「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十八 

 近畿地方を遊學及び遊説(苦笑)して周つてゐた間、記事を更新出來ずにあつた。
 迂闊にも數日間、放つておくと、何處まで進んだのかわからなくなる。御來車いたゞく皆樣では猶更のことであらう。
『呵妄書』も、もうぢき終はりだ。一氣に完了したいところであるが、少々熱つぽいので、今日は少しだけ進めて擱筆したい。
 颱風と共に歸つてきたのが良くなかつた。寒暖の差が甚だしい折柄、皆樣も御自愛御用心を。

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

○平田篤胤先生『呵妄書』(享和三年癸亥十月刊)に曰く、
『純また申たには、偏屈なる儒者は、諸氏百家を異端邪説と名づけて、其書を讀ざる故に、其道を知らず。一概に取べき處なき樣に存候云々。畢竟諸子百家も、佛道も、神道も堯舜の道を戴かざれば、世に立こと能はず候と申た。

 偏屈なる儒者のみならず、その偏屈ならぬとほこれる純も、堯舜が道の外なるをば、みな左道なりと云へるにあらずや。是名こそ異(かは)れ、同く異端邪説と名づけたるものなり。其書を讀ざる故に、其道を知らずなど云へれども、其見たりとほこる人も、見ぬものと同く、斯偏屈なることをのみ云ふは、返りて見ぬ人こそましならめ。總ての道を堯舜が道を戴ざれば、世に立こと能はずなど云たは、實に大笑に堪たることだ。
[然れども此書に斯云ふかと思へば、またほかの著書には、凡禮義には定れる體なしとも、其世に居ては其世の禮義をかたく守るを君子とするとも云へりしは、更に見識定らず醉人の心地す。されど、今は姑く此書によりて云ふ]

~略~ 國々の禮各異なり。然れども其敬の心をあらはすは同じことなり。必しも堯舜が教の如ならざれば、道にかなはぬなどと思ふは、更に云ふにも足らぬ狹見なり。世に漢學に迷へる者どもが、彼の國の書どもに、中華は萬國の師なりなどゝ戎人(から-びと)の狹き心より、云出た漫言(みだり-ごと)を聞て、如何にも然ることと心得、漢國の教に有らざれば、諸事を爲し得ぬごとく一向(ひたすら)に思ふ様子だが、甚しき愚なり。から國の教と云ものは、我が 皇國の正しき上より見れば、知れたることをことゞゝしくをしへたるものだ』と。

 又た曰く、
『禽獣すら烏に反哺の孝あり、雁に兄弟の義があり、狼に父子の親あり、又蟲にも蜂蟻などには、君臣の義もありなど云ふことどもの、漢籍にも何くれと見えて有る。是等も堯舜が道の及んだと云もので有うか。人として堯舜が教に有らざれば道を知らずと云ふのは、國に對し先祖に對し、禽獣にも劣つたる不法者と云ふべし。純など則これでござる』と。


 おやすみなさい。ごほん。
[PR]

# by sousiu | 2013-10-17 20:36 | 大義論爭

「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十七 

●佐々木高成先生『辯辯道書』下卷に曰く、
『此書に辯道者、佛道も神道も堯舜の道を戴ざれば世に立ことあたはず候、されば中華の古代も、日本の今も、天下はいつも堯舜の道にて治り候 ~※純が文の引用なり~ などゝいふ事、是亦無體配(た-はいも-なき)いひぶん也。

 凡て辯道書の一篇前後の合ぬ事のみなり。前にながゝゞしく佛戒佛道を説て、釋迦の本意は心の物に繋縛せられず、愛念妄想を斷滅し、心の清淨を行ひ、身に糞壤衣(ふん-じやう-え)を着、口に馬麥を食し、樹下石上に宿するが佛者なりといへらずや。それが堯舜の道をいたゞかざれば叶はざる事とはいかなる兩舌ぞや。勿論今の肉食女犯をなし、金銀をたくはへ、師弟の因を求め、寺院を禪るなど在家に等しき事有故、如斯(※斯くの如く)いふとならば、それは俗人の身持にして釋氏の境界にはあらず、今の世無道墮落の邪僧を見て、堯舜の道を戴くとはかたはらいたく覺え侍る。猶、吾道において堯舜の道を戴ざればとは、さりとは無禮不忠の惡言曲學者は清より來りて吾國を別業(しも-やしき)になせしものゝごとく覺えるは淺まし。上神代より中古人王の始方までは、天下安泰に治り、君臣父子、夫婦兄弟、朋友の道自然に行れて其曲を盡す。儒教の來り行はるゝ事は漸、千有餘年にして、それより始て道のひらくるにあらず。儒書の來らざる以前、神人すでに天道人道を明らかにしめし、耕稼陶漁の術、卜占醫藥、暦軍の道にいたるまで、そなはらざる事なし。古書を考へて其疑をとくべし。

