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「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十三 

 木川智青年による『三條の會』會報紙第二號が屆いた。
 本紙は十頁あり、本文に九段塾主人・備中處士樣の蒐集されたる先賢の所論も掲載され、資料的意義も備へてきた。
 木川青年の文章を拜讀すれば、にはかに彦九郎先生顯彰の輪は拡がつてゐるやうだ。
 三條の會に就てのお問ひ合せは →→  satoshi.kikawa@live.jp

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 皇國を興さんとする有志の士、自らをして蟷螂の斧に過ぎずと思ふことなかれ。廣き天下に同志あり。その蟷螂の斧はやがて同志を得て、期を得て、斧鉞と化して隆車の轍をも禦くものぞかし。

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

○太宰春臺、『辯道書』(享保廿年)に曰く、
『人に父母なき者は無く候。禽獣は乳哺の養を受る時、父母を慕ふのみにて、少(すこし)長じて離別すれば親は子を忘れ、子は親を忘て、後には親と子を食を爭ひ候。人も本は禽獣の如くなりしを、聖人是に親愛の情を示し、孝敬の道を教たまひてより父子の道始り候。

 禽獣には雌雄牝牡の情のみ有て夫婦配偶の道なき故に、父子同産交合して子を生み候。人も本は禽獣の如くなりしを、聖人婚姻の禮を制し、男女の別を立て淫亂を禁じたまひてより、夫婦の道始り候。
 禽獣には同産の子數多あれども兄弟といふ事なし、人も本は禽獣の如く同産なるのみにて、兄を敬ひ弟を愛することなく、爭鬪して相殺すこと有しに、聖人これを憂て長幼の節を制し、兄弟の道を立 給ひ候。
 禽獣には朋友といふこと無し、人も本は禽獣の如く信もなく義もなく、相爭ひ相奪ひ、相殺し相害するのみなりしを、聖人是に信義を教て、朋友の道を立たまひ候。
 君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友、此五つは人倫の要道なる故に、是を五倫とも五典とも申候。人間に此五つの道一つも闕ては天下治まらず候』と。(改行は野生による)

 これはまた隨分と聖人を贔屓したものだ。而して、隨分と人を侮つたものだ。
 吾が先進による論駁は後日に譲るとして、今日はもう少し純が主張せることを綴らねばなるまい。

 曰く、
『又人に欲なき者は無く候。欲はすなはち情にて候。財寶を見てはほしく思ひ、食物を見てはくひたく思ふ、皆是欲にて候。此欲心を恣(ほしいまま)にすれば卑劣なるわざをもなし、搶奪、竊盗、殺害の惡をも行ひ候。搶、竊盗、殺害は禽獣の行ひにて候。聖人これを愍(あはれ) みて義といふことを立て教たまひ候。惣じて人の身にすべき事と、すまじき事と有るを、上古の愚民これを知らずしてすべき事をばせず、すまじき事をする故に禽獣の行ひになり候。聖人の教に義といふは、すべき事とすまじき事とをわけて、すべき事をば勉てなし、すまじき事をば身死すれどせざるを義と申候。此義すなはち聖人の道にて候。 ~略~』

 曰く、
『日本には元來道といふこと無く候。近き此神道を説く者いかめしく、我國の道とて高妙なる樣に申候へ共、皆後世にいひ出したる虚談妄説にて候。日本に道といふこと無き證據は、仁義、禮樂、孝悌の字に和訓なく候。

 凡日本に元來有る事には必和訓有之候。和訓なきは日本に元來此事無き故にて候。禮義とい ふこと無かりし故に、神代より人皇四十代の此までは、天子も兄弟、叔姪、夫婦になり給ひ候。其間に異國と通路して、中華の聖人の道此國に行はれて、天下の萬事皆中華を學び候。それより此國の人禮義を知り、人倫の道を覺悟して禽獣の行ひをなさず、今の世の賤き輩までも、禮義に背く者を見ては畜類の如くに思ひ候は、聖人の教の及べるにて候。日本の今の世を見るに、中華の書に及ばずといへども、天下は全く聖人の道にて治り候と存候』と。


 春臺の本音と彼れの信を置くところが垣間見える一文だ。すなはち漢國を“中華”と見做し漢國人にこそ“聖人”と崇め、皇國を“東夷”と見下し 皇國人を“蠻夷”と本氣で思ひ込んでゐるのだ。如何に經綸の志豐富と雖も、如何に學才ありしと雖も、大和たましひのなき經世家なぞ、皇國重大事に際するに、何の益やあらん。

 學問や思想に國を興す力があるとするならば、そは條件があらねばならない。こと國家には各々に個性があることを迂闊にも閑却してはならない。考へてもみよ。逆言すれば、洋の東西を問はず、古今に突出して秀でたるの學者、思想家、經世家が何人も出でながら、諸國を善導し、世界の安治を物した者など未だ聞かないではないか。社會主義は社會主義の馴染む國家に對しては、幾ばくか採用されるであらうけれども、それは宇内の萬國に對して然りではない。畢竟、支那で生じた「聖人の道」も天竺で産せられた「釋迦の教」も、無条件に凡ゆる國を興すほどの力は無いのである。況や 皇國に於てをや。

