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奇縁

 今日、九段塾の管理人であり、當日乘にもコメントを投じてくれてゐる備中處士氏が備中國より上京。
 前以て御連絡を賜はつてゐた爲め、お迎へし、一日を共に過ごさせていたゞいた。(“お迎へ”とは云うても例によつて迂闊にもお待たせしてしまつた次第であるが・・・赤面)

 共に靖國神社參拜。その後、青山にある大東塾へ訪問。福永眞由美先生、武兄と款談。
 迚も充實した一日であつた。
 大東塾では御本を賜はつた。
 今日のお土産は人にやさしいものばかりだ。安堵。
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by sousiu | 2011-05-28 23:43 | 報告

既に國歩の方向轉換は始まつてゐるよ 

●山浦嘉久氏『月刊日本』六月號(平成廿三年五月廿二日「K&Kプレス」發行)「神國日本の蘇生の爲に」に曰く、
『今囘の大震災で原發事故が發生した直後、識者や專門家といはれる人々から「想定外」といふ言葉が飛び交ふなど、ある種の思考停止状態が續いてゐた。彼らが言ふ「想定外」とは、近代主義的な學理思考での想定内では判斷できないとする、知的限界を露呈したものである。この知的限界症候群の看過こそが最大の人災となつて、政府や東電、保安院の公式發表に信をおけない國民の不安を誘發してゐる』

『西洋近代思想と對峙すべく體制刷新を指導した明治の先達は、西洋文明がもたらす諸々の利便性を認めたうへで、サイエンスを科學(トガの學)、ケミカルを化學(オバケの學)と譯した。その利便性を生み出す文明價値規範には、わが國古來からの叡智とは相反する邪な知惠が潛んでゐると喝破して、ユメその邪氣に惑はされることなく、常に、その邪惡性の超克を心掛よとの想ひを科學・化學の翻譯に託し、「和魂洋才」の心得を忘れるなと戒めた

『世界的な文明位相におけるハルマゲドン状況が誘發される趨勢にあつて、わが國が未曾有の大震災に見舞はれたことは、西洋近代思想の邪惡性を禊ぎ拂ひして「天孫民族の靈性」を囘復せよとの、國津神の御意志である
 わが國古來からの「神ながらの道」の叡智には、天啓一神教世界の「終末思想」や佛教的な「末法思想」とは無縁の、「中今思想」に基づいた生成發展史觀が根付いてゐる。そして、先が見えない時は、天孫降臨の原點に立ち返つて叡智を絞り出せ(復古維新)との教へがある。その第一歩は、「故きを温ねて新しきを知る」ことで、天孫民族の靈性を囘復することにある』と。


 愚案。此度の災禍は西洋文明を基とした科學萬能、利便追及の限界を露呈させた。
 今度びの犧牲は、凡そ百年の科學を信奉し西洋文明に追隨した代價と云つても決して暴論ではない。
 與謝野馨經濟財政擔當相の曰く、『福島原發事故は、神の仕業』と。
 與謝野の假令、東電の擁護を引き受け、彼の不可抗力を主張する底意ありとしても、ともかく自ら科學の限界を認め告白したことゝ同義である。同時に、政治のシステムが既に末期状態であることも、だ。
 故に小生は云ふ。今度びの青天の霹靂は、たゞしく我れらの代辯者である、と。三月十一日を以て我れらの啓發に用ゐられむとす幾萬語は一瞬にして語られた。天下白日にやうやく近代のいかゞはしき姿は曝されたのだ。だのに何故に今更ら三月十日以前に戻らねばならぬの乎。右翼は「時代遲れ」と云はれてゐるかも識れないが(小生丈・・・乎)、凡俗たる流行には遲れても、時勢の流動にはまつたく遲れをとるものではない。寧ろ、開拓者、先覺者であるのだ。我れらが眞價の試される可き秋はこれからであるし、逆言すればつひに龍頭擡げる秋でもある。
 近代の科學と政治に限界と云はずんば疑問を抱いた全國民は何處へ向かふ可き。
 くどいやうだが、今後、要される可くの啓蒙は三月十二日以降、つまりあの怒濤を越えたところにあるのだ。



