向けが出來ないのである。

 但し、おぼろげながらも勉強の仕方がこの年になつて少しづゝ解つてきた。不思議な事にそれと同時に面白さも増してきた。
 本年、目出度く定時制高校を卒業した大日本誠流社・森浩二會長が、『この年になつて初めて學問の樂しさが解つた』と云はれたことを思ひ出す。野生の場合は、學校ではなく、先進に教へを乞ひながらの牛歩であるが、森先輩の氣持ちが少しはわかる氣がするのである。
 最近、野生の周りの人達も、この森先輩と同じ氣持ちであるのか、これまでと違つて、道を追及しようとする氣持ちが頗る強い。それは迚も良いことだと思ふのである。
 地方の有志ばかりでなく、都内でも廿代の若者も然り。神奈川縣でも護國鐵拳隊・海法文彦主はじめ現在、國學の研究に熱心だ。

 阿形先生も、おん年七十を越えて、まだ、毎日のやうにあちらこちらへお話を伺ひに行くと云ふ。
 『弘道者何。人能弘道也。道者何。天地之大經。而生民不可須臾離者也』とは、藤田彪(東湖)先生の『弘道館記述義』の冒頭文だ。實は、大變意味の深い言葉である。
 日本にとつて正しい學問に裏付けられたる見識、日本的精神を根幹とした人格の形成、そして勇氣。
 これらをなくして悲觀と絶叫のみで國が變革出來るほど、日本の奧行きは淺くはない。
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by sousiu | 2011-07-11 03:31 | その他

怪談 

 元祿十一年刊行、林道春の『怪談全書』を一讀。

 「怪談」と云うてもこの季節の名物男・稲川淳二の「怪談」でなく、支那の傳承や神話といつた類ひのものである。
 林道春とは、即はち、林羅山のこと。羅山が支那の古典やら史書やらを翻譯し、啓蒙の爲めにこれを弘めたもの。
 備中處士樣から「そんなもの讀むな」と痛棒を喰らはされさうであるが、彼の國の傳承がどのやうなものか興味本位で一讀してみたものであるからして、許してくれるであらうと思ふ。汗。
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 さて。讀後の感想であるが、彼の國では王や宰相に纏はるものが頗る多い。 
 尤も、皇帝だか馬賊匪賊の頭目だか分からぬやうな、霸權主義・放伐思想で塗り固められた支那の因果な歴史では、少々と云はず多少の虚飾を必要としなければならないのであらう。
 春秋時代、齊國の崔杼(サイチヨ)は己れの主君光を弑し國の實權を掌握。それを急病で逝去したことにしようと史書の改竄を企て太史(歴史を記述編纂する彼の國の史官)に命令。これを拒んだ太史兄弟を殺したことは有名だ。支那ではこのやうな重大事の隱蔽や歴史の創作も、時の權力者の特權となる。而して崔杼はひとりならず。斯くなる例は決して稀な例ではない。
 とはいへ虚構や創作、餘りにもといへば餘りにも。神代の古ではなく、人代に於いて、死して蘇つた者が王となつたり、釜戸の前で火を焚き耕作もする犬の飼ひ主が高官となつたり(韋叔堅)。美化するにせよ權威を持たせるにしても神格化するにせよ、凄過ぎる。
 果してこれら傳承を神話としたのであるか、奇談としたのであるか單なる昔噺としてゐたのか未だ研究不足でなんともいへぬが、神代より一貫して今日の歴史をいだく日本と全然異なることは明瞭だ。
 一部を以下に記したい。



●『怪談全書』卷の一、「望帝」項に曰く、
『鼈令(ベツレイ)と云ふもの荊國の人なり。死して其の屍ながれて江水にうかび。又、人となりて蜀の國へゆく。蜀の王、望帝にまみゆ。直(たゞの)人にあらざれば、望帝、位をゆづりて。鼈令を宰相として。やがて王として望帝のがれゆく。死後に化して鳥となる。其名を杜宇(トウ ※ホトヽギスの意)とし、又、杜鵑と號す。以下云々、略』(句讀點、括弧内は小生による。原文マヽ)