 大川周明博士は「日本の惡は日本の善で斬らねばならぬ」と云うた。以前にもこの日乘で抄録したが、その博士の『國史概論』から今一度引用したい一文がある。曰く、
『花は一個の理念としては存在する。而も此の理念は、必ずや櫻・桃・梅・菊等の特殊の花として咲き出づることによつて、初めて實在となるのである。それ故に梅花は、梅花として咲く以外に、決して花たることが出來ない。梅花として咲くことによつて、花の理念が初めて實現せられ、花の花たる所以が發揮される。こは正しく人間の場合に於ても同然である。~中略~ 日本人に非ず、支那人に非ず、米國人にも非ざる「人間」は、實在としては決して存在しない。そは唯だ一個の理念として存在するだけであり、而して此の理念は必ず民族又は國民として實現される。故に日本人は日本人として、米國人は米國人として、それゞゝの面目を發揮することが、取りも直さず人間の面目 を發揮することゝなる。從つて眞個の國民となりてこそ、初めて眞個の人間となり得る道理である。吾等日本國に生れたる者は、第一に日本人であらねばならぬ』と。

 思想や學問が國家に眞の益を與するとき、そこにはあくまでもその國家の固有的性格が認められねばならぬのである。當然、日本の學者、思想家も然り。如何に 皇國の碩學偉才と雖も、その者が他國の假りものの思想や學問を據り所とする以上、海を越えて他國を善導するには自ずと限界があり、吾が理想せる八紘爲宇、萬國平和は遂に理想と終はらざるを得ないであらう。では吾が理想はたゞ空しくあるのみか。否、吾人が理想に向かうて進まんとすれば、人工的な思想や學問を超越したものを以てすれば可である。それには何よりもまづ、天地開闢、神代に心を寄せなければならない。脱線してしまふのでこの邊で擱筆する。
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by sousiu | 2013-10-06 17:33 | 大義論爭

「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十二 

○平田篤胤先生『呵妄書』(享和三年癸亥十月刊)に曰く、
惣じて天地開闢の始に、人の生ずる處は、久しき池に魚の生じ、腐たる物に蟲の生ずるが如く、自然の氣化にて生じたるものにて候。さる故に其時の人は貴賤上下の品も分れず皆同輩にて候。是を平民と申候。形は人にて候得共、心は禽獣に異ならず、男女一處にこぞり居て日を送り候。 ~※純が文の引用なり~

 爰に西戎國(か-ら-くに)開闢の初に、人の生(な)れたることを云ひて、自然の氣化にて生じたるものにて候と云へるは、決定したる語にて、彼の靈智ありとか云ふ、聖人も未云はざることを目のあたり見たる如く云へるは、實に古人未發の論と云ふべし。純(※太宰春臺のこと)は天地に先立て生れたりし人の心地して甚(いと)めづらし。

 然れども是等はみな漢籍(から-ぶみ)[淮南子三五歴記のたぐひ]の臆度(おし-あて)の妄説のみ、見なれたる癖よりして云へる妄説なり。實は其時に生合(うまれ-あひ)し人にあらざれば知るべき由なく、たゞ古への傳を守るよりほかなきなり。

 皇國の大古は正しき傳説有りて、明に知らるゝことなるを、戎國(から-くに)には早く其傳説をうしなひ、たまゝゝ少しは正しき傳への有るをば、今の事理に遠きをもて妄説なりと云ひけして、取上げざれば、いかで其詳なることを知るよしのあらんや』と。

 曰く、
『彼(か)の聖人と云へ共、其知らざる處に於ては闕如すとは云ひて、西戎國上古の事をいへるも、聖人の説にしては伏羲より以前を云へることを聞かず。然るを純が斯計(か-ばか)り委曲(つばらか)に云へるは、自(みづから)聖人にもまさりたると思ひてならめど、實に説を作れるものなり。孔子も述而不作(※述べて作らず)と云へれば、其據る所の聖人の意にも違ひたる強説(しひ-ごと)にあらずや。天地の初のことは、いかで人の小きさとりもて、量り知ることを得べき。久しき池に魚生じ、腐たる物に蟲の生ずるをもて譬へたるは、一通(ひと-わた)り打きくには實に然もこそと思はるゝ計りなれど、然ることならんには、今の世にも久しき池に魚生じ、腐たる物 に蟲の生 ずれば、希々(まれ-まれ)には自然に生(な)る人も有るべきに、然ること有りしを未(いまだ)きかず。すべて漢學問計りする人は、天地の間にあらゆることの理は、みな知り貌に云ふことなれども、皆大なる空言にて、いとをこがましくいと淺ましき事のみぞ多かる。~以下、畧~』と。


 篤胤大人が、もしもほゞ同世代を生きたチヤールズ・ダーウヰンと會してゐたならば、そはおそらく筆誅丈で濟まされなかつたに違ひない。
 嘗ては漢心に淫し、今日は西歐の思想に淫し。科學萬能の妄想より脱する能はずんば、神代を識ること難しけれ。神代を識る能はずんば、大和心を固むること難しけれ。



 曰く、
其内に衣食の求め無くて叶はざる故に、誰教るともなく人々天性の智慧にて、飢を助け寒さを禦ぐ計略をなし候。然るに人の性さまゞゝにて賢き者あり愚なる者あり、強き者あり弱き者あり。賢き者は能く飢寒を免れ、愚なる者は飢寒を免るゝことあたはず。強き者は弱き者の衣食を奪ひ、弱き者は強き者に衣食を奪はる。是より平民の中に爭鬪といふこと出來候。 ~※ 仝~