 中古漢土の書わたり來りけるを、神道にかなうて、邪説にあらざる事はこれをすてず、其羽翼となして可なり。應神帝、天智天皇、大織冠鎌足公、此理に明にして儒教を兼用し給ふ。今の腐儒曲儒我道を外にして、儒教ばかりを以て天下を治めんと思ふは、蟷螂が斧を以て龍車に向ふよりも愚也。

 近世我國の儒生を見るに博識多聞なるものありといへ共、實に己を修めて聖賢者となるものはなし。口に聖經を説ども、身心は名利色欲に溺れて無學のものに劣れり。又は一種の學流を立る者ありて、臂をすり、目をいからし、人の惡をせめ、殘忍刻薄至らざる所無く、纔(※わづか)の非を改めて親族離別し、師弟寇讐のごとし。如斯學ばんよりが學ばざるにしかじ、か樣の儒學の害勝て計ふべからず。何を以て堯舜の道ならざれば我國治らずといふや。禮樂刑制ともに異邦の事は一つも用ひずして吾國風の式に隨ふのみ。五刑の類三千も用ひずして吾三百威儀三千も用ひず、大牢の滋味とて牛をも食はず、衣服、法式、家居、器物までも、一つとして用る事なし。其澤をかふむる事、堯舜にうくとせむか、我國日の神にうくとせんか。今日行ふ所の五倫、日用の道みな日の神のたれ給ふをしへなり。

 儒道果して神道に同じくば、神道すでに是を明らかにす。若又神道にたがふ所あらば天道にも戻(もとれ)りといふべし。彼が學ぶ所の道も、訓詁詞章は得る所も有べし。聖學深長の所においては道をとくのみ。復りて本心ひらけなば予が言の金言なるをしるべし。

 又辯道書の最後に學術の事を論じて子思、孟子より以下を棄て、唯孔子より上を學ぶべしとの言、辯道者が邪説の病根なり。孔子は孟子讚せるごとく、生民あつてより以來、孔子のごときはあらず、集て大成の聖なり。孟子もねがふ所は孔子を學ばんといひ、宋に至ても程朱繁詞累言して、孔子の聖徳を讚ず。人もとよりしる所にして、太宰氏が贅言をまたず。又古學を談ずるもの前に述るごとく、心性の事は思孟に始るやうに謂て、古聖經には無きといへる事をば、易、書經、論語等を援て是を辨ぜり。曲學者が古學は根無草(ね-なし-ぐさ)の水上に浮べるごとくにて無禮配固學(※た-はい-なき-古學)なり。儒道に於て論辨し、責べき事は枚擧すべからずといへ共、強て吾道に與る事なければ辨ずる事を得ず。若此辨文、博雅の君子是を見給はゞ、無禮の過言卑陋に思ひたまはんずれども、我國帝王の太祖天照大神の政道を侮り謗り、我國王の恩をかふむりて其洪恩をわすれ、吾國を道なき夷狄とし、吾國王を虜首となし、我身を禽獣と伍をあらそふの位におき、■(立心偏+曹=きう)然として百年を過るも又國賊の魁、無智の甚しき彼が爲めに涕泣するのみ。
 小人天命をしらずしておそれず、吾國神聖の言をあなどる、予ふかく太宰氏がために誦するのみ
』と。(「辯辯道書」をはり)


 『辯辯道書』も終はつた。留守希齋翁の跋文があるのだが、それは既に掲げた。↓↓↓
                             http://sousiu.exblog.jp/20036942/


