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明治天皇の御偉業をしのぶ 

 昨日は 明治天皇が崩御遊ばされて百年の日でありました。
 宮中では嚴かに「明治天皇百年式年祭」が執り行はれました。「皇靈殿の儀」におかれまして、天皇陛下は束帶をめされ、おそれおほくも國民の仕合せと國家の繁榮を御祈願あそばされる御告文が奉られました。
 京都の伏見桃山御陵では、勅使を御差遣あそばれ、「明治天皇百年式年祭の儀」が齋行されました。
 明治神宮では廿九日の十五時から「明治天皇百年祭前日の儀」が行はれ、昨日卅日は 天皇陛下からの幣帛が奉られまして、「明治天皇百年祭」が執り行はれました。
 懸けまくも畏き、明治天皇は、御若年にして、國内二分、外壓滔々、まことに稀有の國難に際せられました。 それにも關はらず 皇國は恰も亂れる麻の如き國情を一刀の下に兩斷し國内平定、加之、國威發揚、皇國の眞面目を發揮するに至つたことは、明治天皇の御威徳であることは申し上げるまでもなく、併せて、先人の 皇業を翼贊する、皇運を扶翼せむとする赤心が、忝くも神慮に達せられた爲めであることも決して忘却す可からざることである。

 今日、天變地妖未だ息む能はず。御時勢をみれば不安も累々、人心は是れ又た失望と猜疑と怯懦に支配され、政界をはじめ之を挽囘せむとの思案と試みが重ねられるも如何ともし難く、手を置く有り樣である。
 民間では、不平黨と不滿黨が跋扈し、自ら世直し氣分に浸るもその實、民主思想から出で來る無責任、他力本願なる苦情を連投し、混濁の世を一層、混亂せしめてゐる。
 斯くなる折、明治天皇百年祭がおこなはれましたことに、野生は寓意あるを思はざるを得ない。
 如上、明治御一新の偉業は、雲上より神慮冥助を給ひましたのみならず、下々の赤心、力めて皇恩に報ぜむとする民の志があつたことも忘れてはならない。

●福永武兄、不二歌道會發行『不二』(通卷第七百五十一號、平成廿四年七月廿五日發行)、卷頭言に曰く、
 『明治天皇百年祭を迎へるに當り、明治大神の御前に、我々は改めて祖國再建の祈りと誓ひを捧げねばならない』と。

 忠義の狗となるとも亂離の人とならず・・・。野生の常肝膽に銘ずるのことばだ。
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by sousiu | 2012-07-31 16:22 | 日々所感

皇都での一日 

 本日は、「正かなづかひの會」平成廿四年度總會及び講演會に參加(千代田區麹町)。
 野生は一昨年からか、この會に入會してゐるが、總會に出席したのは今囘が始めてだ。

 中村信一郎先生、川畑賢一先生ほか諸先輩に御挨拶を申上げる。

 講演會の講師である川畑先生の御高話は、頗る感じるところがあつた。
 口語體は時代によつて千變萬化するものであり、然るにこれのみで馴れてしまつては、古典をはじめ、歴史的文獻を讀み解くことは出來なくなつてしまふ―、といふ件りは、全くその通りであると思うた。かうして考へると、國語表記は單なる學問的一分野の問題に止まらないのである。而して、現代假名遣ひは文語體に用ゐるも難し。穴あき五十音の矛盾を放置せぬ爲めにも、小學校で正假名づかひを學ばせる可きであることを力説された。
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 この會は啻に、趣味的同好者の集りではなく、目的意識と計畫性を持つて躍動してゐる。
 野生はあまりにも非力な爲め、今は只管ら螳螂の斧を揮ふことで精一杯であるが、おほいに發展していたゞきたいと願ふものである。


 歸りはひとり、皇城へ赴く。遙拜する野生を指してツアーかと思はれる支那人の一團が大聲で何か語り掛けてゐた。
 まア、支那人らは、皇國に對する羨望が半分、畏怖が半分といつたところでなからうかと思ふので(どの道、何を云うてゐるのか、さつぱり分らぬし)氣にもならないのであるが、問題は日本人だ。
 皇居前廣場に休む人達も、もう少し場所と振る舞ひを辨へた方が良い。どこかの團地内の公園とでも思うてゐるのだらうか。日本人が自らこれであるから、宮城を訪れる外國人らの姿勢も正されぬのである。
 已んぬるかな、場所が場所だけに、さうした無知蒙昧な人らを如何樣にす可きか思案も浮ばず、仕方ない、歸路、一首を詠みつゝ忿懣を慰めるほか無かつたのである。
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  宮城の 尊き知らぬ 國民(くにたみ)も
       道教へざる 世の生みしもの
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by sousiu | 2012-07-29 01:14 | 報告