 漢國の上古の人は、形は人にて心は禽獣にことならずといへれば、如何にこそ有りつらめ。其亂りがはしき有樣、目のあたり見る心地ぞする。皇國の大古より正しかりしことを西土人にきかせたきわざになん』と。


 曰く、
此時幾億萬人の中に、聰明睿智とて神妙なる智慧の人生れ出て、彼愚なる者に衣食の道を教へ爭鬪する者をば、それゞゝに教訓して暴虐をなさゞらしむ。是より其邊の人漸々に歸服して、何にても分別にあたはぬ事をば、持出て訪往て尋問ひ、爭鬪する者は、其事を告訴て裁斷を乞求む。其の體今の世に郷里の子弟たる者、其所の父兄長老に從ふが如し。かやうに近邊の人歸服すれば、其化漸々に遠きに及で遠方の人も歸服する故に、いつとなく諸人こぞりて君長と仰ぎ奉る。上古の盤古燧人など云ふは是にて候。
 其後伏羲、神農、黄帝と云ふも、亦聰明睿智仁徳の至れる人にて、天下の君となりたなふ。自己より高ぶりて、民の君長となり給へるにては無く候。此聰明睿智仁徳の至れる人を聖人と申候。此聖人上に立て天下の人に仰がれたまふを、天子と稱し大君と申候へば天下の人はみな臣にて候。是君臣の始にて候。上に大君あれば、下にも亦それゞゝに君長を立て、其下を治しむ。皆君臣の道にて候。
 ~※ 仝~

 爰に伏羲神農といふ二人の王ども、西土の酋長(おさ)となれるも、自己より高ぶりてなれるにはあらずと云へる、然もあらんか。然れども此中に黄帝とあるは心得ず。この王が名を軒轅と云ひて、西土にて主を弑して國を奪ふことの始を闢きたる賊王なり。[盤古より下神農氏の興るまでは、弑して奪ひやしけん、禪りやしけん。こは傳へ無ければ知られず。故に是を弑逆のはじめとす] ~畧~


 [西土の世々の制度、始皇がはじめたることを大略は用ひながら、聖人の道をのみ用ゆる貌にて、始皇をば人の如くも云はで、いと穢汚(きたな)きものに識るもをかしきことならずや。是(こ)は彼の穴に埋殘されたる儒者どもの、迯吠(にげ-ほへ)に訕(言偏+山)り初めたるを、一犬ほゆれば萬犬其聲に從ふと云ふ聲への如く、うかと叱り來るにこそあらめ]是等も聖人にや。然は云ふまじ。漢土にて黄帝湯武が類を聖人と云へるは、此賊王ども子孫迄暫し天下をも有(たも)ちたれば、其子孫の王共臣下共より尊みて、然云はんもうべなるを、皇國の人にして渠等に何の辱(かたじけな)きこと有て、諂らふことのあらんや。戎人(から-びと)の潜(せん)稱を曉(さと)らず、 實に善き人と思ひて譬稱(ほめ-たゝふ)るは、豈人の涎に辟たる狂言(たはれ-ごと)にあらずや。故に吾が徒(ともがら)は何事も戎人腐儒の狂言に慣はず、其行の跡に付て漢國人(から-くに-びと)の善惡は定めんとす。漢説(から-こと)に迷へる人ゆめ耳をな驚かしそ』と。


 次囘は又々、純が『辯道書』に注目したい。

 
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by sousiu | 2013-10-05 14:11 | 大義論爭

「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十一 

○平田篤胤先生『呵妄書』(享和三年癸亥十月刊)に曰く、
此神道は巫祝の傳ふる處にして、極く小き道なることを人知らず、儒は唐土の道、佛は天竺の道、神は日本の道なれば、此三道は鼎の三足のごとく、同等にして偏廢すべからざる事と心得候は、口をしき事には云々。 ~※純が文の引用なり~

 皇國の眞の道は、天地の間に充滿て、天地の斯有らんかぎり、動きなき大道にして、儒道は西戎國(か-ら-くに)の古へ人、禽獣と等並(ひとし-なみ)なりしとき、聖人と稱を得たる魁首どもの、さがしらに成れるものにして[斯云ふ故は純が本書にも見えて下に出せり。合せ考ふべし]、甚(いと)も々ゝ小き道なることを知らず、我が國の大道の號(な)を竊(ぬすみ)て、妄説の佛道小き儒道を[斯云ふを狹智の漢學者いぶかることなかれ]取まじへ、理學者佛徒のいと小さく僞り作れる道を、眞の道と思誤りて、漫りに其道の小き事を論ひて廢せんとす。其小き道は、元自(もと-みづから)のとなふる小き道にならひて作れる故に、小きことを知らず。 ~中畧~

 我が國の道の大いなる事は、外國諸戎にとなふる處の儒佛諸子百家の枝葉の裏々參來(まゐ-く)といへども、餘すことなく少しも益有ことは、朝廷(みかど)にも用ひ賜ひて、其體あたかも大海に衆川の流れて、入るを餘さぬが如し[漢籍に大道不器と有るは、此意なるべき歟]。然るを其流入れる枝葉の道々をのみ學ぶ輩、己が據る處の小川をしも、大いなる事に云ひなして、かへさまに大海たる我が國の道を小さしと云ふは、甚(いと)も甚も漫りなり。いかでか佛儒の二道を加へて、鼎の三足に譬ふることあらん。彼二道は便利なることの有る故に、枝葉に取り用ひられたるものにぞある。純がともがら如何に口をしく思へるとも、是はせん方なきことなり』と。


