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反中共デー東京大會參加  

 昨日は毎年この日に行はれる、反中共デー東京大會に參加。
 今年も、年齡や黨派の別なく、大勢の有志が集まつた。
 市村悟兄の名司會振りが遺憾なく發揮され、大會は始まつた。

 この日野生は、なにやかにやと忙しくて一睡もしてをらず、デモ行進が始ると寢不足がたゝりフラヽヽしてしまつた。
 よつて、體調を整へようと、殿後である大日本愛国党の車輛に乘せていたゞいた。
 大會中、大日本愛国党・中川幸右基兄の注意事項に曰く、『具合ひが惡くなつたら、救護者が列の最後尾に付いてありますので遠慮なくお申し出下さい』と。
 舟川孝、工藤正也兩先輩の手篤い看護を賜はり、十分か、卅分位ゐか、或いはもう少しか、時計が無かつたので定かではないが、兎に角、大分體調も宜くなつたので再び隊列に加はつた。
 そんなことがあり、歸宅して直ぐ假眠。起きると今になつてゐた。
 再び寢る前に、すごい眠い目をこすりながら、早速、當日乘で今日の反中共デー東京大會の報告を。自分で云ふのもなんだけれども、眠いのに報告するとは、我れながら感心だ。↓↓↓
 ■■九月廿九日 9・29反中共デー東京大會參加■■ http://douketusya.exblog.jp/13718624/

 本日、デモでは餘り活躍出來なかつたのも、これで相殺であらう。

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↑↑↑寫眞。見えないかも知れないが野生はあの中。



●本居宣長大人、『玉勝間 七の卷 ふぢなみ七』(寛政十一年)に曰く、
もろこしの國の古の人、すべて、あだし國あることをしらず、おほかた國を治め、身ををさむる道よりはじめて、萬の事、みなその國の古の聖人といひしものの、はじめたるごとく心得て、天地の間に、國はたゞわれひとり尊しと、よろづにほこりならひたり、云々』と。
「支那の國の古い人(支那人は昔から、と譯す可き乎)は、總じて他所に國あることを識らず、凡そ治國修身を始め全ての事は、皆自國の聖人と稱する人が創めたものと考へて、天地の間に國といふものは、たゞ一つ支那のみ尊いと萬事誇り、自慢することに慣れてゐる。支那人て本當に馬鹿なのだなア』と。(注「支那人て本當に馬鹿なのだなア」は野生による)

●淺見絅齋先生門、佐々木高成翁『辯辯道書』(元文二年)に曰く、
君臣は天地の道なり。異邦(支那)は匹夫寒家の者といへども、智勇才徳有る者は、天子を殺し、國を奪ひて、己れ國王の位に居る。是れ天地反覆するに非らずして何ぞや。縱令(たとへば)天降りて地となり、地昇りて天となるに齊し。豈に人の道と云ふべけんや。禽獸に劣れり。蜂蟻に君臣あり、鳩に三枝の禮あり、犀狼の天を祭る、あたかも異國の人(支那人)に勝れたり』と。

 おやすみなさい。
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by sousiu | 2011-09-30 03:03 | 報告

先人の曰く、努力すれば成るもの也、と。

 今日は、またゝゝ歌を詠まうと、常に歌のことばかり考へてゐた。
 まだ習ひたてなので當然なのであるが、これが本當に六ケ敷いものなのだ。
 福永眞由美先生は、おほいに惱んで苦しむことは、自分との戰ひであり、それを乘り越えて初めて得るものがあると御教へ下さつたが、何せ四十路われ、だ。野生の胡桃のやうに固くなつてしまつた腦味噌では、ちと不安である。

 されど、野生の好きな言葉は『求學求道』。ヘコたれずに頑張らねばならない。
 野生は、かうした時、本居宣長先生の『うひ山ぶみ』の一節を拜讀し、野生の勵みとしてゐるのである。


