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『夢醉獨言』を讀む 下  

 承前


おれは一生の内に無法の馬鹿な事をして年月を送つたけれども、いまだ天道の罰もあたらぬと見えて、何事なく四十二年かうして居るが、身内にきづ一つも受た事がない、其外(そのほか)の者は、或はぶちころされ、又は行衞(ゆくへ)がしらず、いろゝゝの身に成た物が數しれぬが、おれは高運だとみえて、我儘のしたい程して、小高の者はおれの樣に、金を遣つたものもなし、いつもりきんで配下を多く遣つた、衣類は大がひ人のきぬ唐物、其外の結構の物をきて、甘(うま)いものは食ひ次第にして、一生女郎は好に買ひ、十分の事をしてきたが、此頃に成て、漸く人間らしく成て昔の事を思ふと、身の毛が立(たつ)やうだ。男たるものは、決ておれが眞似をはしないがいゝ。孫やひこが出來たらば、よくゝゝ此書物を見せて、身のいましめにするがいゝ。今は書(かく)にも氣のはづかしい。是と云も無學にして、手跡も漸く二十餘に成て、手前の小用が出來るやうに成て、好(よい)友達もなく、惡友計(ばかり)と交つた故、よき事は少しも氣が付ぬから、此樣の法外の事を英勇ごふけつ(豪傑)と思た故、みな心得違(ちがひ)して、親類父母妻子に迄いくらの勞を懸けたかしれぬ。かんじんの旦那へは、不忠至極をして、頭取扱も不斷に敵對してとふとふ今の如くの身の上に成た。幸に息子が能つて、孝道してくれ、又、娘がよくつかへて、女房がおれにそむかない故に、滿足で、此年まで無難に通(とほつ)たのだ。四十二に成て、始て人倫の道かつは君父へつかへる事、諸親へむつみ、又は妻子下人の仁愛の道を少ししつたら、是迄の所行がおそろしく成た。よくよく讀(よん)であちあふ(味はふ)べし。子に孫にまであなかしこ』