曰く、
凡天下國家は、聖人の道を捨ては、一日も治らず候。天子より庶人まで、是を離れては一日も立申さず候。 ~※ 仝~

 皇國天地初發の時より、儒佛の道渡り來ざりし前、天の下のいと穩に治りしを、儒佛參來(まゐ-き)てより漸くに外國に似たること共の發(おこ)りしを、純は知らざりしなり。朴直順路なりし人の意も、儒佛の道渡り來てより、漸くに戎人(から-びと)意に移りしをも、純は知らざりしなり。然る故にかゝる狂言(たはれ-ごと)も云へるなりけり』と。

 儒佛渡來以前の日本は亂れてゐたかと云へば、決して然ること非ず、寧ろ宜しく治まつてゐたことをいふ。進んで云へば、兩道の渡來をして日本は亂を生ぜしめた。畢竟、純然たるの日本人も、儒佛を輸入し、漢土、西土の風に染められたるを以て、皇國に對する不審とまで云はずんば動揺するに至つたといふものである。


 曰く、
儒者の道は、聖人の道にて候。聖人の道は、聖人の聞きたまへる道にて候得共、天地自然の道かくあらで叶はぬことを、知しめしてかく定置たまひし故に、是則天地の道にて、聖人少も私意を加へたまふことは無く候。道を開くといふは、道なき野山に始て道を開く樣なる物にて候。譬へば日本の名山に役小角が道を開きたりと云ふを、今の人其道を履て云々。 ~※ 仝~

 儒者の道は、聖人の道なること、誰しの人か知らざらん。俗(よ)に我が家の佛尊しと云ふ。譬の如く己が尊く思ふとて、斯いかめしく聲高く呼はりたるこそをかしけれ。
 聖人の道は、聖人開きたれども、天地自然の道とは如何にぞや。天地自然に行るゝ道ならんには、聖人開くべきよしなく、果して聖人ひらきたらんには、自然の道と云ふべきよしなし。すべて聖人の道を天地自然といふは、大概(おほ-かた)の人も、然思ふことなれど、甚しき僻言なり。聖人の道は自然とは異にして、天地の道を強ていとも小く細(こまか)に修制(つ-く)り作(な)したるものなり。其故はまづ自然と云ふは、何事も天地の成しのまにゝゝ、幾千萬(いく-ち-よろづ)の世を經ても變易(か-はる)ことなく、自然(おのづから)に行るゝを云ふ號(な)なるべし。然れば天地をはじめ、禽獣草木蟲魚其外萬物、各古へ生(な)りし容(さま)を易ること無れば、人も其如く自然の氣化にて生れたるまゝ、貴賤上下の品をも別たず。男女別ありなどもいはずして、禽獣と同じさまにて[自然の氣化にて、といへるより以下、こはたゞ次の條に純がいへる趣に依て、しばらくいへるのみなり。皇國の古しへは正しき傳説有て、是とは異なり思ひ混ふべからず]、居たらんにこそ天然自然とは云ふべけれ[自然の字の義をも思ふべし]。また可笑きは、君臣父子夫婦長幼の道、みな天地に則りて制(つく)りたると云ひながら、君臣位を更(かふ)る[受禪弑逆の類]こと有るは如何にぞや。斯云ふを腐儒者(くされ-ず-さ)のきかば、おぼろげならぬ我が大道聖人の御所爲(み-し-わざ)を凡(およそ)の人のいかで知らんなどと、漫りに巧妙にのみ云ふらめど、道理をば違ふことはなるまじきぞ[道理に違ひてはいかで自然の道といはん]。古より天地位を更へ父子位をかへて、父は子の子となり、子は父の父となれる大變をば未(いまだ)きかず。

 兎ても角ても、聖人の道を天地自然の道と云ふは當らぬことなり。少しも私意を加へたることなしと云へれど、みな聖人と云ふものゝ私意ぞかし。すべて天地の生しのまゝの道より外に、自然の道と云はなく、外國の道々、老儒佛諸子百家みな人爲に作(な)れる道なり。
 [或人問ふ、然らば 皇國の道は自然かと。己云ふ、皇國の道も自然にあらず。然れどもまた人爲にあらず。前にもいへるごとく、天地の神の制り賜へる道なり。此道を委曲によく知らんとならば、まづ神を知るべし。其神をしらんことを思はゞ、我翁の書どもを繰返しよく味ひて見よかし] ~以下續く~』(改行は野生による)と。


 篤胤大人の腐儒者痛罵だ。補足するが大人は、徒らに外つ國の學問を排斥せんとするものではない。曩に掲げたる『入學問答』その他の氣吹廼舍刊行本をみてもそれは理解出來るであらう。
 然り乍ら、大和たましひの存せずして、盲目的に聖人聖人と論らひ、つひには支那をば中華と信じ、皇國を東夷と蔑して憚らざる者共へ對して筆誅せんとするものだ。
 末文にある「我翁」とは、云ふまでもなく本居宣長大人のこと。是を以てしても、大人が本書でまづ何よりも急務であるとしたのが、大和魂を固めるといふことであつたことが明瞭だ。而してその、篤胤大人の痛憤といはんか悲痛といはんか、その訴へんとするもの、現代の吾人にも向けられてゐるものと察す可し矣。

