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日々是運動

四月廿八日 雨のち曇

 義信塾・市村悟先輩と共に港區新橋にある國際新聞社事務所に伺ふ。
 同社々主・楠本正弘樣を始め、三澤浩一、福田邦宏の諸先輩、他にも防共新聞社遊説隊々長・近藤勝博、愛心翼贊會本部長・山川裕克兩君も既に參上してをられた。
 嘗て此の日乘でも、皆々がさうであるやうに、小生も宜き先輩、道友に惠まれてゐることを書いた。本道にさう思つてゐる。
 いつもゝゝゝ此の顔ぶれが集まり、出る話題と云へば運動のことだ。
 誰れそれの批判は當然の事乍ら、世俗的な話しも一切出て來ない。せいゞゝ三澤先輩が、山川君をみて、ドラえもんに登場する「ジヤイアン」の話題を持ち出すくらゐだ。殘りは殆ど運動についての研究と摸索だ。
 此の日もいつも同樣、運動の話題で白熱した。

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    左端河原博史、そして福田邦宏、市村悟、三澤浩一の三先輩(國際新聞社にて)



 失禮する折、楠本社主が、好きな本を持つて歸つてよいよ、と云つて下さつたので、本棚より物色。
 小生の趣味の一つは、囹圄の身となつてゐる同志や友人に、書籍を進呈することである。
 機關紙やら、古本やら多いときには月に五十册は發送する。であるからして楠本社主の御厚情は洵に嬉しい。
 本棚には、古く既に入手困難な書籍や、初めて手にする本も多く、意地汚くも頂ける丈頂いた。其の數は百册を超えた。多謝深謝。
 楠本社主には幾重にも御禮を申上げたい。


 國際新聞社を出て、市村、山川兩兄と阿形充規先生の許へ。
 阿形先生は時々、「息拔きをすることも必要だ」と我ら若輩の後進に諭し給ふ。
 鶴田さやか女史の歌を聽かせて呉れた。
 此の日の前日は、阿形先生の事務所に參上し、遲くまで時局問題について御高話を賜はつた。
現在の小生では全てのことを學び吸收する能はぬと雖も、人として實に多く學ぶ機會を與へて下さつてゐるのだと痛感する。此の御恩寵に對する感謝の言葉を小生は未だ識らない。


 解散後、市村・山川兩兄に送つて貰ひ、そのまゝ弊社事務所に。
 更に同志二名も加はり、五人でまたゝゝ憂國談義に華を咲かせることゝなる。

 氣付けば既に日も出てをり、朝の四時を廻つてゐる。
 阿形先生の御高配により、慰勞の一ト時を賜はつたが、それも束の間であつた。
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by sousiu | 2010-04-28 23:46 | 日々所感

小生、解放されました。

四月廿五日 晴れ。

 兎に角讀書が面白い。就寢前、電車内で本は缺かせない。
 暴露すれば小生の讀書遍歴は淺い。學生時代を通して、最後まで讀み上げたのは『風の又三郎』一册而已であつた。(と云つても短い學生時代であつたが。赤面)
 それがこの道に入門し、やがて讀書の素晴しさを知るやうになつた譯である。
 あれほど毎週樂しみにしてゐた「ヤングマガジン」も十數年讀んでゐない。本道に人は變はれば變はるものである。だから、廿代の後輩達が既に本の樂しさを知つてゐることを、小生迚も頼もしく思うものである。
 
 そのやうな折、大東塾より十册の本を御惠投賜はつた。
 どれもこれも貴重なもの、難有し。
 當分亦た、自室に籠城する豫定である。


 昨夜、漸く機關紙製作が終はつた。
 從來の發行日より十日近くも遲れてしまふことゝなる。
 讀者諸賢には深く御詫び申し上げなければならない。

 機關紙製作の壓迫感から解放された爲めか、今ならば素直に認める事が出來る。
 ――何事も儘ならぬは、單なる小生の能力不足である。
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by sousiu | 2010-04-25 20:28 | 日々所感

話せばわかる

 四月廿三日、雨。

 今日は都内の弊社本部で、光文社が發行する週刊誌「F」の編輯長A氏の訪問を受けた。
 小生はテレビはおろか、週刊誌も殆ど讀むことがないので、これまで「F」も名前だけしか識らなかつた。

