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カテゴリ:小論愚案( 54 )

執筆をして思ふこと

 なかゝゝ日乘も更新出來ない。
 目下、機關紙の製作に奮鬪中であるが爲めだ。
 大型連休を迎へてしまふと印刷所が閉まる。
 抑も地震で紙が不足。大手日刊紙などが新聞紙の買ひ占めをした爲め、新聞用の紙が屆かない、と今月の始めに依頼してゐる印刷所が云うてゐた。もう大丈夫なのだらうか。

 そんな心配をしてゐる場合ひではない。小生の拙稿が抑も完成してゐない。目下、苦戰中だ。


 言ひ譯するやうだが、苦戰するには理由がある。
 といふのも、震災後、時代が變化することを當日乘でも四月十七日に記した。
 天災に次ぐ人災もて、而して未だ褪めやらぬ今日に及び、國民の人心や價値觀に變化なきまゝの筈はない。
 人心が變化し、豈に時代の動じぬ理りあらむか。
 志ある者は、刻下國難を如何にして福へと轉ぜしめるか。それは正しき時代の誘導を云ふ。兎に角變化すれば何でも宜い、と云ふこと勿れ。
 幾萬の犧牲者を啻に徒死としてはならぬ。何故ならば、國運を再起せる、殉難者として神になられたのであるから。

 尠くとも、拙稿を認めるに當たつて、氣付いたことがある。
 これまで再三最四、野生も機關紙で、雜誌で、街頭で、而して日乘で民主黨批判を繰り返して來た。
 その目的とするところ、國民の民主黨政權への幻想を打ち壞さむが爲めだ。それはさうだらう、何せ相手は、三寸の舌先で壓倒的支持率を擅とした天下稀代の詐欺團體だ。されど實力なく、人心を攪亂する丈の妖言なぞ、何ら國民の信を付託するに價ひせぬ。この理解を求めんが爲めの批判だ。

 だが、此度びの災害は、小生の何萬語を以てしても傳へられなかつたことを一瞬にして代辯してくれた。然も最たる説得力を以てして。
 ならば小生、焉んぞ同じ場所に留まる可き。
 小生の目的は「國民の民主黨に對する幻想の破壞」と云うた。だがそれ小生の目的がこれをして全て達成され、我が使命が終はつたといふことではない。
 民主黨批判は我が目的を達成する爲めの一の障碍に過ぎず、それ以上の價値も興味も小生にはない。吾人が目的は遙るか理想を顯現すること。それ偉大なりし先人より受け繼がれたる三千年事業の繼續だ。

 今日の小生は、所謂る三月十一日以前の河原博史ではない。よつて「天地無辺」は今號を以て次のステツプへ進んでゆかねばならぬ。苦戰の理由はこゝだ。

 勿論、直ぐには變はらぬであらう。だが屹度、時代が今後變貌してゆくやうに、我が機關紙も變貌を遂げゆく筈である。時代の變化する、それを魁けて變化成長し、時代を引率するほどとなれば、弊紙もなかゝゝ大したものなのであるが・・・。まア、それは無理だらうなア・・・とほゝ。

by sousiu | 2011-04-24 03:55 | 小論愚案

次代に要されざるものは去り、要されるものは殘るべし

 昨夜は弊紙讀者である岩手縣の住人から電話あり。沿岸部の慘憺たる状況を切々と語つてくれた。
 相次ぐ餘震に民心動搖し、僅かな會話の齟齬でも喧嘩へと發展するといふ。讀者某氏も疲勞困憊たる御樣子であつた。折角電話をいたゞいたものだが、小生には勵ます程度の力しかなく、若しくは話しを聽くくらゐのことしか出來ない。それで少しでも氣分が晴れてくれるならば、と思うてゐるが、やはりそれは一時的なものに過ぎず、彼れらは電話を切れば又た非現實的な生活と直面せざるを得ないのだ。我が言葉の無力を感ぜざるを得ない。