如何なる事にても 朝命に背かざる無二赤心也矣 

 畢竟、右翼而已が、その逞しき尊皇心の所有者ではない。
 若し斯く信じて疑はぬ内堀の住人あるならば、そは傲慢以外の何物でもなく、同時に斯く信じて疑はぬ外堀の者あるならば、そは誤見の甚敷きものである。
 後光明天皇の御代に生きた、正五位 奧八兵衞大人は魚屋であつた。
 魚屋のみならず、討たれる側にも尊皇の志が存したと云うたは昨日の記事だ。
 勿論、今日、右翼と呼ばれる吾人が鐵心尊皇の一團である可きは云ふまでもない。
 但し野生は、一種の傲慢から出でる、生かざる尊皇論を弄ぶ氣にはなれないのである。眞の自尊心は、傲慢からは決して出でるものではない。

 ふとした時代の潮流に際して、敵と定められたる側の、皇室尊崇の心を識りたくなつたのは、かくなる理由と動機に因るものだ。謂はゞ、自身への戒めだ。
 尤も野生は、敵側の擁護者でも辯護人でもない。
 固より、歴史上には、墓に鞭打たずんば氣も休まざるほどの賊も少なくない。
 だがしかし、くどういやうだがそれらが總てではない。對手の側にもその心事に立ち入れば尊皇心あり、商人の中にも尊皇家あり、或は無名の内にも逞しき勤皇家があつたことも、是れ又た動かす可からざる事實である。少なくとも野生は、大和民族みなこれ 天皇の赤子であると信じるがゆゑに、安易に至らざる者を指して、國賊と呼び捨てる氣にはなれないのだ。
 當然、逆も又た然り。歴史上には不屆きなる自稱尊皇家もあり、土蜘蛛神道家さへある。抑も現代に於て、自稱尊皇家ほどあやしむ可き者もない。笑止。
 野生は他を責むるの遑あらず、又たその心もなし。啻に自身が不屆きならざるやう研鑽するあるのみ。

●從三位、勳二等 山岡鐵太郎公、明治十五年、『慶應戊辰三月 駿府大總督府ニ於テ西郷隆盛氏ト談判筆記』に曰く、
『戊辰ノ年官軍。我主徳川慶喜御征討ノ節。官軍ト徳川ノ間(あひ)ダ隔絶。舊主家ノ者如何トモ盡力ノ途ヲ失ヒ。論議紛紜。廟堂上一人トシテ。慶喜ノ恭順ヲ大總督宮ヘ相訴ル者ナク。日夜焦心苦慮スルノミナリ。其内譜代ノ家士數萬人。論議一定不致(いたさず)。或ハ官軍ニ抗セントスル者アリ。又ハ脱走シテ事ヲ計ラントスル者アリ。其勢言語ニ盡ス能ハザルナリ。舊主徳川慶喜儀ハ。恭順謹愼。朝廷ニ對シ公正無二ノ赤心ニテ。譜代ノ家士等ニ示スニ。恭順謹愼ノ趣旨ヲ嚴守スベキヲ以(もつて)ス。(もし)不軌ノ事ヲ計ル者アラバ。予ニ刃スルガ如シト達シタリ。故ニ余(「余」は鐵舟公のこと)舊主ニ述ルニ。今日切迫ノ時勢。恭順ノ趣旨ハ如何ナル考ニ出候哉ト問フ。舊主示スニ。予ハ 朝廷ニ對シ公正無二ノ赤心ヲ以テ謹愼スト雖モ。朝敵ニ命下リシ上ハ。トテモ予ガ生命ヲ全スル事ハ成マジ。斯迄衆人ニ惡マレシ事。返ス返スモ嘆カハシキ事ト落涙セラレタリ。余舊主ニ述ルニ。何ヲ弱キツマラヌ事ヲ申サルヽヤ。謹愼トアルハ詐リニテモ有ンカ。何カ外ニタクマレシ事ニテモ有ベキカ。舊主曰予ハ別心ナシ。如何ナル事ニテモ 朝命ニ背カザル無二赤心ナリト』と。※括弧及び括弧内は野生による。
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by sousiu | 2012-07-28 02:56