 ゆゑにほとゝぎすが子を生むと、蜀王の魂として、諸鳥は敬ひ憐れみ、育てるのだとか。



●「伍子胥」項に曰く、
『伍子胥は呉王夫差(フサ)の臣也。呉越合戰ありて越王をいけどる。越王の臣、范蠡(ハンレイ)さまゞゝの謀をめぐらしければ、呉王つゐに越王をゆるす。伍子胥諫むれどもきかず、越王、本國に歸り、西施(サイシ)と云ふ美女をすゝむ。呉王是を愛して政(まつりごと)をこたれば。伍子胥又いさむ。呉王きかずして、いよゝゝまどいて醉へるが如し。伍子胥しきりにいさむ。呉王いかりて伍子胥を殺し、■(蟲喰ひにて不讀)夷と云ふ皮ぶくろに入れて水にしづむ。其靈、果して水神となる。其しづめらるゝ處は錢塘(セントウ)と云ふ江にして。毎年八月大なる潮のさす所なり。其時伍子胥、形をあらはし、白馬(シロキウマ)素車(シロキクルマ)にのりて。水上にうかび出、これを見るもの皆おどろかずと云ふことなし。伍子胥出れば潮、甚だ急になみたかふして。堤をやぶり岸をくづすこと多し。これによりて伍子胥を英烈君と號(ナヅケ)て祭なり。其岸の上に廟を立つ。伍子胥死て後、越より終に呉をほろぼす』と。(仝)
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 伍子胥に就いては多少、文獻を讀んだことがあるが、死して後、水神となつて現れてゐたのか・・・。
 支那らしい話しと云へば支那らしくあるのだが、日本の忠臣とはやはり大きく違ふ。野生は磯部浅一流の志操や言動を好まない。



●「偃王(ヱンワウ)」項に曰く、
『徐國の王の宮女懷妊して卵(カイコ)を生めり。これをあやしみ不吉なりとして水邊に捨つ。一人の老母あり。其家に犬あり、犬の名を鵠倉(コクソウ)と云ふ。水邊に出て彼卵をくわへ來て。老母に示す。老母きどく(「氣の毒」の意乎)のことなりと思て。あたゝめければ、卵ひらひて小兒あり。まさしく偃せり、骨なくしてうつぶせるゆへに。偃(エン)と名く。徐國の君これを聞て。これを呼でそだて養ふ。成人して智惠あり慈悲の心あり。徐國の君、位を讓て政を行しむ。即ち偃王と名く。~云々』(仝)

 この偃王が入つてゐた卵を拾つた犬の鵠倉が病死するとき、鵠倉は角が生えて九つの尾があり、龍の化身であつたことが分かつた、と。
 かうした不具の子を川に流す話しは、記紀にみられる水蛭子を連想させる。野生は岩波書店の本は殆ど讀まないが、支那崇拜の岩波史觀の人からすれば、何でもかんでも記紀を、支那の神話・傳説の類ひから引用した、といふであらう。しかし野生に云はしむれば逆で、若しも兩國に共通する話しがあるのであれば、それはむしろ支那が日本の神話を模倣したと思ふ可きである。


 ・・・かうした因果關係に就ても今後勉強する餘地があるな。
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by sousiu | 2011-07-06 23:46 | その他

相次ぐ訃報  

 訃報が續く。

 六月廿八日は、義友同志會・伊藤忍會長より、義友連合会・山田義友總裁が癌の爲め、藥石效なく歸幽された、と。
 昨日、三日は、菊水國防連合の三田忠充會長が、亡くなつたとの悲報をいたゞいた。


 兩氏は横濱を主として多くの民族派團體が集ふ神奈川縣維新協議會の議長をそれゞゝ經驗し、現在は同協議會の諮問委員となつてをられた。野生の道に於ける大先輩だ。
 野生は神奈川縣維新協議會に加盟したことはないが、弊社の結成以前から加盟如何を問はず、宜しく接していたゞいたものだ。