 五月廿五日は、青梅の勤皇村へ。
 「影山正治大人之命三十二年祭」に參列。遲まきながら、大東會館で行はれてゐる歌道講座の生徒として七月に學びに行くことゝなつた。又た、「不二」に拙稿を寄せることゝもなつた。勤皇村のお土産は、ほかならぬ宿題だ。
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↑↑↑ 青梅の勤皇村。精氣は溢れむばかり宿り、空氣は是れ清涼。
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by sousiu | 2011-05-28 00:56 | 小論愚案

ご新造さん 

 「河原日記 三」なのだが、よくゝゝ考へてみれば、既に日乘であるのだから我れながらおかしな題名だ。
 だから、今日のタイトルは「ご新造さん」。
 小生はタイトルを付けるのが苦手なのだ。

 全くテレビなるものを觀ない野生(NHKと、聖教新聞と押賣りの訪問お斷わり)だが、以前、珍しくNHKの大河ドラマ『新選組!』にハマツたことがある。(DVDで觀たので、NHKの訪問は相變はらずお斷わりだ)

 平成十六年、三谷幸喜氏の脚本によるこのドラマでも、清河八郎先生が登場する譯であるが、稀代のペテン師のやうな描かれ方をしてゐる。野生としては不本意だ。
 ■■清河神社↓↓↓
http://www.dewatabi.com/syounai/syounai/kiyokawa.html

 尤も、新選組が主人公であるので仕方がないが、清河先生のみならず、西郷南洲翁も又たどことなく信の置けない人物として演じられてゐた。得てしてこの類ひの物語りでは、勤皇浪士は大なり小なり、荒くれ者か胡散臭く描かれてゐるものが多い。

 このころの時代については多くの作品が出てゐるし、今猶ほ程度の差こそあれ人々の關心を集めてゐる。
 實際、ドラマや小説の素材としては魅力充分の時代である。變異あり、躍動あり、神州の正氣あり、サプライズあり、感動あり、何よりも人物あり、だ。
 さてゝゝ。今後百年乃至百五十年後、果して現在が將來の大河ドラマの材料たり得るか否か。


 ところで餘談であるが、大河ドラマ『新選組!』で、香取慎吾の扮する主役の近藤勇の奥方・近藤つね(田畑智子)は、皆から「ご新造さん」と呼ばれて親しまれてゐる。
 この「ご新造さん」について面白い記事を發見した爲め以下に記したい。

●小川顯道氏『塵塚談』(文化十一年)に曰く、
『我等十四歳の頃御家人二三十俵高の妻女をかみ樣と人皆稱せり。まして商人は富家にてもかみ樣と呼び、子供が親兄へはとゝ樣、かゝ樣、あに樣といひけり。然るに二三年以來、同心渡り用人の類の妻、町人も相應に暮すものゝ妻は御新造樣と稱し、又一日くらしの者の子供も、御とゝ樣、御かゝ樣、御あに樣、御あね樣といふことになり、いはんや富家と淺草札差は心至り、禮儀武家をまねて娘をおじやう樣、妻を御新造樣と稱す。大名の嫡子の室を御新造と稱することを知らずして、僭上無禮なること憎むべし。世の中奢れるより言語までおごりて、實儀は薄く輕薄になれり』と。

 愚案。徳川の世の泰平、正しく崩壞せんとするに當り、人心の動搖抑止す可き方法を失つた。
 それ士農工商の階級秩序は紊亂を究はめ、無能なる役人、武士に對する權威は地に墮ちつゝあつたのだ。言語が人心を寫す鏡たるならば、『塵塚談』に以て當時の世相は如實だ。
 文化の後は文政だ。その後は天保だ。こゝで大飢饉が襲ふ。そして弘化。嘉永にはペルリが來航する。空前の恐慌に次ぐ外壓だ。そのあとは安政だ。而、神州の正氣が愈々溌剌たる時代は發動せられる。
 時代は常に連繋してゐる。個々の人生と同じくまつたく無駄が無い。

 天災に次ぐ人災を迎へ、以て戰後最大の國難に直面した現在の日本。さても天下の一大事。而して國歩よ奈何。




 五月廿四日は、半藏門で諸先生、諸先輩との打ち合はせに出席。
 四十となつた野生も、まだゝゞ小僧だ。苦笑。
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by sousiu | 2011-05-27 13:24 | 小論愚案