 ところで平泉澄先生は『闇齋先生と日本精神』(昭和七年十月廿三日『至文堂』發行)に於て、かく述べてゐる。
 曰く、
『中華思想といふのは支那人の尊大傲慢より起り、支那を以て世界の中心、最高の文化國となし、他國を以て偏在の地、卑賤の俗となすもの。もとより其の誤れる事、明白であるが、當時漢學惑溺の輩は之に氣付かず、好んで中華と稱して支那を尊崇し、却つて我が國を賤しむの風があつた。殊に甚だしかつたのは荻生徂徠の一門であつて、徂徠自身東夷物茂卿と署した事は有名今更いふまでもなく、その門人太宰春臺の如きもこの弊頗る著しかつた。
 彼が和漢帝王年表に序して、「我が東方の年紀を以て中華の年紀に合せて之を表す」といひ、又對客論文の中に「夫れ詩は華夏の雅音なり、故に異邦の人といへども、固より當に華夏の正音を以て之を直讀すべし、而して此方の人華夏直讀以て其の意を通ずる能はず、故に方言を以て之を譯す」云々といふなど(春臺先生紫芝園後稿)いづれも主客顛倒の弊に陷つてゐる』と。彼れらの有樣推して知る可し。

 曰く、
『この點について闇齋先生の説を見るに、先生は晩年に至り、俗儒が支那を中華と稱し中國と呼ぶを非として之を排斥し、日本紀が西土といひ、西地といひ、又は大唐と書せるを擧げて之に從ふべしとし、殊に聖徳太子が隋におくられた國書の中に、我が國を日出處といひ、支那を日歿處と名づけられたのを讚歎稱美された事は、隨從した門人澁川春海の詳しく谷秦山に語つたところであり(秦山集)、先生の文集を見るに、或は神國といひ、或は豐葦原中國といひ、或は本朝といひ、少しも自卑の風がない。即ち先生は支那の中華思想に屈服せられなかつた事明瞭である。ひとり華夷の辨のみならず、先生の批判は極めて周到であつて、世間の儒者が京都の事を洛陽又は長安といふを排し、これは異國の地名であつて、我が國に用ふべきでないとし、須らく 皇都と呼ぶべしと説かれた事が秦山集に見えてゐる』と。
 崎門の一派の姿勢をも以て知る可し。『辯道書』の、忽ち筆誅の的となるや必定で無くして何ぞ。
f0226095_13975.jpg



 抑々崎門の學派の姿勢は、當時の學者間に於て一種の腫れ物の如く見做されてゐた。乃はち、下に掲げたる一文を以て察す可し。
○徳富猪一郎翁『近世日本國民史 第十六卷』(昭和十一年一月廿日『明治書院』發行)に曰く、
『山崎闇齋の朱子學は、直ちにそれが宗教であつた。彼は日蓮が一部の法華經に據り、一天四海皆歸妙法を唱へたる如く、小學、近思録、四書、周易を經文として、朱子學を唱へた。而して其の破邪顯正に於て、勇往、邁進、毫も顧慮する所がなかつた。其の自から是とする甚だ固く、他を非とする甚だ嚴に、而して學問の要は、實行にありとし、實行の要は、持敬にありとし、其の戒律を勵行して毫も假借する所がなかつた

『大攫(おほ-つか)みに分類すれば、林家の朱子學は軟派にして、南學のは硬派であつた。而してその南學が、山崎闇齋を經來りて、更らに硬中の硬となつた。闇齋其人は、必ずしも攻撃せんが爲めに、攻撃するものではなかつたであらう。然も其の攻撃には、決して餘力を剰(あま)さなかつた。彼は朱子の研究的精神や、朱子の博聞審思を學ばずして、直ちに其の辯難駁撃、反對者に向つて、寸毫も假借せざる所を學んだ。彼は自から護道の天職を有する者として、其の一世を相手とした。されば彼は實に、軟派の朱子派に對しては、一種の恐怖であり、脅威であつた』と。

 「朱子の博聞審思を學ばずして云々」のくだりは、ちと極端なる言ひ方であると思はれなくもないが、いづれにせよ、その師ありてその弟子あり、如何に闇齋一門が當時の學者連中に恐れられてゐたか、その一斑は充分に察せられる。

