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昨日と今日は不二歌道會な氣分   

 昨日、神屋二郎大人之命三年祭に參列。

 神屋先生が御亡くなりになつて、もう三年も經つのだ。と云ふことは、野生おぼろげながらも正假名・正漢字を愛用すること三年だ。實に早いものである。

 嚴かに祭事はすゝめられた。用事があつてそのあとの直會には參加出來ず失禮したが、直會で話題となつたであらう神屋先生の在りし日の數々を、拜聽出來なかつたことが殘念である。
 しかし歸へりに、この日に併せて發行されたと云ふ大東塾發行『神屋二郎歌集』を拜戴したので、直會で神屋先生の御話しを拜聽することは叶はなかつたが、就寢前に賜はつた歌集を拜讀した。
 書籍の口繪には、神屋先生の御遺影があり。最後の寫眞は平成廿年五月十八日「草莽崛起の集ひ」での講師としての、神屋先生であつた。何だか複雜な心境である。

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 今日は不二歌道會發行の『不二』の締め切りだ。一昨日からこの原稿に掛かりきりである。こと今日は起きて今まで拙稿と睨み合つた。『不二』の原稿は一際神經を使ふ。・・・いや、決して『天地無辺』をいゝ加減に書いてゐると云ふことではないのだけれどもね。汗。
 先程、一應、脱稿。後は編輯人である福永兄の峻厳なる眼を通過するか否か、だ。

 兩日、不二歌道會な氣分になりました。
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by sousiu | 2011-06-27 22:38 | 報告

電子書籍つてどうなんだらう

 北九州に據點を置く殉国青年塾が機關紙を發行するといふ。創刊號に寄せる文章を依頼され、今朝、脱稿。
 小生、晝間に原稿を書くことが出來ない。夜のはうが靜かで、滅多に人と話すこともないから集中出來るのだ。結果、徹夜となり、朝を迎へる。
 今朝は寢ようと思つたら若干の搖れを感じた。東北地方では震度五弱であつたとか。
 大地の鳴動もなかゝゝ收まらんな。

 晝には起きて都内へ。今歸宅して、これから少々假眠、その後、鎌倉へ行き、戻り又た執筆だ。


 こゝ近年、機關紙を發行する團體が頗る増えた。大變宜いことだと思ふ。
 こゝでいつもの如く、蘇峰 徳富猪一郎翁の言葉を拜借し、『文章報國』について記したいと思ふのだが、何處にその文章があるのだか容易に探すことが出來ないので諦めた。蘇峰翁の書籍だけで三百册はある。

 ところで、インターネツトがこれだけ普及してゐるのに、何を今更ら「機關紙」乎、と思はれる御仁もあらう。
 だが、やはり紙の文化は見捨てたものではない。

 保管場所に困り、持ち歩く不便を解消せんとするかの如く電子書籍が話題となつた。
 だが話題を集めたその電子書籍も、期待されてゐたほどの成績でもなく、現在、伸び惱みであるとの報道を目にした。
 電子書籍に不滿のあるユーザーは、書き込めない、讓渡や貸し借りが出來ない等々の缺點を擧げてゐるとか。
 又た、古書マニアでは、初版に價値を認める人がある。初版とそれ以降とではまつたく値段が變はつてしまふものがあることが、それを裏付ける。電子書籍にはさういつた價値認識も無い。


 當日乘で書いたのか、何處で書いたか失念したが、小生、電子書籍には一切興味がない。

 小生の凝る和本であるが、ヤフーオークシヨンなどで、和本の電子書籍が販賣されてゐるのをみた。
 これつて、和本の良さがあるのだらうか。然もスキヤンして、後はコピーするだけだといふのに値段が高い、吃驚だ。小生なら、DVD代と送料のみで送付してあげるのに。
 酷いのになると、實際の和本より値が高く賣られてゐる電子書籍があつた。それにも關はらず、落札者がゐるのであるから理解に苦しむ。單に安い和本を探すのが面倒なのか、それとも分かつてゐながら、敢へて値の高き電子書籍のはうを選んだのか。
 後者だとするならば、一體何んな魅力があつて電子書籍を選んだのか皆目見當が付かない。まさか和本は古くて汚いけれ共、電子書籍は清潔だから、といふのでもあるまい。
 いやはや、それもこれも小生がアナログ人間であるといふことか・・・。
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by sousiu | 2011-06-23 19:36 | 日々所感