河原日記 二 

 五月廿三日。

 『勤王唱首 贈正四位 清川八郎』山口忠助氏著(大正十二年六月十七日「彰忠會」發行)讀了。
 明治維新に活躍された先覺には魅力的な人が多い。そのなかには小生の欽慕する人物、學ぶ可き人物、見習ふ可き人物、と樣々あるが、好きな人物で云へば、清河八郎先生である。
 なにかと誤解してゐる人も尠くないやうであるが、その行動力、發想力、大膽さなどが小生は好きなのである。
 これまでほとんど清河先生の話題をした人がなく寂しい思ひをしてゐたが、以前、阿形充規先生に會津へ連れていつていたゞいたとき、先生の知人で會津を案内してくれた方が清河八郎先生の話題を出し、嬉しくてつい話しが盛り上がつた。清河八郎先生については、そのうち何かの折りに觸れたいと思ふ。

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 さて。夜は市村悟兄に招ばれて義信塾事務所へ。
 事務所に伺ふと、既に神奈川縣維新協議會の若手有志達が來てゐた。
 彼れらは情熱的で、新進氣鋭の一團である。
 この歳になると、話してゐて、相手方の意識や情熱の度合ひが何となく分かる。知識だけ豐富でも意識が無ければ、それはまるで戰ふ氣の無い者がボクシングのルールやテクニツクを一所懸命本で學ぶに等しい。要するに實用に缺けるといふことだ。
 小生は馬齡を重ね四十。とは雖もまだゝゞ氣力は漲つてをり、若手には負けない、・・・と思うてゐる。
 固よりかうした時間は迚も樂しいものだ。彼れらも亦た、多くの質問や意見を投じてきた。この日は朝まで語り合つた。
 彼れらはそのまゝ寢ずに仕事へ向かつたのであらうが、小生は流石に疲れ、戻りぐつすり寢た。
 氣力と體力は必ずしも比例するものではないらしい。
 年を取るのは早いものだなア。とほゝ。
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by sousiu | 2011-05-25 21:18 | 報告

河原日記 皐月 一 

 五月廿二日。

 横濱中華街で行はれた『周本昌山氏の還暦を祝ふ會』に參加。
 周本さんは、小生廿代のころから御指導、御叱責を賜はつてゐる神奈川縣の大先輩である。
 御人徳によるものであらう、まことに大勢の方々が出席されてゐた。
 此度び、還暦を迎へられたといふことは、小生はじめて御面識を賜はつたころ、周本さんは四十代だつたといふことになる。
 年月の經つのは早い。普段は時間の經過するをまつたく意に介さないものだが、かうして何かの節目に氣付かされる。
 もう「若手だから」といふ甘えも出來なくなつたのだなア。


 宴が終はり、中華街を出て、横濱元町の入り口にある白龍会の事務所へ。
 以前より白龍会・山下桂三會長に訪ねるやう云はれてゐたので、この日御邪魔した次第だ。
 山下會長と深夜まで話し合つた。
 白龍会はほかならぬ小生が在籍してゐた團體。小生は十一年前に山下會長の膝下を離れ、現在の同血社を結成した。
 この船の事務所に上がるのは實に十年振りとなる。まつたく何もかもが懷かしい。
 毎日、とまでは云はぬがいつも當時の門人を連れ、小生此處へ來てはソフアーでゴロヾヽ寢てゐたものだ。暇になると釣り竿を買つて來て窓から鯊釣りをしてゐたり、床に穴を開けたり、いつの間にか小生の部屋を作つたり、船の出入り口で焚き火をやつて山下會長に怒られたり。ま、あまり出來の宜い門人でなかつたこと丈は確かだ。顧みればそれも既に十年以上も前のこと。
 此度びは色々な話しが出來て、又た、山下会長もおん年七十にして元氣で良かつた々ゝゝゝ。

 ・・・・・・それにしても時の經つのは寔に早いものだなア。
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by sousiu | 2011-05-24 23:58 | 報告