 餘談であるが闇齋先生の、殊に垂加神道は、次囘掲げる平田篤胤先生など、復古神道を提唱する學者からの論爭を餘儀なくされてゐる。

 このやうな學問の庭に於ても、頗る活發な戰ひが展開され、繰り返へされ、而、日本魂は堅固となつていつたのだ。
 公安警察や機動隊の兩側で、互ひに罵聲を浴びせ合ふことを敢へて全く無駄とは云はない。けれども、その繼續をするたゞそれだけで、况やヘイトスピーチを繰り返してゐるだけで、容易に日本魂が恢復するとも野生は思へないのである。
 
[PR]

# by sousiu | 2013-10-11 01:39 | 大義論爭

「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十六 

 本日は木川家から最華を賜はつた。
 按ずるに、過日、貴田誠氏に連れて行かれた田植ゑにて、木川家が持ち歸へつた苗であらう。季節のうつろひは本道に早いものだなア・・・。

 神前に御奉納申上げ、五穀豐饒、家内安全を祈願す。
f0226095_1811176.jpg


  ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 太宰春臺の『辯道書』もいよゝゝ本日を以て終はりだ。
 成る可く議論となり得る部分は殘し、抄録に努めた積りだが。固より『辯道書』は決して短い書物ではないので、上手に拔き書き出來たか、ちと自信が無い。ま、その内、作業も慣れてくるであらうので、御寛恕賜はりたい。


○太宰春臺、『辯道書』(享保廿年)に曰く、
『~前略~ 今の人は聖人といふ名をだに知らず候は、淺ましき事にて候へども、是却(※これ-かへつ)て聖人の徳の廣大なる驗(※しるし)にて候。如何にとなれば、聖人の徳は日月の如くなる物にて候。此世界の人、日月の光明に照されぬ者は無く候へ共、一人一家の爲に出たる日月にあらず。萬古以來の日月にて、世界に遍滿する光明なれば、誰にても一人殊更に日月の徳を感戴して、有がたくおもふ者は無く候。若(※もし)とこやみの國に日月始て出候はゞ、人皆奇異の思ひをなして、尊く有がたく存ずべく候。聖人の道も其如く、若海外の遠き國などの人倫の道なき處に、聖人始て出たまひて、今の如くの仁徳を施した まはゞ、 士民等希有の思ひをなして、其徳を感戴すべく候。

 凡聖人の徳は廣大無邊なる者にて、一人づゝに賦(くば)り與へざる故に、其世の人も恩を受るが常になりて、是君の惠ぞといふ事を知らず候。況や千萬世の後に及で其道四方に行はれ、上下萬民ことゞゝく其教を受て、仁徳に化育せられ候へば、昔の聖人といふは如何なる人にて、聖人の道といふは如何なる事ぞと尋る人さへ無きは尤もの事にて候。是すなはち聖人の徳の廣大無邊なる驗にて候』


 曰く、
『偏屈なる儒者は、諸氏百家を異端邪説と名づけて、其書を讀まざる故に其道を知らず、一概に取べき處なき樣に存候。佛法を惡むことは又諸氏百家を惡むよりも甚しく、僧をば人類にもあらぬ樣に思ひ、天下の事を論ずるにも佛法を絶さずば、國家は治まるまじくなど申候。善く學問して先王の道を明らめたる上にては、諸子百家の道は國家の病を治する良藥にて候。釋氏は國家に預らぬ者にて、僧は古の巫祝の類なる者なれば、上の政たゞしき時は國家の害になることもなく候。

 日本の神道は又殊に小き道にて、政を妨ることあたはず候。畢竟、諸子百家も佛道も神道も、堯舜の道を戴かざれば、世に立ことあたはず候。されば中華の古代も日本の今の世も、天下はいつも堯舜の道にて治り候』と。

 大分、春臺の慕華ぶりも遠慮がなくなつてきた。以爲らく、春臺が彼れの主張として最も力瘤を入れたる部分だ。『辯道書』も結論に近付くにつれ、春臺の本音は更らに露骨とならざるを得ない。