 國の爲め、民の爲めと云ふは易し。眞に之を實施せんとせば、まづは尊皇好學、勤皇尚武の志操を感得すべきに非ずや。
 松陰先生の、日本人としてかく信じて疑ふことなき人生觀と、その根據とせる 御國體への讃美を以下に聞く可し。




●吉田松陰先生、『坐獄日録』に曰く、
◆坐獄目録→→http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/995284 (14/27~)
『吾、幼にして漢籍にのみ浸淫して、尊き 皇國の事には甚だ疎ければ、事々に耻思ふも多けれど、試に思ふ所と見聞する所とを擧て自ら省み且は同志の人々へも示すなり。抑、 皇統綿々千萬世に傳りて、變易なきこと偶然に非ずして、即ち 皇道の基本、亦爰(また-こゝ)にあるなり。蓋(けだし) 天照皇太神の神器を 天孫瓊々杵尊に傳玉(つたへ-たま)へるや、寶祚之隆、與天壤無窮(寶祚の隆えまさむこと天壤とともに窮まり無し)の御誓あり。されば漢土天竺の臣道は吾知らず。皇國に於ては寶祚、素より無窮なれば、臣道も亦、無窮なること深く思を留む可し。更に又祈年祭の祝詞に謂へる狹國(さき-くに)は廣く、峻國(さかしき-くに)は平(たひらけ)く、島の八十島墜事無(おつる-こと-なく)、また遠國は八十綱打掛て引寄如事(ひき-よする-ことの-ごとく)などいふこと徒に考ふべからず。臣道いかにぞと問はゞ 天押日命のことだてに、海行ば水づく屍、山行ば草むす屍、大君のへにこそ死なめのどには死なじ、是なん臣道ならん。さて中世以來漢籍大に世に行はれ、殊に孔夫子を道の宗師と仰ぐにぞ、論語は先儒も最上至極宇宙第一の書と稱せられたるが、其旨に感ぜし人も少なからず。 ~以下畧~』と。
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by sousiu | 2013-10-04 22:09 | 大義論爭

讀書の秋です。 

 讀書の秋といふ。
 實は野生、成人となつてこの道に身を投じるまで、殆ど本を讀んだことが無かつた。あ、いや、漫畫本は別だ。汗。
 小學生のころ、『風の又三郎』といふ本を讀みきつたことがある。最後まで讀んだのは實にこの一册だけだつた。
 人生とは可笑しなもので、今は讀書してゐる時間が野生の仕合はせな一ト時であるのだから、人は變はれば變はるものだ。

 三土忠造氏の『湘南方丈記』に我が意を得たる一文があるので下記したい。少し長くなるが、讀書の秋ならでは、暫しお付き合ひ願ひたい。
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『書籍を繙けば、幾千年も過ぎた昔の人の意見を聽くことも、幾千里も隔てた遠い國の事物を見ることも、意のまゝに出來る。
 王侯といはず、將相といはず、聖賢といはず、我れより求むれば、直ちに來つて我が問ふ所に答へる。
 アレキサンダーでも、成吉思汗でも、ハンニバルでも、ナポレオンでも當年遠征の雄圖を尋ぬれば、勇んで之を説く。韓信でも、諸葛孔明でも、徳川家康でも、ネルソンでも當時の戰略を問へば、喜んで之を談ずる。
 支那へ渡つて、顏回、子夏、子路、子遊などの諸弟子と、孔子の講話に席を同じうすることも、印度に遊んで、伽葉、阿難陀、目連、舍利佛等の諸菩薩と、釋迦の説教に座を共にすることも自由である。
 ギリシヤ、ローマの昔を尋ねて、デモセネスやシセロの雄辯も聽かれる。大和の御所に、中大兄皇子、藤原鎌足等の蘇我入鹿を誅し、咸陽の宮裏に、荊軻の匕首を懷にして、秦王に迫る活劇も見られる。エジプトの宮廷深く、女王クレオパトラの色香に溺るゝアントニーの痴態、朔風身を剪る胡地の空、獨り馬上に泣く王昭君の悲哀も、ありゝゝと目のあたりに現はれる。
 幽玄なる宇宙觀を學ばんとすれば、プラトンや、アリストテレスや、カントや、ヘーゲルや、デカートや、スペンサーを喚べ。神祕なる自然を探らんとすれば、ニウトンや、ダーウインや、ライプニツツや、ヘルムホルツや、アインシユタインを招け。彼等は皆快く我が請ひに應じ、心力を傾けて懇切に説明してくれる。~中略~

 かくの如くにして、我々は心の欲する所に從ひ、東西古今の人類中、最も秀俊なる人々を招いて、自在に之を頤使することが出來る。何たる特權であらうか。何たる通力であらうか。此の絶大無限なる特權と摩訶不思議なる通力とは、獨り讀書の能力を具へ、趣味を有する者にのみ附與されるのである。~中略~

 此の世界に於て、吾々の享有すべき樂しみには殆ど限りがない。されど多くの場合に於て、樂みの後には多少の苦みを伴ふものである。唯讀書の樂みのみは、樂みの後にも更に之に伴ふ樂みの續くを常とする。故に朱子も、「四時讀書樂」と題する詩を作つて、「讀書の樂み、樂み窮まり無し」「讀書の樂み、樂み陶々たり」と叙して居る。

 更に讀書の樂みほど、安價に且つ容易く得られる樂みは、他にその類を見ない。何れの國何れの時代の偉人でも、勝手に喚び寄せて其の教を受けながら、何等の報酬をも捧ぐるの要がない。イタリーの詩人ペトラークの曰へるが如く、「彼等は茅屋の一隅なる書架の上に安置すれば、それで滿足する」のである。