YOMIURI ONLINEの記事に曰く、

『仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激

(読売新聞)
 【ワシントン=山田哲朗】東日本大震災で水没した仙台空港の復旧を支援した米空軍第353特殊部隊のロバート・トス司令が15日、沖縄県嘉手納基地とワシントンを結んだ電話記者会見で、被災者が海岸にマツの木で「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表してくれたと明らかにした。

 トス司令が3日に上空から見た文字は、長さ6~9メートルほどの木を並べたものだったという。同部隊は自衛隊と共に滑走路のがれき撤去や臨時の航空管制などにあたり、輸送機で水や食料も運搬した。

 司令は支援を振り返って、「驚いたのは、自分たちも被災しながら日夜復旧に努める日本人の姿だった。ありがとうは日本の人々に言いたい」と話した』
と。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20110416-567-OYT1T00585.html




 國難にあつて、罹災地にある人たちの聲を拜聽し、且つ自身の餘りにも無力なる現實を痛感する今日、かうした報道にもすなほに胸の熱くなる思ひが込み上げる。

 かくなる報道に接して、所謂る排外思想の持ち主は如何樣に考へてゐるかは分からない。
 かくなる大禍に際して、これまで「反自衞隊」を主張する者らが如何考へてゐるか分からない。
 但しひとつ分かることは、最早反自衞隊運動はその意義を失なつたといふことだ。

 都内では左翼らが「反原發」集會を行なつたといふ。被災地が未だ穩やかならぬ今、そのやうなことは後でゆつくりやれば宜しいと思ふが、まあ期に乘じること機敏なるが彼れらの性質。我れらの使命は時代を魁け之を切り拓いてゆくことである。
 
 いづれにせよ、此度びの遭難で、反自衞隊運動を行なふ癡漢は激減し、全滅でないにせよ殘れる癡漢の絶叫に今後耳を貨す者はをるまい。
 野生は、かうした、一部の現象面のみに視覺を奪はれ時代が變はると斷言しない。
 恰も海上に浮く氷山が全體のわづか一角に過ぎぬやうに、一つの運動に意義を失はせる丈の、海面下にある國民の意識變革の存在を認めて時代が變はると斷言するのである。

by sousiu | 2011-04-17 13:26 | 小論愚案

日本人は頗る強くなつてゐる。

 本日、夕方から斷續的に福島縣、茨城縣を主として地震が多發してゐる。
 神奈川縣も、搖れを感じること幾度となくあり。
 十七時十六分の地震は、福島縣、茨城縣で震度六弱だとか。


 それにしても日本人は強くなつてきたやうに感じる。
 數年、或いは數十年、地震を經驗してゐない人に、突如地震が襲來すれば、それは何人も脅威を感じるものである。
 されど現在、テレビを見るに、直接天災に見舞はれた人の逞しさと云つたら如何だ。
 その笑顏には、確かに不安の氣持ちのあるを感じるが、それを上囘はるだけの逞しさがある。
 愚にもつかぬ享樂のなかに身を沒する一日と、彼れらの過ごす一日は全然等しいものではない。
 「生きてゐる」といふことを、最も實感してゐる人たちは彼れらではないか、とさへ思つた。

 先程、日頃親しくさせていたゞいてゐる日刊紙の記者より電話があつた。
 彼れは被災地へ直接赴き、その状況を取材して來たといふ。
 そこは不便の極はみ。一例せば、用便するのも、自衞隊員が穴を掘つただけの簡易便所で濟まさねばならぬと云ふ。
 野生、幸か不幸か刑務所暮らしの經驗こそないものゝ留置所暮らしでは、人の視界で用便せねばならない環境であつた。
 だが通常では、男性でも抵抗はあるだらう。如何して女性が躊躇はずにをられるものか。
 それでも用を足さないわけにはならぬ。そのやうな暮らし振りであると云ふ。
 記者の曰く、『そのやうな生活をしてゐると、本當か嘘かも分からない食物の放射能汚染なぞ、別段氣にもならなくなつたよ』と。