自己維新の研磨に。

 昨日は、阿形充規翁のもとへ。
 深夜の一時過ぎまで、事務所でさまゞゝ御教示を賜はつた次第である。
 翁も御自分の長い運動の御經驗から、こと現在の時代の趨勢を鑑み、今後の在り方は、先づ、自身が變はらねばならぬことを力説してをられた。

 はからずも先日、西日本地區で小生が仰慕する、日本皇民党の大島竜珉党主より御電話を賜はる。
 大島先生曰く、『日本も大變な時代が來たな。我々今後は更らに眞劍にならなあかんで』と。

 兩先生の仰る、本道に其のとほりである。まことに我々自身の小さからぬ問題なのだ。
 それゞゝ人、一身に時代を背負ふの氣概が無ければならない。
 おのれ、啻に抗議や不平に口を揃へて、他力本願乃至は現在の政治家に期待を託しても、一向に實の結び難きは明々白々である。

 幕末。志ある士は、かくいふ氣概に漲り、東奔西走、或いは家を捨て、一心不亂國事に奔走した。
 この奔走に日を過ごしたる有志は、全てとは云はぬが中央政權の住民ではない。諸藩の有志達である。
 その藩を背景とした有志すら、自藩を背景とするに至るまでには心血を注がざる可からざる御勞苦があつた。南洲翁の決して順風満帆ならざる青年期は餘りにも有名なので割愛するが、贈正四位、武市瑞山先生の土佐勤王黨をみよ。
 贈従一位勲一等、大久保甲東先生然り、早くに時代を背負ふの氣概逞しくあり。甲東先生の晩年唯一の圍碁癖は、元々島津久光公に近付かんとして學んだものであつた。その周到を思ふ可し。わづかの好機をも見逃さず、久光公が手にする書籍に前以て、こつそり自身の認めた建白書を挾んだことから奇縁は結ばれた。因みにその書籍は平田篤胤先生の『古史傳』だ。
 贈正四位、清河八郎先生はその背景となる可き藩を持たなかつた。いや、持てなかつたのだ。脱藩の身のうへに、御尋ね者である。逃亡生活にあつて、日々苦慮苦悶。つひに幕府そのものを騙して浪士組を結成、京都へ登つて尊皇攘夷の建白書を 朝廷に奉つたのである。

 今日は幕末の志士を紹介することが本意ではない。
 されど、心有る日本人は先達のさうした氣概と姿勢を以て今後の時勢を睨む必要がある。

 兩先生から賜はつた訓言は、則ち野生の箴言だ。
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by sousiu | 2011-06-22 22:41 | 日々所感

日々發見、日々求學  『萬物の靈長』  

 まつたく日々は發見だ。

 原稿を書いてゐると、時折り、使用するに戸惑ふ言葉がある。
 言葉に戸惑ふ、とは乃はち、概念の曖昧さから生じるものである。これは一言にして盡せば小生の未熟なるが爲めだ。

 例へば、昨日分斷抄録した、『玉くしげ』のなかに説明されてゐる髮長用語の「因果應報」だ。
 我が機關紙でも「因なくして果の出づることなし」と記したことがある。が。言ひ譯のやうだが、これでも書きながら、惱んだ部分なのだ。
 得てして使用するに躊躇する語彙は、後々、相應しくないことが屡ば判明する。
 從つて、弊社の機關紙、號を重ねる毎に消滅した單語が尠くない。讀み返へすと、存在し得ぬ語句が陳列されてゐるのであるから、それは赤面の至りだ。

 未だ、不安な單語?概念?がいくつかある。

 そのうちのひとつ、『萬物の靈長』だ。以前、使用する前にヤフーの辭書で確認したところ、『萬物の中で最も靈妙すぐれたもの』とあつたので、う~ん、と思ひながらも使用した。小紙を御清讀くださる御方はこの語を散見したであらう。そのなかには違和感を持たれた方もあるに違ひない。さう。これはやはり野生の觀念の歪みであつた。それを賀茂眞淵先生によつて今の度び教へられたのである。