日乘が遲れました

 昨日から今朝にかけて、弊社々員と漸く仕上がつた『天地無辺』の發送作業。

 紙の不足やら何やらで發行が遲延したことを讀者諸賢には深くお詫びしたい。

 弊社々員はみな、あのまゝ寢ないで仕事に行つたのであらう。
 尤も小生も、今までの間少し假眠し、出掛けねばならぬ。

 そのやうな譯で、まだ御字・脱字の確認すら濟ませてゐない。當日乘を御來車される御方若しも機關紙が屆いたならば、「ウオーリーをさがせ」ならぬ、「誤字脱字をさが」していたゞきたく思ふ次第である。
 いやあ、まつたく。本當に『天地無辺』は一粒で二度美味しいグリコの新聞版だ。一紙で二度樂しめるすぐれものだ。
 ・・・お申込みはコチラまで。汗。↓↓↓↓
douketusha@ever.ocn.ne.jp


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by sousiu | 2011-05-21 08:40 | 報告

興味あることがいつぱいの人生です。

 日乘を御高覽くださる同志より、大正大震災に於ける記事の掲載について御感想を賜はつた。
 何處で入手したのか、と尋ねられたのだが、勿論、古書肆だ。

 小生、固より、一揆、天災、飢餓、融和問題などに關心も尠からず。さういつた本を讀むのが昔から好きなのである。
 尤も、少年時代は漫畫ばかり。活字の本に慣れ親しむやうになつたのは廿代後半からだ。從つて、廿三歳である原道社主人・鈴木田君が「讀書の強化」を今年度の目標としたることは、おほいに宜しいと思ふのである。とは云うても彼れ、官能小説でないことを祈るのみだが・・・。

 えへん。話しを元に戻すが、何故に一揆や災害、融和問題(現代で云へば「同和問題」か)に關心を覺えたのかはわからない。
 横濱の壽町などの雰圍氣も好きであるし、嘗て大阪に居る友人を訪ねる時は、部落地區などに立ち寄つたものだ。同和の人達との交流も嫌ひでないし、彼れらもまた、小生の主催する勉強會などに參加することもある。
 少年のころ、讀んだ漫畫で印象的だつたのは、(おそらく知つてゐる人はをるまいが)つげ義春氏の『近所の景色』や、ジヨージ秋山氏の『アシュラ』。『近所の景色』は朝鮮部落の住民李さんに纏はる話しで、集落の近所に住む主人公の視點が、小生に似てゐるのかも知れない。『アシュラ』は飢饉の室町時代を舞臺とした漫畫である。『あしたのジョー』なども愛讀したが、それとは別なる印象を受けたのだ。

 まあ、別段、どうでも宜いことなんでせうけれども。

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※↑↑↑『凶荒圖録』(明治十六年五月「愛知同好社」刊行)
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by sousiu | 2011-05-09 12:24 | その他

震災に於ける文獻的損害を憂ふ  

 昨日、紅葉屋主人より連絡あり。御主人も少からず戰前の書籍に戀々、求學の日々を過ごしてをられる。
 氏、どうやら古書肆に居たらしく、店主とも意氣投合の樣子、小生には「日本外史」について連絡をくれたものだ。
 「日本外史」は云はずとしれた、仁孝天皇の御宇、頼山陽先生によつて刊行された史書である。
 その書肆に和本で全卷揃つてあり、一萬數千圓であつたとか。
 「日本外史」は幕末の尊皇家に熟讀された。時代に相俟つて弘められた爲めか、現在でも寫本が多く遺つてをり、小生も所藏してゐる。


 以前にも當日乘で記したか識れぬが、戰前の古書は多くの難を逃れつゝ、或いは被りつゝ、今日に其の姿を遺してゐるのだ。それはGHQによる遺棄のみならず、戰災然り。天災然り。經年による劣化然り。蟲食ひ然り。現在の漫畫本でも不本意に無くしてしまふ、捨てられてしまふ、貸して返つて來ないなど樣々あるであらう。
 かうした災難を越えて百年、二百年の時を經て、現在吾人の生きる時代にその姿を遺してゐることは、げに素晴らしきことゝ感嘆せずにはをられない。