 苦境は人を強くする。ならば樂境は人を弱くするものなのか。
 であるとするならば、苦境は人を磨き、樂境は人を墮落させるとも換言出來る。
 さう云ひきつてよいものなのか否かは分からない。
 だが、苦境は毒にも藥にもなる。苦境を藥とするだけの能力を吾らが備へてゐることだけは、被災地で力強く生きてゐる方々によつて判明した。


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 ※寫眞。四月八日に宮城縣で撮影された雲。(坂田昌己兄より)

by sousiu | 2011-04-11 22:06 | 小論愚案

今日の思ふこと

 今日、平澤次郎翁より、時代の變貌についての私觀を賜はり思ふことがあつた。
 曰く、『此度びの大地震と大津波で時代が變はるよ』と。

 つまり斯ういふことだ。
 震災前の竹島や尖閣諸島の問題、民主黨の派閥爭ひ、色々あつたが、まつたく洗ひ流されてしまつた、と。
 勿論問題は何ら解決してゐないのであるが、右翼で今、「北方領土返還」や「日教組粉碎」といつた運動をする者はない。尤も聲を擧げたとて、抑も聞く人がない。
 こは此度びの事態が落ち着くまでの間と思はれやうけれ共、さうではない。
 右翼運動に限つたことでなく、この日本列島を搖るがし大半國民の寒心を今猶ほ拭はざる此の大災害は、これまでの人々の價値觀を大きく變へた、或いは今後變へるに違ひない、と。


 ・・・上手に説明出來ないが、感ずるところ、充分であつた。實は今日はそれを咀嚼する丈のゆとりがない。「不二」への寄稿を、今日中に仕上げねばならぬ。汗。明日以降、野生なりに再考して、機關紙のネタ(?)につかへれば、と思うてゐる。苦笑。


 たゞ、若しも、平澤翁の云ふとほりであるとするならば、野生にこれを歡迎しない心はない。
 固より人の價値觀は千變萬化す。迷妄に次ぐ迷妄に疲勞困憊した日本人の心が、いつの時代も最後に頼る可きは、惟神の道であり。何かしたいと志逞しうする人の頼る可きは、國學の持つ無限の可能性である。

by sousiu | 2011-03-31 02:04 | 小論愚案

力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はしむ  

 先日、不二歌道会の福永武兄より、漢文は讀めるか、と質問された。
 書くことはまだ困難であるが、時間を要せば如何にか讀める旨、答へると、兄は現在、漢詩を學ばうとしてゐるとのことだつた。

 はからずも小生も、最近漢詩について興味を覺え、そのこゝろを味はふべく學ばんとしてゐる最中であつた。


 歌の有する不思議な力を感ぜざる能はぬこのごろ、車の中で福永兄より教はつた古今和歌集假名序は、小生の新らたな向學心を燃やすに足るものであつた。

●古今和歌集假名序に曰く、
やまとうたは、人のこゝろをたねとして、萬の言の葉とぞなかれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙の聲を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をなぐさむるは、歌なり』と。


 ますゝゝオタクになります。

by sousiu | 2011-03-02 17:45 | 小論愚案

過ぎたるは、なほ及ばざるが如し

 二月廿四日。雨。

 槍こそ降らなかつたが、起きたら雨であつた。屹度小生が昨日、待ち合はせに一時間も早く到着したからだ。
 本日、外出する人たちへ、ごめんなさい。全部、小生の責任だ。
 小生が珍しく、待ち合はせに遲刻もせず到着した爲めに・・・・。何卒、御寛恕あらむことを。
 本當に御免なさい。

 ↑↑↑↑孔子の、子貢に曰く、『過ぎたるは、なほ及ばざるが如し』と。



 今日のインターネツトニユースで、下記の如き報道があつた。↓↓↓↓

●“自虐”日本に驚く世界のエリートたちーーー日本人の自國批判で傷つく人も
『母校エール大學でのシニアフエローとしての任期を終へ、先週からハーバード大學に移籍した。こゝボストンでも、ありがたいことに刺激的な毎日である。エールでもハーバードでも、世界中から集まつてゐる知識人と交流してゐると、一つだけ共通する反應がある。それは、「日本人ほど日本に嚴しくて自虐的な人たちはゐない」と皆がいふことだ。「自國に對して過剩なほどに自虐的な日本人」に世界の知識層たちは驚いてゐるのだ。
 もつといへば、「日本人が日本のことを惡く言ふたびに、自分の國の方がひどいので、自分がつらくなる」といふ人までゐる。~以下略~』と。
http://news.goo.ne.jp/article/diamond/business/2011022406-diamond.html