●賀茂眞淵大人『國意考』(文化三年)に曰く、
『又た、人を鳥獸に異なりと言ふは、人の方にて、我れ賞(ほ)めにいひて、外を侮るものにて、又た唐人の癖なり。四方の國を夷と卑しめて、其の言の通らぬが如し。凡そ天地の際(あひだ)に生きとし生けるものは、皆、蟲ならずや。それが中に人のみ、いかで貴く、人のみ、いかなることあるにや。唐にては、萬物の靈とかいひて(・・・こゝから耳が痛い)、最と人を貴めるを、己れが思ふに、人は萬物の惡しきものとかいふべき。いかにとなれば、天地日月の變はらぬままに、鳥も、獸も、魚も、草木も、古の如くならざるはなし。是れ憖(なまじひ)に知るてふことのありて、己れが用ひ侍るより、互ひの間に、樣々の惡しき心の出來て、終に世をも亂しぬ。又た、治まれる中にも、片見に欺きをなすぞかし。若し、天が下に、一人二人物知ることあらむ時は、善きことあるべきを、人皆智あれば、如何なることも、相打ちとなりて、終に用なきなり。今、鳥獸の目よりは、人こそ惡ろけれ、彼れに似ること勿れと、教へぬべきものなり。されば、人のもとをいはば、兄弟より別れけむ。然るを、別に定めをするは、天地に背けるものなり。見よ見よ、さることを犯すものの多きを』と。


 眞淵大人は、人をして“天下に最も優れてゐる”といふ傲慢より出でた理り(儒教や佛道など)なぞ、天地の心の悟るを阻害する原因であると説いてゐるのだ。從つて「萬物の靈長」なる觀念は、全然百害あつて一理なし、邪なるものである、とかういふわけだ。
 ・・・恐れ入りました。改めます。


○又た曰く、
世の中の生けるものを、人のみ貴しと思ふは、愚かなることなり。天地の父母の目よりは、人も獸も鳥も蟲も、同じことなるべし。夫れが中に、人許り聰きは無し。其の聰きが善きかと思へば、天が下に一人二人聰くば、善きこともあるべきを、人皆聰ければ、互に其の聰きを構ふるにつけて、よりよりに邪の起れるなり。夫れも自づからこと少き世には、思ひよもにはせ、唯、面眼(まのあたり)のみにして、事を爲す故に、聰きも少し。依りて小き事はあれど、大なる事はなし。
~中略~
 扨、少しも物學びたる人は、人を教へ、國と經濟とやらをいふよ。彼れが本とする孔子の教へすら、用ひたる世々、彼處にもなきを、此處にもて來て、如何で何の益にか立たむ。人は教へに從ふ物と思へるは、天地の心を悟らぬ故なり。教へねど犬も鳥も、其の心はかつゞゝあれば、必ず四時の行はるゝが如し。同姓を娶らずと言ふを、善しとのみ思ひて、此國は兄弟相通じたり。獸に同じといへり。天の心に、いつか鳥獸に異りといへるにや。生きとし生けるものは、皆同じ事なり。暫く制を立つるは人なれば、其の制も國により、地により、異なるべきことは、草木鳥獸も異なるが如し』と。


 言葉を正す可し、と力説した先哲は尠くない。こと國學者は多くの人が研究し、而、言擧げには細心の注意が拂はれてゐる。
 それは、言葉を正すことが即、觀念を正すことに相通ずることを誰れよりも良く存じてをられたのだ。これを逆言すれば、言葉の亂れは即ち思想の亂れ、觀念の亂れである。


 言葉を正すと云つてもそれは例へば、「頭痛が痛い」「談合し合ふ」のやうに文法上、相應しいか否か、などと云ふ瑣末なことではない(賣文屋や國語學者からみれば決して瑣末なことゝはいへまいが)。心ない人や國學を識らぬ人から能く聽かれる話で、インテリぶる爲めにわざゝゞ難しい用語を使ふ、など一聽の價値に滿たない理由を以て、言擧げを正せ、と主張したのではないのである。

 
 以上、小生の誤りは、うつかりしたことによる字句の誤用などではない。歴然たる心得違ひから生じたものだと認めねばなるまい。固よりかうした小生の觀念の歪み、誤謬には如何なる言ひ譯も用を成さぬ。
 であるからして、日々の求學は盡きる事なく、小生の好奇心を擽り續けるのだ。

 また發見したことがあれば、赤裸々に當日乘で懺悔と共に告白したい。・・・ん?「懺悔」も髮長用語、歟。こりやいかん。
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by sousiu | 2011-06-17 01:59 | 日々所感