●本居宣長大人、『宇比山踏』に曰く、
『詮ずるところ學問は、ただ年月長く倦ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、學びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也、いかほど學びかたよくても、怠りてつとめざれば、功はなし、又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生れつきたることなれば、力に及びがたし、されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有物也、又晩學の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり、又暇のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也、されば才のともしきや、學ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて、止ることなかれ、とてもかくても、つとめだにすれば、出來るものと心得べし

 拙きながらも譯文すれば、
「詰まるところ學問は、たゞ年月長く倦まず怠ることなく勵み努めることが肝要であつて、學び方はどの樣でも宜いもので、それほど拘はるところではない。如何ほど學び方が宜いにせよ、努力を怠れば功は無い。又た個々の才があるのと無いとによつて、其の功は結構異なるものだけれども、才不才は生まれつきのものなので、努力では及ぶものではない。しかし大抵は、不才の人と雖も、怠らず努力すれば、それ丈の功は成すものだ。又た、學問を遲く始めた人でも努力し勵めば、案外に成功することもある。又た、暇の無い人でも、案外、暇のある人よりも功績を成すものである。だから才能の乏しい事や、遲く學び始めた事や、暇の無い事を理由として、學問に對する思ひを諦めて止めてしまつてはいけない。兎に角、努力すれば、學問は出來ることを心得る可し」といふことになる・・・・のだと思ふ・・・。

 先進は、いづれも嚴しく、そして優しい。
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by sousiu | 2011-09-28 00:04 | 先哲寶文

八十年前は昔なるか。 

 昨日は就寢前に、行地社の『月刊日本』を拜讀。
 行地社は、大正十三年に大川周明博士他により結成された團體だ。

 恰度八十年前の機關紙であるが、現代の我々が讀んで充分頷ける、と云ふよりも參考になるものがある。
 主張は時代を反映させる。斯く世相を一顧せば、實にこの八十年といふ期間は、その間に大戰があつたにせよ、皮肉にも大きな變化があつたとは云へないのではないだらうか。

 もう少し云へば歴史上に於て、八十年とは正に一瞬であるのかも識れない。建國から六十二年しか經つてゐない中華人民共和國の人からみれば悔しいことだらうが、悠久の歴史を有する日本では、正に光陰の如くあるのかも識れない。


 その一瞬の中の一瞬といふ時間を與へられた我々が戰ひ、先輩から我々、我々から後輩、とそれを續けて、而してほんの刹那の、どういふ譯か巧い具合ひに機會を得た時の同人が、維新囘天の實を擧ぐ光榮に浴することが出來るのだ。羨ましき哉、正さに、その者は時代に選ばれたのだ。でもその者も、バトンを渡す先人があつたればこそ、その好機を逃すことなく存分力を發輝することが出來るのだ。かくも一大好機に際して焉んぞ身を惜しまん。幕末は、功成ると成らざるとに關はらず、死せると死せざるとに關はらず、その瞬間中の瞬間に遭遇し、先人は斯くも戰ひ、そして今猶ほ輝いてゐるのだ。
 そして又たこの百數十年、我れらが先進や先輩はみな、その一瞬中の一瞬に遭遇せぬかと、胸踊らせ、日々、求學求道を怠らず鐵心殉皇の志を研磨され過ごせられたに違ひない。次に神界の發動せられる秋が何時なのか野生には分からない。だが役立たずと雖も野生はその好機に是非、惠まれてみたいものだと思ふ。