 曰く、
『諸子百家を學ぶ者も僧道も巫祝も、皆ことゞゝく王者の民にて、王法の外に出ることあたはず候。若國家を治る人、堯舜の道を學ばずして諸子百家を悦び、或は佛道を好み、或は神道を好むは、其國家の亂るゝ端にて候。譬へば病なき人の妄に吐下攻撃の藥を服するが如くなるべく候。堯舜の道を傳し人は孔子にて候。孔子の教に從て堯舜の道を學び候得ば、天下の事、何にても足らぬ事なく候。貴公も聖人の道をば御好み候へども、宋儒の説を御用ひ候て古義に通じたまはざる樣に、心を治る一事に於て聖人の道を捨て、佛道を御信用候は口惜き御事にて候。

 禮義を守れば心は治るに及ばずして獨治まる故に、聖人は心を治ることを教給はず候。若、心を治て善き道理あらば、堯舜より孔子まで數多の聖人の中に、前の聖人いひのこしたまふとも、後の聖人必これを仰らるべく候。三才を極たる聖人の道に、此一事を闕べき道理なく候。よく御考あれかしと存候。先王の道は孔子に至て大成を集て教を萬世に垂たまひ候。

 然るに子思孟子より少づゝ差ふ處ありて、宋儒に至て大に差ひ候。今の學者孔子を信ぜずして、程子、朱子を信ずる故に、古聖人の道に達せず候。我等は子思、孟子より以下を捨て、只一向に孔子を信じ候へば、聖人の道は極て明になり候。

 純さいつごろ人の爲に著し候假名草紙聖學問答に、古學の大意を述候。若、御志も候はゞ、後日に進覽すべく候。先此答書を反覆して御覽候て、御不審も候はゞ再問を待申候。凡そ純の申す所は、ことゞゝく先王の法言に依て孔子の教を述候。胡亂(う-ろん)なる説にあらず、一々證據ある事共にて候。疑慮を御止候て、委細に御勘辨あるべく候。不具謹言』と。(をはり)

  ~   ~   ~   ~  

 春臺の僻事も是れで終はつた。
 つくゞゝ讀みかへし何人も解せられるがごとく、このやうに心、西土にあるの者が一碩學として名を馳せてゐたといふのであるから、已んぬる哉、當時學問の庭が如何に 皇國にとつて瘠土であつたか察するに決して難くはない。

 學問の齎す影響は少々では無い。その學問を肥料とした上で見識が養はれ、更らに思想が開花する。而、その思想が政治制度と歿交渉に非ずとするならば、之と果敢に對決を繰り返したる先人の研學と成果は將さに吾人にとつての學恩とす可きものなのである。

 兎にも角にも『辯道書』にまつはる論爭も終はらうとしてゐる。

 今暫くお付き合ひ下さらむことを。
[PR]

# by sousiu | 2013-10-09 18:11 | 大義論爭

「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十五 

 昨日に續き今日も日本誠龍社に關する話題であるが、先ほど、依頼されてゐた同社機關紙創刊號の寄稿を書きをへた。
 貴田會長との御交誼はかれこれ十年以上となる。日本誠龍社はこれまでも果敢に運動を展開してきたが、こゝ最近は、運動形態を見直しつゝあり、殊に貴田會長は積極的に農本主義を研究し、各地の農家と親交を深め、自らも實踐されてゐる。
 時折、晝間に電話があり。「今、神田の古本屋にゐる」と。
 專ら戰前の古書を蒐集し、一晩中讀んでゐるのだとか。晴耕雨讀の實踐者である。羨ましい限りだ。

 時代の流れか、最近、そのやうに運動方針や組織形態を見直す團體や有志が本當に多くなつた。後が恐いので名前は伏せさせていたゞくが(汗)、意外なる團體が路線轉換を始めてゐる昨今だ。舊態依然と、温故知新はまるで違ふといふことだ。

 私見を述べればかうした動向は歡迎す可きことであり、同時に必然であると思つてゐる。自らをして尊皇の基礎を固めてから時局を論じても決して遲くはないし、否、むしろそれ無くして徒らに騒いでみたところでそこからは何も産まれない。この日乘でさへ、有難いことに一日平均、六百人を超す來場者がある。來場者の數は固より野生の卑見に依るものではなく、先哲の御尊名や著書に與るものであるが、それにしても「篤胤」「國學」「三條」「神國」「尊王」などてふキーワードで檢索される御仁の、少々であるとするも決して僅少でもないことが頼母敷く思へるのである。

