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「韓非子」に學ぶ 

 支那の戰國時代に韓非といふ思想家があつた。彼れは有名な『韓非子』を著し、そこで進言することの難しさを樣々な角度から綿密に分析してゐる。

●韓非、『韓非子』第四卷「説難第十二」冒頭に曰く、
『凡説之難。非吾知之。有以説之之難也。・・・又非吾辯之能明吾意之難也。・・・又非吾敢横失而能盡之難也。・・・凡説之難。在知所説之心。可以吾説當之。』
 我流に譯せば、「凡そ進言することの難しさは、説得する丈の知識を蓄へることに非ず、又た我が意中を雄辯に語ることにも非ず、又た臆することなく堂々と語り盡せることにも非ず。凡そ進言することの難しさは、説く相手の心を識り、自説をそれに沿はせられるか否かである」と。
 餘談ではあるが、所謂る「逆鱗に觸れる」といふ言葉は、この「説難篇」より生まれたものである。
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 ところで、本日夕方、野生の敬愛する、鹿島政晴先生より御一報をいたゞいた。
 野生の敬愛する、鹿島先生曰く、『昨日はどうも・・・、ところでブログ見たよ』と。
 野生は野生の敬愛する、鹿島先生の無病御息災、長壽を願ひ、日頃から野生の敬愛する、鹿島先生の暴飮を氣にしてゐるものだ。

●貝原益軒翁、『養生訓 貝原篤信編録』卷第四(天保十四年癸卯七月)に曰く、
酒は天の美祿なり。少(し)のめば陽氣を助け、血氣をやはらげ、食氣をめぐらし、愁(ひ)を去り、興を發して、其人に益あり。多くのめば、又よく人を害する事、酒に過(ぎ)たる物なし。水火の人をたすけて、又よく人に災あるが如し。邵尭夫の詩に、「美酒を飮て微醉せしめて後」といへるは、酒を飮むの妙を得たりと、時珍いへり。少(し)のみ、少(し)醉へるは、酒の禍なく、酒中の趣を得て楽(しみ)多し。人の病、酒によつて得るもの多し。酒を多くのんで、飯をすくなく食ふ人は、命短し。かくのごとく多くのめば、天の美祿を以(て)、却て身をほろぼす也。かなしむべし』と。

●又た曰く、『五湖漫聞といへる書に、多く長壽の人の姓名と年數を載て、「其人皆老に至て衰ず。之問ふ皆酒を飲まず」といへり。今わが里の人を試みるに、すぐれて長壽の十人に九人は皆酒を飲(ま)ず人なり。酒を多く飲む人の長壽なるはまれなり。酒は半醉にのめば長生の藥となる』と。
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 昨日の日乘で、醉拳などと云うてはみたが、野生の微意は飮酒を控へて下さい、とのこと。野生の言外に溢れ出る眞心を、野生の敬愛する鹿島先生は看取、諒解されたのであらう。屹度、野生の敬愛する鹿島先生は嬉しくて、野生に電話してきたに相違ない。普段は「コイツは昔から生意氣な奴だつた」と云はれるが、遂に本當の野生に就て御理解下さつたやうだ。野生も實に嬉しい。

 ・・・・で。その野生が敬愛する鹿島先生、續けて曰く、
 『云ひたいこと書いてやがる、俺はちやんとお前のブログを監視してゐるんだからな!怒』と。吁。

 ・・・。野生は、『韓非子』を流し讀みでなく、熟讀する必要があつたのだ。

by sousiu | 2011-09-12 22:37 | 日々所感

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