 かう考へながら、いつの間にかぐつすり寢てしまつた。


 さて。少々長文となるが、つまり氣になつた所を以下に抄録したい。紙面上の掲載順ではないが、この順番で掲げるが讀み易いと思ふ。


●渾大防終吉氏『月刊 日本』第七十一號(昭和六年二月一日「行地社」發行)「國難打開の基調」項に曰く、
『~予は思想善導に盡瘁せらるゝ人々に多謝し、敬意を表すると同時に借問する。今日百弊の總根元たる衆愚政治の議會制度、舶來社會共産主義を釀造する處の資本主義的經濟制度、人心より敬神・敬上・守徳の心を失はしめ、蔑神・下剋上・輕徳の心を養成せしむる處の教育制度を廢止せずして、思想を善導するの途あるかと。予は斷言す、思想善導家等が現に爲しつゝあるが如き方法手段は、唯だ徒に舶來無政府主義及社會共産主義者の跳梁を助くる而已にて、斷じて思想を善導し能はずと
 嗚呼國人「誠」の心を眠りより覺ませよ、爾等の魂の衷に押込め居れる「誠」の心を甦らしめて、大に活動せしめよ。爾等の「誠」の心は必ず三千年間傳統の國風に從はざる限り今日の國難を打開し能はざる事を教へん。議會制度や資本主義的經濟や、智的萬能教育を撤廢せざる限り、今日の國難は斷じて消滅せざる事を教へん。今日の急勢は白色の諸氏が爲しつゝある處の、破屋に突張棒をして、其潰倒を防がんとするが如き姑息手段を止めて、寧ろ其破屋を倒し新に堅固なる家屋を建設するの賢なる事を教へん
「誠」を喚起せよ、「誠」を把握せよ、「誠」を守るは我國祖の令にして三千年間傳統の國是である。速かに西洋模倣の智的技巧を止めて、國祖の令に從はざれば、如來なる方法手段を講ずるも、國難は依然として消滅せぬであらう。今日の國難打開の途は、實に此「誠」の字を基調とするにある事を知れ』と。

●坂本箕山氏、「敬神尊皇」項(仝)に曰く、
『我等は、我等の祖先が受けし 皇恩、我等自身が受けつゝある 皇恩、我等の子孫が受くべき 皇恩。過去現在未來を一貫して被れる 天皇の恩に對し奉り、感恩報謝の誠意を捧げずして居られるべき。固より單に重れる恩を被れるがために感謝の念からのみ尊皇の誠を致すばかりではない。 ~中略~ 我等の 天皇は、天壤と共に悠久に彌榮えまします、生命の具體的根據にてあらせ給ふので、天皇を 皇神の御心のまゝに、有り難く懷かしみ思ひ奉り、無理屈無條件に仰ぎ尊び「何事のおはしますかは知らねども 忝なさに涙こぼるゝ」の信仰にて、一身を捧げ輔翼し奉るべきが尊皇の本質である。 ~中略~ 思想善導の運動は、先づ此の敬神尊皇の精神の鼓吹から出發し、全國民大衆に呼び掛けて、善處に導かねばなるまいと思ふ』と。

而して、大川周明博士の、卷頭言「局部と全局」(仝)に曰く、
●『人間には誰しも良心がある。良心があるから道徳的向上の念願がある。教化團體の或ものは、坂に難儀する荷車の後押しをしたり、途上の石ころを拾ひのけたり、紙屑を始末したりすることを、如何にも立派な道徳的行爲であるかの如く教へ込む。それ位のことなら誰でも出來るし、またそれが立派な善事であるならといふので、多くの青年が其の團體に加入し、安價に良心を滿足させて、當人だけは天晴れ聖人君子になつた積りで居るが、其實此事あるがために、却つて眞個の道徳的向上の歩みが止まつてしまふ。
 私は是と同樣の傾向を、多くの改造團體に於て見る。少しく氣概のある人間ならば、此儘に見ては居れぬ世の中である。血氣盛んな青年が改造を覺悟して奮起するのに何の不思議もない。また其の意氣があればこそ、國運が伸張して行くのである。唯だ憾むらくは、改造戰線の勇士が、或は巡査と喧嘩をしたり、或は工場で資本家と戰つたり、或は地主に反抗したりして、その都度改造のための戰鬪的精神に、一時的の滿足を與へて居るために、その戰線は殆ど前進せず、いつも同じ處に足踏みをして居るかたちである。いはゞ局部の戰爭に沒頭して、大局が却つて留守になつて居る有樣である。吾々は最も此點に注意しなければならぬ。吾々の期する所は、全局の改造であり、而して之に役立つことに全力を傾倒しなければならぬ』と。