玉匣 

●鈴屋本居宣長大人『玉くしげ』(天明七年)に曰く、
『さて世ノ中にあらゆる大小もろゝゝの事は、天地の間におのづからあることも、人の身のうへのことも、なすわざも、皆ことゞゝく神の御靈によりて、神の御はからひなるが、惣じて神には尊卑善惡邪正さまゞゝある故に、世ノ中の事も、吉事善事のみにはあらず。惡事凶事もまじりて、國の亂などもをりゝゝは起こり、世のため人のためにあしき(惡しき)事なども行はれ、又た人の禍福などの、正しく道理にあたらざることも多き、これらはみな惡き神の所爲なり惡神と申すは、かの 伊邪那岐大御神の御禊の時、豫美國の穢より成出たまへる禍津日神と申す神の御靈によりて、諸の邪なる事惡き事を行ふ神たちにして、さやうの神の盛に荒び給ふ時には、 皇神たちの御守護り御力にも及ばせ給はぬ事もあるは、これ神代よりの趣なり。さて正しき事善事のみはあらずして、かやうに邪なる事惡き事も必ずまじるは、これ又た然るべき根本の道理あり。これらの趣も皆、神代より定まりて、其の事古事記日本紀に見えたり』と。

○又た曰く、
『さてかの世ノ中にあしき事よこさまなる事もあるは、みな惡き神の所爲なりといふことを、外國にはえしらずして人の禍福などの、道理にあたらぬ事あるをも、或はみな因果報應と説きなし、あるひはこれを天命天道といひてすますなり。しかれども因果 報應の説は、上に申せるごとく、都合よきやうに作りたる物なれば、論ずるに及ばず。また天命天道といふは、唐土の上古に、かの湯武などの類なる者の、君を滅して其の國を奪ひ取る、大逆の罪のいひのがれと、道理のすまざる事を、強てすましおかんためとの託言なりと知るべし。もし實に天の命天の道ならば、何事もみな、かならず正しく道理のまゝにこそ有るべきに、道理にあたらざる事おほきは、いかにぞや。畢竟これらもみな、神代のまことの古傳説なきが故に、さまゞゝとよきやうに造りまうけたる物なり』と。

○更らに曰く、
然れども惡はつひに善に勝つことあたはざる。神代の道理、又たかの神勅の大本動くべからざるが故に、さやうの逆臣の家は、つひにみな滅び亡て、跡なくなりて、天下は又たしも、めでたく治平の御代に立ちかへり、朝廷は嚴然として、動かせたまふことなし。これ豈に人力のよくすべきところならんや。又た外國のよく及ぶところならんや』と。

○又た曰く、
『然るに 皇國の朝廷は、天地の限をとこしなへに照しまします、 天照大御神の御皇統にして、すなはちその 大御神の神勅によりて、定まらせたまへるところなれば、萬々代の末の世といへども、日月の天にましますかぎり、天地のかはらざるかぎりは、いづくまでもこれを大君主と戴き奉りて、畏み敬ひ奉らでは、 天照大御神の大御心にかなひがたく、この 大御神の大御心に背き奉りては、一日片時も立ことあたはざればなり。然るに中ごろ、此ノ道にそむきて、朝廷を輕しめ奉りし者も、しばらくは子孫まで榮えおごりしこともありしは、たゞ、かの禍津日神の禍事にこそ有リけれ。いかでか是を正しき規範とはすべき。然るを世ノ人は、此大本の道理、まことの道の旨をしらずして、儒者など小智をふるひて、みだりに世々の得失を議し、すべてたゞ異國の惡風俗の道の趣を規矩として、或はかの逆臣たりし北條が政などをしも、正道なるやうに論ずるなどは、みな根本の所たがひたれば、いかほど正論の如く聞えても、畢竟まことの道にはかなはざることなり下々の者は、たとひ此大本を取り違へても、其の身一分ぎりの失なるを、かりにも一國一郡をも領じたまふ君、又たその國政を執ん人などは、道の大本をよく心得居給はではかなはぬことなり。されば末々の細事のためにこそ、唐土の書をも随分に學びて、便によりて其のかたをもまじへ用ひ給はめ、道の大本の所に至りては、上件のおもむきを、常々よく執へ持て、これを失ひ給ふまじき御事なり。惣じて國の治まると亂るゝとは、下の上を敬ひ畏るゝと、然らざるとにあることにて、上たる人、其ノ上を厚く敬ひ畏れ給へば、下たる者も、又つぎつぎに其ノ上たる人を、厚く敬ひ畏れて、國はおのづからよく治まることなり

