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正假名を使おう・・・ぢやないよ、「使はう」だよ。 

 少し古いネタだが、とある所から以前(・・・昨日ぢやないよ)「ふなばし市議会だより」といふ廣報紙を入手した。(No.206、平成廿四年一月廿五日發行號、發行「船橋市議會」)
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↑↑↑↑「ふなばし市議会だより」
 ま、紙面は、ありきたりな内容と、市議會を運營する人達の寫眞と各黨派の主張。


 そこで「自由市政会」なるところの紹介欄で、
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 なんと正假名正漢字を使用してゐた。なかゝゝ進んでゐるね、「自由市政会」(神奈川縣藤澤市民の野生には詳しく知らないけれども)。それにしてもこれは大したものだ。
 古臭いことで“進んでゐる”といふのも一見、おかしいやうであるが、日本は革命の絶無な國であるから、國家がある切つ掛けを以て試行錯誤を繰り返し乍ら歩を進め、頓挫し折り返へすと又た復古となる。かく考へれば、今日に於いては既に頓挫の陰りを見せてゐるのだから、「復古」は所謂る「進歩的」と云うて差し支へないのだ。これは日本固有の現象だ。而して見れば、左翼なんざ、今日に於いて、既に古臭いのだ。
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 藤澤市民の野生では、應援しようもないけれども、かういふやうに、自國を重んずる議員達には、是非共頑張つてもらひたくなるものだ。
 正統なる「國語表記」を重んじる地方議員のあることを、まことに心強く思ふものである。


 
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by sousiu | 2012-10-20 01:10 | 報告

地味な運動もあるよ 

 本日は新宿區某所で、國語の正統表記奪還の爲めの作戰會議が行はれた。
 魚谷哲央・福田邦宏兩氏が問題を提起し、會議は白熱、我々はより一層高度な戰略を以て、今日歪められたる國語表記、所謂る「占領表記」といふ固有文化への干渉を木ツ端微塵に粉碎せんことを誓つた。
 たかが國語表記と考へる勿れ。或は一學問的分野に止まる問題と思ふ勿れ。我々はその一見して「たかが表記」と思へる今問題の裏面に、桑港講和條約が締結されて猶ほ、彼れらによる占領政策は未だ底止することなく、而、日本人が去勢されてゐる儼然たる事實を看破せねばならないのである!!
 從つて、これは「問題」などといふ次元で語るシロモノではなく、正しく「思想戰」であると定義しなければならない!!思想戰である以上、我々は占領表記を跡形もなく粉碎するその日まで、前衞的戰鬪者としての自覺を堅持し、之と戰ふものである!!!



 ・・・・と、何處かの團體のアヂテーターみたいに大袈裟に口角泡を飛ばしてみた。やはり恥づかしいね・・・。汗。
 ま、今日の會議での結論は、各々正假名つかひを愛用しよう、とかういふこと。地味なもんだが、運動とは、決して派手なモノばかりでない、つてこと。をはり。
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by sousiu | 2012-10-19 00:16 | 報告

克苦啓蒙 

 野生は和本マニアだ。
 和本は、洋書と違ひ、紙は和紙で柔らかく、表紙の「平」と呼ばれる頁も厚くなく、更に「和綴ぢ」と云つて絲で止めてある丈なので、立てゝ保管することが困難なのである。
 おまけに本の「背」の部分がないので、積み重ねてしまふと探して出すのも一苦勞となる。
 (因みに鈴屋刊行本は表紙の色に青若しくは水色が多く、氣吹廼舍は濃紺、水戸學系は黄或は紺、とそれゞゝ獨自の愛用する色があるのか、大凡區別されてあるので分り易い)
  ※本の部分の名稱→http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/osaka/book_bui.html
 扱ひも愼重にせねばならず、亂雜にすれば紙は破れ(既に蟲が喰つて破れ易くなつてゐるものも珍しくない)、絲が切れ、悔しい思ひをせねばならない。
 だが、それでも、和本の魅力は、強ひられる面倒を倍して猶ほ餘りあるものがある。

 今でこそ、印刷技術や紙の製造は發達し、人家に普及されてゐるが、當時は大變貴重なものであつた。
 現在は出版が安價であるとは云はないが、嘗て書を刊行するといふことは、それこそ難儀至極であつたのである。