 日本人は、謙虚だ。支那人のやうに、他國へ行つて自國が世界の中心の國と宣傳したり、他國で泥棒したり、強盜したり、剩へ、その國のお年寄りの家に侵入し、殺害し、金品を掠奪するやうな癡漢はゐない。日本人による、他國でのさうした報道は先づ、殆ど聽いたことがない。頗る行儀が宜いのだ。行儀が宜いといふことは、禮節を重んじてゐるといふこと。精神が高所にあらねば、禮節の體得は困難だ。
 謙遜は日本人の得意とするところだ。手紙でも自分をへりくだる。これはどんなに立場の高い人でも、地位を有してゐる人でも、だ。日本人の美風だ。我が美風を前に、貴賤貧富の別も老若男女の別もない。

 だが、『過ぎたるは、なほ及ばざるが如し』。
 上記の記事のとほり、謙遜も、過ぎれば嫌味になる。


 ひとつ例せば、東洋平和を願ひ、亞細亞・阿弗利加解放を實現した日本であるが、これが支那人の手によるものであつたならば、今頃、東洋の諸國は大變なことになつてゐただらうね。すつかり、莫大な「貸し」にされてしまつてさ。
 日本人は、亞細亞のどの國へ行つても、「俺たちのお陰で貴方たちは~」なんて云はない。云はうとすら、考へてゐない。これだけでも大東亞戰爭敢鬪の目的は諒察せられるといふものだ。

 ・・・・でも、侵略戰爭をしちやつて御免なさい・・・はやつぱり謙遜し過ぎだな。苦笑。

 『過ぎたるは、なほ及ばざるが如し』。
 謙虚も過ぎると自虐になる。謙虚は素晴らしい。だが自虐は醜い。それを宜し、と勘違ひしてゐるのは政治家や日教組ら、極く少數派だけだ。

by sousiu | 2011-02-24 15:14 | 小論愚案

一艸讀後  ~靖獻遺言精義~ 六 承前  

 日本の偉大は、入つてきたもの~技術であれ思想であれ~を正しく進化させることにある。
 それには固より吾人の鋭意努力、切磋琢磨に掛かること云ふまでもないが、日本人は努力如何でそれを可能ならしむる丈の才能と素質を兼ね揃へてゐる。
 例すれば、車の發明は我が國によるものではない。
 しかし我々は「日本車」を誇ることに決して躊躇しない。現實に車産業は我が國の經濟を支へる大きな一つである。而して、他國は日本車の性能を凌駕するに困難であると聞く。
 紙も然りだ。吾人は「和紙」を他國のものとして認めない。

「靖獻遺言」をして、儒教が支那に逆輸入されたことは既記した。
 儒教の誕生は、孔子におふところが多いとしても、闇齋學は既に別なるものとして發展を果たし、我が國に貢獻し、而、かの國へ輸出され、かの國に活かされんとしたのである。

 小生はこれまで、演説や原稿で『民主主義は怪しからん』とさんゞゝ罵倒してきた。
 然り乍ら、それには少しく言葉が足らなかつたことを認めなければならない。
 輸入されたまゝの状態では駄目だ、といふことだ。

 日本は嘗て文字を輸入した。先賢はこれをそのまゝ使用することを認めなかつた。
 安易に模倣すれば、一時期は便宜を見込めても、その後の弊害の生ずることを察知してゐたのであらう。實に先賢の、先賢たる所以といふものぞ。

