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なんぞ國つ神に背き他神を敬せむや 

 大國隆正大人は文化三年、弱冠十五歳にして平田篤胤大人の門に入り、更らに昌平黌に入り儒學をも學んだ。

 隆正大人、時に文化六年(十八歳)、孝經の一句、
 「不愛其親而愛他人者、謂之悖徳。不敬其親而敬他人者、謂之悖禮」
 (※その親を愛せずして他人を愛する者、これを悖徳と謂ふ。その親を敬はずして他人を敬する者、これを悖禮と謂ふ)[孝優劣章、第十二]
 に悟るものあり。乃はち、我、皇國に生まれ、皇學を修めずして漢籍をのみ學習するは悖學といふべきなるを。
 隆正大人は弱冠十八歳にして昌平黌舍長を命ぜられたといふから、その學力學識が如何に群を拔いてゐたのかを容易に察せらるゝのである。されど上記したるが如く、大に思ふところありし故、翌七年、昌平黌を去つた。

 かくなれば身、皇國といふにもせよ神州といふにもせよ、日本に生まれながら神道を知らずして外つ國の教を信仰するは所謂る悖教といふことか。

 このことに就ては、いつであつたか、彦根の後藤健一兄より電話あり、少々の意見交換をしたことがあつた。以下に先人の言を借りて説明したい。

●平田篤胤大人『鬼神新論』(文化二年草稿、文政三年補足)に曰く、
「また佛は蕃神なれば、祭るべき謂(いはれ)なしとて、疾(にく)み厭ひ廃(すて)むとする人の有るも、偏(かたくな)にして、眞の神の道を知らざるものなり。凡(すべ)て世の中の事は善も惡きも、本(もと)は神の御所業(み-し-わざ)によれる事にて、佛道の行はれ、佛神の參渡(まゐ-わた)りて、其を祭る風俗(ならはし)となりたるも、本は神の御心に因れるにて、則、公(おほやけ)ざまにも立置るゝ事なれば、是も廣(ひろ)けき神の道の中の一ノ道なり。かくて、佛すなはち神なれば、時世に祭る風俗のほどゝゞに、禮(ゐや)び饗(あへ)しらひ、また由縁ありて、心の向はむ人は、祭もし祈言(のり-ごと)をせむも、咎むべき事には非ずかし」と。

 佛は蕃神であるから祭る可き理由はないと憎み嫌うて廃せむとするは偏つてをり、眞の神の道を知らないものであるといふ。篤胤大人によれば善惡は神の御所業によることであつて、さらば佛道が起こり、海を越えて 皇國に渡り入り、それを祭る風習が生じたのも、これ神の御心である。すなはち、公にも佛教を立てゝをられることであるから、これも非常に廣い神の道のなかの一つの道である、と。

 一讀するに篤胤大人の言として意外に思はれる方もをられるかも知れない。大人のことを指して當時の廃佛毀釋の巨魁のやうに語る人があるが、そは大人を表層的に知る者の見方として、或は先入觀から來る誤解として野生はこれらの意見に首肯しない。かと云うて大人は神佛習合の立場を取るものでもない。以爲らく、それは神と神力への絶對的なる確信であり、信頼あつたればこそ闡かれた見解に他ならない。

 然るに曰く、
「然れど眞の道の趣を覐(※見+メ+メ=さと)りたらむ人は、皇國には、天地(あめ-つち)の初發(はじめ)の時よりの、正き傳説ありて、神々の尊く畏く、恩頼(みたまの-ふゆ)の忝き事を知りて、齋(いつ)き祭り、なほまた其ノ家々に就て、各々先祖氏神など、祭リ來れる神靈ありて、家のため身の爲の、幸ひを祈る事なれば、其を除て、外蕃(とつ-くに)の佛神などに、ひたすら心の向きて、尊み忝むべきに非ず。此は欽明紀の議に、何背國神敬他神也(※なんぞ國つ神に背き他神を敬せむや)とあるぞ。正しき道の理に叶ふべきと云へり」と。