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by sousiu | 2011-09-27 08:32 | 小論愚案

歌道講座へ行つてまゐりました  

 昨日は、二ケ月に一度、大東會館で行はれてゐる『歌道講座』へ。

 野生に與へられた宿題である、歌を持參した。
 これには、嘗て、備中處士樣より薦められて購入してあつた『現代語から古語を引く辭典』(三省堂)がおほいに役立つた。

 至らぬ子は譽めて育てよといふ福永武兄の御配慮か、初心者にしてはと一應、及第點をいたゞき、その上、福永眞由美先生からは添削を賜はつた。
 まあ、何のやうな配慮であれ、及第點をいたゞいたことは確かなので、安心して、下に披露したい。
 普段の野生は、反論も批判も結構なのであるが、今は天にも昇らんとする氣分なので、歌に對する苦言のコメントは御遠慮なされよ。


うるはしき 日本(やまと)の眞姿(すがた) 永遠(とこしへ)に あらはれけるは 歌道(うた)と知るかも

四十路われ 暑さ忘れて 歌の道 幼のごとく 學ぶ樂しき


 夜は、埼玉縣より醫療關係に從事する若村君が來横。疲勞囘復に效果のあるといはれる「牛黄」を澤山持つて來てくれた。
 終電ギリヾヽまで居酒屋で。歸へるころともなると、彼れ、歌を學び度いといふ。二首詠んだ丈で如何に野生が知つたか振りをしたか・・・。これで野生の今は天にも昇らんとする氣分を察していたゞきたい。

 
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by sousiu | 2011-09-25 19:03 | 報告

熊本愛郷新聞  

 もつこすずきだ君から、彼れの機關紙「熊本愛郷新聞 創刊號」が屆いた。

 北九州市を據點とした殉國青年塾の林吾朗兄の機關紙は、「福岡愛郷新聞」といふさうだ。これには及ばず乍ら、野生、創刊の御祝ひを寄稿させて戴いた。

 九州の若手民族派は愛郷精神によつて、國民精神の作興をはかり、以て眞正日本の恢復を期さう、との考へなのであらうか。その意氣や宜し。
 幕末では維新運動の前衞的活動を擔つた九州だ。おほくの傑物が輩出され、維新の舞臺に立つた。彼の地に於ける尊皇精神と愛郷精神は、小ならざる潛在力も爆發力も祕めてゐると思ふ。

 もつこすゞきだ編輯長の、「熊本愛郷新聞」に曰く、
 『先の見えない混濁の世だからこそ、目の前の政治問題に鼻息荒く悲憤慷慨するのではなく、我々の先人達がいかにして幾多の困難を乘り切つてきたのか、を歴史から學び、熊本人として、ひいては日本人としての自覺と自信を持つて行動することが必要不可缺です』と。
 こゝ數年、保守系市民團體が我々の後を追つて街頭に出で、見た目では分からぬ程になつてきたかと思へば、我が陣營の若手のある者は書籍を繙き國學に、又たある者は愛郷精神に、どんゞゝ求學求道、試行錯誤の驀進を續けてゐる。まつたく大したものだ。

 熊本愛郷新聞の内容は、熊本のことばかり。要するに熊本自慢だ。苦笑。しかし一顧すれば、自慢出來るほど自分の郷について能く理解してゐない人が多い。
 自分の育つた縣花すら知らぬ人が多いものなア。地方の人が都會に來て、方言や、出身地を恥ぢるなんていふ人も多い。これは御先祖や 産土大神に背する、近代日本の最も恥づ可き風習の一つだ。
 過疎に惱む田舍が、村起こしに頑張つてゐる。村起こしも宜いが、やはり缺けてゐるのは、愛郷精神だ。
 三月大變以降、遺憾にも放射能汚染によつて死地と化した郷がある。この期にあつて、愛郷精神は再び見直されねばならない。自分の古郷を自慢出來るやう、能く識る可きである。