 それでも年々、諸事情によつて消失されゆくことに遺憾ながらも齒止めは掛けられぬ。先人の魂魄籠められた筆による、吾人への遺産。大切にしたいものである。


 またゝゝ大正大震災の話しとなるが、この書では、災害によつて失はれてしまつた文獻を惜しみ、一項を設けて無念の記事を特輯してゐるので紹介したい。

●『大正大震災記』(大正十二年十二月二日『時事新報』發行)「償ひ難き文獻的の損害」項に曰く、
『東京帝國大學構内(農學部を除く)に所藏せる圖書數は大正十二年三月末現在にては約七十六萬册にして、内洋書約三十五萬册、和漢書約四十一萬册である。右圖書數の内、約三十六萬册が圖書館に所藏せられ、四十萬册が各學部の教室其の他に借用せられて居た。圖書館に於て火災の際搬出せるものは一萬册で、圖書館及び法、經、文、醫、各學部の燒失圖書數は左表の通りである。○表、略す
 右約五十萬四千册の購入、當時の價格見積は約百萬圓にして、之れを時價に見積れば、或は六七百萬圓の價値といふ事が出來る。但し別記の如き、寫本類、又は貴重なる自筆本は殆ど囘復すべからざるものであると同時に、其の損失價格は到底見積ること不可能である。植松圖書官は語る「圖書館の燒失は帝大の最大損失であると共に帝大の權威を損じた事は幾何であるか知れない。火災後尚三日も燃え續いた程である。兎にかく藏書の八割が他の圖書館には無い貴重な研究資料であつて、然もその大部分が燒け、殘つたものは辭書類の大部分と英法の報告書などである。特に惜しいのは莫大の自筆本で、そのうちには眞判の續萬葉集本とか足利時代の蔭凉軒目録とか馬琴自筆日記、マツクス、ミラーの吠咤の原稿本等がある』

『大橋圖書館も燒け落ちて、藏架本約七萬册を灰燼としたが、別に珍書といふ可きものもないけれど、故尾崎紅葉の手澤本は全部遺族から寄贈されて居つたので、文豪の批點を施したものは再び得難いものを惜しい事になつた。個人的には佐々木信綱博士の萬葉集文獻、安田家の江戸軟派文學ものなどは稀世の珍本であつたがこれも燒けた』と。
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 此度びの東北地方に於ける倒壞、津波の襲來は、最早説明するまでもなく、家屋其の他を瓦礫の山と化せしめた。勿論、本のみを以て惜しむものではないが、相當數の書籍が消滅したことは想像するに難しくない。

 假令、文明の利器に依頼して古書をデータ化するも。或いは復刻された活字本書誌が現在出囘つてゐるにせよ。それは全體からみた一部に過ぎないのが現實だ。
 かうした状況を憂ひ、既に逝ける相原修君は氣吹迺屋塾藏版書籍を求め東奔西走し、それを現状のまゝ復刻する事業に取り組んでゐたのである。



 日に々ゝ古書の失はれんとすることは寔に殘念至極なことではあるが、今猶ほ現存するものに對してさへ無用の長物の如く扱はれることは遺憾千萬のことゝ云はなければならない。
 會津藩主・保科正之公もさうした溜息を漏らされたか當時、風土記の失はれつゝあるを嘆き、その復興を志し、「會津風土記」(寛文六年八月)の編纂を遂げた。因みに山崎闇齋先生は此の書に序文を添へてある。而、この事業には大なる抱負を備へてあつた。

●前田垣治氏『會津藩に於ける山崎闇齋』(昭和十年十月廿五日「西澤書店」發行)に曰く、
『山崎闇齋の本書の序文は、可なりの長文で、我が國土の生成と、我が國名の種々の説明、國郡の地理的變遷を述べ、且つ風土記が元明天皇に始まつて、醍醐天皇に成つたことを言ひ、風土記が國家經營上に切要なること、竝に支那に於けるその職掌の歴史的の變革を叙し、我が國の風土記は太政官が之を掌つて居たが、王室が衰へ、官職も廢れ、從つて風土記も逸散し、或は亡失して、收補せられて居ない。然るに會津中將源正之は、風土記の逸失したのを惜しんで、會津の風土記を編み、嘉(※闇齋先生の名)をして其の文を潤色し、且つその序を作らしめ、以て國家の修成の擧を俟つといふと述べて居る』と。

