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熊本有志の血聲  

●蘇峰徳富猪一郎翁曰く、
『元來長藩人士は、其の藩祖毛利元就以來、大義名分には最も通曉して居た。而して長人の癖としてーーそれは寧ろ佳癖とも云ふ可きであらうが、ーー如何なる場合でも、正當の、若しくは相當の理由なければ、決して趾を擧げない。或る場合には、附けなくても差支なき理窟さへも、往々にして附くることが長人の流儀であつた。然るに、彼等は何故に自から日本第一尊皇勤皇の先登者を以て任じながら、恐れ多くも禁闕に向つて發砲を敢てしたる乎』

『要するに元治甲子禁門の役は、長人としては、已むを得ずして下策に出たのだ。彼等は盲目滅法に然かしたのではなく、自から其の不是を知りつゝ、已むを得ずして之を敢てしたのだ』

『長藩には決して人無きではなかつた。高杉晋作は一代の奇才であつた。彼は平生恒に敢て爲すに勇であつた。何事にも自から魁をした。彼は石橋を叩いて渡る程の小心■(糸+眞=しん)密の士ではなかつた。彼は一擲乾坤を賭するの快擧を敢てした。彼が筑前より鞭を投じて馬關海峽を渡り、同志の遲疑するに頓著なく、徒手空拳羲兵を擧げて、萩の因循黨に薄ちたるが如きが、其の例證である。然るに此人にして猶ほ出兵には同意しなかつた。出兵さへも是とせずんば、自から進んで禁闕を犯すを是とせざるや論なしであらう。
高杉晋作ばかりでなく、彼と松陰門下に於て相ひ匹する久坂義助の如きも、其身は軍中にありて、尚ほ進兵に反對した。而して久坂と共に松陰の門下たる入江九一、寺島忠三郎の徒、亦た然りであつた。然も彼等は、何故に其の意見を行はなかつた乎。それが不可能であつたからだ。何故に不可能であつた乎。それが所謂る騎虎の勢ひだ。而して此の騎虎の勢を作したる責任の一半は、彼等自から負ふ可きであるから、遂ひに已むを得ず、其の責任に殉じて、身を致したのであらう』

『眞木(和泉)も亦た豪傑の士であつた。~中略~彼は自ら云ふ、其跡は足利尊氏たるも、其の心さへ楠木正成たらば、決して逡巡するを要せず、と。此の如くして彼は同志の長老として、長兵を驅りて、禁門に向つて發砲せしむるに到つたのだ。然も彼は事の不可なるを見て、自から天王山上に於て、同志の士と與に、自殺して、其の所信に殉じた』と。(『近世日本國民史 第五十三卷 元治甲子禁門の役』昭和十一年十二月十五日「民友社」發行)


●眞木和泉先生、久坂義助(玄瑞)先生他、元治甲子六月廿四日、草莽微臣の哀願書に曰く、
(抄出)『去八月三條殿始め、遽に御咎被仰付候儀、如何なる御深旨に候哉、不奉得伺候得共、年來攘夷之淵衷、御承順被爲成、内は皇室を輔翼し、外は醜夷を掃討し、神州を富嶽之安に措んとの純忠至誠に被爲在候段、誓天地奉哀訴候。痛哉紫閽丹□之上に、鞅掌拮据被爲在候縉紳之御方、今日は邊陬僻遠之境に御憂慮被爲在澤殿は御脱走、錦小路殿は、御逝去。元より攘夷御先鋒之御志願とは乍申、敕勘之御心情、不堪想像、實以血泣之至奉存候』
『實以非常之御時節に付、非常之御涵容被仰付、囘天之神斷を以、倒海之大寇御掃討被爲在度、不堪千祈萬祷之至奉存候』と。

●廣田精一(太田民吉)先生、自刃直前、天王山上に於て高杉晋作先生に宛てたる書翰に曰く、
『今度の義擧大敗、士氣沮喪、總軍狼狽、一歩不止、棄輜重皆遁之勢、長公之威名を損する而已ならず、天下有志者の心を挫き候事、加之、河野(久坂先生のこと)、牛敷(寺島先生のこと)、入江、來翁(來島又兵衞先生のこと)討死。所詮尊兄(高杉先生のこと)一人、何卒割據を御主張被成、四君之任、一身に擔當被成候程之御盡力、伏望、伏望。』と。※括弧及()内は小生による。

●眞木和泉先生天王山での御最期について『森山滋筆記』に曰く、
『此事終るの後、會之軍兵より承り候へば、天王山の頂上に十八人、眞中に旗を立、各甲冑を脱、訣別之杯を酌替し、心靜に割腹致し候有樣、誠に勇々敷次第と被申候。又一人之言く、其時山之麓にて、手痛く雜兵等に被爲防、面々心靜に杯を傾け、潔能割腹致候と相見申候。十八人之面々何れも元結之所は紫の紐にて結び、戎具等何れも見事成者にて、何れ一方之大將方と見請候。實に勇々敷割腹之仕方に候と被申候』と。



 亂臣中井洽の不逞いざ知らず、これを庇護する民主黨面々、それを糾彈する公明黨は今國會を『蛤の變』と喩へて申した。
 中井洽の「洽」が「蛤」の文字に似てゐることから捩つたとか。
 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101204/plc1012040702008-n1.htm
 「蛤御門の變」については別日に私見を述べるとしても、彼らの、安易に皇國に關はる重大事を以て其の名を用ゐることには嫌惡の感を懷かずにはをられない。
 これは公明黨丈でなく、民主黨も好んで用ゐる傾向が強い。然り乍ら、「尊皇」「勤皇」とは決して口にしない。
 單に小生が彼らを好まぬがゆゑ、斯く云ふでない。今姑く、鄭重に用ゐる姿勢があつて然る可きだと云ひたいのである。

 云ふまでもなく、中井如きと天王山にて自決なされた諸先生を比す可きでない。
 くはへて、中井に其の志も覺悟も識見も無い。彼にあつて諸先生に無きものは、囘轉の早い三寸の舌先而已である。
 亂臣が亂臣を抗議する。斯くの如き喜劇とも悲劇ともいへる舞臺が哀しい哉、現在の國會である。


 中井なる亂臣を草莽在野の忠良臣民が抗議した。
 これに對しては目下、逮捕を考へてゐると云ふ。
 ■■■參照…中井氏発言で血判付き抗議文■■■
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101209-00000563-san-pol

 小生は、この同志の苦痛と云はんか悲痛と云はんか、これを非とする民主黨政權に對して毫も認めるわけにはまゐらぬ。
 固より同志も覺悟のうへのことであらう。今は傷の平癒を祈るばかりである。
 ↓↓↓■■■血判状「中井洽に告ぐ」■■■↓↓↓
 http://blogs.yahoo.co.jp/gendousha/27557331.html

by sousiu | 2010-12-09 19:25 | 日々所感

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