 當時は紙が貴重であつたことに加へ、印刷も木版印刷で、所謂る版木といふものを彫つてこれに用ひた。ま、判子みたいなものだ。
 見ていたゞきたい。下記寫眞のやうに、一頁一頁木を彫刻するのである。これは今日より見れば、實に大がかりなものだ。加へて印刷も又た、もちろん一枚一枚が手作業だ。↓↓↓
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↓↓↓これが版木だ。相當細かく彫つてある。
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↓↓↓この版木で印刷すると、                      ↓↓↓かうなるわけだ。
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 であるから、いゝ加減な心構へや淺薄な學問では、書籍を刊行するに値ひしなかつた。
 刊行に係はる資金繰りは當時の國學者達の、絶えず附いて廻る苦惱であつた。今日のやうに「言論の自由」などといふものを謳歌し、又た、手輕に發言を書き込むことが出來なかつたのである。
 翻つて、かうした條件下にあつたからこそ、思想學問は自づと洗煉され、一書は人の心を動かしたのではあるまいかと思ふ。尤も需要者たる讀者も、今日の如く情報が溢れ、主義主張も馬に喰はせるほど餘りある環境で無かつたらうから、やうやく購入した一書を後生大切にし、幾度も幾度も拜讀したに違ひない。
 以爲らく、發信者も受信者も、すぐに抗議、抗議と口角泡を飛ばして自己滿足に浸りたくとも浸れぬがゆゑ、生まれるものがあつたのであらう。

 その苦勞人たる發信者の一人に、六無齋 林子平翁がある。
●子平翁、自著「海國兵談」の刻成りたる年(?・・・年號が記載されてゐないので不確かである)つまり寛政三年五月二日、藤塚式部氏に送るの書翰にて曰く、
『~略~ 海國兵談も、初め九百日と見詰懸り候處、其九百日の待遠さ中々日夜心惡く存じ罷在候得共、無力一日々々と相送候内、九百日疾く相過漸く千六十日めに相成候。先々是にて一安堵は致候得共、今迄とちがひ一度に五兩も十兩もなければ摺事難叶候。此おもひが今迄の思ひより又々ひどく相成候。依而一首あり。
小刀を起しては、速やかに彫終らん事を思ひ、既に彫終りては、又紙の足らざるを恨めりと書きて
   紙なきの今日の恨みにくらぶれば
       昔はものをおもはざりけり
』と。
 支拂ひの目處を立て、彫刻の仕上がるまでに九百日を要すると云はれた翁は、その日を一日千秋の思ひで待ち、遂に一千六十日目にして版木は刻され(正味三年だ)。すると今度は紙不足に惱まされ。これを購入するお金無きに苦惱してゐることを訴へてゐる。その悲心、他者に推量し難し。
 翁は文末に金子の無心を藤塚氏に懇願する。曰く、
『~略~ 可相成者、當歳まで金十切借用被仰付被下度奉存候。此度此方にて仕立候處わづか三十八部出來申候。此三十四人の入銀の人々へ三十四部は贈り物に仕候。左候へばあとの三四部はなんの役にも立不申候。役に立ねば當暮まで摺可申儀無御座候仍而せめて又々三十部もすり立候而うりに遣申度候得共此方にて小子に金子などかす者は無御座候。可相成は十切恩借被仰付被下度、偏に奉願候。またも勝手千萬ながら此人に御かし被下候得ば猶以て銘肺腑奉存候。萬一十切不相成候はゞ其内にても不苦候得共、餘り内にては摺立の用に立不申、殘念に奉存候。何卒、何卒、十切か三兩恩借被下度偏に々ゝ奉願候。大晦日限りか元朝までに必以て返上仕る事に御座候。~中略~
   五月二日
       藤塚知明樣足下
尚以て皆々樣へ被仰達可被下候。恩借願は何卒々々御叶可被下候。奉頼候。以上』と。