○又た曰く、(この邊が重要だ)
『さて又上に申せるごとく世ノ中のありさまは、萬事みな善惡の神の御所爲なれば、よくなるもあしくなるも、極意のところは、人力の及ぶことに非ず。神の御はからひのごとくにならでは、なりゆかぬ物なれば、此の根本のところをよく心得居給ひて、たとひ少々國のためにあしきことゝても、有り來りて改めがたからん事をば、俄にこれを除き改めんとはしたまふまじきなり。改めがたきを、強て急に直さんとすれば、神の御所爲に逆ひて、返て爲損(しそん)ずる事もある物ぞかし。すべて世には、惡事凶事も、必ずまじらではえあらぬ 、神代の深き道理あることなれば、とにかくに、十分善事吉事ばかりの世ノ中になす事は、かなひがたきわざと知るべし。然るを儒の道などは、隅から隅まで掃ひ清めたるごとくに、世ノ中を善事ばかりになさんとする教へにて、とてもかなはぬ強事(しひごと)なりさればこそ、かの聖人といはれし人々の世とても、其の國中に、絶て惡事凶事なきことは、あたはざりしにあらずや。又人の智慧は、いかほどかしこくても限ありて、測り識りがたきところは、測り識ことあたはざるものなれば、善しと思ひて爲ることも、實には惡く、惡しゝと思ひて禁ずる事も、實には然らず。或は今善き事も、ゆくゝゝのためにあしく、今惡き事も、後のために善き道理などもあるを、人はえしらぬことも有リて、すべて人の料簡にはおよびがたき事おほければ、とにかくに世ノ中の事は、神の御はからひならでは、かなはぬものなり』と。


 ・・・う~む。さすがに深いなア・・・。時局對策協議會に關はる野生としては何とも考へさせられる一節である。
 良き事も惡ろき事も人智の及ばぬ神の御所爲であり、更らには、惡事も凶事も後々善事となることもあり。こゝまでは分かる。
 但し、
 「神代の深き道理あることなれば、とにかくに、十分善事吉事ばかりの世ノ中になす事は、かなひがたきわざと知るべし」
 「すべて人の料簡にはおよびがたき事おほければ、とにかくに世ノ中の事は、神の御はからひならでは、かなはぬものなり」
 と仰るならば、至善を望み、欲し、爲めに微力を捧げることは愚かであるといふことなのだらうか・・・。


○本居宣長大人、この愚問に御答へ下さる可く曰く、
然らば何事もたゞ、神の御はからひにうちまかせて、よくもあしくもなりゆくまゝに打ち捨ておきて、人はすこしもこれをいろふまじき(構はないでおく、の意)にや、と思ふ人もあらんか。これ又た大なるひがことなり人も、人の行ふべきかぎりをば、行ふが人の道にして、そのうへに、其事の成ると成らざるとは、人の力に及ばざるところぞ、といふことを心得居て、強たる事をば行ふまじきなり。然るにその行ふべきたけをも行はずして、たゞなりゆくまゝに打ち捨ておくは、人の道にそむけり。此の事は、神代に定まりたる旨あり、 大國主命、此の天下を 皇孫尊に避奉り、 天神の勅命に歸順したてまつり給へるとき、 天照大御神 高皇産靈大神の仰せにて、御約束の事あり、その御約束に、今よりして、世ノ中の顯事は、 皇孫尊これを所知看すべし。 大國主命は、幽事を所知(しらず)べしと有リて、これ萬世不易の御定めなり。幽事とは、天下の治亂吉凶、人の禍福など其の外にも、すべて何者のすることゝあらはにはしれずして、冥に神のなしたまふ御所爲をいひ、顯事とは、世ノ人の行ふ事業にして、いはゆる人事なれば、 皇孫尊の御上の顯事は、即ち天下を治めさせ給ふ御政なり。かくて此の御契約に、天下の政も何も、皆たゞ幽事に任すべしとは定め給はずして、顯事は、 皇孫尊しろしめすべしと有るからは、その顯事の御行ひなくてはかなはず。又た 皇孫尊の、天下を治めさせ給ふ、顯事の御政あるからは、今時これを分預かり給へる、一國々々の顯事の政も、又なくてはかなふべからず。これ人もその身分々々に、かならず行ふべきほどの事をば行はでかなはぬ道理の根本なり』と。

○又た曰く、
『惣じて世ノ中の事は、神の御靈にあらではかなはぬ物なれば、明くれ其の御德(めぐみ)をわすれず、天下國家のためにも、面々の身のためにも、もろゝゝの神を祭るは、肝要のわざなり善神を祭りて福を祈るはもとよりのこと、又た禍をまぬかれんために、荒ぶる神をまつり和すも、古ヘの道なり。然るを人の吉凶禍福は、面々の心の邪正、行ひの善惡によることなるを、神に祈るは愚なり神何ぞこれをきかんとやうにいふは、儒者の常の論なれども、かやうに己が理窟をたのみたてゝ、神事をおろそかにするは、例のなまさかしき唐戎の見識にして、これ神には邪神も有リて、よこさまなる禍のある道理を知らざる故のひがことなり』と。(句讀點、送り假名は小生による改變アリ)