 思ふに、もつこす編輯長は、讀者層を廣範圍としたものではなく、主に熊本縣や近縣の人達を對象としてゐるやうだ。
 とは云へ關東の野生でも讀んでゐて面白い。

 どれだけ宣傳しても、バツクマージンは頂けないやうなので、これ以上の宣傳はしないけれども、十二頁、年四囘發行、年間購讀料一千五百廿圓(送料込)ださうだ。詳しくは、http://gendousha.exblog.jp/16268839/
 を御覽あれ。
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by sousiu | 2011-09-24 01:35

神奈川有志の會  

 只今戻りました。

 ↓の日乘を記して、「神奈川有志の會」へ。
 今日の「有志の會」は、A新聞横浜總局のK女史も取材を兼ねて參加。市村兄、木川選手が持論を披露してゐた。
 野生の隣は、先日、三澤浩一先輩が發足した『河原をヤツつける會』に、名を連ねたと思しき伊藤満先輩。野生への叱咤もいつもと違つて、あまり元氣がないやうに感じた。持病が惡化してゐるのか、それとも野生に對する後めたさか。前者ならば心配だし、後者ならこのまゝ大いに反省して欲しい。

 護國鐵拳隊の海法文彦總隊長が、朝鮮學校への補助金に就て問題を提起してゐた。
 憂国清心同友会和心塾・吉岡茂樹塾長からも活溌な意見が出て、結局、十月に集會・デモを開催することに決定した。野生は、神奈川有志の會の、かういつた雰圍氣が好きなのである。加へて、有志の會のよいところは、運動をやらうと決意してから、あツといふ間に、主旨、日時場所、そしてそれゞゝの役割り分擔まで全てが決まつてしまふといふことだ。皆、氣持ちが一致してゐるのだと思ふ。脱線した時間を除けば、それこそ正味十五分ほどの時間があれば細かいところまで概ね決定してしまふ。
 それでは何時間も店の二階を占據する必要がないではないか、と料理店の主人は訝しげに思つてゐるであらう。女將は一旦入つたら中々出てゆかないこの一團には、いつもゝゝゝ苦勞してゐるのだから。

 「神奈川有志の會」は、脱線したらば何處までも脱線する。皆、氣持ちが一致してゐるのだと思ふ。
 運動をするも、取材に應對するも、脱線するのも、兎に角、神奈川有志の會は何をするにも眞劍だ。
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↑↑↑熱辯を振るふ義信塾・市村悟兄。脱線するのも眞劍だ。
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by sousiu | 2011-09-23 02:12 | 日々所感

颱風一過  

 地は搖れ、風は起こり。今年は本當に、自然の脅威を改めて考へさせられるものである。

 昨夜、横濱は颱風も去り、今日は快晴。と思ひきや、夕方にはどしや振りである。


 野生もこゝのところ、又た執筆に餘念なく、締め切りを目前に焦燥暗澹としてゐたものである。
 加へて明後日に控へた歌道講座までに歌も詠まうと決心。目出度く昨夜に、二つの原稿と、二首を終へたのである。

 生まれて初めて詠む歌は、難産中の難産であつた。産みの苦しみといふものか。

 とにかく、凡てを終へて、今朝からは晴れ々ゝとした氣分・・・・いや、待てよ。ある御方から申付けられた「寄せ書き」が依然として進んでゐない。噫。
 これから出掛けねばならぬので、典據を明示する時間がないのだが、先人の曰く「足るを知れ」のやうな言葉があつたと記憶する。その通りだ。
 颱風一過。されど晴れやかなるのも僅か一瞬であるのは、野生の心境と同じだ。
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by sousiu | 2011-09-22 18:50 | 日々所感

江のしまじやーなる  

 野生の友人といふか、知人といふか、顏見知りといふか、ちよつと分からないのだけれども、埼玉縣に玉川尚平君といふ人がある。
 玉川君は、南方熊楠先生を仰慕し、介護の仕事に從事しながら、自身も貝や魚に就て研究してゐる。↓↓↓
 南方熊楠貝類學研究所  http://ameblo.jp/marumiheike/