最近、夢中になつてゐること。 

 目下、福岡縣にある「芳論新報社」の機關誌『芳論新報』に於て、徳川時代に就て、毎月狹見をつゞつてゐる。

 野生思ふに、皇國に於ける一大政變の顯著な成功例は、明治維新を最近としてみなければならぬ。
 當時の政治體制や時代環境と、今日のそれとが異るのは當然であるが、野生の微志が復古中興に歸さんとするものであれば、仆される可き徳川時代を識ることも決して無益でないと考へものである。

 それ、とは、明治維新何たるかを考へるとき、その原動力と云はんか、動機と云はんか、皇室尊崇の志を見出さゞる能はざることは申すまでもない。
 そこで生じ難ねぬのは、仆した側が官軍であつたから、仆された側(つまり幕府)に、尊皇心、戀闕の情が皆無とまで云はずんば僅少であつたと見做すの誤解である。
 慶應動亂が「攘夷派對開國派」、乃至は「討幕派對佐幕派」と一語に附して説明すればそれまでであるが、實際はこのやうな單純で一面的な對立構造ではない(個人的、或は一派的暗鬪や明爭はあつたにせよ)。以爲くこのやうな圖式による説明は、後世の淺薄な歴史家による便宜上のものである。開國的討幕派もあつたし、攘夷的佐幕派もあつた。公武合體派にも詳察すればそれゞゝ相違はあつた。いづれにせよ日本に於て、討つ側にも討たれる側にも、皇室崇拜の念があつたことは疑ふまでもない。

 では、何故に徳川幕府は仆されねばならなかつたのか。
 そは、武家による政治體制が日本の眞相からしても、御國體の上からみても、餘りにも變體であつたからだ。
 固より武家政治の發端には、變體ならざるを得なかつた理由はあつた。
 だが、下剋上を常態とした國内戰亂の時代も終熄、徳川幕府の、謂はゞ、應急措置的任務は、二百六十年をして既に用無きを得た。尤もそれが幕府側の自悟するところであつたか否かは姑く措くにせよ。

 幕府に、乃至は佐幕の士に、戀闕の念が無かつたと一蹴しては、何も學ぶところが無くなつてしまふ。
 勝てば官軍、負ければ賊軍といふが、それはその通りであるけれども、極端なる思考は無理解に陷り、維新後に生じた明治初期の悲しむ可き確執や祖語、そして對決の眞相を見誤らせてしまふのである。
 然るに野生は、彼れら仆される可き側であつた徳川幕府の内にも尊皇の念があつたことを認め、これを繙く可く試みに沒頭してゐる。世に人の云ふ、戰前史觀と戰後史觀は大に隔るものあり、と。だが何うであらう、維新前史觀と維新後史觀の懸隔は、それに倍して猶ほ餘りあるほどでは無かつたか。

 譯知り顏で論ずるほどの研究も達し得てゐないので、何らこれに就てこゝで述するわけにもまゐらぬが、日本はやはり深奧なることこの上ないと識るものである。乞ふ諸賢の御教導得られむことを。
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by sousiu | 2012-07-27 19:21 | その他

甚だ御無沙汰致し居り候ふ。

 春眠・・・と申すには些か時期外れでありますが、惰眠を貪り過ぎたやうです。

 備中處士樣から直接御電話をいたゞき(以爲く、野生の惰眠を永眠と誤解されたのではあるまいか)、昨日は福永眞由美先生から「ブログは一體如何したの」と御心配を御掛けするに至り・・・、他にも御來車される皆樣から御苦情をおほく頂戴しました。
 このまゝの爲體くでは木川兄より賜はつた「腱鞘炎知らず」も返さねばなりませんし、よつて再び、更新を重ねてまゐりたく存じます。

 長夜の惰眠はリハビリを要しますので、即、毎日更新とはなりませんでせうが、改めて、宜敷く御願ひ申上げます。
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by sousiu | 2012-07-22 18:14 | その他