 ・・・つまり難局を打開せんとすれば、かういふこゝろを忘れてはならないのだ。かういふ心とは大和心だ。
 この視點を失つてしまつては(唐心で時局を睨んでは)、時局を論ずるも、對策を評議するも、果てなき堂々巡りを繰り返すのみにして。畢竟、(唐國であれば兎も角も)神州に於ては何もならぬのであるな。
 皮肉を云へば、(支那)儒教の思考を抱いて、(日本的)儒教を駄目と云はゞ、それは如何樣に考へても復古に撞著せず、それこそ一體いづ國の民だか身元が分からなくなつてしまふのである。


 『玉匣』は本卷と別卷とがある。本卷は『祕本 玉くしげ』で知られ、政治の具體策を講じた實踐篇。別卷である所謂る『玉くしげ』はその理念篇である。やうやく昨日、實家で讀了したのである。
 こゝに抄録したことは勿論『玉くしげ』の第一義ではない。されど、我らが云ふ所謂る啓蒙運動の根本義を更らに深化させる一考となるであらうと確信して疑はない。
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 それにしても。『玉くしげ』の上梓は實に二百年以上も前である。
 二百年以上經過して猶ほ、かくのごとき光を失はず、のみならず煌々と輝き、二百年後の我々をして贊嘆擱く能はぬ學問とは奈何。歴史を持たない現在の共産支那が日本を決して越えられぬ理由が、これひとつをして正に物語つてをるやうなものではないか。
 今はまだ少しその段階でないかも知れないが、將來的に必ず、かうした學問、思想、そして人物が期せずして出現し、國内に正氣を風靡することであらう。實に樂しみだ。




 ・・・・今日の更新は疲れた(汗)
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by sousiu | 2011-06-16 18:07 | 先哲寶文

神奈川有志の会再び。 

 昨日は「神奈川有志の会」懇親會へ。
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 二个月に一度行はれるこの會合も、實に五个月近く開いてしまつた。
 ・・・といふのも、支那人である店主夫妻が先の震災で、支那へ歸つてしまつた爲めだ。
 こゝの店主に限らず、支那人を始め、多くの外國人が地震と放射能汚染を恐れて歸國した。

 日が經ち、夫妻が戻つて來たので、久し振りに懇親會が復活した、とかういふ次第である。


 本當か嘘かわからぬが、被災地では支那人の惡黨一味が無道の限りを盡したといふ。
 こゝの店主夫妻のやうな宜い外國人が歸國し、癡漢一味が日本に殘り惡事をはたらくといふのは我々にとつては實に我慢がならん。まことに怪しからんことだ。怒。


 ・・・小生も排害社に入社しようかな。
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by sousiu | 2011-06-15 18:28 | 小論愚案

大阪へ 二 

 大阪へ着いた翌日、六月十二日は志賀ナビに隨ひ、寢屋川で行はれてゐるといふ全國愛國同志社連盟の驛頭演説會に飛び入り參加。
 得體の知れない關東者の突如とした登場にも、主宰團體諸賢は快く迎へてくれた。
 この演説會は他團體の方々もをられ、その中には日頃御世話になつてゐる日本民族行動会議の細田議長の姿があつた。
 到着した時は、恰度細田議長が演説をしてをり、小生の顏を見ると議長はマイクを握りながら驚いた顏をしてゐた。

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↑ ↑ ↑ 日本民族行動会議・細田政一議長。

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↑ ↑ ↑ 得體の知れぬ關東者。

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↑ ↑ ↑ 全國愛國同志社連盟諸賢。


 大阪の團體も熱い。大阪には大阪の、神奈川には神奈川のスタイルと云ふものがあるのだらうが、だから良い。皆同じでは面白くない。志と熱と意氣は同じであれば、それで宜いのだ。


 その後は、志賀君の案内により同和地區他、神社、忠魂碑などを訪れた。
 同和地區は反近代・・・とした意識があつてのことか否かは分からぬが、昔の風情が遺されてをり、野生何故か無駄に近代化された無機質な都會よりも餘程心が安らぐのである。
 先日も日乘に記したが、野生はさうした場所を見學することが好きなのである。
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↑ ↑ ↑ 神崎新地に御座ます稻荷大神の前で。志賀君。