 闇齋學は、「儒教は駄目だ」とは云はれなかつた。水戸學もさうだ。
 但し、その儒教の發展、生成に務めて、見事に日本化に組み込んだのである。
 支那ではかの國の賢者が寄り添うても果せなかつた儒教の發展は、日本に於いて可能ならしめたのである。
 勿論、儒教は亞米利加でも英吉利でも和蘭でも、發展は不可能であつた。

「民主主義が駄目」だ、と云つても何にもならない。確かにその代はりとなる思想形態が誕生する可能性は皆無ではない。しかしそれではその誕生を待たねばならず、且つその普及、實施は頗る困難であるといはねばならぬ。
 吾人は鋭意學究して、今を支配する民主主義の日本化を果たすことが出來ないだらうか。
 かう考へた次第である。

 今や民主主義は世界的な擴がりを見せつゝある一方、その限界を露呈してゐる。
 若しも、世界が閉塞し、人類が迷妄し、爾して民主主義の改良、發展を望むのであれば、それは東に望まねばならぬ。我が日本だ。
 凡ゆるものを吸收する能力を備へ、且つ成長を促進させる識見を備へた我が大日本。
 この成功あれば、儒教が支那へ輸出されたやうに、自動車が却つて輸出されたやうに。民主主義も改良を重ねて泰西に輸出されるのである。
 それが世界皇化の一つだ。

 よつて、吾人はいつの御宇にも感謝をし、これを否定することがないやうに、敗戰もまた我が發展、成長の爲めの布石として考へることが出來る。
 總ての人の人生には無駄がないやうに、皇國にも無駄がないのだ。
 戰後民主主義を押し付けた占領軍に感謝しろとまでは流石に云はない。だが、これを生成して逆に輸出し、御稜威は八紘に廣まるものと考へる。

 では、民主主義の日本化とは何であるのか。
 それは今後の、小生のみならず、國民の課題と云ふ可し。


 これが云ひたくて、一艸讀後は長々となつたのである。


一艸讀後、續・・・かない。遂ひにをはり。

by sousiu | 2011-02-20 15:22 | 小論愚案

閑人獨語

 大分、體調を取り戻した。熱はなし。惡寒なし。貯金なし。時間あり。
 但し、タミフルが身體に合はないのか、朦朧とする。しかし、それも今日でおさらばだ。


 先月卅日の續きとなるやうであるが、某會合でのこと。
 ・・・・今囘は皮肉が混じるので何の會合であるかは詳しく記さない・・・・。

 そこは老若男女が入り混じつた、異業種間の會合であるが、いつもゝゝゝ「この日本をなんとかせねばならない」といふやうな空氣に滿ちてゐる。
 まア、どちらかといへば、皆さん、自己紹介すれば保守といふ可き人なのであらう。
 最近、かういつた會合が多くなつた。十五年ほど前から考へれば、驚くほど増えた。その頃は、まだバブルの名殘りの在つたからか、もつと違つた會合が多かつた氣がする。
 これも、時流かな。はてさて、この潮流がまこと歡迎す可きものであるか、す可からざるものであるか、今は答へまい。

 そこで經歴豐富な、○○研究所々長といふ御人が發言した。・・・・經歴豐富であることは、後で渡された名刺の裏書きに記されてあるをみてのこと。
 その人曰く、「今、日本には眞の愛國者が必要なんですよ!私は今、さういつた若者を育てゝいる!~云々、云々~・・・かういつたことを云ふと、右翼だ、と云はれますが、あんな右翼と一緒にされちやあ困る。あゝいつた連中とは違ふ。私が云つてゐるのは眞の愛國者云々、云々、~~、・・・でないと、このまゝでは日本は滅びる!云々、~~天皇家も云々、云々」と。
 ・・・・・・右翼について、まあ、さういふ印象を御持ちの御方が少なくないことすら識らぬほど小生は世間不知ではないので、それはそれで、まあ宜しい。

 何人か挾んで小生もわづかながら駄辨を披露する機會を得た。
 はじめに「一般的に右翼と呼ばれる者です」と自己紹介を。次いで、「先程、素晴らしい御意見を呈された●●先生(研究所々長のこと)でしたらば、充分御存じのことゝ存じますが、」と前置きし、おほけながらも北畠親房公の「神皇正統記」と菅原道眞公の話しを少々。終へて席に戻り、暫くすると、その所長といふ御方が名刺を持つて來た。