 これを河原流に譯せば、
『相成る可くは、今年まで金十切の借用を仰付け下さりたく存じます。此の度び、當方にて仕立てたところ、僅か卅八部出來ました。この三十四人のスポンサーへ卅四部を贈り物しなければなりません。さすれば殘りは三、四部だけで、何の役にも立ちませぬ。それでは暮れまでに摺るといふことは出來ません。よつて、せめてもう卅部を印刷し、賣りたく存じますが、既に私にお金を貸してくれる者は御座いませぬ。相成る可くは、十切ほど恩借仰付け下さりたく、偏へに御願ひします。また勝手ながら、(郷黨の)人も御貸し下されば、猶ほ以て有難いことです。萬一十切借り入れ出來なければ、印刷する能はず、殘念に存じます。どうか十切か、さなくは三兩を恩借下されたく、どうか御願ひします。大晦日か元旦の朝までには必ずお返し致します。~中略~
   五月二日
       藤塚知明樣
なほ、皆さんへも仰せ下さいますことを。願はくは恩借のどうか叶ふことを。御願ひします』

 翁の辛苦悲情、書面にて想ふ可し。
 餘談ながら、郷の人はこれを狂人視し。金など貸す者もなく。翁、彫刻だけでも覺束なきところ、紙など買ふ金もなく、印刷する金もなく。更らに如何なる貧乏神に好まれたか、翁は、『海國兵談』を上梓した直後、『寛政の改革』の影響を受け、版木を沒收されてしまつた。今日、稀本として世にわづかに傳はる『海國兵談』の古書は、祕かに隱し持つてゐた副本によるものだ。
 謹愼を申し渡された翁、放吟して曰く、
     親もく妻く子く板木
             金もけれど死にたくも
 これが號となつた六無齋の所以だ。

 大壑平田篤胤先生も、出版には苦心したといふ。名著『靈能眞柱』の版木が質屋に入つたといふ逸話も殘つてゐる。

 主義主張を手輕に發せられる環境から何も生まれることはない、とは云はない。
 環境はあくまでも環境であつて、環境の所爲にばかりしてはいけないだらう。いづれも言を發するのは人であるからだ。
 但し、人その者が手輕に言を發する能ふ環境に甘んじてしまつては、そこからは生まれ出でるものは期待薄しであらうと思ふ。溺れたくなるほど自由が與へられてゐる現在にあつて、自ら謹愼の心得を忘却せず、勉學し、探求し、發言することは、決して容易なことではないのである。
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by sousiu | 2012-10-18 00:37 | 日々所感

君は百姓を以て本となす。 

●權中納言從三位 源光圀翁修『大日本史』卷之四「本紀第四」仁徳天皇項
『四年丙子、春、二月六日甲子。(仁徳帝)群臣に詔して曰く、朕、高臺に登りて以て遠くを望むに、烟氣、域中に起こらず。意(おも)ふに百姓既に貧しくして、家に炊ぐものなければならん。朕聞く、古、聖王の世には、人人(ひとゝゞ)詠徳の聲をなし、家家(いへゝゝ)康哉の歌ありき、と。今、朕、億兆に臨むこと、茲に三年なれども、頌聲作(おこ)らず、炊烟轉疎なり。即はち知りぬ、五穀登(みの)らず、百姓窮乏せることを。封畿の内、尚ほ給せざるものあり。況んや畿外の諸國に於いてをや、と。
三月二十一日己酉、詔して曰く、今より後、三戴悉く課役を除き、百姓の苦を息(やす)めん、と。是に於いて黼衣鞋履、弊盡せざれば更(あらた)め爲(つく)らず、温飯煖羹、酸餧せざれば之を易(か)へず、小心約志、以て事に無爲に從ふ。是の後、宮垣頽るれども造らず、茅茨壞(やぶ)るれども葺かず、風雨時に順(したが)ひ、五穀豐かに穰り、三年にして百姓殷富、歡聲路(みち)に盈(み)てり。
七年己卯、夏四月辛未の朔、天皇、臺(うてな)に登り、烟氣の多く起こるを見て、皇后に謂つて曰く、朕、既に富めり、復(また)何をか憂へん、と。皇后曰く、今、宮室朽壞して暴露を免れず、何をか富めりと謂ふ、と。天皇曰く、天の君を立つるは、本百姓の爲めなり。故に君は百姓を以て本となす。古昔の聖王は、一人饑寒するも、之を顧みて身を責めたり、百姓の貧しきは、則はち朕の貧しきなり。百姓の富めるは、則はち朕の富めるなり、未だ百姓富みて君貧しきものはあらざるなり、と