 是れ程の天與の特權と通力を受けながら、之を有難しとも思はず、讀書の樂みを味はない人の多いことは、余の常に怪訝に堪へない所である。

 讀書の樂みは能く之を解すれども、如何せん毎日の業務に追はれて、其の暇がないといふ。是れ多くの人々の唯一の理由とする所である。本居宣長は一首の歌を以て、輕妙に之を反駁して居る。

     折々に 遊ぶ暇は ある人の
            いとまなしとて 書(ふみ)讀まぬかな

 尤も、是等の人々は皆讀書人として、一生を終始したのである。其の讀書慾を以て、一般世人に待つことは出來ない。然し何といつても、知を研ぎ、徳を修め、正氣を養ひ、品格を高むるの道、讀書に如くものはない。而して吾々の如き境遇の者といへども、讀書に深き趣味を有すれば、少閑を見出して此の無上の惠澤に浴すことも、亦必ずしも至難ではない』(昭和十一年十一月卅日『千倉書房』發行)と。
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by sousiu | 2013-10-03 03:35 | 日々所感

奉祝 世直し大祭「伊勢神宮式年遷宮」 

 本日廿時より第六十二囘伊勢神宮皇大神宮に於て遷御の儀が御齋行される。
 伊勢神宮式年遷宮廣報本部より、本日の十八時から動畫配信されるといふ。↓↓↓
           http://media.sengu.info/

 世相は暗澹として、人心惰弱、思想混亂、以て風紀の紊乱甚だし。固よりこれ日本にのみとゞまるべきにあらんや。世界は混迷し洋の東西いづこを見渡せども正氣の漲るは無し。
 かくありて、神州に於て「よみがへりの大祭」がおこなはれることの意義たるや決して少々ならざるものがある。寔に難有き御事なる哉、芽出度き御事哉。

 不二歌道會では廿時から大東神社に於て、神宮遥拜式及び祖國再建祈願祭を執り行なふとの御由。
 さりながら同會機關誌『不二』の今月號卷頭言にもあるやうに、御遷宮に關しては幾つかの課題も殘されてゐる。御遷宮は民族の大祭典であつて、それは單なるクリスマス同樣のごときものではないのである。主權恢復、差別排外にとゞまり、それで足れりとするのごとき保守的思考では、遺憾ながら未だ神州正氣の滿つは先のことゝ思はざるを得ないのである。
○御成敗式目に曰く、
神は人の敬に依りて威を増し、人は神の徳に依りて運を添ふ』と。
 吾人のゆめ忘れるべからざることがらである。
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●『遷宮をめぐる歴史』(平成廿四年十一月廿三日『明成社』發行)に曰く、
『平成二十三年三月十一日に發生した東日本大震災と東京電力福島第一原子力發電所の原子力事故は、東北地方の沿岸部を中心に未曾有の被害をもたらした。未だ、その復興の道筋すら示されてゐない状態である。多くの神社にも被害があつた。被災神社は四千八百社を超し、全壞の神社は三〇九社(福島第一原發の二十キロメートル圏内の二四三社を含む)となり、多くの氏子が住み慣れた土地を離れざるを得なくなつた。氏子區域の崩壞が危ぶまれてゐる。その中で、地域との繋がり、傳統文化、家族の大切さが見直され、そのことは「絆」といふ言葉に象徴されてゐる。

 このやうな中で、第六十二囘神宮式年遷宮を迎へようとしてゐる。その意味では、今囘の神宮式年遷宮は、遷宮の意味、國民と神宮との繋がり、いやそれ以上に 天皇陛下が國家の安泰、國民安寧を祈る場である神宮の最も重要な祭りであることを再確認するものとなつてゐる。

 だが、現実は、日本の歴史傳統を見据ゑた政治の欠如が社會の混亂を助長し、あらためて政治姿勢が問はれてゐる。また、金融危機に端を發する世界同時不況は、急激に國民生活に暗い影を落としてゐる。このやうなときだからこそ、神宮・神社に課せられた使命は、より大きなものとなつてゐる。國安かれ、民安かれとの 天皇陛下の祈り、皇室の祈りのお姿は、日本人に強い何かを與へて行くのであらう


 曰く、
『ダニエル・ブアステインといふ米國國會圖書館長を務める人が、神宮についてこんなことを言つてゐる。式年遷宮と社殿建築について述べたあとで、

 伊勢神宮は過去に深く根を下ろしながら、一方で絶え間なく再生を繰り返してきました。誰かがそれを構想し、一五〇〇年間實行し續けたことは驚嘆に値します。この事實は、これまで想像しなかつたやうな可能性を人類が祕めてゐることをわれわれに氣づかせてくれます。(『國際交流』第四二號)

 と。私たちの思ひもよらない指摘であるが、もう一度素直な心に立ち返つて、私達も式年遷宮に學ぶべきところがあるだらう。

 なほ、戰後の神宮式年遷宮は一宗教法人となつた神宮を中心に伊勢神宮式年遷宮奉賛會を設立して民間(國民奉賛)が協力するといふ方法でおこなはれ、それが定着したやうにも見える。天皇の遷宮といふ本義は敗戰によつて中斷され、戰後二囘までは戰後の神宮制度の變革によつて「聽許」といふ消極的な形でしか 天皇は關與できなかつた。平成五年の第六十一囘神宮式年遷宮は 天皇の「聖旨」(命)によつて準備が開始されるといふことで、遷宮の本義の囘復に曙光が見えたといへるかも知れない。戰後二囘と違つて、天皇の發意によつてはじめられたといふ意味で、天皇垂範、聖旨奉戴、國民協賛の遷宮ともいはれる所以である。