 注:小生が、性根の嫌な奴であるか否かを詮議すべからず。


 日本を變へてゆく主導者は保守派でなければならない。革命勢力であつてはならぬのだ。而して反日勢力であつても、嚴正に云へば、反日でなくとも、非日勢力ですらあつてはならぬのだ。

 その“保守派”の人口が増大したと雖も、これほど頼りない現状は奈何。 

 小生の知る限りに於て、彼らの「右翼なんぞ」といふ、その右翼に論破される自稱保守派が頗る多い。
 保守派は人口が増加した代償として俗化して、右翼は人口が減少した代はりに精鋭化されてゐると考へるのは、必ずしも小生の眼鏡が色濃きものとは云へまいに。

 實際に、右翼陣營の廿代青年は、嘗てと比べ激減した。但し、今の廿代、卅代の各士の意識は、小生のころと比べて遙るかに高いことは瞠目す可き事實だ。彼らは苦勞もしてゐるし、求學にも餘念がない。彼らならば十年後、乃至廿年後、かつて確乎としてあつた、右翼の權威を再び囘復すると確信して疑はない。(今が「權威失墜」とまで小生は自虐的に考へてはをらぬけれども、「右翼なんぞ」と云はれるやうでは、小生どもの努力不足を認めざるを得んなア・・・・とほほ)
 その頃、反對に世間から「自稱保守の論客なんぞ・・・・」と云はれるかに至つては、外交に於ける外壓より、遥るかに憂慮されるべきことであるぞ。

 小生は自稱保守と對立するものではない。右翼も、廣義にみれば保守勢力の一部である。
 明治維新だつて、活動した志士もゐれば、その志士が指導者として仰いだ人も存在して、或いは活動家を振るひ立たせた學問があつて、皆それゞゝ持てる任を全うしたからこそ成し遂げることが出來たのだ。

 今一度云ふ。我が日本の、戰後における中興は保守勢力が引率し始めて達成をみるものでなければならぬ。
 如何なる勢力も、玉石混淆は已むを得まい。だが、呉越同舟は絶對避く可き事態である。

 頼りなき肥大化を遂げることが果して日本の前途にとつて歡迎す可きことであるか、否か。保守を自稱する人らの自問自答に御任せしたい。


●備中處士大人曰く、『嗚呼、已んぬるかな哉、流行保守こそ、皇道否定、國體紊亂の元兇と謂はねばならぬ。抑も不敬罪は、何も皇化に浴せぬ蝦夷の爲めだけに存するものでは無いのである』と。


 諸賢、御一讀を希ふ。
【皇室に對する敬稱を學ぶ】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t7/l50

by sousiu | 2011-02-07 01:31 | 小論愚案

ふたつの捏造 

 たゞいま、珈琲を飮みながら、夜更かし覺悟の執筆作業を小休止。日乘の更新に努める。(これでは小休止にならないか。吁)

 昨日に續くやうだが、雜誌やマスコミに關する話しを續ける。


 「マスコミは反日だから」と能く人に聞く。尤も。朝日系列は殊に識られるが、各テレビ局も相當に甚しくある。NHKの料金不拂ひ運動なぞ、發せられる可くして發生した運動であり、爾もお金惜しむ爲めの動機でないことを、NHK側は深く認識しなければならない。反日に徹底するが餘り、「捏造」の愚擧にまで昂じるのは、最早、報道人の資格を放棄したことゝ同義である。
 
 小生は、バラエテイ番組などで、多少の捏造があつたことには、意を介さない。抑もバラエテイといふ空間で大切なものは眞僞などではない。バラエテイではないが、最近では拳鬪の試合でも騷がれる。判定などを始め、八百長があるとすれば考へものだが、放送時間の云々や解説者の贔屓發言なぞは如何でも宜しい。