 彼れとの出會ひは十年ころ前か、大悲會主催の運動か何かで、中台一雄元會長に御紹介されたのだと思ふ。彼れが確かまだ十代であつた。
 いつだつたか、彼れから『河原さんが誰れか紹介してくれるとき、いつも僕を「變はつた男」と紹介する』と苦情をこぼされたことがある。これ以上、彼れに就ての説明は要しまい。

 だが、以前から、野生は彼れに就て感心してゐることがある。
 彼れは知り合つた當初から、一人で機關紙をコツヽヽ發行してゐる。それも月刊だ。その努力は竝大抵ではあるまい。野生は拜戴した全部の號を一應、取つてあるが、相當な分量である。

 最近、正假名を學び始めたといふ彼れだが、その進歩は頗る早く、間違ひも月を重ねる毎に減少してゐる。

 今度び、また彼れより機關紙『江のしまじやーなる』が屆いた。今號からは全ルビに挑戰したらしい。
 獨學なのであらう、誤りも尠くないが、尠くないゆゑに、彼れの苦勞を窺ふことが出來る。彼れの曰く、『ルビとは漢字を日本風にするスパイスだ』と。
 このルビも徐々に誤りが無くなり、いつしか彼れのものとなるであらう。野生もさうであつた。
 野生の友人といふか、知人といふか、顏見知りの變人といふか、ちよつと分からないのだけれども、主張は兎も角、彼れのその努力は認めざるを得ない。

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by sousiu | 2011-09-18 15:53 | その他

我が家の食客に就て  

 拙宅には十年程前から、食客がゐる。陸龜だ。

 一匹は、ロシアリクガメ。もう一匹はケヅメリクガメと云ふ。ロシアリクガメは餘り大きくならないのだが、ケヅメリクガメは十年ともなると頗る大きくなつてしまふ。その大きさでは勿論水槽では飼へず、宅内では往き來を自由として、すつかり一部屋を占領されてゐる状態だ。占據されたのは元來、野生の書室たる可き部屋だ。領土紛爭は、極めて小規模ながら我が家でも起きてゐる。野生の選擇は「勇氣ある撤退」だ。そして「近付かない」。要するに、餘り歸宅しないのは、決して理由なきことではないのだ。
 勿論、國家、國民がこの心掛けではならん。野生は大きな喧嘩をしても、小さな喧嘩はしない主義なのである。

 ところで、我が家の内紛は宜いとして。
 リクガメをみて常々思ふところがあつた。
 實物のリクガメを見たことのある人は承知であらうが、リクガメはスツポンと違ひ、甲羅が異常に固いのだ。おそらく、素手では缺くことすら出來まい。
 だが、こゝで不思議なことがある。リクガメの主食は野菜だ。肉類は食べない。いや、若しかすると食べる個體もあるかも分からぬが(專門ではないので分からない・・・)、尠くとも我が家の食客は野菜以外のものを食べたことがない。專ら、キヤベツ、小松菜だ。
 キヤベツは皆さん、御存じであらう。他の野菜にもれなく、殆どが水分で、乾燥すれば萎れてしまふ。
 これしか攝取することなくして、何故にあれほどまでに頑丈な甲羅が出來るのか。あの甲羅は何によつて出來たのであるか。

 主客顛倒の我が家ならでは、愚妻と會話することも少い野生であるが、若しかするとキヤベツの成分には、あれだけ頑丈になる要素が存在するかも識れない、と話したものである。

