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破邪顯正、かくあるべし。

徳富蘇峰翁曰く、
『共産主義の邪説たるを排くも可。然も正しき日本學を講明して、忠良なる日本國民を教養するは、更らに可。而して今日に於ては、これが尤も急務である我等は破邪のみにて滿足してはゐられない。顯正を勗めなばならぬ。されば我等は先づ國民教育の目的を、明確にせねばならぬ。國民教育は、只だ普通の教育では無い。日本國民の普通教育であらねばならぬ。從來の教育は、人道を教へた。我等の要求は、寧ろ日本人道であらねばならぬ。道は古今東西に通ずる道である。然も日本人は日本人として、斯道を踐行せねばならぬ。人が人たるを學ぶの第一歩は、日本人が日本人たるを學ぶことであらねばならぬ』(昭和國民讀本「日本精神と文教の影響」項)と。

 愚案。翁の云はむとするは、現在に於ても謹んで受け止める可き我らが訓戒にして。否。極言すれば、人心彷徨ふ現在こそ、再び此の苦言を腦裡骨髓に明記し、かたときも忘れてはならない。

 翁の云はむ、「~共産主義」を現代に當てがへば「~民主主義」といふところなる哉。
 但し、翁の眼目、我らが注目す可きは「破邪のみにて滿足してはならぬ」、これだ。そして、これだ、「顯正を勗めなばならぬ」と。

 固有の日本人學を修得することが、つまり我らの揮ふ可くした顯正の劍となり得るのだ。
 
 維新を招來せむと志を立てた我らは、破邪顯正の劍を握り、快刀亂麻を斷つ可く戰後の腐敗を一刀兩斷す可し。

by sousiu | 2010-08-01 17:35 | 日々所感

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