●前田垣治氏『山崎闇齋と其門流』(昭和十八年五月十日「明治書房」發行)に曰く、
『本書は嘗て我が朝廷に於て、各國の風土記を編纂された事があるが、其の後多くは逸失して傳らない。之を遺憾として、新に全國の風土記を昔の如くに編述せしめようとする意圖からその魁けとして先づ會津風土記を編纂して、他國をして之に倣はしめようとする抱負の下に成つたものである』と。


 啻に風土記の例のみにあらず。
 我が國は國の肇めよりこのかた、只の一度たりとも滅亡し、或いは變異したことなく、國史は一に聯繋せざる可からざること純々然たるの眞相なれば、古書といふも之を弊履として棄つることなく、若しくは筐底に祕することなく、未だ姿あるを存分に感謝し謹んで拜讀すべし。
 古への文獻を繙き、究明し、以て編纂し、江湖に弘めることは、復古を原則として國運隆盛を果たせる我が國では省く可からざる作業なのである。



・・・・さあて。今日は横濱演説會だ。
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by sousiu | 2011-05-08 05:12 | 小論愚案

因みに。

『大正大震災大火災』、目次は以下のやうになつてゐる。


目次
 ○大震災記
 ○大火災記
 ○噫、斯くして三殿下は神去り給ひしか
 ○地方の慘状
 ○震災中の内閣組織
 ○機敏なる當局の措置
 ○目覺しき各機關の活動
 ○鐵道の慘害と應急始末
 ○汽車大混雜の實況
 ○通信交通その他機關の慘害と應急始末
 ○經濟界の打撃と將來
 ○鬼神も面を掩ふ悲話慘話
 ○人情美の發露!美談佳話
 ○秩父宮殿下の御仁慈
 ○嘘のやうな事實!震災異聞
 ○震災が生んだ新商賣珍職業
 ○訛傳・誤報・流言蜚語・地方さわぎ
 ○焦土に立ちて(失つた名所名物の追憶)
 ○失つた珍寶の話
 ○感謝すべき世界各國の同情
 ○復活する大東京
 ○大火燒失主要建築物番附
 ○大災害實驗談=平時に於ける用意不用意
 ○地震時の諸注意
 ○恐るべき震災後の病氣と注意
 ○地震と火事に關する傳説・・・・・藤澤衞彦
 ○地震の話・・・・・今村明恆
 ○日本地震史の大要・・・・横山健堂
 ○天變動く(短歌)・・・・・與謝野晶子
 ○戒嚴下に於ける國民と軍隊と吾人將來の覺悟・・・・・福田雅太郎
 ○一國民として・・・・・澁澤榮一
 ○震災後の感想・・・・・村上浪六
 ○罹災諸君を慰む・・・・・大町桂月
 ○震死者を弔ふ・・・・・大町桂月
 ○罹災者に贈る言葉・・・・・幸田露伴
 ○震火災ニ就テ發布セラレタル諸法令
  ●口繪~永久に記念すべき慘状を物語る寫眞八十頁
  ●附圖第一、東京近縣震災情況
   附圖第二、東京火災地域及罹災民集團地圖
   附圖第三、横濱市附近火災地域及警備隊竝救護機關配置要圖
   附圖第四、横須賀市罹災要圖
   附圖第五、關東戒嚴地域内警備配置要圖
                               合計三百頁


 「大日本雄辯會講談社」とは現在の「講談社」。
 講談社もやるな・・・。關東大震災の發生からわづか一ヶ月でこれだけのものを出版したのだから。

 よくわからんが、既に東日本大震災の本も出てゐるかもしれない。
 後世に贈る教科書として、東北地方の人達による目覺しき努力と寡默な忍耐とを、是非とも詳らかに記録していたゞきたいと切に願ふものである。この期に及べる、政界住人同士の足の引つ張り合ひも、な。
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by sousiu | 2011-05-07 02:53 | その他