 振り返れば本年明けてから、訃報が續く。
 先輩方々が神となられ、殘された我々は確りとこの道を歩み、以て 皇國の中興を遂げねばならぬ。
 それが即、樣々なことを教へてくれた先輩方に對する唯一の御恩返しではなからうかと信じるものである。百拜敬拍手
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by sousiu | 2011-07-04 19:10 | その他

大阪へ 二 

 大阪へ着いた翌日、六月十二日は志賀ナビに隨ひ、寢屋川で行はれてゐるといふ全國愛國同志社連盟の驛頭演説會に飛び入り參加。
 得體の知れない關東者の突如とした登場にも、主宰團體諸賢は快く迎へてくれた。
 この演説會は他團體の方々もをられ、その中には日頃御世話になつてゐる日本民族行動会議の細田議長の姿があつた。
 到着した時は、恰度細田議長が演説をしてをり、小生の顏を見ると議長はマイクを握りながら驚いた顏をしてゐた。

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↑ ↑ ↑ 日本民族行動会議・細田政一議長。

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↑ ↑ ↑ 得體の知れぬ關東者。

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↑ ↑ ↑ 全國愛國同志社連盟諸賢。


 大阪の團體も熱い。大阪には大阪の、神奈川には神奈川のスタイルと云ふものがあるのだらうが、だから良い。皆同じでは面白くない。志と熱と意氣は同じであれば、それで宜いのだ。


 その後は、志賀君の案内により同和地區他、神社、忠魂碑などを訪れた。
 同和地區は反近代・・・とした意識があつてのことか否かは分からぬが、昔の風情が遺されてをり、野生何故か無駄に近代化された無機質な都會よりも餘程心が安らぐのである。
 先日も日乘に記したが、野生はさうした場所を見學することが好きなのである。
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↑ ↑ ↑ 神崎新地に御座ます稻荷大神の前で。志賀君。


 この日の大阪は雨。志賀君の行きつけの居酒屋へ連れて行つていたゞき夕食。
 難有いことに志賀君からもう一日泊まるよう勸められたが、彼れは翌日、仕事だと云ふ。
 其の日の宿泊代を翌日の留守番代の手當てで相殺すると、野生のはうが損をするので、別れを惜しみつゝ歸路へと向かつた。
 歸路は豪雨。結局神奈川へ歸るまでの六時間、一度も雨の止むことは無く、相當しんどい走行であつた。
 泊まつたはうが良かつたな・・・。



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          ↑ ↑ ↑ オマケ。志賀邸を七年間留守番する忠犬「テン」君。
              志賀君版人面犬の如く、ウリ二つ。スゴイ面魂だ。
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by sousiu | 2011-06-14 03:53 | その他

大阪へ 一  

 前囘日乘を記して後、ぶらりと大阪へ。ひとり呑氣に東名、名神を西へ向かつた。
 宿泊先は日本實踐奉仕團・志賀君宅。と云つても前以て泊まる事を約束してゐた譯でもなく、向かふ道中での申入れだつた。彼れは良い漢だ。突然の小生の申入れを快諾してくれた(電話なので如何云ふ表情だつたかは判明せぬが)。

 午後三時半に横濱を發ち、名神「吹田」出口に着いたのは午後九時半。
 かうしてみると熊本から横濱まで自轉車で來た鈴木田君を改めて凄いと思ふ。いや、凄いといふよりも、相當變な人物だな・・・。

 車のナビが壞れてゐるので「吹田」からは、志賀君のナビが必要だ。
 だが彼れは恰度、地元消防團の送別會に參加してをり、まさかそれを拔け出してくれとまでは頼めない。
 彼れの到着を車内で寢て待つた。