 目下ヘイトスピーチの街宣を巡り是々非々が論議されてゐる。全くと云うて宜いほど野生には關係ない。


  ~ ~ ~ ~ ~ ~ 


○平田篤胤先生『呵妄書』(享和三年癸亥十月刊)に曰く、
人に父母なき者は無く候。禽獣は乳哺の養を受る時、父母を慕ふのみにて、少し長じて離別すれば、親は子を忘れ子は親を忘れて、後には親となど、食を爭ひ候。人も本は禽獣の如くなりしを聖人是に親愛の情を示し、孝敬の道を教玉ひてより父子の道始り候。 ~※純が文の引用なり~

 西土の人は本は禽獣の如くにして、親と子との親みをも知らず、親と子と、食をあらそひなどしけるを、聖人是に親愛の情を示し、孝敬の道を教へてより、始て父子の道たてるとか、然もあるべし。更に無りし好き情を聖人に示されたるものなれば、西戎國(か-ら-くに)の人にしては聖人は上もなく尊きものになんある。皇國の太古より父子の道、正しく親しかりしことを、彼の國人に聞しめ度わざになん』と。

 曰く、
禽獣には雌雄牝牡の情のみ有て、夫婦配偶の道なき故に、父子同産交合して、子を生み候。人も本は禽獣の如くなりしを、聖人婚姻の禮を制し、男女の別を立て、淫亂を禁じ玉ひてより夫婦の道始り候。 ~※ 仝~

 西土の人は本禽獣の如く夫婦配偶の道もなく、父子交合して生みけるを、聖人是に婚姻の禮を教へて始て夫婦の道立しとか、然も有るべし。周公旦が此定をいみじく固くせしも、かくみだりにて有し故ならん。皇國の太古より夫婦の道の正しかりしことを、彼國人にきかせ度わざになん』

 曰く、
禽獣には同産の子數多あれども、兄弟と云ふことなし。人も元は禽獣の如く、同産なるのみにて、兄を敬ひ弟を愛することなく、爭鬪して相殺することありしに、聖人これを憂て長幼の節を制し、兄弟の道を立玉ひ候。 ~※ 仝~

 西土の人は、元禽獣のごとく、兄弟敬愛のこともなく、爭鬪して相殺すこと有りしを、聖人是に兄弟の道を教へたるとか、然も有るべし。西戎國の人にしては、聖人は尊きものなり。敬ふもうべなり。皇國の太古より兄弟敬愛の道、正しかりしことを、彼國人にきかせ度わざぞかし』と。

 曰く、
禽獣には朋友と云ふことなし。人も本は禽獣の如く、信もなく義もなく、相奪ひ相爭ひ、相殺し相害するのみなりしを、聖人是に信義を教て、朋友の道を立たまひ候。 ~※ 仝~

 西土の人は、本は禽獣のごとく、朋友の信義もなく、相奪ひ相殺しけるを、聖人是に信義を教へて、始て朋友の道を立てたるとか、然も有るべし。皇國の太古より朋友の信義あつかりしことを、彼國人に聞かせ度わざになん』と。

 これらのくだりは篤胤大人ならではのもの。實に痛快なる哉。


 曰く、
君臣父子夫婦兄弟朋友、此五つは人倫の要道なる故に、是を五倫とも五典とも申候。人間に此五つの道、一つも闕ては天下治らず候。 ~※ 仝~
 如何にも爰に云へる名目ども一事も闕ては、人の人たる道をうしなへるにて天の下治ることなし。尊き哉、皇國は格別のよし有るが故に、太古より第一に君臣の道正しく、外國にても羨み稱し奉ることにて、 ~中略~ 父子夫婦兄弟朋友の道も、甚(いと)正しかりし故、五倫五典などゝ、言痛(こ-ちた)く名目を立て、をしふるまでもなく、人々行て常なりしに、西土(から-くに)などは、純が説の如く開闢より道の大本たる君臣の道さへ、輕忽なりし故、かく名目を作りてをしへたれ共、末の世に至りても、なほ正しからず。太古より風俗の末々までも直らぬものなり。其本亂れて末治ることなしとはかゝる事よりぞ云へるならん』と。