 この日の大阪は雨。志賀君の行きつけの居酒屋へ連れて行つていたゞき夕食。
 難有いことに志賀君からもう一日泊まるよう勸められたが、彼れは翌日、仕事だと云ふ。
 其の日の宿泊代を翌日の留守番代の手當てで相殺すると、野生のはうが損をするので、別れを惜しみつゝ歸路へと向かつた。
 歸路は豪雨。結局神奈川へ歸るまでの六時間、一度も雨の止むことは無く、相當しんどい走行であつた。
 泊まつたはうが良かつたな・・・。



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          ↑ ↑ ↑ オマケ。志賀邸を七年間留守番する忠犬「テン」君。
              志賀君版人面犬の如く、ウリ二つ。スゴイ面魂だ。
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by sousiu | 2011-06-14 03:53 | その他

大阪へ 一  

 前囘日乘を記して後、ぶらりと大阪へ。ひとり呑氣に東名、名神を西へ向かつた。
 宿泊先は日本實踐奉仕團・志賀君宅。と云つても前以て泊まる事を約束してゐた譯でもなく、向かふ道中での申入れだつた。彼れは良い漢だ。突然の小生の申入れを快諾してくれた(電話なので如何云ふ表情だつたかは判明せぬが)。

 午後三時半に横濱を發ち、名神「吹田」出口に着いたのは午後九時半。
 かうしてみると熊本から横濱まで自轉車で來た鈴木田君を改めて凄いと思ふ。いや、凄いといふよりも、相當變な人物だな・・・。

 車のナビが壞れてゐるので「吹田」からは、志賀君のナビが必要だ。
 だが彼れは恰度、地元消防團の送別會に參加してをり、まさかそれを拔け出してくれとまでは頼めない。
 彼れの到着を車内で寢て待つた。

 一見、呑氣で無駄に思へるかうした一日もなかゝゝ宜しい。

 箕面氏にある志賀邸のまはりは、高臺なのか景色も良く、蛙の合唱あり、まことに氣に入つた。
 秋は紅葉の景觀で有名な地だと云ふ。ますゝゝ良。

 愚案。彼れの一室を小生の書齋としては如何か。今、荷物の大移動も考へてゐる。無論、下宿代は只でな。
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by sousiu | 2011-06-13 14:50 | その他

日々發見、日々求學、日々求道  

 昨日は『芳論新報』脱稿。
 復古、還自然主義の國内に漲るを念じつゝ筆を・・・いや、キーボードをたゝいた。

 多少に關はらず震災に絡めた内容が多くなる。
 日々・・・とまでは云はぬまでも、今日、發見が多くあるからだ。

 そのやうな折、國難に遭遇して何ら禽獸と化す可からざるの我が眞相を記した先哲玉文に接す。
 尤も、大和民族は時間の經過と共に別人になるわけでもなし。固より我が國體の變はるでもなし。我が民族の本領も節操も、表層では變化あるも骨髓は今も昔も變はらぬものなのだ。

 されど先哲の文章はやはり凄い。凄いの一言だ。さう云へば先哲の玉文は今にして多く存し、加之、猶ほ曙光を放つてゐる。現在、國學や歴史に興味の無い者でも、一度は聞いた事があるであらう書名は一や二であるまい。さてゝゝ現在ベストセラーなどゝ騷がれてゐる保守陣營の一體何册の書が、百年二百年の後にも色褪せずに曙光たり續けるか。現代のみに通用する試論を思想と看做し、その論や書ばかりを重寶し、後世から「戰後の一時期は文運が衰へた」なぞと揶揄されないやう全國民・・・とまでは云はねども有志の求學求道に期待したい。