 だが、反日の爲めの捏造はまつたく別。バラエテイ番組のやうに笑つて濟まされる問題ではない。
 政治問題や歴史認識の齟齬などは、一過性を以て消化される小事ではないからだ。顯著な例が「從軍慰安婦」問題だ。正に捏造が事實として扱はれたる、甚しき惡例のひとつだ。日本の爲めと云はんよりも、先づ報道界の住民にとつて、やがてこの問題は指彈を免れず、彼らの後世に禍根を遺すことであらう。報道にたづさはる諸君は、蘇峰徳富猪一郎翁の信條をおほく學ぶ可し。

 最近のニユース番組の司會者など、にはかに戰後政治、教育などを批判する者もあるやうであるが、未だ保守派の主立つ論客としては妖しげな者と相場が決まつてをり。遺憾ながら、切れ味の良い刀で一刀兩斷するやうな意見が聞かれることはつひぞ皆無である。備中處士さんなど、テレビに出演すれば面白さうである。
 坂田兄は、・・・・・いや、想像するのはやめておくが賢明といふもの、歟。

 斯く考ふれば、まだゝゞ日本は、情報傳達の未發達なる國である。


 
 話しは變はるが、、昨年末、大掃除の際、愛心翼贊會・山川裕克兄が漫畫となつてゐる『ルポ漫 劇畫マツドマツクス』(平成十九年一月號「コアマガジン」發行)を見付けた。↓↓

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 やれゝゝ。この漫畫も捏造の類ひだ。
 云うておくが。實物の山ちやんは、これより遥るかに太つてゐるぜ。あ、いや、失言・・・汗、遥るかにビツグな漢(をのこ)だぜ。ルポは正確に、な。

by sousiu | 2011-01-18 04:07 | 小論愚案

有朋自遠方來、不亦樂乎。

 本日は、上京した洗心會主人、國信兄と新橋で合流、今日は語り盡くした夜であつた。

 國信兄の御友人、島田氏と三人で居酒屋へ。
 酒の飮まぬ小生は、良い酒場を識らず、結局、時對協が懇親會で使用する、「天狗」へ行つた。

 國信兄は自らを奇人と稱してゐる。そして如何やらそれを誇りに感じてゐるやうだ。
 小生ではまつたく手の付けられぬ廣島のこの奇人に、小生、某新聞社のS氏を助つ人として呼んだ。
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※寫眞、國信兄。直ぐに助つ人と白熱し、小生のことはそつちのけ。苦笑。



 「自らおかしいと自覺できる人はマトモで、自分をマトモだと云うてをる人こそ深刻だ」と人は云ふ。
 一聽するに尤ものやうに聞こえるが、よくゝゝ考へてみると、それは矛盾してゐる。不幸な話しであるが、通院してゐる人は皆、自らの意志で通院してゐるのだ。自覺ある人がマトモであるといふならば、初診で歸らされるので、通院する必要がないのだ。注・誤解を招かぬやう斷わるのだが、國信兄が通院してゐるわけではない。彼が通院してゐるのであれば、小生、憚ることなく居留守をするであらう。汗。
 ーーー何故、このやうなことを思ふに至つた乎。
 昨年、日乘で奇人について記したが、まるで小生が「自覺なき可哀想な人」のやうに思はれ、問ひ合はせが頗るあつたからだ。
 いやはや、御承諾を得てゐないので實名をふせさせていたゞくが、福岡縣の未見の同志、M氏からも、「日乘みたよ」と、近世の奇人にまつはる書籍が送られて來たりもした。日乘も侮れん。
 しかしながら御心配には及ばない。小生こそ正眞正銘のマトモな、少年の心を持つた中年なのだ。

 深刻なのか、輕度なのか小生には測り難ねるが、自稱奇人の國信氏、明日、廣島縣に歸ると云ふ。
 春には時對協にも遊びに來たい、と。時對協は小生を除いて奇人の巣窟だ。新しく議長に就任した福田邦宏先輩の御心痛、誰れぞ識る者ある。
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※寫眞、左から、島田兄、國信兄、小生。

by sousiu | 2011-01-15 02:03 | 小論愚案