2011年 04月 24日
執筆をして思ふこと
目下、機關紙の製作に奮鬪中であるが爲めだ。
大型連休を迎へてしまふと印刷所が閉まる。
抑も地震で紙が不足。大手日刊紙などが新聞紙の買ひ占めをした爲め、新聞用の紙が屆かない、と今月の始めに依頼してゐる印刷所が云うてゐた。もう大丈夫なのだらうか。
そんな心配をしてゐる場合ひではない。小生の拙稿が抑も完成してゐない。目下、苦戰中だ。
言ひ譯するやうだが、苦戰するには理由がある。
といふのも、震災後、時代が變化することを當日乘でも四月十七日に記した。
天災に次ぐ人災もて、而して未だ褪めやらぬ今日に及び、國民の人心や價値觀に變化なきまゝの筈はない。
人心が變化し、豈に時代の動じぬ理りあらむか。
志ある者は、刻下國難を如何にして福へと轉ぜしめるか。それは正しき時代の誘導を云ふ。兎に角變化すれば何でも宜い、と云ふこと勿れ。
幾萬の犧牲者を啻に徒死としてはならぬ。何故ならば、國運を再起せる、殉難者として神になられたのであるから。
尠くとも、拙稿を認めるに當たつて、氣付いたことがある。
これまで再三最四、野生も機關紙で、雜誌で、街頭で、而して日乘で民主黨批判を繰り返して來た。
その目的とするところ、國民の民主黨政權への幻想を打ち壞さむが爲めだ。それはさうだらう、何せ相手は、三寸の舌先で壓倒的支持率を擅とした天下稀代の詐欺團體だ。されど實力なく、人心を攪亂する丈の妖言なぞ、何ら國民の信を付託するに價ひせぬ。この理解を求めんが爲めの批判だ。
だが、此度びの災害は、小生の何萬語を以てしても傳へられなかつたことを一瞬にして代辯してくれた。然も最たる説得力を以てして。
ならば小生、焉んぞ同じ場所に留まる可き。
小生の目的は「國民の民主黨に對する幻想の破壞」と云うた。だがそれ小生の目的がこれをして全て達成され、我が使命が終はつたといふことではない。
民主黨批判は我が目的を達成する爲めの一の障碍に過ぎず、それ以上の價値も興味も小生にはない。吾人が目的は遙るか理想を顯現すること。それ偉大なりし先人より受け繼がれたる三千年事業の繼續だ。
今日の小生は、所謂る三月十一日以前の河原博史ではない。よつて「天地無辺」は今號を以て次のステツプへ進んでゆかねばならぬ。苦戰の理由はこゝだ。
勿論、直ぐには變はらぬであらう。だが屹度、時代が今後變貌してゆくやうに、我が機關紙も變貌を遂げゆく筈である。時代の變化する、それを魁けて變化成長し、時代を引率するほどとなれば、弊紙もなかゝゝ大したものなのであるが・・・。まア、それは無理だらうなア・・・とほゝ。
by sousiu | 2011-04-24 03:55 | 小論愚案