 曰く、
『~上略~ 抑々道の體とする處は、たゞ君は君として下を惠み、臣は臣として君に忠を盡し、親は子を慈しみ、子は親に孝行をいたし、夫婦兄弟長幼朋友、夫々にさう有るべき事の、正しき所を差して道とは云ふべきもので、是は人々みなかうなくては叶はぬ事まで産靈神の御靈に依り生れならがにして誰もよく辨へ居ることでも、然れ共、其眞(まこと)の道の正しいといふは、獨 皇國のみの事で諸蕃國はさうではない。別て漢土(から-くに)などは、元來酷惡の國風なる故に、湯武など云ふもの共が出て、まづ其大本たる君臣の道をさへ破りて、君を殺して君を奪ひ、なほまた弑す虐の罪を遁れう爲に、天命など云ふことを取込み、亦々其道を飾修して君臣の道などはなほも嚴重に作り添て、種々(くさ-くさ)の道のことを書籍に記し、きびしく制度をたてゝ有る。但し夫は君を弑し國をうばふ程の奸智ある者どもの立たる制度なる故、其文面はよく立派に行屆いて居る。~中略~

 扨、一旦己れが奪ひ取ては、また人には奪はるまじきやうにとて、智慧の限りをふるつて作りたる道である事故に、殘る所もなきが如く、至て尤もらしく書籍には記し有れども、其書は無用(いたづら)に世に傳はるのみで守るものなく、是(こ)は其立たる制度を自(みづから)破りたる輩の云置たる事故に、用ひぬのでござる。今の世の人にても、自は放蕩惰弱にして人の不身持を直さうとかまへ、尤もらしく意見を云たればとて、誰か其云言を用ひませうぞ。~中略~

 然るを儒にのみ拘泥(なづみ)たる輩、僻心得をいたして、其儒道をば皆から 皇國に用ひやうと思ふは何事ぢや。撫我則后、虐我則讎(※我れを撫するは則はち后、我れを虐たぐるは則はち讎)など云ふ類の穢らはしき言は、皇國にては、聞さへいまゝゝしき言ぢや。書たからざまのことをも、いさゝかは御用ひなさるゝを見て、堯舜の道ではなくては治らぬなど云ふは、甚以て稚(をさな)い事ぢや。皇國に御用ひなさるゝ處は、聖人のさだめの百分が一にも足ぬ事ぢや』と。
[PR]

# by sousiu | 2013-10-08 00:27 | 大義論爭

「辯道書」と、「呵妄書」及び「辯辯道書」 その十四 

 去る五月十二日、日本誠龍社・貴田會長に半ば騙され半ば脅かされ連れて行かれた田植ゑの稻が收獲され、我が宅に送られて來た。
◆◆◆五月十二日 農業體驗・・・田植ゑ編 於栃木縣小川市
 ふむふむ。我れながら中々上出來、…のやうな氣がする。※迂闊にも田植ゑは殆ど休憩してしまつたので偉さうには云へぬのだ。
f0226095_0575694.jpg