 一見、呑氣で無駄に思へるかうした一日もなかゝゝ宜しい。

 箕面氏にある志賀邸のまはりは、高臺なのか景色も良く、蛙の合唱あり、まことに氣に入つた。
 秋は紅葉の景觀で有名な地だと云ふ。ますゝゝ良。

 愚案。彼れの一室を小生の書齋としては如何か。今、荷物の大移動も考へてゐる。無論、下宿代は只でな。
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by sousiu | 2011-06-13 14:50 | その他

興味あることがいつぱいの人生です。

 日乘を御高覽くださる同志より、大正大震災に於ける記事の掲載について御感想を賜はつた。
 何處で入手したのか、と尋ねられたのだが、勿論、古書肆だ。

 小生、固より、一揆、天災、飢餓、融和問題などに關心も尠からず。さういつた本を讀むのが昔から好きなのである。
 尤も、少年時代は漫畫ばかり。活字の本に慣れ親しむやうになつたのは廿代後半からだ。從つて、廿三歳である原道社主人・鈴木田君が「讀書の強化」を今年度の目標としたることは、おほいに宜しいと思ふのである。とは云うても彼れ、官能小説でないことを祈るのみだが・・・。

 えへん。話しを元に戻すが、何故に一揆や災害、融和問題(現代で云へば「同和問題」か)に關心を覺えたのかはわからない。
 横濱の壽町などの雰圍氣も好きであるし、嘗て大阪に居る友人を訪ねる時は、部落地區などに立ち寄つたものだ。同和の人達との交流も嫌ひでないし、彼れらもまた、小生の主催する勉強會などに參加することもある。
 少年のころ、讀んだ漫畫で印象的だつたのは、(おそらく知つてゐる人はをるまいが)つげ義春氏の『近所の景色』や、ジヨージ秋山氏の『アシュラ』。『近所の景色』は朝鮮部落の住民李さんに纏はる話しで、集落の近所に住む主人公の視點が、小生に似てゐるのかも知れない。『アシュラ』は飢饉の室町時代を舞臺とした漫畫である。『あしたのジョー』なども愛讀したが、それとは別なる印象を受けたのだ。

 まあ、別段、どうでも宜いことなんでせうけれども。

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※↑↑↑『凶荒圖録』(明治十六年五月「愛知同好社」刊行)
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by sousiu | 2011-05-09 12:24 | その他

因みに。

『大正大震災大火災』、目次は以下のやうになつてゐる。


目次
 ○大震災記
 ○大火災記
 ○噫、斯くして三殿下は神去り給ひしか
 ○地方の慘状
 ○震災中の内閣組織
 ○機敏なる當局の措置
 ○目覺しき各機關の活動
 ○鐵道の慘害と應急始末
 ○汽車大混雜の實況
 ○通信交通その他機關の慘害と應急始末
 ○經濟界の打撃と將來
 ○鬼神も面を掩ふ悲話慘話
 ○人情美の發露!美談佳話
 ○秩父宮殿下の御仁慈
 ○嘘のやうな事實!震災異聞
 ○震災が生んだ新商賣珍職業
 ○訛傳・誤報・流言蜚語・地方さわぎ
 ○焦土に立ちて(失つた名所名物の追憶)
 ○失つた珍寶の話
 ○感謝すべき世界各國の同情
 ○復活する大東京
 ○大火燒失主要建築物番附
 ○大災害實驗談=平時に於ける用意不用意
 ○地震時の諸注意
 ○恐るべき震災後の病氣と注意
 ○地震と火事に關する傳説・・・・・藤澤衞彦
 ○地震の話・・・・・今村明恆
 ○日本地震史の大要・・・・横山健堂
 ○天變動く(短歌)・・・・・與謝野晶子
 ○戒嚴下に於ける國民と軍隊と吾人將來の覺悟・・・・・福田雅太郎
 ○一國民として・・・・・澁澤榮一
 ○震災後の感想・・・・・村上浪六
 ○罹災諸君を慰む・・・・・大町桂月
 ○震死者を弔ふ・・・・・大町桂月
 ○罹災者に贈る言葉・・・・・幸田露伴
 ○震火災ニ就テ發布セラレタル諸法令
  ●口繪~永久に記念すべき慘状を物語る寫眞八十頁
  ●附圖第一、東京近縣震災情況
   附圖第二、東京火災地域及罹災民集團地圖
   附圖第三、横濱市附近火災地域及警備隊竝救護機關配置要圖
   附圖第四、横須賀市罹災要圖
   附圖第五、關東戒嚴地域内警備配置要圖
                               合計三百頁