 小生は固より云ふまでもないが、戰後の保守には我が民族の本領を書き盡す力も乏しいと感じる。紀維貞翁の文章を以下に一部抄録したい。

 紀維貞翁、『國基』(安政二年)に曰く、
我が 皇朝 天祖 天孫、國紀を基としてより、以て今日に至る。 皇統綿々として、高きこと天の如く、重きこと地の如く、長く天地と、窮極あることなし。既に堯・舜の授禪なく、又、湯・武の放伐なし。是れを以て莽・操の纂奪なきなり。是れ極を立つるの美、然らしむと雖も、抑も亦た、水土に因りて、其の宜しきを異にするなり。雍冀の■■(解讀不能)、荊揚の稻粱、洞庭の■(魚+專=セン)、東海の■(魚+而=じゆく)、雲夢の芹、具區の菁、燕秦の粟、江南の橘、安邑の棗、水土の異なる所、物も亦た從つて變ず。燕趙に悲歌の士多く、秦に輕死の民多きは、是れ風土、之をして然らしむるなり。松膏を服する者は、其の心、欲寡く、葷韮を食ふ人は、其の心、淫なり。是れ飮食、之をして然らしむるなり。漢土の國たるや、瀕海遠きものは、數千里に至り、鱗介の屬、致し易からざるものあり。故に、上は王公より、下は庶民に至るまで、牛羊■(ケイ=鷄)豚を家に畜ふ。猶ほ、菜の園に在るが如し。大牢・小牢、以て天地を祀り、以て神明を祭り、以て賓客を饗す。凡そ祭あらば則ち殺し、賓あらば則ち殺す。其の他、冠婚殺さざるものなし。牛羊を殺すを視ること、猶ほ、菜蔬を■(屬+刂=き)るがごとし。未だ嘗て惻怛の色あらず。是を以て、仁厚の風壞れ、暴厲の俗作る。日に變じ、月に化し、遂に凶年餓歳、人、相食むに至る。猶ほ、禽獸の如く然り。人道の廢れたる極まれりといふべし。 皇朝開闢より、以て今日に至る、歴世の久しき、未だ嘗て兵寇の亂なきにあらず、天下の民、未だ嘗て飢饉の災なきにあらず。然れども載籍の傳ふる所、未だ嘗て、人、相食むを聞かず。水土の■(左:女+中上:山+中下:兀+左:攵=び)惡、風俗の厚薄、以て其の一端を觀るべきのみ』と。


 餘談であるが、上記抄録を見て分かるとほり、「皇」「天(-祖、-朝他)」や「神」などの文字には全て缺字がしてある。かうした文字を明から樣に書いては畏れ多いので、ちやんと敬意を表して字を缺いてある。今の子供達は「入力ミス」と云ひさうで恐い。
 先哲は文章の内容や理屈のみならず、文字にすら謹愼たる姿勢がありのまゝ示されてゐる。
 「かうした缺字は戰前戰中の軍國主義により斯う記すやう強制された」と何か思ひ違ひされた方の言を聽いた事があるが、それは誤謬である。敬神崇祖尊皇は強制されて廣まつたのではないことを、一々説明する氣にもなれん。
 現代の保守系雜誌や出版社に缺字せよ、とまでは云はぬけれ共、「保守」だの「愛國」だの自稱するほどなれば、缺字を當然とした先哲の心ばへと姿勢はおほいに學ぶ可し。
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by sousiu | 2011-06-11 13:48 | 日々所感

文化傳承學會

 六月五日。
 市村悟兄が主宰する『文化傳承學會』へ。

 兄より申付けられるに「今後の思想運動の展望」を主旨として、『これからの右翼』と題した小話しを披露せよ、と。隨分と無茶な注文であり、兄の、こゝは一つ河原に恥でもかゝせてやれ・・・・・・と考へたかどうかは知る由もないが、固より誰れしも小生の卑見なぞ期待もしてをるまい。案外、皆と宜しく二時間を過ごした次第である。
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 それにしても小生の識る限り、神奈川縣維新協議會にせよ、單一團體の諸兄にせよ、強い向上心を以て此の陣營の住民となつてをられることがひしゝゝと傳はり、まことに頼母敷くある。勿論、他の方々も皆、さうなのであらうが、最近の若者(苦笑)は、求學求道なんたるかを心得、專心してをられる。かうした氣運は、實に歡迎せられる可きものである。

 遠からず街宣車を主翼とした運動は低迷と云ふ言葉が相應しくなければ極減する。
 それをして右翼が即、活動の場所を失つた、活動が停滯した、と云ふ譯ではないし、又たさうであつてはならぬのである。

 右翼のみならず保守の一般的に、やれ「正しい歴史認識を」だの、「日本の文化傳統を見直す」だの、少々切り込んで「天皇陛下を中心とした歴史、文化、傳統を衞る」とか、市民團體的保守ではまだその域まで充分達してゐないやうであるが「國體護持・明徴」とかの言葉が飛び交ふ。尤もらしい自己紹介に過ぎぬスローガンの連呼よりも、斯く發言する人らは小生を含め、もつとゝゝゝその文化にしろ傳統にしろ、歴史にしろ学習考究する必要と餘地がある。それが順序だ。


 この日の朝、愚妻方の太母が鬼籍に入りたとの訃報あり。九十五歳、大往生であつた。
 翌日の六日は通夜式、昨日七日は告別式に參列した。
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by sousiu | 2011-06-08 13:46 | 報告