 譯せば、しかしながら、眞の道の趣旨を悟つた人は、皇國には天地の開けた時から正しき傳説があつて、神々の尊きことを知つてゐる故に身を清めて祭り、或はその家々に就てそれぞれの先祖や氏神などを祭つてきた神靈あり、家内安全や無病息災を祈る奉つてきたものなれば、それを止め、外國の蕃佛などを一心に敬ひ、ありがたがく思ふ可きではない、と戒める。

 
 神佛の話しになり、まゝ耳にする意見がある。「神道を崇拝することに異論は無いが、我が家は代々、●●宗である。先祖の敬つてきたものを疎かにするわけにはいかない」との苦情だ。先祖の崇めてきたものだから、といふ心情は察せられる。だがしかし、吾人が先祖は二代、五代、十代を遡り突然生命を得たものではない。遥るか古へから連續したるものなのである。而して遥るか古へに佛や耶蘇の道や教なぞは無かつたのである。それらは輸入せられて興り、どこかで何代か前の先祖が、それまでの先祖の信仰を止めて今日の◎◎宗へと變節したのである。先祖崇拝の念はゆめ忘れる可からざるの重大事であるが、それは數代前までの域とするものではない筈である。「何背國神敬他神也」は往昔の當時にのみ向けられた戒め言ではない。


●京都報本學舍、大國隆正大人『教の説』に曰く、
「おのれつねにいふ。音は萬國同しくて言語は萬國おなしからず。道は萬國同しくて教は萬國同しからす。天竺にておこれる佛教は幽冥を旨として顯露にことそきたり。唐土にておこれる儒教は顯露に局(※あた)りて幽冥をかたらす。この日本の教は幽顯分界を旨として、天地の始をは幽冥にてとき、今日の事業は幽冥をはなれて 朝家に服事す」と。
 佛教は專ら幽界を事とし、儒教は專ら顯界を事とするが、神道は顯幽兩界を一貫するをいふ。

●大國隆正大人、天保十三年五月『報本學舍記』に曰く、
「~畧~ そもゝゝ我 天皇は、この國かぎりの 天皇にてはおはしまさず、ことば通はねど、船はかよふべき邦もろゝゝの 天皇にておはしますなり。そのゆゑよし、朝廷のみふみにも、しるしおかせたまひ、世中にもいひつたへて、上代には、うたがふ人のなかりしを、今世はこのくにの人すら、よくも知らず。しりてもうたがひてすごすなるは、中昔より、外國々(とつ-くに-ぐに)のをしへの雲、世にはびこりて、しばしくもれる故にぞありける。この本の光を世にあらはすものまなびを、幽忠といふべくこそ。わが父母の、おやのおやととめゆけば、その本は、産靈の神におはします。この神、あめつちをつくりなしたまへるとき、人をものにすぐれて、かしこく正しくつくりたまひ、よろづの物、皆人のために用ゐらるべくつくりおき給へる神ばかり。人とうまれたる身の、いかゞは思はであるべき。いかゞは報いせでありぬべき。その神わざを考へさとるもの學びを幽孝といふべくなん。かくいへばとて、顯忠顯孝をおろそかにな思ひひがめそ。かへすがへすも、顯忠顯孝を常のしわざとつとめはげみて、そのいとまのひまに、幽忠幽孝のすぢにかなへるものまなびを爲すべきなり。まことや、唐土天竺、その外、西のくにゞゝにていひといひ、つくりと作るものも、こともわざもみな、わがむすびの神のみしわざにもれぬは、正しからぬをばしりぞけ、正しきをとり用ゐ、みくにの爲になすべきなり。おのれこのすぢのこと、をしふるところを、本に報ゆるまなびのやと名づけたれば、わが教へにしたがふ若人たち、おろそかに思ひてな怠りそ」と。

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by sousiu | 2013-10-31 07:37 | 先哲寶文

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