 「大日本雄辯會講談社」とは現在の「講談社」。
 講談社もやるな・・・。關東大震災の發生からわづか一ヶ月でこれだけのものを出版したのだから。

 よくわからんが、既に東日本大震災の本も出てゐるかもしれない。
 後世に贈る教科書として、東北地方の人達による目覺しき努力と寡默な忍耐とを、是非とも詳らかに記録していたゞきたいと切に願ふものである。この期に及べる、政界住人同士の足の引つ張り合ひも、な。
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by sousiu | 2011-05-07 02:53 | その他

大正十二年の所説に思ふ

●『大正大震災大火災』(大正十二年十月一日『大日本雄辯會・講談社』發行)「目覺しき各機關の活動(八)軍隊の活動」に曰く、

『歐洲戰亂以降、世を擧げての遊柔惰弱の風潮は遂に軍縮!軍縮!の聲となり、而かも遂に軍縮は實現せられ、甚だしきに至つては軍隊無用論など隨所にその叫びを擧げ國民も亦、この聲に禍せられて軍隊を厭ひ、國民皆兵の實、將に地に墮ちんとしつゝあるの状態であつたが、這個の大震災は、遺憾なくこの風潮を打破して、軍隊の威力を示し、陸海軍の實力の如何に絶大緊要のものたるかを國民の腦裡に刻みつけるに十分であつた。事實軍隊自身も正に戰時以上の大決心大努力を以て事に臨んだかの觀があつた。

 實に大變災勃發後に於ける軍隊の活動は國民の信頼の的であり我等齋しく感謝して擱かざる所である。
 大變災勃發と同時に交通、通信の兩機關全く杜絶した中にあつて、逸早く無線電信を以て急を各鎭守府所在地に告げたのは海軍省であつた。そして又、急遽一、二艦隊に命じて多量の食料と物資とを芝浦に陸上げ、罹災民に供給し、以て飢餓の憂なからしむると同時に直ちに陸戰隊を上陸せしめ、陸軍と協力して不安な帝都の警戒にあたつて人心の安靜を保たしめた。

 つゞいて第二段の救濟方法としては震災救護委員會を急設し、寄るべき家もなき罹災民を各地に輸送せんが爲に、全力を傾倒し、その間の聯絡統一をはからんとして聯合艦隊の總出動を命じ、以て海陸の連絡をはかると共に、品川横濱を中心として物資の供給と罹災民その他の輸送に全力を集中した。

 勿論かくの如く機敏に全力を集中する事の出來たのは、無電の設備と、震災によつて何等の害をも蒙らない自由なる航海力を有すると云ふ有利な立場にあるからでもあらうが、其間海軍大演習を中止する迄の覺悟を以て專ら災害救濟に當つた絶大の努力と襟度とは、蓋し今次の大變災に於ける絶大の功名である。

 一方海軍がかくの如き敏捷應急の目覺しき活動を開始せる時にあたつて、戒嚴令は布かれて、陸軍も亦驚くべき努力を惜しまなかつた。

 即ち海軍が特有の武器である無線電信と絶大の輸送力とを以て事に當るに對して、陸軍は、直ちに飛行機を驅つて猛火炎々たる帝都及び横濱地方の災害を視察して、戒嚴司令官に復命、直ちに各地方の空を飛翔して絶滅せる交通、通信の機關を補ひ、更に又輕氣球、傳書鳩等を利用して各地の慘害を視察報告、以て應急の處置に當つた。