 しかし戰前の制度、また昭和三十九年六月に神宮式年遷宮準備委員會が答申した「昭和四十八年度神宮式年遷宮に關する基本見解・神宮司廳」の五項目の基本見解とは程遠いものであり、そのため神宮式年遷宮を含めた神宮のあり方が、今もなほ問はれてゐるといはなければならない』と。


●『不二』皇紀二千六百七十三年九月號(平成廿五年九月廿五日『不二歌道會』發行)卷頭言に曰く、
『神宮式年遷宮の奉祝と共に、我々が深く考へねばならないのは、本來國家を擧げ、國事・國儀として行はれるべき民族的大祭典が、民間の一宗教法人による祭典・祭儀とならざるを得ない状況が、戰後の五十九囘・六十囘・六十一囘、そして今囘と、既に四度にわたり變則的に行はれて來た事實である。神宮と 皇室・國家の關係が正常に復されることの祈念がそこに改めて籠められなければならない。天皇陛下よりの御手許金奉納と神宮自身の積立、そして有志國民よりの淨財奉納によつて實現されて來た御遷宮であるが、國費からは一圓の支出もない「神道指令」の上に立つ「占領憲法」の打破。その意味を籠めた祖國再建祈願祭(※大東神社に於ける)である』と。(※は野生による)
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by sousiu | 2013-10-02 18:33 | 今日は何の日

「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十 

 今日は野生の可愛がつてゐる蛇(假名・如意棒ならぬ「によい坊」)に食餌を與へんとするの際、噛みつかれてしまつた。
 どうやら蛇は、地球上で最高の進化を遂げてゐるらしく(出典、ナシヨナルジオグラフイツク。苦笑)、毒蛇ではないものゝ、餌やりの時、手に向かつてこられたら殆ど避けることが出來ない。然も一瞬噛まれた丈でも出血が少なくないので、その度びにニヨイ坊を破門にするか否か苦惱するのである。それにしても凄まじき攻撃力だ。

 さういへば維新青年同盟・後藤會長の携帶電話の待ち受け畫面は、何と曾てニヨイ坊に噛まれた際に怪我した野生の指であるさうだ。
 ゴトケン兄は野生が慕つてゐる士のひとりである。求道の志と向學の念に溢れ、人格・情熱・探究心など何ら申し分のあるは無し。一點、壁紙のセンスを除いては。
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   ↑↑↑今朝のによい坊(假名)。彼れ(性別は分からんが、おそらく♂)に禮節を教へるは、相模川で砂金を探し出すに等しき難事だ。


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●佐々木高成先生『辯辯道書』下卷に曰く、

『さて佛道と儒道との違(ちがひ)めを論ずること甚だながし。辯道者いふまでもなく佛氏は心を尊んで靈覺を觀るを大悟とす。~中略~  

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 しかるに曲學者ながゝゞしく佛經の事を説て、當時の世間僧戒行を破り、色婬に墮落し、名聞を願ひ、財利に迷ふ事辯道者がいふまでもなく、釋迦佛五々百歳の後、五濁亂慢(ご-じよく-らん-まん)の時、僧の戒行つたなからんことは頓にいふ(※マヽ)て置きたれば今更いふに及ばず、又僧と成ては身に糞衣(ふん-ゑ)を着、口に馬麥(め-ばく)を食し、樹下石上に宿する事、増蘇老人が小社探等にいふてあれば、口眞似するやうに見えてをかし。神道を議難せん梯に佛教の事を論ずる事、無用の辨をなんぞつい(マヽ)やすや。儒佛の邪正は程氏跡斷(てい-し-せき-だん)の説にて、その理、菽麥氷炭(しゆく-ばく-ひよう-たん)を別つがごとし。~以下略~』と。

 高成大人も、自身の視點から佛教に斧鉞を加へる。
 されど前記したるの如く、佛教批判は他日に記すであらうので、こゝでは略す。



 續けて曰く、
『辯道者の文に、惣(※總)じて天地開闢の初に、人の生ずる所は久しき池に魚の生じ、腐たる物に虫の生ずるがごとく、自然の氣化にて生じたるものに候(※純が文の引用なり)といふより、先王の禮を犯しては人にあらずと思ひて愼しみ守れば情欲是に制せられて放逸する事を得ず候といふまでを述て、作者の意大綱を摘でいふべし』

 辯道者(太宰純)が云ふ聖人の主張に對する、高成大人の反駁が始まつた。


 曰く、
惣じて天地開闢といふ。惣じての語、萬國に通じていへるものなり。異邦も本邦も同意にして、氣化を以て人の生ずる事、水中に虫のわくがごとく、貴賤上下の品もわかれず、皆同輩なるを平民といひ、皆同輩にてかたちは人なれども禽獣に異ならずといひ、その中に賢き人生れて人倫の道ををしへ、君臣上下の分を立るが盤古燧人(ばん-こ-すい-じん)などゝいひ、そのゝち伏羲(ふつ-ぎ)神農(しん-のう)黄帝(くわう-てい)といふも皆其通りなりと。吾國も開闢の初より、良(※やゝ)久しくかくのごとくといふ意をひそかにふくみとけり。是等の邪説を打破んがため、上に一々神代の事蹟を述て、これを評じて其意を著明す』