 話しをしてみればA氏、責任を持つ人獨特の、一本筋の通つた人物であつた。

 何ごとも話してみないことには分からない。



 であるからこそ。であるからこそ、である。

 話したが爲めに時として、目的を失することもある。

 五一五事件で蹶起した青年將校は、人をして“容赦ない”と云はしめてまでも、目的遂行に殉じたのではあるまいか。

三上卓先生曰く、
『食堂で首相が私を見つめた瞬間、拳銃の引き金を引いた。彈がなくカチリと音がしただけでした。すると首相は兩手をあげ「まあ待て。さう無理せむでも話せばわかるだらう」と二、三度繰り返した。
それから日本間に行くと「靴ぐらいは脱いだらどうぢや」と申された。私が「靴の心配は後でもいゝではないか。何のために來たかわかるだらう。何か言ひ殘すことはないか」といふと何か話さうとされた。その瞬間、山岸が「問答いらぬ。撃て。撃て」と叫んだ。黒岩が飛び込んできて一發撃つた。私も拳銃を首相の右こめかみにこらし引き金を引いた。するとこめかみに小さな穴があき血が流れるのを目撃した」(裁判證言記録)

 亦た、山岸宏先生囘想にて曰く、
『「まあ待て。話せばわかる。話せばわかるぢやないか」と犬養首相は何度も云ひました。若い私たちは興奮状態です。「問答いらぬ。撃て。撃て」』と言つたんです」と。
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by sousiu | 2010-04-24 19:46 | 日々所感

修行が足りん

 四月廿日。雨。産土神社を參拜し、電車に乘つて千代田區西神田へ。
 道の先輩である三澤浩一兄と大洋圖書本社ビルへ。
「月刊實話漫畫ナツクルズ」の高瀬編輯長と打合はせ。


 いやはや。日乘の更新が止まつてしまつた。汗顔。

 小生の信條は「明日死すとも悔いぬ今日を生きる」である。
 明日死すとも、とは必ずしも大袈裟なものでなく、世知辛い世の中、交通事故やら何やら、
一寸先は兔も角分からぬ。出來れば、遣り殘すものは少ないにこしたことはない。

 今日までに出來得ることは今日の裡に、と心掛けてはゐるものゝ、これがなかゝゝ儘ならぬやうになつた。
體力も氣力も日々申分ないと思ふのであるが、實際には衰へてゐるの乎。
 齡も既に卅九。既に「若手運動家」の名は返上せねばならぬ年齡となつたしなア。

 いや、だが待てよ。果たして年齡の所爲にして宜いものであらう乎。
 阿形充規先生はおん歳七十。毎日々々激務を消化されては事務所に戻られ、それから手紙を書かれ、資料を整理・先人の遺文を編纂する作業で深夜を迎へてをられる。かれこれ數年間、光榮にも直接の御指導を賜はる機會に多く惠まれてゐるが、先生の全てを識る能はぬものゝ、識る限りに於てはほゞ斯うした毎日である。
 亦た、その僅かの時間を見付けては、各勉強會に御出席されてゐる。國内最大規模の協議體である全日本愛國者團體會議最高顧問の立場であり乍ら、若者と机を竝べて終始メモを取られる姿を見る度に、小生、道に對する限りなき嚴肅を學ぶのである。


 日乘の更新が遲れた言譯に愚癡を用ゐるやうでは、小生、まだゝゞ修行が足らんといふこと、歟。

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by sousiu | 2010-04-24 19:03 | 日々所感

國體の精華

 それにしても歴史とは熟々偉大なものであると感ずる。

『近世日本國民史』では、詳らかに歴史的事象や時代背景を記載してゐる爲めに、ついぞ識り得なかつた出來事はおろか、未知なる人物が多く登場する。無論、小生が無知であることを殊更述べる必要もあるまいが。しかしそれを差し引いたとしても、國家の變動に關與してをりながら、大いなる歴史をまへに埋もれたまゝの偉人や勇猛剛膽の人もなほ大勢存在することを改めて識らされるのである。

