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『帝室論』 二 

●福澤諭吉氏、『帝室論』 二に曰く、
『我帝室の直接に政治に關して國の爲に不利なるは前段に之を論じたり。或人これに疑を容れ、政治は國の大事なり、帝室にして之を關せずんば帝室の用は果して何處に在るやとの説あれども、淺見の甚しきものなり。抑も一國の政治は甚だ殺風景なるものにして、唯法律公布等の白文を制して之を人民に頒布し、其約束に從ふ者は之を赦し、從はざるものは之を罰するのみ。畢竟形態の秩序を整理するの具にして、人の精神を制するものに非ず。然るに人生を兩斷すれば形體と精神と二樣に分れて、よく其一方を制するも他の一方を捨るときは制御の全きものと云ふ可らず。例へば家の雇人にても賃錢の高と勞役の時間とを定るも決して事を成す可らず、如何なる雇人にても其主人との間に多少の情交を存してこそ快く役に服する者なれ、即ち其情交とは精神の部分に屬するものなり。賃錢と時間とは唯形體の部分にして、未だ以て人を御するに足らざるなり。故に政治は唯社會の形體を制するのみにして、未だ以て社會の衆心を收攬するに足らざるや明なり』と。

 これは政治の個性に就て語つたもの。今日に於て特に眞新しき論でもない。


○曰く、『此人心を收攬するに、專制の政府に於ては君王の恩徳と武威とを以てして恩に服せざるものは威を以て嚇し、恩威并行はれて天下太平なりし事なれども、人智漸く開けて政治の思想を催ふし、人民參政の權を欲して將さに國會を開んとするの今日に至ては、復た專制政府の舊套を學ぶ可らず。如何となれば國會爰に開設するも其國會なる者は民選議員の集る處にして其議員が國民に對しては恩徳もなく又武威もなし、國法を議決して其白文を民間に頒布すればとて、國會議員の恩威并行はる可きとも思はれず、又行はる可き事理に非ざればなり。國會は直に兵權を執るものに非ず、人民を威伏するに足らず、國會は唯國法を議定して之を國民に頒布するものなり、人民を心服するに足らず。殊に我日本國民の如きは數百年來君臣情誼の空氣中に生々したる者なれば、精神道徳の部分は唯この情誼の一點に依頼するに非ざれば、國の安寧を維持するの方略ある可らず、即ち帝室の大切にして至尊至重なる由縁なり。況や社會治亂の原因は常に形體に在らずして、精神より生ずるもの多きに於てをや』と。

 つまり、それ以前の武家政治と違ひ、當時新らたに導入された政治體制では、議員は國民に恩徳なし武威なし、一方の國民には心服なし、極めて事務的と云はずんば形體的な繋がりであるのみ、といふことを指摘したものだ。而、精神に於ける繋がりを通じて道徳的秩序を形成するは、君臣の情誼にある、と。


○曰く、『我帝室は日本人民の精神を收攬するの中心なり、其功徳至大なりと云ふ可し國會の政府は二樣の政黨相爭ふて火の如く盛夏の如く嚴冬の如くならんと雖ども、帝室は獨り萬年の春にして、人民これを仰げば悠然として和氣を催ふす可し。國會の政府より頒布する法令は其冷なること水の如く、其情の薄きこと紙の如くなりと雖ども、帝室の恩徳は其甘きこと飴の如くにして、人民これを仰げば以て其慍りを解く可し、何れも皆政治社外に在るに非ざれば行はる可らざる事なり。西洋の一學士帝王の尊嚴威力を論じて之を一國の緩和力と評したるものあり、意味深遠なるが如し。我國の皇學者流も又民權者流もよく此意味を解し得るや否や、我輩は此流の人が反覆推究して自から心に發明せんことを祈る者なり』と。

 當時の皇學者に樣々あり。一緒くたに淺學者の如き扱ひをす可きではないが、それは姑く措くとして、兔も角贊否いづれにせよ、興味のそゝらるゝ筆法だ。


○曰く、『例へば明治十年西南の役に、徴募巡査とて臨時に幾萬の兵を募集して戰地に用ひたることあり。然るに其募に應ずる者は大抵皆諸舊藩の士族血氣の壯年にして、然かも廢藩の後未だ産を得ざる者多し。家に産なくして身に血氣あり、戰場には屈強の器械なれども、事收まるの後に至て此臨時の兵を解くの法は如何す可きや。殺氣懍然たる血氣の勇士、今日より無用に屬したれば各故郷に歸りて舊業に就けよと命ずるも、必ず風波を起す事ならんと、我輩は其徴募の最中より後日の事を想像して竊に憂慮したりしが、同年九月變亂も極を結で、臨時兵は次第に東京に歸りたり。我輩は尚此時に至る迄も不安心に思ひし程なるに、兵士を集めて吹上の禁苑に召し、簡單なる慰勞の詔を以て幾萬の兵士一言の不平を唱る者もなく、唯殊恩の渥きを感佩して郷里に歸り、曾て風波の痕を見ざりしは、世界中に比類少なき美事と云ふ可し。假に國會の政府にて議員の中より政府の首相を推薦し其首相が如何なる英雄豪傑にても、明治十年の如き時節に際してよく此臨時兵を解くの工夫ある可きや、我輩斷じて其力に及ばざるを信ずるなり』と。