大正十二年の所説に思ふ

●『大正大震災大火災』(大正十二年十月一日『大日本雄辯會・講談社』發行)「目覺しき各機關の活動(八)軍隊の活動」に曰く、

『歐洲戰亂以降、世を擧げての遊柔惰弱の風潮は遂に軍縮!軍縮!の聲となり、而かも遂に軍縮は實現せられ、甚だしきに至つては軍隊無用論など隨所にその叫びを擧げ國民も亦、この聲に禍せられて軍隊を厭ひ、國民皆兵の實、將に地に墮ちんとしつゝあるの状態であつたが、這個の大震災は、遺憾なくこの風潮を打破して、軍隊の威力を示し、陸海軍の實力の如何に絶大緊要のものたるかを國民の腦裡に刻みつけるに十分であつた。事實軍隊自身も正に戰時以上の大決心大努力を以て事に臨んだかの觀があつた。

 實に大變災勃發後に於ける軍隊の活動は國民の信頼の的であり我等齋しく感謝して擱かざる所である。
 大變災勃發と同時に交通、通信の兩機關全く杜絶した中にあつて、逸早く無線電信を以て急を各鎭守府所在地に告げたのは海軍省であつた。そして又、急遽一、二艦隊に命じて多量の食料と物資とを芝浦に陸上げ、罹災民に供給し、以て飢餓の憂なからしむると同時に直ちに陸戰隊を上陸せしめ、陸軍と協力して不安な帝都の警戒にあたつて人心の安靜を保たしめた。

 つゞいて第二段の救濟方法としては震災救護委員會を急設し、寄るべき家もなき罹災民を各地に輸送せんが爲に、全力を傾倒し、その間の聯絡統一をはからんとして聯合艦隊の總出動を命じ、以て海陸の連絡をはかると共に、品川横濱を中心として物資の供給と罹災民その他の輸送に全力を集中した。

 勿論かくの如く機敏に全力を集中する事の出來たのは、無電の設備と、震災によつて何等の害をも蒙らない自由なる航海力を有すると云ふ有利な立場にあるからでもあらうが、其間海軍大演習を中止する迄の覺悟を以て專ら災害救濟に當つた絶大の努力と襟度とは、蓋し今次の大變災に於ける絶大の功名である。

 一方海軍がかくの如き敏捷應急の目覺しき活動を開始せる時にあたつて、戒嚴令は布かれて、陸軍も亦驚くべき努力を惜しまなかつた。

 即ち海軍が特有の武器である無線電信と絶大の輸送力とを以て事に當るに對して、陸軍は、直ちに飛行機を驅つて猛火炎々たる帝都及び横濱地方の災害を視察して、戒嚴司令官に復命、直ちに各地方の空を飛翔して絶滅せる交通、通信の機關を補ひ、更に又輕氣球、傳書鳩等を利用して各地の慘害を視察報告、以て應急の處置に當つた。

 同時にまた、帝都の消防機關の絶滅、火災を如何ともする能はざるの時にあたつては、得意の破壞力を以て延燒の恐れある建物を破壞して延燒を防いだ。實際三分の一ながらも、帝都を殘し得たのは一に陸軍の家屋破壞の賜と云つても蓋し過言ではないであらう。

 つゞいて鎭火後戒嚴令が布かれてからに於ける陸軍の活動は愈々本舞臺に入り、通信交通機關の復活、道路の整理、橋梁の修繕、假橋の架設、食料品其他の配給、傷病者の療養救濟等實に戰時以上の努力を以て不眠不休の活動を繼續し、一方東京、神奈川、千葉、埼玉等の各地に於ける秩序の維持と人心の安定維持の任に當り、軍隊ならでは、の感を一般の民心に深く刻み、畏敬感謝の中心となるに十分であつた。中にも鐵道道路橋梁電信電話等の改修に從事せる鐵道隊、工兵隊、電信隊等の勞苦と功績に至つては、正に技術兵の特色を遺憾なく發揮して餘りあるものであつた。

 その間戒嚴地帶に集中せる兵力は歩兵廿一ヶ聯隊、騎兵六個聯隊、砲兵七個聯隊、工兵十八個大隊其他各種の技術兵衞生隊等、之を換算すれば、六個師團の大兵力に垂んとしてゐる。

 國民よ!この軍隊の實力を如何に見んとするか!
 かかる非常時にのみ軍隊に感謝するを知つて、平時に於いては徒らに嫌厭、無用視するは誤れるも甚しきものでは無いか』と。(全文。太字及び赤字は小生による)
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by sousiu | 2011-05-07 02:04 | その他