 前記の行き掛かり上、今日は 仁徳天皇に就て、「大日本史」から、農事に關することがらを抄録した。



 ところで話しは變はるが、野生はマスコミ流の所謂る『開かれた 皇室』に就て反對の意を唱へるものである。それ詳細を多く語るまでもあるまい。神罰を恐れぬか、甚しきはスリ師の目つきもて 皇室を見(觀察・・・と云ふ可きではなからうから)、更らにはパパラツチの如く如何はしき記事を掲載して省みることなき女性週刊誌もある。讀者の眼光又た然り。精確に云へばかくなる記事が、民の眼光の穢れることを助長してゐるのである。「報道の自由」「知る權利」の際限なき解釋と「賣らんかな主義」は、人をして神聖なるを涜さずにはをられぬものなのか。
 然れどもその一方で、恰も 天皇を「偉人」として宣傳し、啓發を試みる保守系團體もある。その氣持ちも分らぬでもないが、かやうな啓蒙には、同時に憂事が兼備されてゐることを識らねばならない。
 云はずもがな、天皇は我々地上を御照覽あそばれてをられ、世々常々吾人は忝くもその鴻恩を賜はつてゐる。
 けれども日本人は、天皇が「偉人」にあらせられるから拜してゐるのではない。觀念の誤りは、ともすれば、將來「偉人」たらねば拜することに遲疑する者を量産し難ねない。それを以てして、野生は「尊皇心の發露」と到底思へないのである。
 そして彼れらによる記述は、先帝に關することがらに集中する。先帝に對する畏敬と仰慕の念が濃厚たるゆゑのことであらうが、稍もすると「開かれた 皇室」の弊害を齎せかねない。
 今更ら乍ら、當時のあの政治體制、監視下にあつて登場した『大日本史』が如何に人心に影響を與へたか、その影響の至大を思ふとき、實に賞讚の念を禁じ得ないのである。
 然るに近年はその逆で、「言論の自由」「思想の自由」が何びとにも與へられてゐる。であるからこそ、啓蒙啓發にはこと愼重を持さねばならぬと考へる。 
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by sousiu | 2012-10-17 18:46 | 良書紹介

農は國の大本なり  

 またも『帝室論』の續きを後囘しにして、今日は、昨日行はれた「貴田誠會長の還暦を祝ふ會」の寫眞を掲載する。

 貴田會長は、新宿を據點とする日本誠龍社の會長。
 山縣大貳先生の思想と理想を學ぶ。目下、先人の研究ばかりでなく、農本主義の見直しをはかり、農村各地での交流を深めてゐる。
 因みに野生、告白すれば、若かりし時分に街宣右翼として甘んじてゐたころ、「農は國の大本なり」てふ言葉こそ識つてゐたものゝあまり深く知らず、又た知らうとも思はなかつたのである。(餘談ながら野生、所謂る「街宣右翼」と「行動右翼」は違ふと思うてゐる。かくなれば、今日の「行動する保守」は「街宣する保守」と云うた方がしつくりすると思ふ。ま、どうでも宜しいが・・・)

 しかしながらこの言葉は隨分とふるくからあるやうだ。
●大日本史 卷之二「本紀第二」崇神天皇項に曰く、
『六十二年乙酉、秋、七月二日丙辰、(崇神帝)詔して曰く、農は國の大本なり。民の恃りて生くる所なり。今河内狹山の埴田、水少なし。是を以て百姓、農事を怠る。其れ多く地溝を開き、以て民業を寛(ゆる)くせよ、と。冬十月、依網池を作り、十一月、苅坂池、反折池を作る』と。

 街宣や行動で「行なふ」ことも大切だが、「識る」といふことはもつと大事だ。


 ・・・・・『帝室論』の頓挫には譯があり。他紙への寄稿で資料を藏出ししたのであるが、紙の山に埋もれ、『帝室論』が見當らず、何處かへ行つてなくなつてしまつた爲めだ。ま、驚くことはない。野生と諭吉の關係は、いつもこれだから。
 といふことで、續きはも少し、お待ち願ひたい。

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↑↑↑↑お孫さんと貴田會長。
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↑↑↑↑貴田會長の、ちやんちやんこ姿。貴田會長のこのやうな笑顏を初めて見た。
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↑↑↑↑貴田會長を圍んだTeam『時對協』。この日の會と無縁の話しだが、山川兄は案外(・・・でもないか)巨乳であつた。
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by sousiu | 2012-10-15 23:57 | 報告