 さて。先日、友清歡眞大人の『靈學筌蹄』に就て觸れたのであるが、茲に、上記のやうなことが書いてあり、驚いたものだ。
●『靈學筌蹄』に曰く、『昔の希臘の閑人は面白いことを考へたものでたとへばアナクサゴラスなどいふ先生は、人間がパンを喰べて生きて行くところをみると、人間の血も肉も皆なパンの中に含まれてゐる筈、いろゝゝ異つた物質でも共通の性質を有つて居ると云ふのである』
 日本の相州の閑人、河原も、こゝまでは氣付いた。こゝが思考の限界であつたが・・・。汗
 而して、友清歡眞大人は續ける。
 曰く、『・・・余の考へでは萬有から金でも銅でも乃至ゴムでも砂糖でもアルコールでも豆でも馬肉でも鯨でも製出され得るものと信じて居る。たゞその方法が未だ發見されて居ないだけのもので、一切萬類の極微靈子(一靈四魂)は非心非物的のもので、それが物質的展開も精神的展開も開合の變化によるだけのものだからである。とは言ふものゝ人力には限りがあつて一切を爲し能ふものではない。農夫が米を作るといふが農夫の力や肥料の力を以て實際は米を作り得るものではない。これを作り得るのは神の神徳によるのである。農夫は神が米を作らるゝに適當なる動作を爲すだけのものである。親が子を拵へるといふけれど親は決して子を拵へ得るものではない。然るにこれが可なり無分別の方法によつて立派に眼も鼻も出來上がるのは神が拵へらるゝからである』と。

 『靈學筌蹄』に於て學ぶ可きは上記に掲げたことがらでは全然なく、そら奧の深いところへ讀者を誘はれる。固より皮相のみを識る野生が肝心肝要の箇所を抄録する丈の力もない。
 今度びは、先日、話題とした『靈學筌蹄』に就て、野生の興味深く感じたところの一つを掲載したに過ぎない。
 その眞髓に觸れむと思ふの方は、是非、御一讀あらむことを。
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by sousiu | 2011-09-17 07:08 | 小論愚案

第十囘 9・29反中共デー東京大會の御案内  

 中共(中國共産黨=中華人民共和國)は敵國です。我が國土である尖閣諸島を侵略しようと妄動する「反日」「共産」「中華」の三惡國家である中共との友好は斷じて存在しません。
 昭和四十七年九月廿九日、我が國は中共との國交を樹立しました。來年は所謂「日中國交正常化」四十年となります。しかし、我が國と中共との關係が正常かつ友好的であつた事はありません。主權侵害、内政干渉、領土および領海の侵犯など、中共による敵對行爲は數限りなく繰り返されてきました。
 中共の脅威に晒されてゐるは、我が國だけではありません。滿洲、南モンゴル、東トルキスタン(ウイグル)、チベツトなどに對する侵略・虐殺・苛政。また臺灣に對する侵略の野望。さらに中共に支配されてゐる全ての人民たちの苦難。中共の存在は、アジア全民族の脅威であり、人類の敵と斷言出來ます。
 我々は草莽の有志として、祖國の危機を坐視する事は、斷じて出來ません。平成十四年九月廿九日、所謂「日中國交正常化」卅年の秋、我々は中共との國交斷絶を勝ち取る爲め、第一囘9・29反中共デーを開催しました。第九囘となつた昨年、東京だけではなく、北海道(札幌)でも、東北(仙臺)でも、中部(名古屋)でも、關西(大阪)でも、九州(福岡)でも、反中共デー鬪爭は展開されてゐます。
 第十囘となる本年も「9・29反中共デー」の旗の下、勝利を目指して、同志道友が共に起ち上がり、共に鬪ふ事を熱望します。勝利を信じて、鬪ひませう。


[日時]

 九月廿九日(木)雨天決行
  午前十一時~集會開始
  正午~行進出發

[場所]

 三河臺公園(東京都港區六本木四の二の廿七/六本木通り沿ひ/俳優座の横)


[合意事項]

 超黨派の運動のため、會旗など團體の旗の掲揚は禁止します。また、車輛での參加および徒歩行進に適さない服裝での參加はご遠慮ください。


[告知事項]

 東京大會だけではなく、北海道大會(札幌)も、東北大會(仙臺)も、中部大會(名古屋)も、關西大會(大阪)も、九州大會(福岡)も開催されますので、奮つてご參加ください。
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by sousiu | 2011-09-15 02:25 | 運動案内