おれが此一兩年始て外出を止られたが、毎日毎日諸々の著述物の本、軍談また御當家の事實いろいろと見たが、昔より皆々名大將勇猛の諸士に至るまで、事々に天理を知らず諸士を扱ふ事、又は世を治るの術、亂世によらずして、或は強勇にし、或はほふ惡く、或はおこり女色におぼれし人人、一時は功を立てるといへ共、久しからずして、天下國家をうしなひ、又は知勇の士も、聖人の大法に背く輩は、始終功を立(たて)ずして、其身の亡びし例をあげてかぞへがたし。和漢とも皆々天理にてらして、君臣の禮もなく、父兄の愛もなくして、とんよくきようしや故に、全き身命を亡し、家國をもうしなふ事、みなゝゝ天の罪を受くる故と、初めてさとり、おれが身を是までつゝがなく、たもちしは、ふしぎだと思ふ、と。いよゝゝ天の照鏡をおそれかしこみて、なかゝゝ人の中へも顏出しがはづかしくして出來ずと思ふは、去(さり)ながら、昔年暴惡の中よりして、多くの人を金銀をもおしまず、世話をしてやり、又人々の大事の場合も、助けてやつたから、夫故に少しは天の惠みがあつた故、此樣にしてまづあんのんにしているだらふと思ふ。息子がしつまい故に、益友をともとして、惡友につき合(あは)ず、武藝に遊んでいておれには孝心にしてくれて、よく兄弟をも憐み、けんそにして物を遣はず麁服にもはぢず、麁食し、おれがこまらぬよふにしてくれ、娘が家内中の世話をしてくれて、なきもおれ夫婦が少しも苦勞のないよふにするから、今は誠の樂隱居になつた。おれのよふな小供の出來たならば、ながく此(この)樂はできまいと思ふ。是もふしぎだ神佛には捨られぬ身と思ふ。孫や其子はよくゝゝ義邦の通りにして、子々孫々のさかへるよふに心がけるがいゝぜ。男は九歳からは外の事をすてゝ、學文して武術に晝夜身を送り、諸々の著述本をみるべし。へたの學問よりははるかに増(まし)だから。女子は十歳にもなつたらば、髮月代を付習ひ、おのが髮も、人手にかからぬよふにして縫はし、十三歳ぐらひよりは、我身を人の厄介にならぬよふにして、手習などもして、人並に書く事をすべし。他へかしても事をかゝず、一家を治むべし。おれが娘は十四歳のときから、手前の身の事は、人の厄介になつた事はない、家内中の者が、却々(なかゝゝ)世話になる。男子は五體を強くして、そしきをして武藝骨をり、一藝は諸人にぬき出ていを逞ましくして、且(かつ)邦の爲に極忠をつくし、親の爲には極忠をつくし、親の爲には孝道を專らにして、妻子にはしあいし、下人には仁慈をかけつつかひ、勤をばかたくして、友達には信義をもつて交り、專らにけんやくしておごらすたらずそふくし、益友には篤くしたひて、道をきゝ、師匠をとるなら、業はすこし、次にしても道に明らして、俊ほくの仁をゑらみて入門すべし。無益の友とは交るべからず。多言を云事なかれ。目上の仁は尊敬すべし。萬事内輪にして愼み、祖先をまつりてけがすべからず。勤は半時早く出べし。文武を以て農事を思ふべし。少しも若き時は道々を學ぶべし。ひま有(ある)時は、外魔が入て身をくづす。中たちの遊藝にはよる事なかれ。年寄は心して、少しはすべし。過ればおれのよふになる。庭へは諸木を植す畑をこしらへ、農事をもすべし。百姓の情をしる、世間の人情に通達して、心にをさめて外へ出さず守べし。人に藝の教授せば、弟子を愛して誠を盡し、氣に叶ぬものには猶々丹誠を盡すべし。ゑこの心を出す事なかれ、萬事に厚く心を用ひ、する時は天理にかなひておのれの子孫に幸あらん。何事も勤と覺(さと)らば、うき事はなかるまじ。第一に利慾は絶つべし。夢にも見る事なかれ。おれは多慾だから、今の姿になつた。是は手本だ。高相應に物をたくはへて、若(もし)友達か親類に不慮の事があつたならば、をしまずほどこしやるべし。縁者はおのれより上の人と縁組べからず。成丈にひん窮より相談すべし。おのれに勝るとおごりかつて家來はびんぼう人の子を仕ふべし。年季立(たち)たらば分限の格にして片付てやるべし。女色にはふけるべからず。女には氣を付べし。油斷すると家を破る。世間に義理をばかくべからず。友達をば陰にて取なすべし。常住坐臥ともにうはにして家事を治め、主人のいかうをおとすことなし。せいけんの道に志して、萬愼みて守るときは、一生安穩にして、身をあやまつ事はなかるまじ。おれは是からは、この道を守、心だなんにしろ學問を專用にして、能く上代のをしへにかなふようにするがいゝ。隨分して出來ぬ事はないものだ。それになれるとしまひにはらくに出來る物だ。理外の道へいることなかれ。身を立(たて)名をあげて家をおこす事はかんしんだ。譬へばおれを見ろよ、理外にはしりて、人外の事ばかりしたから、先祖より代々勤めつゞけた家だが、おれがひとり勤めないから、家にきづを付た。是が何寄(なにより)の手本だは。今となりて覺ていく樣も後悔をしたからとて、しかたがない。世間の者には、惡輩の樣にいはれて持(もつ)てゐた金や、道具はかしとりにあいて、夫を取にやれば、隱居が惡法で拵らへた道具だから、何返すに及ずといふし、金もまたその心持で居るから、ろくに挨拶もせずによこさぬは、吾(おれ)は向ふが尤(もつとも)と思ふ。よいかよふの事が出ても、人をばうらむものではない。みんなこちらのわるいと思ふ心がかんじんだ。怨敵には恩を以てこたへば、間違はない。おれは此度も頭よくおしこめられてから、取扱のものともをうらむだが、よくゝゝ考へて見たらば、みんなおれが身より火事を出したと、氣がついたから、まいばんまいばん、罪ほろぼしには、ほけ經をよんで、蔭ながらおれにつらく當つたと、おれが心得違だ、仁々(ひとゞゝ)は、りつしんするよふに祈つてやるから、其せいか、此ごろは、おれの體も丈夫になつて、家内のうちになにもさいなんもなく、親子兄弟とも、一言のいさかひもなく、毎日毎日笑つてくらすは、誠に奇妙なものだと思ふから、子々孫々もこふしたら、よからうと、氣がつゐた故にあかし折々出付た善惡の報(むくひ)をよくゝゝあぢはふべし。恐多くも、東照宮の御幼少の御事、數年の御なんせん故に、かくの如くに太平つゞき、萬事さかへるうれひ忘れ、妻子をあん樂にすごし、且は先祖の勤苦思ひやるべし。夫より子孫はふところ手をして先祖の貰た高をうけて、昔を忘れて美服をき、美味をくらひ、ろくの御奉公をも勤めざるは不忠不義ならずや、ここをよくおもつて見ろ、今の勤めは、疊事だから、少しもきづかひがないは、萬一すべつてころぶ位の事だ。せめては朝は早く起き、其身の勤めにかゝり、夜は心を安じて寢て淡泊のものを食し、おごりをはぶひて、諸道に心をつくし、不斷のきるいは破れざれは是として、勤の服はあかのつかざれば是とし、家居は雨もらざればよしとし、疊きれざれば是として、專らにけん素にして、よくはすべからず。儉吝の二字を味をふてすべし。數卷の書物をよんでも、心得が違ふと、やらふの本箱字引になるから、こゝを間違ぬよふにすべし。武藝もそうたふころの業を學ぶと、支體かたまりて、やらふの刀掛になる故、其心すべし。人間になるにも、其通りだ。とくよく迷ふと、うはべは人間で、心は犬猫もどふよふになる。眞人間になるよふには心懸るが專一だ。文武諸藝とも、みなゝゝ學ぶに心を用ひざれば、不殘(のこらず)このかたわとなる。かたわとなるならば、學ばぬがましだ。よくよくこの心を間違ぬよふに守が肝要だ。子々孫々ともかたくおれがいふことを用ゆべし。先にもいふ通り、おれは之までもなんにも文字のむづかしい事はよめぬから、こゝにかくにも、かなのちがひも多くあるから、よくゝゝ考へてよむべし。天保十四寅年の初冬、於鶯谷庵かきつゞりぬ。
           左衞門太郎入道
                            夢醉老』



 ・・・・何處で分斷して宜いか迷うたが爲め、長くなつてしまつた。汗。


 文中に出で來る御子息「義邦」とは、麟太郎、則ち、勝海舟翁のこと。千代田城の無血開城を果たし、徳川執政二百六十年を終局するに至らしめた幕臣である。夢醉翁は、その勝海舟翁の御尊父だ。
 世に用ゐられることなきまゝ其の一生を終へられるも、斯くみれば、「不良旗本」として周圍に恐れられた夢醉翁、單なる不法者、風來坊の人ではなかつた。

 放蕩三昧を繰り返した翁の戒め言には、言葉は亂暴粗雜と雖も、生氣が溢れ、思はず考へさせられるものが多くある。
 小生のほかにも、一讀を要する放蕩者がをられるものと察し、此の度び苦勞して抄録した次第である。苦笑。

by sousiu | 2011-02-28 23:15 | 良書紹介

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