 同時にまた、帝都の消防機關の絶滅、火災を如何ともする能はざるの時にあたつては、得意の破壞力を以て延燒の恐れある建物を破壞して延燒を防いだ。實際三分の一ながらも、帝都を殘し得たのは一に陸軍の家屋破壞の賜と云つても蓋し過言ではないであらう。

 つゞいて鎭火後戒嚴令が布かれてからに於ける陸軍の活動は愈々本舞臺に入り、通信交通機關の復活、道路の整理、橋梁の修繕、假橋の架設、食料品其他の配給、傷病者の療養救濟等實に戰時以上の努力を以て不眠不休の活動を繼續し、一方東京、神奈川、千葉、埼玉等の各地に於ける秩序の維持と人心の安定維持の任に當り、軍隊ならでは、の感を一般の民心に深く刻み、畏敬感謝の中心となるに十分であつた。中にも鐵道道路橋梁電信電話等の改修に從事せる鐵道隊、工兵隊、電信隊等の勞苦と功績に至つては、正に技術兵の特色を遺憾なく發揮して餘りあるものであつた。

 その間戒嚴地帶に集中せる兵力は歩兵廿一ヶ聯隊、騎兵六個聯隊、砲兵七個聯隊、工兵十八個大隊其他各種の技術兵衞生隊等、之を換算すれば、六個師團の大兵力に垂んとしてゐる。

 國民よ!この軍隊の實力を如何に見んとするか!
 かかる非常時にのみ軍隊に感謝するを知つて、平時に於いては徒らに嫌厭、無用視するは誤れるも甚しきものでは無いか』と。(全文。太字及び赤字は小生による)
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by sousiu | 2011-05-07 02:04 | その他

大正十二年 關東大震災  

 こゝに凡そ九十年前の關東大震災を記録した一册の本がある。
 重要なところを拔粹して掲載したいと考へたのだが、容易でないので、今朝は取り敢へず序文のみを寫すことゝする。


 この本は、大正十二年九月一日に突如襲來した關東大震災の一个月後に、『大日本雄辯會・講談社』より刊行された。
 以下に掲げたる文章は、當時の人たちの考へを讀み解く參考になると思ふ。時間があれば内容も紹介したいと思ふが、氣紛れな野生のこと。約束はしない方が野生の爲めだ。

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●三上參次氏、『大正大震災大火災』(大正十二年十月一日『大日本雄辯會・講談社』發行)序文に曰く、
『序
 今度の大震災に命を隕された幾萬の同胞に對して、先以て痛切なる哀悼の意を表し、又一種の犧牲となつて、難に殉ぜられた恩人として、深厚なる感謝の意を表したいと思ふのである。
 昔明暦の大災に、江戸市中が燒き盡された時と、今度の大災とは、暴風と地震との相違こそあれ、市中が焦土となり、幾萬の人が死亡したといふ其慘憺たる被害の状況は、彼此よく相似て居る。幾萬の無縁佛の爲めに、はじめて囘向院が兩國橋の東に建立せられたと同樣のことは、今度も定めて繰返されるであらう。さて、明暦の災に罹つた人が、其國許へ送つた書面には「近年大身の人々は勿論、私ども、又は下々の者まで、皆五十餘年の泰平に馴れて、浮薄に流れ驕奢に長じ、分に過ぎたる榮耀を事として居る。隨つて財寶足らざるが故に、自然に上は民百姓に貪り、下は互に相貪る。此度の大變は實に天罰である。天道よりまことに善き意見を受けたのである。就いては、人々翻然として積年の日を悔い改め萬づ眞の士風俗に復すことに一統努力するより外は無からう」といふ意味の記してあるものが少くない。
 今度の大變災以前の社會状態は、孰れの方面から觀ても、明暦の大火以前のそれと似て居る所が多い。今日も明暦の昔と同樣に、感慨無量、長大息する人が少くないことゝ思ふ。この手嚴しい意見、この峻烈なる天罰を、七千萬日本人の身代はりとして引受けられた幾萬の同胞に對して、深厚なる感謝の意を表したいといふのはこの意味に外ならないのである。滿天下の人、希くは、上に記した古人の心を心として深く天譴の恐れ愼むべきことを思ひ、進んでは禍を轉じて福と爲すことに努力せられよ。果して然ることを得るならば、幾萬の犧牲者の氣の毒なる最期も徒死とならないであらう。追善供養の爲めには新囘向院の刱立も必要であらうが、しかし人々が發憤努力して、明暦の災後に、立派な寛文の時代を出現したと同じやうに、立派な大正十二年以後の新時代を將來するならば、それこそ犧牲者にとつては、眞に萬劫不斷の供養であり、眞に永代不朽の祈念殿堂であるであらう
 この「大正大震災大火災」も、たゞ悲慘なる出來事の實際を知らざる各地方の人々に知らしむるに止まらず、又酸鼻なる説話を後世に傳ふるだけに止まらず。必ず、讀者をして古人の心を心とする機縁たらしめることが出來ると思ふのである。「禍福己れより求めざるはなし」とは昔からの教訓である。禍福の極地には、天事と人事との別は無い。よし別があるとしても、天事を察して之を人事に省みてこそ、智慧ある人であり、復活の氣象ある國民であるであらう』と。(太字は原文に隨ふ)