『近世日本國民史』百卷と比べて、一册に收められた歴史書をみると、櫻田門外の義擧でさへ僅か半頁に過ぎない。
 吉田松陰先生も二、三行であらう。
 それでも歴史は確固として存在し、現代にまで紡がれ、彼らをして一册の本を作らせる。
そこには、いにしへの無名賢者や勇者の存在を傳へないが、それでも、現在が彼らの成果と賜物によれることを否定しない。


 今日は、新政黨の量産期である。
 ほかならず、政界の混迷を證明するものだ。
 續々と得體の識れぬ新黨が結成される有り樣に、愈々當惑し或いは白ける國民が増えやうとも、これを政界再建の兆と見做す者は至極稀ではないかと考へる。そしてこれが更に政界の混迷を深めるのだ。

 小生は新黨量産のこの状況を良しとも惡しきとも思はない。
 良しに付け惡しきに付け、彼らは來たる可き將來の日本中興の美を彩るひとつとなるのみ而已。
『世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ』である。
 大惡漢・井伊の赤鬼ですら、彼の望むと望まざるとに關はらず、やがての美を彩るひとりとなつたのだ。さても偉大なるは我が國體よ。
 再び徳富蘇峰翁の如きが出現せぬ限り、十把一絡げ、餘すところなく彼ら戰後自愛主義の新政黨など、大小問はず將來の歴史書のわづか一行に過ぎぬ。


 取り分け「日本創新黨」などは、將來にその名すらをも刻むこと能はぬであらう。
 何故か?
 何せ彼ら「ヒロシーズ」は、偉大なる「ヒロシ」に聲を掛け忘れたからである。
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by sousiu | 2010-04-19 19:14 | 日々所感

徳富蘇峰翁、文章報國のひと 

 晴れ。今日は暖い。この頃、起きてみないことには暖いのか寒いのか皆目見當が付かぬ。
 服など一切氣に留めない小生には凡そ縁の無き惱みが、殊に若い人たちには毎朝生じてゐるのではないかと考へ少々氣の毒であると思ふ。


 今年に入つて夢中になつて讀んでゐる本がある。
 徳富蘇峰翁の『近世日本國民史』だ。
 織豐時代から始まり、徳川權勢、孝明天皇の御代を經て明治時代で完結する。
 全部で百卷ある。文庫本も出てゐるやうなので、入手は難しくない。しかし小生はどうも現代假名遣ひは味氣なく感じるので、專ら古書に限定し讀んでゐる。その爲め、思ふやうに入手する能はず、なかゝゝ意の欲するやうには讀み進むことが出來ない。
『近世日本國民史』は、登場人物の日記や書翰なども豐富に掲載し、詳細に亙り歴史を檢證してゐる爲め、非常に讀み堪へがある。
 驚く可きは、蘇峰翁の膽識よ。昭和廿七年、頽齡九十、第百卷を以て完結した。同史に注いだ筆力、百五十字詰原稿用紙で延べ二十三萬枚といふ。


渡部昇一氏『眞の戰鬪者・徳富蘇峰』にて敬意を表して曰く、
『「近世日本國民史」はまことに驚くべき歴史である。それは、間違ひなく日本が世界に誇つてもよい著述の一つである。蘇峰は最初「明治天皇御宇史」を書くつもりであつたが。ところが明治史を書くためには幕末を書かなければならない。つまり「孝明天皇御宇史」が必要である。しかもそのためには徳川時代を知らねばならず、徳川時代を知るためには豐臣時代を知らねばならず、豐臣時代を知るためには信長を知らねばならぬ、と言つた具合で、建武の中興あたりが明治維新の遠因になるとした。しかしそこから始めたのでは明治まで書くことができないから、取りあへず信長の時代から書き出したといふわけである』

『そして大體の腹づもりで本論の明治天皇御宇史に五十卷を當て、その序論に當る孝明天皇御宇史に二十卷、序論たる織田・豐臣・徳川篇に三十卷を當てる豫定であつた。ところが實際には孝明天皇崩御篇までが六十二卷なのであり、殘りが明治の最初の十一年間のための三十八卷といふことになる。序論六十二卷、本論三十八卷の歴史を獨力で書いた人間がこの世にゐることを私は寡聞にして知らない。この明治天皇の御宇史に寄せた彼の異常な熱情とエネルギーが、結局は新聞人としての彼を失敗に終はらしめたのである』(『生誕百三十年記念 徳富蘇峰』平成五年三月十五日「財團法人 蘇峰會」刊行に所收)と。