 少し長文となるが、以爲らく高成大人の、本書に於て最も筆に力の籠められたる要處であると信じ、これを抄録したいと思ふ。

 曰く、
曲學者が貴ぶ西土(せい-ど)は、風氣偏濁、陰陽過不及の下國なれば、開闢にかぎらず後々までも禽獣同然の國なり。吾神州は開闢するとすなはち二尊氣化し玉ひて夫婦婚姻の道を正し、人倫の本を明かにし、父子君臣の道、赫々然(かく-かく-ぜん)たる事、神典に見えたる通り疑ふべきなし。忝も天照大神、高天原に即位御座て彝倫(い-りん)の道を明にし、万民にをしへ、その補佐として神高皇産靈尊攝政し、兒屋、大玉二神これに繼(つぎ)給ふ。五穀成就耕作の道を保食(うけ-もち)の神に月讀尊をつかはされてこれを習はしめ玉ふ。蠶(かひこ)をいとゞること、五穀を作る事、其道を得て國用豐饒なり。稻八束穗に莫て日神の叡慮明彩(えい-りよ-うるは)しく、天邑君(あめの-むら-きみ)をさだめ玉ふ。これ後世の大庄屋等の類なり。かくのごとく神代より人事の教法、明かに備りたること神典に著(いちじる)し。然るに辯道者、聖人の教へ情欲を斥るといひ、書經の殷の湯王の以義制事(※義を以て事を制し)、以禮制心(※禮を以て心を制す)といふ事を肝心とせり。凡て學者の受用を論ずる時は、曲學者が得經の論語に博文約禮(はく-ぶん-やく-れい)といひ、又、克己復禮と宣ひ、又、子貢問有一言而可以終身行之者乎(※子貢問ふ、一言にして以て身を終はるまで之を行なふ可き者有りや)、子曰、其恕乎、己所不欲勿施於人(※子曰く、それ恕なるか、己の欲せざる所を人に施すなかれ)。是等を擧ずして遠き書經の文を擧るは、陰に宋儒の理學を嘲らんと欲するの私意なり。神道を難ずるの片手に宋儒を廢せんとする事、濫吹(らん-すい)笑ふべし。辯道者が古學といふを辨ずべき事、車載斗量なりといへども、吾道に與(あづか)らざれば、しばらく赦(ゆる)置而已(おく-の-み)。
 吾神教己を脩め人を治るの大道を説述べし。
 元來、吾邦は神明降居の本國ゆゑ、風土潔く陰陽中和の國なり、故に磤(※石+殷)馭盧島(※おのころじま)といふ。おのころは自凝(みづから-こり)しまるの訓にして中央に位し、日月もこれによりて運行の度をたがへず、四時もこれに依て流行の道もとらず、故に此國の人も、天地の中氣の中の粹氣を受て彝倫正し、其精義は神道を學び、其傳を受に非んば知るべからず。予、枉妄義に述る通り、外國は陰陽過不及の國なり。南蠻西戎は陽勝て陰不足なり。南國は寛柔にして教へ、無道にむくひざるを以て道とす。西戎は六度滿行を修し、廣大慈悲波忍羅蜜等を以て最上とす。北狄の風は剛強果斷を專らとし、金革を衽(しきね)にし、白刃を踏を以てよしとす。是皆陰陽の過不及なり。
 吾國は人おのづから寡欲にして漢土天竺の多欲無道なるには似ず、吾國も外國の道入り來て漸神代の古風を失ひ、人王三四十代の此より人の風異邦へ流れ、博文あるものは反て智辯巧に流れて上世淳素の道を失ふ。佛法隆(さかん)に行はれて朝廷の政日神の遺戒に背き給ふ故、遠島へ徙(うつさ)れ給ふこと、今世より是を見ても血涙を流す。

 保元平治より以來は父子相爭ひ、兄弟相戰ふ。宛も漢土天竺の風俗となる事といふべし。近頃栗山氏(※栗山濳鋒翁のこと)、是を患て保健大記を作れり。谷氏(※谷秦山翁のこと)が打聞を合せ見ば其理明なるべし。今も上世身を脩るの法を勉は上の政を一毫も背かず、當今の天子を直に日神と尊び、當時將軍を八幡大神の武徳と崇め、攝政家を春日大明神と信じ、何事も上の掟に背ず、吾心も天御中主の分靈と仰ぎ、汚穢不淨の邪念起れば直にはらひすて、猶又神力をいのりて、今日より後、罪止云罪者(※つみ-と-いふ-つみ-は)あらじものぞと、祓所(※はらひ-ど)の八百万神へはらひ給ひ、きよめてたまはれと祈り申すまでなり。故に上世より中古まで法式條目といふ事もなく、おのづから天下國家安(やすらか)に治りて百姓其所を得、種子命國の大祓を掌り給ふことを見るべし。

 畢竟天地のたつも誠、日月の照すも誠、四時の行るゝも誠、君々たり、父々たり、子々たり、夫々たり、婦々たり、兄々たり、弟々たり、友々たり。是の誠の境界に入れば、外より責たむるに及ばずして自然に道行る。これ神國最上の教なり。
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=XYA8-02010&IMG_SIZE=&IMG_NO=39』と。(改行及び※は野生による)

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by sousiu | 2013-10-01 07:31 | 大義論爭