●露伴道人氏、序文に曰く、
『序
 災禍も慶福も皆到來すべき所以の理があつて到來するものである。今囘の大災禍も其地震は地殼の理學的理由によつて、或部分の陷沒と、或部分の隆起とを惹起したのである。火災は地震によつて起されたものであるが、此の方には大に平時の防火準備及び方法、訓練等に關する考慮の不足であつたことを見はして居て、若し今少し平時に於て深い考慮が費やされて居たなら、同じく災禍を受けるにしても、今少し災禍を縮小し得たらうと思はれる。地震の方も、一般家屋の建築が、今少し外觀の美を主とせずに、實際の耐力の有るものであつたなら、即ち虚飾を少くして實質を重んずる建築法が取られてゐたならば、同じ程度の震動を受くるにしても、今少し輕い程度の災害で濟んだことだらうと思はれる。市街の通路の廣狹、空地の按排等も、今少し好状態であつたら震災火災によりて惹起された慘事を今少し輕微になし得たであらうし、又水道にのみ頼る結果として、市中の井を強ひて廢滅せしめた淺慮や、混亂中を強ひて崇高な荷物を積載した車を押通して自己の利益のみを保護せんとした爲に愈々混亂を増大し、且其荷物に火を引いて避難地まで火にするに至つた沒義道な行爲や、さういふ類の事が少かつたなら、今少し災禍を減少し得たらうことは、分明である。して見れば天災とは云へ、又天災によりて惹起された免れ難い大禍とは云へ、吾人は吾人の内部にも、大災禍を釀し出す或理由を有つてゐたと認めて自ら省みねばならぬものがある。古の人は天災地異を以て不徳の致すところと感じ、今の人でも善良にして且反省的傾向を多く有する人は、災禍に遭遇すると、これは天譴では有るまいかと思ふに至るものである。此等は古風の無知識な宗教的感情であると貶し去るべきものでは無い。一方には深奧なる道徳的意義のある人情の發露であり、又一方には知識的にも論據を有する批評である。吾人は既に恐懼修省といふ語を前聖より教へられてゐる、何事も修省の工夫を用ゐたのが、吾人を進歩せしめ、吾人の災禍を少くし、吾人の慶福を大にする所以である。今この大震大火の記事の書は吾人の眼前に災禍の概觀を展開し、吾人をして災前の吾人よりも正しく且賢ざらずはある可からずとの感悟を得せしむるものと看取す可きである』と。(太字は小生による)
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by sousiu | 2011-05-06 08:28 | その他

自衞隊頑張れ

 何とも頼母敷き若人たちよ。
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by sousiu | 2011-05-01 16:22 | その他