 その徳富蘇峰翁、『近世日本國民史~織田氏時代・前篇~ 第一卷』(昭和九年九月十日發行「明治書院」版)冒頭の「修史述懷」にて曰く、
『予は本年五十六歳である。文章報國は、予が晩節の天職である』と。
そして、
若し予が私史にして、我が大和民族の精神的食糧となり、我が大日本帝國興隆の不盡的泉源となるを得ば、予が渾身の肝血を、此に向て絞り盡すも、肯て悔ゆる所はない』と。

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by sousiu | 2010-04-19 17:52 | 先人顯彰

異國人からみた日本人 ―ポール・リシヤル氏―  


ポール・リシヤル氏(佛)曰く

曙の兒等よ、海原の兒等よ
花と焔との國、力と美との國の兒等よ
聽け、涯しなき海の諸々の波が
日出づる諸子の島々を讚ふる榮譽の歌を
諸氏の國に七つの榮譽あり
故にまた七つの大業あり
さらば聽け、其の七つの榮譽と七つの使命とを


一、
獨り自由を失はざりし亞細亞の唯一の民よ
貴國こそ自由を亞細亞に與ふべきものなれ


二、
曾て他國に隸屬せざりし世界唯一の民よ
一切の世界の隸屬の民のために起つは貴國の任なり


三、
曾て滅びざりし唯一の民よ
一切の人類幸福の敵を亡ぼすは貴國の使命なり


四、
新しき科學と舊き智慧と、歐羅巴の思想と亞細亞の思想とを自己の衷に統一せる唯一の民よ
此等二つの世界、來るべき世の此等兩部を統合するは貴國の任なり


五、
流血の跡なき宗教を有てる唯一の民よ
一切の神々を統一して更に神聖なる眞理を發揮するは貴國なる可し


六、
建國以來、一系の天皇、永遠に亙る一人の天皇を奉戴せる唯一の民よ
貴國は地上の萬國に向つて、人は皆な一天の子にして、天を永遠の君主とする一個の帝國を建設すべきことを教へんが爲に生れたり


七、
萬國に優りて統一ある民よ
貴國は來たるべき一切の統一に貢獻せん爲に生れ
また貴國は戰士なれば、人類の平和を促さんが爲に生れたり


曙の兒等よ、海原の兒等よ
斯くの如きは、花と焔との國なる貴國の七つの榮譽と七つの大業なり

』(『告日本國』昭和16年2月11日「青年書房」發行・大川周明譯)と。


 ポール・リシヤル氏は佛蘭西の哲學詩人だ。
 氏とミラ夫人は動亂極れる當時の世界情勢にあつて歐羅巴の諸國に絶望。光を東に求めて、印度を經由し、大正五年我が國に來日した。
 滯在僅かに四年餘りに過ぎなかつたものゝ、その間、頭山滿翁、内田良平先生などと深く親交を重ねた。日本を去るまへの約一年間、リシヤル夫妻は大川周明博士と起居も共にした。

 偉大なる日本人の思想に觸れ、リシヤル夫妻は日本に曙光みゆる確信を得たのであつた。
 氏は『告日本國』の冒頭にて曰く
吾れ普(あまね)く世界に正義の國を覓(もと)む。正義の國は將來の國なり。蓋し將來は正義の國に屬すべきが故なり。正義の國、地を嗣がん』と。
 こゝで氏の云ふ“正義の國”とはなんであるか。云はずもがな我が「日本」のことである。 

 川島浪速翁が、リシヤル氏が外國人であるにもかゝはらず、「日本建國精神の神髓」を熟知してゐることに驚嘆したといふ。

 固よりリシヤル氏の慧眼も然り乍ら。彼をして、左樣にも希望を抱かしめたる我が先人の、世界を皇化し恆久平和に寄與せむとす宇内至高の志と識見に、尊崇の念を抱かざるもの誰れかある。
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by sousiu | 2010-04-18 17:37 | 小論愚案