 餘談ではあるが、野生は嘗て、某自稱傲慢なる漫畫家に、天皇の美談美事を以てして 皇室崇拜の啓蒙を促すことに、差し出がましくも苦言したことがある。苟も日本人は、天皇が御英邁であらせられるから、國民の爲めに御盡力遊ばされたから、畢竟するに偉人であらせられるから仰拜し忠勤に勵むのではない。それ左右の立場的相違こそあれ、いづれも「開かれた 皇室」を謳歌する者らによる惡弊以外のなにものでもないのである。
 若しも、美事を掲げて啓蒙せんと欲するならば、上記福澤氏の如く、國民の側の、皇室を仰ぐ誠を描寫し後世に傳へることを第一とす可きである。これを以て「何故に?」と思ふ者あらば、そはその疑問は、皇威なんたるか自づと學習する動機となるのである。今は便利になつて、インターネツトを利用して、未だ多數とは云へぬまでも、愚直なまでに勤皇の基礎を固めんと只管ら研究、發表するサイトを探すことも不可能ではない。(少ないながらも我が日乘右にも學び舍を掲げてある)
 兔に角福澤氏は、具體例を以て、これを示したものだ。而して、首相にはその力なし、と。


○曰く、『又假に爰に一例を設けて云はん。天皇陛下某處へ御臨幸の途上、偶ま重罪人の刑場に赴く者ありて御目に留り、其次第を聞食されて一時哀憐の御感を催ふされ、彼の者の命だけを赦し遣はせとの御意あらば、法官も特別に之を赦すことならん。然るに此事を新聞紙等に掲げ世間の人が傳聞して何と評す可きや。我輩今日の民情を察するに、世間一般の人は彼の罪人を目して唯稀有の仕合者(しあはせもの)と云ふことならんと信ず。某月某日は「彼の罪人の爲には如何なる吉日か、不思議の事にて一命を拾ふたりとのみにて、嘗て法理云々など論ずる者なく、假令ひ之を論ずるも聽く者はなかる可し。固より罪ある者を漫(みだり)に赦すは社會の不幸にして、我帝室に於ても漫に行はせらる可き事に非ず、況や本文は唯假に例を設けて我民情を寫したるまでのことなれども、或は政治上に於て止むを得ざるの場合なきに非ず』と。

 これは引き續き、例を擧げて説明したもの。例といふより今囘は福澤氏の想像だ。而して、この通りと察せらるゝ。換言すれば、雲上は法制の社外であるといふことだ。況や、政治に於てをや、とした論法だ。


○曰く、『國法に於て殺す可し、情實に於て殺す可からず、之を殺せば民情を害するが如き罪人あるときは、帝室に依頼して國安を維持するの外方便ある可らず。故に諸外國の帝王は無論亞米利加合衆國の大統領にても、必ず特赦の權を有するは之が爲なり。我帝室も固より其特權を有せられ、要用のときには必ず政府より請願して命を得ることもあらん、決して漫然たることには非ずと雖ども、外國にても日本にても、等しく特赦の命を下して其民情に對して滑なるの度合如何を比較すれば、我日本の國民は特別に帝室を信ずるの情に厚き者と云はざるを得ず。我輩が今日國會の將さに開かんとするに當て、特に帝室の尊きを知り、其尊嚴の益々尊嚴ならんことを祈り、其神聖の益益神聖ならんことを願ひ、苟も全國の安寧を欲して前途の大計に注目する者は容易に其尊嚴を示す勿れ、容易に其神聖を用ゆる勿れ、謹で默して之を輕重する勿れとて、反覆論辯して止まざるも、唯一片の婆心自から禁ずること能はざればなり』と。

 前段はちとしつくりしないものがあるが、兔に角、第二章に於ても、氏は只管ら福澤流の 皇室の尊嚴神祕を説き、民主政の社外たる可きを説いてゐる。

 結局、全文を掲載してしまつたが、實は今日原稿の締切りなので早々に筆を措きたい。

by sousiu | 2012-09-15 17:08 | 良書紹介

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