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曰く「保守の定義とは」

『伝統と革新』(「たちばな出版」發行)十六號を讀む。
「国難と維新運動」と題する各氏の論文が特集されてあつた。

 福田邦宏兄、同書に曰く、
「どの国にも歴史伝統文化はあるだらう。それが長期か短期か、優れてゐるかゐないかにかかはらずである。それを一言で表すならば『国体』であり『国振り』である。そしてこれを擁護せしめんとする志望や考へを『保守』と呼ぶのである。

 然らば、日本に於いての『国体』とは、天皇を中軸とした歴史伝統文化であることから、日本の保守派とは、敬神・崇祖・尊皇の念篤くなければならない。神武帝建国の以前、つまり神代より完成されたる吾が国体があることからも、前記した定義に疑義を挟む余地はあるまい」と。


 今日、保守系と呼ばれる雜誌乃至言論が頭を擡げつゝある。
 日乘でも度々ふれてきたが、かうした時代の潮流に對して、諸手を擧げて歡迎する能はざる理由は、實に國體觀念が乏しきことである。國體觀念が乏しいといふことは、つまり日本がナニモノであるか不明瞭であるといふことに他ならず、國體論なき國家の改造論は維新とは名ばかりの革命へ繋がりかねぬ危險を孕んでゐるのである。

 軍隊や憲法、延いては國家のあり方が議論される刻下の世情あつて、權利擁護に固執する保守派ではなく、國體闡明に立脚した保守派の擡頭を鶴首待望するものである。

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by sousiu | 2014-07-18 20:48 | その他

國學關連の書に就て。 

 ゴトケン賢兄はじめ、諸兄から日乘の更新が停滯してゐることのお叱りを受ける。殊にゴトケン兄よりコメントが入つてをり、迂闊にも氣付くのが遲れ、時機を失し、放置してしまつた。
 加へてゴトケン兄より時々いたゞくメールも返信せずじまひ。しかしこれは兄に係はらず、どなたにでもさうだ。
 どうもメールは馴染めない。況や携帶電話のメールに於てをや、だ。それでも兄、地震や颱風襲來ともなると、必ず「大丈夫か」とメールを下さる。本道に有難く、兄の懷の深さに感謝してゐる。


 さて。そのゴトケン賢兄も目下、國學に興味をお持ちであるといふ。
 野生のまはりでも國學に關心を寄せる人士が少なくないが、時折尋ねられることは、「お薦めの本は何か」といふことだ。
 固より野生も勉強中の身。然も入口にあるに過ぎない。よつて野生の推薦する書籍が的を得てゐるか否か甚だ疑はしきものだ。
 たゞ一應、野生には野生の勉強の仕方がある。
 明治御一新の起爆劑の一つでもあつた『國學』の、その發展や成長の過程を先づ一通り通讀し、そのうへで野生が氣になつた人物、興味を覺えた書籍などをチヱツクしておき、改めてその著述や書籍を讀む。またそのなかで氣になつた人物や書籍名が出てくるので、再び之を繙く。人、或はかうした進め方を亞流と罵るかも知れないが、野生の場合、この繰り返しが國學に對する親しみをより増させたのは事實だ。因みに野生は『日本の古本屋』から殆ど入手してゐる。

 然るにこの場合、國學の成立と發展の過程を識ることが出來る。清原貞雄先生著『國學發達史』、久松潛一博士著『國學』、傳記學會『國學者研究』などゝゞ、この日乘でも、おほく活用させていたゞいた。
 たゞ讀めば宜いといふわけでは無いといふ御指摘は御尤もだ。謂はゞかうした作業は入口であつて、前記したるがごとく、こゝから自分の學問や思想の「師」を見付けなくてはならない。單に有名な國學者だから、埋もれ木に終はつてゐるから、といふ後世の評判によつて選擇するやうでは、一向に自分のものとならないであらうこと、至極當然だ。

 よつて冒頭の御質問に答へるべく、今囘の更新に至つた。繰り返すが淺學なる野生の答へなど、アテにならない。些か長文となるが久松博士の言を掲げ、國學に關心を持つ人士の、書籍購入の際參考に資していたゞければ幸ひである。


●久松潛一博士『國學と玉だすき』(昭和十五年九月八日「文部省教學局」編纂)に云へらく、
「~國學の學問的性格の成長と推移をたどることが國學史の考察となり、同時に國學史と國文學との關係を見ることにもなるのであるが、なほ從來國學史の扱はれた態度方法を見ると種々の態度が見られる。既に平田篤胤に於てはそれまでに完成した國學の史的考察を古道大意玉だすきに於て概觀的に行つて居るのであつて、國學史の先驅的意味を見出すのであるが、次いで清宮秀堅の古學小傳(安政四年成り、明治十九年刊)は國學史の規模を整へたものである。何れも大體に於て國學者の列傳的な扱方をして居ると見られる。これにも二つの傾向があつて、一は國學者のあらゆる人物を網羅的に列傳する態度で大川茂雄・南茂樹兩氏の國學者傳記集成(明治三十七年)はその最も著しい業績である。一は國學者の中その代表者とすべき春滿・眞淵・宣長・篤胤を中心として考察し、その他をそれらの代表者の門流として一括して、考察する態度であるが、國學史の扱方としては後者が最も多く行はれて居るのである」

「芳賀博士の國學史概論(明治三十三年刊)や藤岡博士の國學史(明治三十四年ー五年講義)、野村八良博士の國學全史等にしても主としてこの態度をとつて居られるのである。しかし進んで國學者の系統を追うて、研究する態度に對して、國學を横斷的に扱つた研究も見られるのである。河野博士の國學の研究(昭和七年五月)や芳賀博士の「日本文獻學」の如きは國學を體系的に扱つて居られるのである。この列傳的と體系的との考察はむしろ國學史概論との相違と見るべきであらう」

「更にかういふ列傳的と體系的との兩者を通じて、更に別の觀點から見る時、種々の扱方の相違が見られるのである。即ち一は神道學的な立場からする國學史の研究であつて、河野博士の國學の研究や、清原貞雄博士の國學發達史(昭和二年)の如きは、かういふ立場にたつて居ると見られる。こゝでは國學史は復古神道史といふ如き形相を示して居るのである。一は國史もしくは日本文化史的な立場にたつ扱方である。竹岡勝也氏の「近世史の發展と國學者の運動」(昭和二年九月)の如きはその著しきものであり、伊東多三郎氏の「國學の史的考察」(昭和七年二月)の如きもさういふ立場にたつて居るのである。一は國文學研究史もしくは國文學研究法的な扱方であつて、芳賀博士の國學史概論もさういふ傾向が著しく見られたのであるが、特に「日本文獻學」(明治四十年講義・昭和三年刊)は國文學研究法の立場から國學を日本文獻學として理解されて居るのである。この傾向は芳賀博士が明治三十五年頃独逸から歸られてから独逸の文獻學との比較の上から「國學とは何ぞや」といふ論文を書かれて以來、芳賀博士の一貫した態度であつたのである(この點は一人の國學者の研究ではあるが村岡典嗣氏の「本居宣長」も大體さういふ態度をとられて居るのである)。藤岡博士の國學史や野村博士の國學全史は國文學研究史としての性質を有して居るが一面には文化史的研究の一面をも備へて居るのである。

 以上は國學史が神道學や國史學や國文學の各分野から扱はれて居るために、それゞゝの立場からの色彩が濃厚となつて來るのであるが、また國學史が是等の種々の分野を學問的領域の中に併せ有して居るためでもあると見られるのである」と。


 
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by sousiu | 2014-07-17 19:47 | 良書紹介