異國人からみた日本人 ―フランシコ・ザビエル氏― 貳  

 承前


 そのザビエル氏、西班牙(スペイン)による日本征服の計畫を識り、彼の王に警告す。
 曰く、
『西班牙の船が、墨西哥(メキシコ)より白銀島(日本のこと)を征服せんが爲めに、渡航する事は、是非見合せて貰ひたい。到底無事に到着は難い。
 萬一、到着し、武力を以て、征服せんとしても、對手(日本のこと)は慾も張り、力も張る人民で、如何なる強大な艦隊でも、決して辟易せぬ。然も土地荒涼、食を得るに道なく、未だ戰はぬに餓死せなばなるまい。加ふるに沿海不時に大風あり。避難の港灣を得ずんば、破船の厄は免れじ。繰り返して申す、日本人は武器を得るに熱中す、單に此の一念よりしても、西班牙人を鏖(みなごろし)にせずば止めまい』と。※文中括弧()は小生による。

 ザビエル氏は耶蘇教の宣教師であつた。なかでも彼は、耶蘇教派の内で、當時最も過激、陰險である結社・耶蘇會徒であつた。耶蘇會は「目的は方法を正認する」を信條とし、行動原理とした。目的を遂行する爲めならば、謀反も教唆する、離間工作も行ふ、暗殺すらをも辭さなかつた。ザビエル氏は人格高潔であつたと窺ふに足る資料や文獻が豐富である。然し乍ら耶蘇會徒の方針にも從順であつた。
 彼は宗教の爲めに政治を餘すところなく利用した。そして、異端に對する排撃には徹底した。ことに佛教徒に對する態度は惡鬼羅刹の如きであつたと云ふ。その爲め彼は佛教徒に捕へられ、石もて撃殺されむとした事も二度あつた。それでも彼の宣教に對する情熱はいさゝかも小なることは無かつた。
 そのやうなザビエル氏も、廿七ヵ月の滯在を以て日本を去つた。

 小生はザビエル氏に殊更興味を抱くものではない。耶蘇教然り。亦た、彼を紹介する目的も心もない。

 そのやうな徹底として目的達成の人ザビエル氏を以てしても、福音をもて日本を征服する野望は斷念、失敗に終はつたのである。
 小大名を擒にし、平戸領主松浦隆信より布教許可を得、みるゝゝ其の力を蓄へむとするも、後奈良天皇に謁見する能はず、日本人の精神に宿る敬神の念如何ともし難く、支那に宣教の地を求め、去つたのである。


 掲げた如く、彼を云はしめたる二話の臺詞が、多少の偏見を含みつゝも、日本人の本領をつぶさに彰はしてをるではないか歟。
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by sousiu | 2010-04-17 22:20 | 小論愚案

異國人からみた日本人 ―フランシコ・ザビエル氏― 壹  

 皇紀二千二百九年(天文十八年)十一月付、フランシコ・ザビエル氏の書翰に曰く、

『予が知る限りでは、不信徒の國民中、未だ日本人に優る者はない。彼等は其類に於て、最善の者ぢや。彼等は行儀善く、温良にして、毫も意地惡がらず、而して驚く可く矜重である。彼等は何物よりも體面を重んず。概して貧乏ぢや。併し貴賤共に貧乏を恥とせぬ。彼等には吾等耶蘇教徒中に見出す能はざる、一種の特色がある、そは如何なる貧乏の貴族でも、金持の平民は、之を尊敬し、而して貧乏の貴族は、如何なる代償を得るも、金持の平民とは結婚を肯ぜぬ。彼等は富よりも、體面を尊ぶ。彼等相互の交際は、恭敬である。高下の差別なく、十四歳より双刀を帶び、之を尊び、之を頼みとす。彼等は侮辱の行動、若しくは輕蔑の言語に對して、一切用捨を爲さぬ。平民は貴族を敬し、貴族は其の領主に事ふるを光榮とし、而して甚だ從順である。此の如くならざれば、其の體面を失墜すと信ずるからであらう。酒は隨分飮むが、食物は節制す。賭博をせぬ、我有にあらざる物を獲んとするは、泥坊の始めと思ふからだ。人民の大部分は、讀み書きを能くす』と。

 愚案。ザビエル氏と彼の來日したる目的は扠措き。彼の日本人觀察による感想だ。
 固より彼が日本及び日本人を何處まで了解してゐたか知る由もないが、率直なる感想として、耶蘇會へ報告したる文書なれば、ほゞ正鵠を得てゐたのだと思ふ。