・・・稻に就て、柳田國男氏の『稻の日本史』から是非とも引用すべき一文あり、探さうとしたところ遂に野生の身長に及ばむとする紙の山が崩れおちた。また今度だ!怒。

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

●佐々木高成先生『辯辯道書』下卷に曰く、
『~前略~ 吾州に道なき事を謂て、日本に道といふことなき證據は、仁義禮樂孝悌の文字に和訓なく候、凡日本に元來有る事には必和訓有之候、和訓なきは日本に元來此事なき故にて候、と。是等の事不知文盲の説、笑ひをだも失ふ。先(※まづ)仁にはいつくしむと訓して此訓習(よみ-ならはし)あり、義はよろしと訓し、禮はうやまひと訓し、樂は鳴音(なる-おと)と訓す。神代卷上に、册尊崩御の後、葬於紀伊國熊野有馬村(※紀伊國熊野の有馬村にかくしまつる)、花の時には花を以て祭り、又、用鼓吹幡旗舞而祭矣(※つゝみふえ旗を用ひて舞ひて祭る)とあり、是吾國樂の起りなり。鼓吹(つゝみふえ)は天の靈幡、旗は地の靈、舞は人の靈にて、天地人和合の樂なり。其後岩戸の前にて鈿女命手に持茅纏盾(※茅纏盾を持)てと有より、火處燒覆槽置(ほ-どころ-やき-うけ-ところ-かし)と云迄は後世神樂の故縁なり、何ぞ禮樂なしといふや。
 又孝は親に事(つかふ)ると訓し、悌(てい)は兄にしたがふと訓す。上略して孝をつかふると訓し、悌をしたがふと訓ず。たとひ和訓なくもなんぞ道の障あらんや。辯道者が重むずる所の書經等にも仁義禮智の連綿の文字なし。しからば仁義禮智なしといはんや。書經にも限らず詩禮易春秋にも見えず、又論語にも見えず、孟子に至つて始て仁義禮智、外より鑠(しやく)するにあらずといふ言見えたり。堯舜の時には天下に道なきゆゑ、仁義禮智といふことなきや。しかれば儒學の一大缺事なり。吾國仁義禮樂孝悌和訓なし、故に道なしとは堯舜孔子への差合ならん。況や吾國和訓あり、又仁義禮智吾國に合ていはゞ、玉、鉾、鏡の徳なり。此三つの神器は至極の習有て、天子讓位即位の受授の大事にして、我國の堅、天下の大道なり。表向一通りをいへば神皇正統記に智仁勇の三つにたとへて、玉は仁、鉾は勇、鏡は智なり。別に重き口決あり、外に柱と云、玄櫛と云、嚢と云、浮橋と云、龍雷と云、土金と云、その人ををしゆるの次第、階級ことゞゝくそなはれり、彼れが淺陋の學の智る所にあらず。

 次に 人皇四十代の頃までは、天子も兄弟叔姪夫婦に成玉ひ候、その間に異國と通路して、中華の聖人の道此國に行はれて、天下の萬事皆中華を學び候。夫より此國の人禮義を知り、人倫の道を覺悟して禽獣の行をなさず、今の世のいやしき輩までも禮義に背くものを見ては、畜類の如くに思ひ候は聖人の教の及べるにて候。日本の今の世を見るに、中華の書に及ばずといへども、天下は全く聖人の道にて治り候と存る、と。是等の事も曲學者尊信の異國の無道不義をおしかくして、日本の紀綱の正しきを云かすめんとする謀慮。異國は七國の時分より彌人倫の道明かならず。楚公、齊公の類、兄弟夫婦となり、又唐の玄宗弟の妃を奪ひ妻とせられし事、全く畜類同然の行ひなり。我惡をかくし、人の善を覆はんとは宇宙第一の曲者なり』と。

 曰く、
『定めて叔姪夫婦に成給ふとは 神武帝の事成べし。玉依姫は海神の娘、そのうへ是には重々の子細あり。辯道者未だ神の門戸をだもうかゞはず、宮中の美は何ぞ見る事を得んや、笑ふべし。その上吾國人道の正しき事、允恭天皇二十四年夏六月、御膳(み-にへ)の羹汁(あつ-もの)凝以作氷(※凝りて氷となる)、天皇異之卜其所由(※天皇あやしみて其の所由をうらなはしむ)、卜者曰(※うらべの者曰く)、有内亂(※うちのつみあり)蓋親親相姧(左「女」+「女」、右「干」=奸=たはけ、※蓋しはらから相奸るか)、時有人曰(※時に人ありて曰く)、木梨輕太子(※き-なし-かるの-たい-し)、奸同母妹輕大娘皇女(※同母妹輕大娘皇女を奸けたまへり)。因以推問焉(※因つて以て推問ふに)、辭既實也(※こと既にまこと也)、太子は爲是儲君不得罪(※太子は是れ儲君たり罪するを得ず)、則流輕大娘皇女於伊豫(※則はち輕大娘皇女を伊豫に流す)とあり。これら神國の奇事恐るべし。異邦千萬人の不義有りとも聖人の道に損もなし、汚(けがれ)もなし、況や吾國一二の不義有りとも、神道において少も々ゝ障りなし、よくゝゝ思慮すべし。儒は天理自然の道、主公無我にあらずんば會得しがたかるべし。曲學者固滯にして國書を見ることなく、偏執我異遂に神明の罪人とならん』と。
[PR]

# by sousiu | 2013-10-07 00:55 | 大義論爭