閑話休題。 

 『帝室論』考も途中のまゝで、又たしても無沙汰してしまつた。
 言ひ譯すれば、伊勢、紀伊へと出掛けたり、「不二」「芳論新報」「防共新聞」の原稿を執筆したり、封筒つくりを行なつたり(苦笑)と、何かとせはしき日々が續いた爲めだ。

 さて。日本政府の腑甲斐なさにもほとほとあきれ返るばかりであるが、その分同時に、輿論も愼重にならなければならないと思ふのである。

 固より他國による領土領海の侵犯を閑却してはならぬこと云ふまでもない。
 はからずも日本はこの一年半に於て、二つの招かざる客を水平線より迎へた。そは云ふまでもなく、津波と支韓だ。
 日本は島國だ。林子平翁の古書を繙くまでもなく、日本は海防を徹底せねばならぬのである。

 ところで國難には、小難、中難、大難とがある。歴史的にみても、これらの小中大國難はみな、海の彼方より襲來した。蒙古然り。彼理然り。勢力と暴力と武力を恃み彼れらは訪問した。又た一方では、佛教、耶蘇教らの邪教然り。自由主義、共産主義然り。これらは救濟と甘言を用ひた信仰及び思想と云ふ名の好ましからぬ訪問者であつた。小中大の別こそあれども、いづれも彼れらは期せずして國難を惹起した。
 
 だが日本人が最も恐れる可きは、最大難だ。
 古今、最大國難はいつも國内より出來してゐる。
 我々が眞に恐るゝ可きは、蘇我父子。足利逆臣一族。或は弓削道鏡の出現である。
 高杉東行先生の曰く、『國を滅ぼすは外患にあらず内憂にあり』と。極言せば、野生は、長門に襲來せる十四萬蒙古より、神州の結界の内にあるたつた一人の道鏡や尊氏を恐れるのである。

 今日澎湃するこの輿論を無條件に歡迎せば、やがて行き着く可くして行き着く先は軍備の確立だ。
 この點に就て野生は竊かに危惧するところありとする。
 皇軍の再誕ならぬ、民選にて決定されたる一部の臣民が、昔で云ふところの兵權を握ることに、危惧しないわけにはゆくまい。況んやこゝまで 皇國の面目を貶しめ、未だ自省なき痴漢どもに委ねるに於てをや。地盤・鞄・看板を不屆きにも三種の器と信じてやまぬ爲政者なぞ、一體何の偉人ぞ。何の見識者ぞ。誰れかある、現内閣が近代の室町幕府にならぬの保障を。


 支那韓國を罵倒するのは簡單だ。手輕だ。
 しかし今日の苛立ちの原因は、對手國が強大なるがゆゑに在らずして、我れが惰弱に過ぎるからである。惰弱から再生する道は、罵倒の連呼ではない。抑も何を以て惰弱といふか。それ、軍備的國防無きが爲め丈ではなく、肝心要たる思想的國防無きが爲めである。延いては皇國の民たる誇りも責任も、自覺も無きが爲めに、かゝる問題は現出したことを識る可し矣。
 野生は軍備再建に反對の聲を擧げるものではない。されど軍事的國防を裏付ける思想的國防を疎かにしてはならぬと云ふ。萬全なる國防體制を欲せばそれ、思想と沒交渉であつてはならない。然もその思想が、他國からの借り物であつてはいけない。
 然るに刻下は、警鐘を亂打する中にあつて警笛を吹かねばならぬほど、愼重に愼重を持する秋だと思ふのである。

 毎度とまでは云はぬが、惡意こそなからうけれども、凡そ最大國難へ誘導してしまふ擔當者は君側の奸や、現代的に云へば保守と呼ばれる徒だ(所謂る「行動する保守」なる者は果たして本當に保守なのだか何だか野生にはわからん)。
 我々は今日の外敵を抑止する爲め、未來の内敵を製造してはならぬ。外敵の訪問を抑止しつゝ、内敵の出現も抑止するやうでなければならぬ。
 目前の小國難を囘避せんが爲め、卅年乃至五十年後の最大國難を誘發してしまふ、そのやうな過去の復轍を踏まぬやう、我れらは腰を据ゑて、皇國なんたるものか、その眞相に就て、幾度も復習することを要す可き秋である。
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by sousiu | 2012-10-06 20:36 | 日々所感