 四百六十年といふ時代の推移は悉く人を變へるのであらうが、日本人の本質と眞面目まで變はらねばならぬ理由がない。黒髮、黒瞳、黄色の肌、どれもこれも四百六十年前と同じではないか歟。

 だが、現今を覽るにつけ、我が政治家の内に一人として、異國人にザビエル氏の如く感想を抱かしめるだけの日本人がゐるであらうか乎。

 庶民の側も然り。
 主に反日國家をはじめ、他國に對し、あらむ限りの罵倒をネツトで書きなぐり、悦に入る御仁が量産されてゐるさうだ。そのやうな事に毎日の貴重な時間を費やしたとて、毫も天下は動じる能はぬばかりか、日本が尊重されるのゆゑもなければ、先づもて正しい日本人となるやう努めよ、と云ひ度い。若しも、罵詈雜言の連發も與論喚起の一助、と考へるならばそれ、日本人としての「品位の失墜」をだらしなく普及たらしめることに他ならず、いづれにせよ、おやめなさいと苦言する。

 支那であれ米國であれ南北朝鮮であれ、それを糾彈することには異論はない。
  しかし忘れてはならぬことは、糾彈される側よりも、むしろ糾彈する側に魂の高位、理想や思想の純度が求められてゐるといふことである。

 政治家の内も庶民の内も、著しく、弊履を棄つるの如く日本人の本領を喪失したと歎息せざるを得ない。
 ゆゑに「祖先の精神の氣風、威嚴を恢復せよ」と繰り返し訴へるのである。



 大川周明博士曰く『その敵を克服するためには、その敵よりも勝れる高貴なる思想に奉仕せねばならぬ』と。
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by sousiu | 2010-04-17 21:09 | 小論愚案

小生の「振り假名奮鬪記」

 小生のつくる機關紙は正統假名遣ひ、正漢字で表記してゐる。

 ある時、阿形充規先生から
『振り假名を觸つたはうが讀者に對して親切であらう』
と御鞭撻を賜はり、振り假名を觸ることゝした。

 ところが困つたことが生じた。考へれば當然のことだが、漢字の振り假名には正統假名遣ひと占領假名遣ひとの相違があるもの尠くない。

 阿形先生曰く
『私が教はつた「北原國民學校」(現在の區立北原小學校)では、今のやうな振り假名では無かつた』と。
『例に擧げれば【歡迎】は【かん-げい】ではない。正しくは【くわん-げい】である。
【委員會】は【ゐ-ゐん-くわい】である』と。

 ・・・・なるほど。正統假名遣ひと正漢字使用に徹底して、振り假名が占領表記では、片手落ちもよいところで、編輯者の識見が疑はれてしまふ。加之、讀者に混亂を及ぼしかねない。

 しかしさて、機關紙の締め切りも迫り、今更學ぶだけの時間もない。
 固より、どの樣に學べば良いの乎、それすらも小生は識らない。さてゝゝ、如何する乎。

 愚考のすゑ、「急がば廻れ」、幸ひにも戰前から溯り明治聖代の書籍を多く寶藏してある爲め、急遽、再び振り假名のある書を讀み漁り、一字々々拾ひ出しては書き留め、拙稿に活用し作業を進めたのである。
 この作業を始めてから、殆どの用事を斷わつて、事務所に籠城した。汗。
 作成した「虎の卷」の一部がこれ。(下)

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 いやはや、阿形先生からはえらい難題を賜はつたものだ、と苦心しつゝ、一週間。
遲れながらも機關紙の發行に漕ぎ付けた。

 以降、何度か發行を繰り返し、現在に至る。「男子三ヵ月會はずばこれを括目して見よ」。遂に、全て、とまでは云はぬが八割がた、「虎の卷」を頼らずとも振り假名を觸ることが出來るやうになつた。今では宿題を與へてくれた阿形先生に心から感謝してゐる。

最後にひとつ、悔しき思ひを吐露せねばなるまい。
先日の防共新聞社主幹・福田邦宏學兄、微笑して曰く、
『この前、本屋へ行つて辭書を見てゐたらばね、一字々々に正假名で振り假名表記されてゐたんだよ。河原君、識つてた?』と。
小生の兩耳には餘りにも殘酷な言葉であつた。
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by sousiu | 2010-04-16 16:01